水曜日, 3月 18, 2026
ホーム土浦1938年に八尺の浸水 土浦市田中の自然石に刻まれる【自然災害伝承碑の現在】㊦ 

1938年に八尺の浸水 土浦市田中の自然石に刻まれる【自然災害伝承碑の現在】㊦ 

土浦(市)の水害は江戸時代に街の形ができた頃から桜川の氾濫や霞ケ浦からの遡上で幾度となく浸水の被害が出ている。その抜本的な洪水対策に従事した政治家・色川三郎兵衛氏の活動を閲覧する予定だったが、土浦市立博物館は、本年7月から大規模改修で2年後の1月まで休館となっていた。

常磐線軌道を防災インフラとして整備

色川氏の業績は、現在の常磐線軌道建設時に盛土構造物を霞ケ浦寄りに築造させ、堤防の役割を与えたことが有名だ。これは東日本大震災時、宮城県の仙台東部道路が同じ機能を果たし、ある程度津波を防いだ。常磐線軌道ははるか明治時代に防災インフラとして整備されていた。色川氏はさらに、川口川河口付近での閘門設置にも尽力した。

川口川そのものは埋め立てられ消失しているが、旧川口川閘門鉄扉と排水ポンプは残されており、色川氏の業績を讃えた記念碑と像も建立されている。ただ、構造物自体は伝承碑の対象外であり、色川氏の記念碑にも業績を讃える文言しか刻まれていないため、治水の記録を捕捉銘板などで追加しなければ伝承碑として登録できる確率は低い。

色川三郎兵衛氏の像

防災サポーターが自転車で走り回り確認

これは意外な展開になった。本当に土浦市内にも水害伝承を記した石碑は皆無なのだろうか。つくば市同様、土浦市の防災危機管理課に足を向けた。

「現時点(8月17日)では自然災害伝承碑に登録されていませんが、1938(昭和13)年水害の記録を彫り込んだ自然石が存在します。この石碑は以前、市立博物館が災害の記憶をテーマとした企画展を催した際、水害の歴史事例として紹介したことがあります」

1938年6月末から7月にかけての台風水害は、真鍋から下高津までの桜川低地が冠水し、土浦町で約4800戸、真鍋町で1000 戸以上の床上浸水を生じた。氾濫した水の深さは8尺(約2.4m)に及んだという。

「地域防災サポーターの方が、市内を自転車で探し回り、この石碑を確認してくれました。市としては伝承碑に登録できる十分な条件を備えていると考えます」

それでも確認された石碑はこの一例だけだという。

「自然災害伝承碑そのものが、これから広く認知されていくのでしょう。市民の関心が高まり情報のやり取りが活発になれば、今は埋もれている災害の記録が2例目、3例目とよみがえっていくのではないでしょうか」

防災危機管理課でレクチャーしていただいた石碑を探して、中心市街地からは少し離れた神社にたどり着く。昔は一面の田園地帯だった。周辺の新市街地は80年代以降に形成され、社だけが長い歴史をたたえている。拝殿横の樹木を支えるように並べられた自然石の一つに、判読しにくいながらも「十三年」「大洪水」の文字が刻まれていた。

登録で歴史を再認識

この探訪は、国土地理院の地図と測量の科学館内で目にした自然災害伝承碑の紹介コーナーがきっかけだ。展示パネルのひとつに、つくば周辺の伝承碑4カ所が掲げられていたが、土浦市にもつくば市にも伝承碑の登録がないという事実に、驚きを禁じ得なかったのである。

そんな馬鹿な、と国土地理院に伝承碑の成り立ちを聞くところからスタートした。印象としては、災害伝承の多くは口伝えと文献に委ねられている。それらの維持保存は重要な意義を持つが、紙媒体もデジタル化した情報も、おそらく石碑のような堅牢さに比べれば、長期間にわたる伝承には限界がある。

そう言い切ってしまうと、地理院が進める伝承碑の情報収集・登録・ウェブ上での利活用に矛盾を与えてしまうが、各地の伝承碑がどこにあり、何を伝えているかのガイドとして地域の耳目が触れやすくしていくことに新たな意義が生まれている。

土浦市内の大洪水の碑は、近く自然災害伝承碑として登録されることだろう。大事なことは、登録後に改めて人々がその歴史を再確認し、災害に対して油断のない暮らしを営むことにある。(鴨志田隆之)

終わり

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

2 コメント

2 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

廃棄していた果肉を活用 福来みかんのドリンク開発 筑波山神社参道の土産店

筑波山麓特産の福来みかんの皮を使った七味を販売する筑波山神社参道の土産店「神橋亭」(つくば市筑波、店主・渡辺由美さん)が昨年末から、これまで廃棄していた福来みかんの果実を活用しドリンクを販売している。福来みかん特有のさわやかな香りと甘酸っぱさが特徴だ。七味はみかんの皮だけを利用するため、果肉はこれまで廃棄したり、人にあげたりしていた。 同店の七味は、先代店主の渡辺美代子さん(86)手作りの「みよこの七味」で知られる。渡辺さん一家は筑波山中腹の約990平方メートルで福来みかんを100本ほど栽培している。みかんが黄色に色付く11月になると毎年、店主の由美さん(43)と義母の美代子さんが、収穫したみかんの皮をむいて、干して乾かし、焙煎して「陳皮(ちんぴ)」を作り、粉にして唐辛子やごま、青のりなどと混ぜて福来みかんの七味を手作りし販売している。 一方、みかんの果肉は毎年2トンほど出る。一部を冷凍し知人にあげたりしているが、毎年1トンほど廃棄している。 由美さんは「捨てるのはもったいない。みかんの果肉をどうすればいいか」とずっと考えていたという。昨年、美代子さんから果肉をもらった知人が、果肉のシロップ漬けを作って持ってきてくれた。甘みも苦みもあっておいしく、シロップ漬けの作り方を教わったのが始まりという。 その後、由美さんは、果肉を焼酎に漬けたり、他のアルコール類に入れたりなど試行錯誤を繰り返し、砂糖の量や煮込み時間なども調整を繰り返した。果肉を生のまま使うより冷凍した果肉を使った方が甘味が増すということも分かった。 さらに砂糖を入れて煮込む際、当初みかんの種を取り除いていたが、種を取り除かずそのまま煮込んだ方が甘味が増すほか、加工の手間が省けるなどの利点も発見。こうして果肉を丸ごと使用した福来みかんのシロップ漬けが完成した。 シロップ漬けは果実酒の瓶に詰めて店頭に並べ、寒い日は体を温める「福来みかんホット」として、暑い日は炭酸割の「福来みかんスカッシュ」として1杯(300ミリリットル)500円(税込み)で提供する。ドリンクには果肉がほぼ1個分入っており、スプーンですくって食べられるようになっている。 店主の由美さんは「炭酸で割ったりお湯で割ったりするほか、紅茶で割ったり、ソフトクリームのトッピングができないかなど考えている。福来みかんのジェラードの試作品もできたので提供していきたい」と話す。 神橋亭は明治半ばの1894年に創業した。筑波山神社の神橋の脇にあり、登山客や観光客、神社の参拝者が立ち寄る。福来みかんの陳皮が入った七味は40年前ぐらいから販売している。 店舗は2024年9月に事業継承引継ぎ補助金を活用してリニューアルした。七味の加工工房は元々みかん畑の近くに作っていたが、福来みかんの粉の香りを来店客にかいでもらいたくて土産店に移設した。茨城県よろず支援拠点からの支援を受けている。同支援員の吉村千鶴子さんは「支援する側も、福来みかんの果肉の部分をどうするかが課題だった、今回、果肉のまま種もとらずに煮込むという画期的な方法が見つかり、とてもうれしい」とコメントする。(榎田智司)

キンカン、ヒヨドリ、アゲハチョウ 《鳥撮り三昧》11

【コラム・海老原信一】自宅玄関を出て右側、小さな庭の隅にある花壇に樹高2メートル弱のキンカンが植えてある。冬から春にかけてのこの時季、多くはないが黄色い実を付けてくれている。このキンカン、実は2代目。1代目は母親が存命中に鉢植えにしていたものを花壇へ地植えにして育てていたが、母の没後5年目ぐらいに元気がなくなり、枯れてしまった。 面倒見の悪い息子のせいかなと責任を感じて掘り起こしてみると、息子のせいばかりでないと判明。鉢植え時に絡み合った根の処理をあまりせず、そのまま植え付けたようで、複雑に絡み合ってしまい根が枯れてしまった様子。仕方がないと諦めたが、ある理由から新しく植えようと思い始めた。 ある理由とは、母親は網をかぶせて許さなかったが、ヒヨドリが実をついばみ、アゲハチョウが産卵しその幼虫が葉を食べると知ったから。母の没後、その楽しみを知った息子は彼らのなすがままにさせ楽しんでいたわけで、「新しく植えるか」との結論に。ホームセンターへ出向き、接ぎ木した部分が直径2センチ程の鉢植えを求め、1代目がいた場所へ、根の状態に気を付けながら地植えした。 それから7年ほど経つだろうか。2センチほどだった部分が10センチぐらいまで太くなり、かなりたくましい様相をしている。その割に樹高が2メートル弱なのは、小まめにせんていし、伸び過ぎないように抑えてきたから。 朝、玄関を出ると、キンカンの葉が揺れる。水道の凍結防止カバーを外しながら見ると、ヒヨドリが小さく泣きながら近くの電線へと飛び去る。キンカンの樹下には、半分ほどつつかれた実がいくつか落ちている。黒い糞(ふん)も落ちている。そのころにはナンテンの赤い実は無くなっている。 そして、キンカンが食べごろになるという寸法。よくしたものだと感心する。たまには息子も一つ二つ食べてみる。今年のキンカンはとても甘みが強い。結実の時季が暖かかったせいだろうか。 イモムシ=新幹線 この実が無くなり暑くなり始めると、次の白い小さな花が付き出す。そうなると次の客人がやって来る。アゲハチョウだ。カラタチやキンカンなどの柑橘(かんきつ)類が食草らしく、柔らかそうな葉の先に、金色の1ミリにも満たない卵を産み付ける。しばらくすると、見た目が小鳥の小さな糞のような幼虫が生まれる。結構な数が葉についている。 糞のような幼虫が葉を食べ続け、気付くと、黒っぽかった体色が緑色に代わり、太さ1センチぐらい、長さ4センチぐらいのイモムシが。我が家では「新幹線」と名付け、毎朝楽しんでいる。それらがいつの間にか見えなくなる。羽化に備え、サナギになるため目立たない場所へ移動するのだ。 どこへ? そう思いながら探すが見つからない。ある朝、羽化した個体に気付く。そこは雨戸の敷居の下陰。薄暗い場所に、羽化直後のアゲハチョウが美しく輝いている。幼虫の数からすれば、もっと成虫の姿があってもいいはずだが、厳しい自然界なのだろうか。だからこそ「きれいだな」との思いが強くなる。(写真家)

葛城地区周辺11カ所440ヘクタールを区域指定 つくば市 住宅供給に期待

TX沿線開発地区周辺で初 つくば市は6日付で、つくばエクスプレス(TX)沿線開発地区の葛城地区周辺おおむね1キロの11カ所計440ヘクタールを区域指定した。同周辺地区は市街化を抑制する市街化調整区域のため、これまでは特定の要件を満たした土地所有者しか住宅を建てることができなかった。指定により、土地があればだれでも住宅などを建てることができるよう都市計画法上の位置づけを変えた。TX研究学園駅周辺の葛城地区(約484ヘクタール)に匹敵する面積となる。 同市がTX沿線開発地区周辺で区域指定を実施するのは葛城地区周辺が初めて。今後、他の沿線地区周辺でも区域指定を実施するかどうかについて、市開発指導課は、葛城地区の区域指定後の住宅の貼り付き状況などをみて検討したいとしている。 今回の区域指定によって建築できる建物の用途は住宅や店舗などで、高さは3階建てに相当する10メートルまでなど。11カ所440ヘクタールは現在すでに集落や住宅、店舗などが立地し、空き地や畑などが混在している。TX沿線は地価上昇が続いている中、今後は区域指定エリアの空き地などに住宅が建ち、より買い求めやすい住宅が供給されることが期待されている。 区域指定制度は、2000年の都市計画法改正で既存宅地制度廃止に伴って新たに設けられた制度。県内では猶予期間を経て06年に既存宅地制度が廃止され、つくば市では07年度から運用が始まった。運用開始に伴って同市は市内全域を調査し、①40戸以上の宅地が連続して建っている②市街化区域から概ね1キロの範囲内にある③人口が減少している集落内にある④宅地率が概ね40%以上である⑤道路や下水道が整備されているーなどの要件がある地区を対象に、これまで市内で計約1900ヘクタールを区域指定してきた。 一方、TX沿線開発地区についてはこれまで、区画整理事業が進んでいたことから区域指定から除外していた。葛城地区では2014年度に換地が実施され、18年度に区画整理事業が完了、現在、住宅が8割以上貼り付いていることなどから、「つくばに住みたいと思っても住めないという声を踏まえて」(市開発指導課)区域指定を実施した。 一方で、土地区画整理事業で開発された葛城地区は、道路や公園、公共施設や学校用地が確保されるなど公共投資により計画的なまちづくりが進められてきた。これに対し区域指定エリアへの新たな公共投資は予定されておらず、民間投資で開発を実施することになる。(鈴木宏子)

コマ回し《デザインを考える》30

【コラム・三橋俊雄】昨年のことですが、小学校で行われた「昔の遊びボランティア」に参加しました。この行事は、地域の大人や保護者が小学1年生に「コマ回し」「けん玉」「メンコ」「羽子板」などの遊びを伝える活動で、私はコマ回しを担当しました。 現代の子どもたちはタブレットやゲームに触れる機会が多く、指先の操作が中心の世界で育っています。デジタルが身近になった分、身体全体を使って覚えるような体験は、以前より少なくなってきているように感じます。だからこそ、昔ながらの遊びが持つ「からだの感覚を働かせる遊び」は、子どもたちにとって新鮮で貴重なものになっています。 1年生は最初、コマがなかなか回らず、何度も失敗しながら、少しずつコツをつかんでいきます。コマ回しは、ひもを巻く力加減、投げる瞬間の手首の返し、投げるときの身体の向きなど、感覚と動きを総動員する遊びです。頭で理解するだけではできず、挑戦を重ねる中で自然と身についていきます。 そうして練習を続けていると、ふとコマが回る瞬間が訪れます。そのときの子どもたちの表情は驚きと喜びに満ちています。こうした身体を通して身につけていく学びこそ、デジタル時代に失われつつある大切な体験だといえます。 また、昔の遊びを教えることは、単なる体験的活動ではなく、世代を超えて受け継がれてきた技が次の世代へと渡されていく、文化の継承でもあります。 絶滅危惧動作 コマ回しの時間には、ゆっくりとした空気が流れ、失敗してもまたやってみようという空気が生まれます。地域の大人と子どもたちが向き合い、励まし合いながら挑戦する姿は、まさに世代間交流の原点であり、今の時代だからこそ必要なことではないでしょうか。 日常生活の中ではほとんど見られなくなり、このままでは消えてしまいそうな身体の動きを「絶滅危惧動作」と言います。 コマにひもを巻いて投げる動作も、まさにそのひとつです。かつては当たり前のように行われていたのに、いまでは日常からすっかり姿を消しつつあります。「お手玉」のリズムを刻む手つき、「あやとり」の細やかな指の動き、「けん玉」の連続した所作なども、同じように現代では触れる機会が少なくなった「絶滅危惧動作」です。 そうした昔の遊びが、子どもたちの手の中でふたたび息を吹き返す瞬間。その場に立ち会えることは、とてもうれしいものです。遊びを通して伝わる身体の感覚や、世代を超えた交流、そして文化が受け継がれていく様子を思うと、昔の遊びを伝える営みは、今の時代だからこそ大切だと感じます。(ソーシャルデザイナー)