土曜日, 11月 22, 2025
ホーム土浦「常陸小田氏の土浦市展示に事実誤認あり」に応える 市立博物館

「常陸小田氏の土浦市展示に事実誤認あり」に応える 市立博物館

【寄稿】先般、本サイトに「常陸小田氏の土浦市展示に事実誤認あり」と題するコラム(4月20日掲載)が寄せられました。ここでは主に、1.八田知家の「筑後改姓」は誤り、2.知家と小田氏の評価に違和感がある、というご意見をいただきました。今回は、この場をお借りして、寄せられたご意見に応えてみたいと思います。

1.「八田知家の『筑後改姓』は誤り」について

筆者・高橋恵一氏の趣旨は、八田知家に始まる一族は「筑後」に「改姓」したという『土浦市史』の説は誤りであり、展覧会はこれを踏襲している、というものでした。

しかし、本展覧会では、『土浦市史』の記述を受け継いではいません。私たちも「改姓」したとする『土浦市史』の記述は誤った認識であると考えています。

まず、知家の氏(うじ)は藤原、姓(かばね)は朝臣(あそん)です。これらはいずれも変えていません。本展覧会では、「筑後」を「苗字」ではなく、「名乗り」として紹介をしています。この「筑後」の「名乗り」は、『吾妻鏡』にも登場しますが、極楽寺に寄進された鐘(現土浦市等覚寺所蔵・国指定重要文化財)の「筑後入道尊念」という銘や、茂木文書に「故筑後入道」という記載にも表れます。特に、極楽寺の鐘銘は、知家自身が寄進者ですので、知家が自ら「筑後」を名乗っていたことが分かります。

この名乗りについて、確認しておくべき前提が二つあります。すなわち、①鎌倉時代の「名乗り」は今日における「苗字」とは異なり、一つではないこと、②武士の名乗り=地名とは限らないことです。

まず、①について。鎌倉時代においては、拠点とする場所(「名字の地」)を冠して名乗りとしたり、就いた役職や官位によって名乗りを改めることは頻繁に行われていました。卑近な例でいえば、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公北条義時を挙げることができます。「北条」を名乗る一門に生まれた義時ですが、江間(現静岡県伊豆の国市)に領地を得ると、「北条」と合わせて「江間」を名乗ります。このように、当時の「名乗り」は時期によって変わるものなのです。

次に②について。たしかに、鎌倉時代の武士は多くが本領とする場所の地名を名乗りに用いていました。しかし、領地とともに大切なのが、官位、すなわち身分の序列でした。これを重んじた場合、名乗りは土地のみならず、官位に連なる役職も含まれます。伊賀守を名乗りとした伊賀氏(のちの飯野氏)や、紀伊守の位を得て豊島氏から改めた紀伊氏などの例があります。常陸国(現茨城県)を例にしてみても、府中(現石岡市)を治めた大掾氏(だいじょうし)は官位に基づく名乗りです。また、国府の役人であった税所氏(さいしょし)の名乗りは、その役職に由来しています。このように、一族の名乗りは、必ずしも土地のみに縛られるものではありませんでした。

問題の「筑後」もまた、官位に由来する名乗りです。当時は官位や土地に由来する名乗りが数多くありました。この時期は名乗りにとって黎明期といえる時代なのです。

当館といたしましては、これまでの研究成果を参照しつつ、今一度史料を読み直した上で、今回の展覧会に至りました。現時点においては、遺された歴史資料に基づいて、当館は知家以降、4代小田時知の登場にいたるまで、一族の名乗りは「筑後」であったという見解を採りました。もちろん、今後新たな中世史料が発見された際には、「筑後」の「名乗り」を見直すことはあるかもしれません。

2.知家と小田氏の評価について

高橋氏は、知家や小田氏をマイナー脚色するものであるとして、本展覧会を評価されました。しかし、本展覧会は、約600年にわたる時間軸の中で、知家から始まる15代の当主、さらにはその子孫の系譜をたどったものです。これほどの長きにわたり、滅びることなく土浦・つくば地域を支配し続けることは容易ではありません。さらに展覧会では、関東の名門武家として認識されていくさまも紹介をしています。本展覧会のタイトルに「名門」の二文字を記した意図は、ここにあります。

また、15代氏治についても、これまでのような「戦に負け続ける武将」というイメージを払拭し、名門武家として生き残りを図った当主という面を評価しています。本展覧会で紹介したのは、難しい時代の変化の中で、一族の栄枯盛衰はありつつも、その系譜を絶やすことなく続けてきた一族の歴史、そして常陸国を離れたのちも、旧家臣との交流を有していた姿です。

未だ謎は多く残されていますが、本展覧会では希少かつ貴重な歴史資料を基にして、一族の歴史を描くことを試みました。展覧会の会期は残りわずかとなりましたが、八田知家に始まる名門武家小田氏につきまして、今後も様々なご意見をいただきながら、これからも検証を深めてまいります。(土浦市立博物館)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

5 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

5 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

自動運転バス「レベル4」27年度実現へ つくば市で3回目の実証実験開始

つくば市で21日、公道を使った自動運転バスの走行テストを行う実証実験が始まった。ルートは、つくば駅から筑波大学構内を循環する約10キロの既存のバス路線で、所要時間は約40分。一般の乗客を乗せて1日4便の運行を来年1月23日まで続ける予定だ。同市は2027年度に、運転手不在の状態で、特定の条件下で完全な自動運転が可能となる「レベル4」の実現を目指している。 この実験は、昨年と今年1月に続いて3回目となる。今回はこれまでと同様、状況に応じて運転手が操作を行う「レベル2」での実施となる。 今回は、国の補助金を活用して関東鉄道が自動運転バス車両を新たに購入し、同社のバス路線「筑波大学循環」内のすべてのバス停に停車するなど、新たな取り組みも加わった。また、今年8月にはつくば市を代表として、筑波大学、関東鉄道、KDDIが「つくば自動運転社会実装推進事業コンソーシアム」を設立。民間5社の協力も得て実施されている。 今回使用されている車両は、名古屋市のベンチャー企業ティアフォーによる自動運転EVバス「ミニバス 2.0」。最高時速は70キロ、定員は28人だが、自動運転時は時速35キロ、定員16人で走行する。走行時には8台のカメラと13台のレーザーセンサーが周囲の状況を分析し、事前に設定した走行ルートに従って自動安全システムが交差点やカーブでの停止・発進、加減速などを行う。緊急時には乗車する運転士が手動運転で対応する。この日は通信トラブルが発生し、バス停での停車・発車時などで手動操作に切り替え運行した。 つくば市科学技術戦略課の中島央樹さんは、今回の実証実験について「国は、全国で自動運転サービスの実装を2025年度に50カ所、27年度に100カ所以上とする目標を掲げている。つくば市もこれに合わせ、27年10月に完全に運転手がいないレベル4の実装を目指している」とし、「昨年は6カ所のバス停のみ停車したが、今回は、路線バスと同じ動きをすることを目指し、29カ所すべてに停まるようにした。以前はつくばセンターのロータリー外側から発車していたものを、内側からの出発に変更した」と説明し、「つくば市に限らず、中心部と周辺地域の移動格差が課題となっている。つくばは車が主な移動手段で、交通渋滞や事故が問題になっているほか、交通事業者では運転手不足による減便などの課題もある。自動運転バスの運行を通じて公共交通を地域に根付かせ、こうした課題の解決につなげていきたい」と目標を語った。 同市は今年度当初予算で、国の国庫支出金を財源に、自動運転バスの購入費、自動運転地図作製費、レベル4通信費など約1億3400万円と、自動運転バス年間維持費約1370万円の計1億4770万円を計上した。今年度は実証実験とレベル4許認可申請、26年度は実証実験、27年は定常運行を目指している。(柴田大輔) https://youtu.be/FfSoeYhtxLI ◆乗車料金は無料。QRコードで希望の時間を事前予約する。事前予約がない場合は先着順となり、定員に達した場合は乗車できないことがある。詳しくはつくば市ホームページへ。

ナショナルトラストと自然共生サイトが同時実現《宍塚の里山》130

【コラム・森本信生】市民の意思で土地を守る「ナショナルトラスト」と、国が認定する新制度「自然共生サイト」。歴史のある活動と新しい仕組みが、宍塚の里山で本格的に重なり合った。 ナショナルトラストの特徴は、市民が資金を出し合い、自然や歴史的環境を「自分たちの手で」次世代に引き継ぐ点にある。発祥は1895年のイギリス。急速な都市開発が進むなか、「失われゆく景観を市民の力で守る」ことが出発点だった。 日本でも1964年、鎌倉・鶴岡八幡宮裏山の開発を防ぐため、市民と市が協力して土地を買い取った例が最初とされる。現在、日本ナショナルトラスト協会に関わる団体の会員は計17万人、保全地は約1万5000ヘクタールに及び、市民による継続的な取り組みとして根付いてきた。 一方、自然共生サイトは、生物多様性の国際目標「30by30」達成のために創設された制度である。国立公園のような法的保護区だけでなく、民有地や市民団体が管理する森も、一定の管理水準を満たせば保全エリアとして国の認定を受けられる。科学的根拠に基づく評価と行政の審査が特徴で、信頼性の高い新しい仕組みといえる。 この二つが交わったのが、宍塚の里山だ。9月16日に自然共生サイトに正式認定されたのは、前回のコラム129で紹介したが、それに続き、9月25日には日本ナショナルトラスト協会から助成金の交付が決定。「キャンエコの森」と呼ばれる447平方メートルの雑木林を対象に、宍塚でナショナルトラストが実現した。 自然共生サイトに認定されたのは三つの森であるが、残る二つの森は、すでに会の基金や寄付によって取得済みなので、今回登録された自然共生サイトすべてが「自ら土地を持つ」形で保全される体制が整ったことになる。 市民と行政が自然を守る新モデル 宍塚における常磐自動車道路のスマートインターチェンジの設置決定や、つくばエクスプレス(TX)のつくば駅から土浦駅への延伸構想のなかで、宍塚の里山の保全をいかに図るかが課題となっている。このような情勢のなかで、宍塚で実現したナショナルトラストと自然共生サイトの両者の組み合わせには、意義があり、大きな相乗効果が期待できる。 市民参加と土地所有というトラストの強み、国の認定による制度的裏付けを提供する自然共生サイトの強み。これらが重なることで、価値のさらなる明確化、資金調達の安定性、企業・行政との協働の広がり、科学データの蓄積、地域ネットワークの強化など、多角的な効果が見込まれる。 宍塚の里山は、市民と行政が連携して自然を守る新しいモデルとして、その持続可能な保全がより力強いものとなっていくだろう。そして、その成果が、土浦の誇りとなり、日本全体、さらには世界に波及してくことを強く願っている。(宍塚の自然と歴史の会 理事長)

旧家住宅が登録有形文化財に つくば市栗原 家族が保存・活用方法を模索

国の文化審議会(島谷弘幸会長)は21日、江戸後期から大正後期に建築されたつくば市栗原、旧家の住宅「下邑(しもむら)家住宅」の主屋(おもや)や米蔵、長屋門など6棟1基を、国の登録有形文化財に登録するよう文科相に答申した。主屋と米蔵は造形の規範として、長屋門や塀は歴史的景観に寄与するものとして評価された。 登録されるのは、主屋と、米蔵・北蔵・南蔵の3棟の蔵、長屋門、外便所、塀。同市文化財課は「市として、市内で文化財の登録が増えるのは喜ばしい。これまでにもイベント等で活用されてきた実績がある施設で、今後も市としてイベントの周知等を通じて連携していきたい」と話す。答申後、官報に告示され、正式に登録される。登録されれば、市内の登録有形文化財は7カ所28件になる。 下邑家は、新田開発や質屋などの事業で財を成した。同市筑波地区と土浦市を結ぶ街道沿いにあり、敷地面積は約4200平方メートル。 主屋は平屋建て寄棟造、江戸後期の建築とされ、明治中期に現在の豪華な姿に改修された。間取りは、一般的な農家建築よりも部屋数が多い六つ間取りで、来客を迎えるための広い式台玄関などに当時の栄華を見ることができる。座敷は、書院の障子や欄間(らんま)に、繊細な模様を作り出す組子(くみこ)を用い、格式を備えている。 3棟の蔵のうち、米蔵は1921(大正10)年ごろに建てられた。木造2階建て、切妻造、外壁は黒漆喰(しっくい)塗仕上げで、屋根材を構成する下屋桁(げやけた)には、長大なマツの一丁材が使われるなど豪華な造りとなっている。入り口脇には英語で記された木札が残され、戦後にGHQの食糧倉庫として借し上げられたことを伝えている。江戸後期の建築と伝わる北蔵は、かつて質草を保管した蔵で、外壁を漆喰で塗り固めた土蔵造り、こて絵による「下邑」の文字が残る。南蔵は、関東大震災以後の1924(大正13)年に再建され、現在も倉庫として使用されている。 長屋門と塀は明治前期に建築され、長屋門は門口廻りにケヤキ材を用いた重厚な造りとなっている。塀は三段の切石積みの基礎の土台の上に柱を立てて造られている。 震災と家族の思いが背中押した 下邑家の7代目の下邑悠司さん(32)は、母の郷晴美さん、妹の瑞季さんらと参加者を募り、住宅敷地内で飲食物やハンドメイド作品などを販売する「邑(むら)マルシェ」の開催や、レンタルスペースとして利用者を募るなど、これまで古民家の新しい利用方法を模索してきた。 今回、国登録有形文化財に登録されることについて下邑さんは「家を残さないと先祖に顔向けできないという焦りがあった。東日本大震災での家の破損と、祖父の逝去とが重なり、その思いが加速した」と述べ、「2017年から開始した『邑マルシェ』は、資金がない中でできる活動として、多くの人に家を知ってもらうために始めた。今回の文化財登録は、さらに多くの方に知ってもらうための大きな一歩」と話す。 また「2028年には下邑家が今の場所に移り住んで230年を迎える。そのタイミングで家の歴史そのものに焦点を当てた展示会を、邑マルシェと同時開催することを計画している」と語り、今後については「今の姿のままを残していきたい。古建築活用といえばリノベーションやワークショップが主流だが、資金や人脈がない一個人には難しい。一方、リノベーションしていない本来の姿が喜ばれる活用方法としてマルシェや撮影利用などがある。古い家に生まれたものの、保存に悩んでいる全国の皆様の参考になれるように活動していきたい。今回の登録は、出店者やお客様、家の保全や広報を手伝ってくれている方々のおかげで実現したもの。感謝を忘れることなく今後も邁進していきたい」と思いを語った。(柴田大輔) 〈下邑家住宅の過去記事〉➡古民家活用のモデル模索中(2023年5月31日付)➡地元ホテル、ワイナリーとコラボ(23年10月23日付)➡大正建築の米蔵に価値を見出す(23年10月24日付)➡コスプレーヤーの高校生ら動画制作しPR(24年5月16日付)

高所作業車から2人が転落 つくば市並木大橋

アームが車線はみだし大型トラックと接触 20日午後0時5分ごろ、つくば市並木4丁目、学園東大通りに架かる並木大橋で、作業員2人が高所作業車のアームの先端に設置されたゴンドラに乗って作業中、アームが隣の車線にはみ出し、走行してきた大型トラックの荷台に接触、ゴンドラに乗っていた20代と30代の男性作業員2人が4~5メートル下に転落した。2人は救急車で病院に運ばれたが、30代男性は重体、20代男性は重傷を負った。2人共、意識はあるという。 つくば市道路整備課によると、工事は同市が発注した橋梁長寿命化補修工事。この日は、東大通りの片側2車線の道路のうち、荒川沖方面に向かう、並木地区の住宅街側の1車線を通行止めにしていた。作業員2人はアームの先端のゴンドラに乗って、橋の底部のコンクリートひび割れの補修作業を実施、ひび割れ箇所に注射器のような注入器具を取り付けて薬剤を注入し、取り付けた注入器具を回収する作業をしていた際、注入器具を回収するためアームを隣の車線の上に動かしたところ、走行してきた大型トラックの荷台にアームが接触した。 転落した作業員2人はいずれも下請け会社の作業員だった。 同課によると、本来、アームを隣の車線の上に動かす際は、隣の車線も一時通行止めにすべきだったが、規制しなかったという。市によると、なぜ車線を規制しないままアームを動かしたかなどの原因は現時点で不明としている。 この事故で、アームが動かなくなり高所作業者の撤収に時間がかかったなどから、荒川沖方面に向かう片側2車線がいずれも、同日午後6時15分まで約6時間にわたり通行止めになった。路線バスと高速バスのバス停3カ所も利用できなくなった。 並木大橋の橋梁補修工事は6月3日に始まり、来年1月30日まで実施される予定。再発防止策として市は同日、元請け業者に対し、工事現場の規制方法の再確認や交通誘導員及び現場作業員に対する安全対策の再教育を指示した。さらに現在、市の工事を受注している全事業者に対し、安全対策に関する指導を徹底するとしている。