火曜日, 5月 13, 2025
ホーム土浦「常陸小田氏の土浦市展示に事実誤認あり」に応える 市立博物館

「常陸小田氏の土浦市展示に事実誤認あり」に応える 市立博物館

【寄稿】先般、本サイトに「常陸小田氏の土浦市展示に事実誤認あり」と題するコラム(4月20日掲載)が寄せられました。ここでは主に、1.八田知家の「筑後改姓」は誤り、2.知家と小田氏の評価に違和感がある、というご意見をいただきました。今回は、この場をお借りして、寄せられたご意見に応えてみたいと思います。

1.「八田知家の『筑後改姓』は誤り」について

筆者・高橋恵一氏の趣旨は、八田知家に始まる一族は「筑後」に「改姓」したという『土浦市史』の説は誤りであり、展覧会はこれを踏襲している、というものでした。

しかし、本展覧会では、『土浦市史』の記述を受け継いではいません。私たちも「改姓」したとする『土浦市史』の記述は誤った認識であると考えています。

まず、知家の氏(うじ)は藤原、姓(かばね)は朝臣(あそん)です。これらはいずれも変えていません。本展覧会では、「筑後」を「苗字」ではなく、「名乗り」として紹介をしています。この「筑後」の「名乗り」は、『吾妻鏡』にも登場しますが、極楽寺に寄進された鐘(現土浦市等覚寺所蔵・国指定重要文化財)の「筑後入道尊念」という銘や、茂木文書に「故筑後入道」という記載にも表れます。特に、極楽寺の鐘銘は、知家自身が寄進者ですので、知家が自ら「筑後」を名乗っていたことが分かります。

この名乗りについて、確認しておくべき前提が二つあります。すなわち、①鎌倉時代の「名乗り」は今日における「苗字」とは異なり、一つではないこと、②武士の名乗り=地名とは限らないことです。

まず、①について。鎌倉時代においては、拠点とする場所(「名字の地」)を冠して名乗りとしたり、就いた役職や官位によって名乗りを改めることは頻繁に行われていました。卑近な例でいえば、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公北条義時を挙げることができます。「北条」を名乗る一門に生まれた義時ですが、江間(現静岡県伊豆の国市)に領地を得ると、「北条」と合わせて「江間」を名乗ります。このように、当時の「名乗り」は時期によって変わるものなのです。

次に②について。たしかに、鎌倉時代の武士は多くが本領とする場所の地名を名乗りに用いていました。しかし、領地とともに大切なのが、官位、すなわち身分の序列でした。これを重んじた場合、名乗りは土地のみならず、官位に連なる役職も含まれます。伊賀守を名乗りとした伊賀氏(のちの飯野氏)や、紀伊守の位を得て豊島氏から改めた紀伊氏などの例があります。常陸国(現茨城県)を例にしてみても、府中(現石岡市)を治めた大掾氏(だいじょうし)は官位に基づく名乗りです。また、国府の役人であった税所氏(さいしょし)の名乗りは、その役職に由来しています。このように、一族の名乗りは、必ずしも土地のみに縛られるものではありませんでした。

問題の「筑後」もまた、官位に由来する名乗りです。当時は官位や土地に由来する名乗りが数多くありました。この時期は名乗りにとって黎明期といえる時代なのです。

当館といたしましては、これまでの研究成果を参照しつつ、今一度史料を読み直した上で、今回の展覧会に至りました。現時点においては、遺された歴史資料に基づいて、当館は知家以降、4代小田時知の登場にいたるまで、一族の名乗りは「筑後」であったという見解を採りました。もちろん、今後新たな中世史料が発見された際には、「筑後」の「名乗り」を見直すことはあるかもしれません。

2.知家と小田氏の評価について

高橋氏は、知家や小田氏をマイナー脚色するものであるとして、本展覧会を評価されました。しかし、本展覧会は、約600年にわたる時間軸の中で、知家から始まる15代の当主、さらにはその子孫の系譜をたどったものです。これほどの長きにわたり、滅びることなく土浦・つくば地域を支配し続けることは容易ではありません。さらに展覧会では、関東の名門武家として認識されていくさまも紹介をしています。本展覧会のタイトルに「名門」の二文字を記した意図は、ここにあります。

また、15代氏治についても、これまでのような「戦に負け続ける武将」というイメージを払拭し、名門武家として生き残りを図った当主という面を評価しています。本展覧会で紹介したのは、難しい時代の変化の中で、一族の栄枯盛衰はありつつも、その系譜を絶やすことなく続けてきた一族の歴史、そして常陸国を離れたのちも、旧家臣との交流を有していた姿です。

未だ謎は多く残されていますが、本展覧会では希少かつ貴重な歴史資料を基にして、一族の歴史を描くことを試みました。展覧会の会期は残りわずかとなりましたが、八田知家に始まる名門武家小田氏につきまして、今後も様々なご意見をいただきながら、これからも検証を深めてまいります。(土浦市立博物館)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

5 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

5 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

国重文2つの「原器」ご開帳 メートル条約150周年に産総研

産業技術総合研究所(産総研)計量標準総合センターは12日、つくば市梅園のつくばセンター中央事業所で保管している国の重要文化財「メートル原器」と「キログラム原器」の封印を解き、初めて同日公開を行った。 「世界計量記念日」の5月20日に、メートル条約が締結されてちょうど150年となることから、軽量標準の象徴である2つの原器を通じ同条約の果たしてきた役割を紹介したいと報道陣向けに公開した。 メートル条約は1975年5月20日、当時17カ国の間で締結された。日本は1885年(明治18年)に加盟、今年4月現在、加盟国は64カ国、準加盟国は37カ国となっている。国によって長さや体積、質量などがまちまちだと貿易や製品製造などの障壁となることから、各国で一致した計量標準を定めようとした取り決め。 メートル条約の下、1890年にメートル原器とキログラム原器が加盟国に配布された。日本はこのとき両原器の配布を受けた初期の加盟国の一つ。メートル原器はフランスで30本製作されたもののうちNo.22を、キログラム原器は40個作られた複製のNo.6を、それぞれ受領した。共に白金イリジウム合金製、経年変化や熱膨張係数が少ない素材で作られた。 原器は、例えば都道府県等の保有する測定器との校正を行う際などに用いられるが、40年に一度フランスに里帰りして定期検査を受ける。普段は室温や湿度、防塵管理の厳格な場所で保管されている。日本では戦時中、都内から石岡市(柿岡)の地磁気観測所に「疎開」して戦災を避けようとした歴史もある。 「現物がそこにある意味」 国際的な計量標準は国際単位系(SI)が体系化され、最新の科技術をベースにした定義の改定が進んだ。「原器」を計量標準に用いたのは、長さ(メートル)と質量(キログラム)だけ。 メートルは元々子午線の長さを基準に定められたが、メートル原器が出来てからは原器に刻まれた2本の目盛線の中心間の、温度0℃のときの距離との定義が約70年間使われた。1960年になって、クリプトン光の波長を基準とする距離に改定され、2019年からは一定の時間に真空中を光が進む速さから求める数値による定義になっている。 一方、キログラム原器は2019年までの約130年間、質量の基準としての役割を担ってきたが、原子1個の質量に関連する物理定数「プランク定数」に基づく定数に変わった。産総研の計量標準総合センターの研究グループが、シリコン単結晶球体を用いて高精度なプランク定数の測定に成功したことで、改定に大きな役割を果たしている。 こうして役目を終えたメートル原器は2012年に、キログラム原器は2022年に、それぞれ国の重要文化財に指定された。計量標準で「原器」の考え方はとらなくなったものの、特にキログラム原器は完全に引退したわけではない。非常に優秀な分銅として、現在でも産業の現場などで役立っているという。 このためキログラム原器の保管はとりわけ厳重で、つくばセンター中央事業所の地階の厳重な扉のなかに保管され、塵芥を避け、湿度は0%に保たれている。12日はこの施錠を解いての公開となった。庫内にはキログラム原器のほか、副原器、尺貫法時代の貫原器2点の合わせて4点(いずれも重要文化財)が公開された。 計量標準総合センターの臼田孝センター長は「物理量と違って現物がそこにある意味は大きい。150年変わらず維持してくれた関係者がいたわけで、その象徴としての原器を今後とも大切にしていきたい」と語っている。(相澤冬樹)

年金受給額と生活に必要なお金《ハチドリ暮らし》49

【コラム・山口京子】定年後の暮らしを考える金額として、日本年金機構が発表する公的年金の受給額、国税庁の「民間給与実態統計調査」、総務省が調査している「家計調査(家計収支編)」などの数字があります。 2025年の公的年金受給額モデルでは、国民年金の老齢基礎年金は、20歳から60歳まで保険料を納付したとして、月額6万9308円。厚生年金は、会社員の夫と専業主婦の妻をモデルにした夫婦世帯計算で、23万2784円。その内訳は、夫婦2人分の老齢基礎年金と夫の厚生年金部分の9万4168円。 この金額の前提となる保険料納付の条件は、男性の平均的な収入(平均標準報酬=賞与含む月額換算=45万5000円)で40年間就業したケースです。単身男性の厚生年金月額(老齢基礎年金を含む)は17万3457円。単身女性では13万2117円と記されていました。 厚生年金の額は現役時代の保険料額や納付期間で決まります。国税庁の「2023年分民間給与実態統計調査」によると、平均年収は460万円、中央値では351万円でした。正社員の平均年収は530万円、非正規社員の平均年収は202万円です。 高齢夫婦無職世帯の家計の収支状況を総務省の家計調査で見ると、2024年では月3万4058円の赤字。2020年は1111円の黒字でした。2020年はコロナ禍で1人10万円の定額給付金が出たため、黒字になったと思われます。 6月には年金額改定通知が届きます 話題になった「老後2000万円」不足の根拠となったのは、2017年の総務省家計調査です。高齢夫婦無職世帯は月5万4519円の赤字で、これを30年続けると約2000万円が不足すると言われました。この時の調査では、貯蓄額平均は2000万円を超えていました。現在は約2500万円となっていますが、高額貯蓄者が平均額を押し上げているためで、中央値は1600万円台とされています。 当時、「老後2000万円」問題が独り歩きし、大問題になりましたが、最近は2000万円でも足りないとも聞きます。しかし、赤字が続くと思えば、私たちは節約したり、収入を増やすなど様々な行動に出るでしょう。統計数字は参考にはなるものの、大事なのはわが家の生活です。年金はどうなっているのか、それ以外の収入があるのかで、それぞれの家計は変わります。 6月には年金機構から「国民年金・厚生年金保険 年金額改定通知書」が届きます。そこには、改定前と改定後の国民年金と厚生年金の額が記載されています。そして、毎年資産のたな卸しをしましょう。ざっくり、資産額の時系列変化を意識してください。家計の足元をしっかりさせて暮らしたいものです。(消費生活アドバイザー)

筑波山麓の民間交流施設で上映会 神社を継承する人々描く

福島出身 数間よし乃さん制作「継承」 つくば市国松の民間交流施設「じゅんばぁの家」(渋谷順子代表)で18日、福島県出身の写真家で映像クリエイターの数間よし乃さん(46)が監督した映画「継承」の上映会が催される。神社を継承する人々の姿を描いたドキュメンタリーで、上映会には数間さんも出席し座談会も開かれる。 数間さんは福島県猪苗代町生まれ、結婚を機に南相馬市に転居した。東日本大震災の津波で被災し、東京電力福島第1原発事故の影響で東京都府中市に移り住んだ。移住先にあった大国魂神社に1900年の歴史があることに感銘。原発事故で福島を離れたことを悩んでいた数間さんは、神社を継承する人々の姿を通じて、人間にとって大切なものを描こうと映画を制作した。 南相馬市を始めとする相双地方や出身の猪苗代町、喜多方市など福島県内外約30カ所の神社を撮影し、神職や総代、行政区長らをインタビューした。2023年、英語版を制作しフランスのナント三大陸映画祭に応募。その後、英語版を日本語版に再編集し、福島県内各地で上映会を実施している。 数間さんは作品について「私は故郷を捨てた。10年以上その選択が私を苦しめた。東日本大震災による放射能汚染を懸念し、 嫁いだ先の土地を手放した私は、 流産や病気、子供の障害、コロナ禍を経験しながら神社に参拝するようになる。 そこで日本人が長い年月にわたり大切にしてきた神社を支える『神社守り』の人々の撮影を始めた。 長い間の問い、『継承すべきものは何なのか』、失ったものの重みと新たに見つけた意識を描いた映画」だと解説している。 つくばで上映会を主催する渋谷順子さん(66)は神奈川県座間市出身。ドイツに16年間、日本語講師として滞在し、2022年に帰国。現在、筑波山麓の国松に住み、自宅の一部を開放して交流施設を運営するかたわら、筑波山神社や周辺の飯名神社、蚕影神社、六所皇大神宮跡など古くから続く信仰や地域の伝統や歴史に興味を持ち、それらを守り続ける地元住民と交流を続けている。数間監督とは、古代の勉強会で知り合い、自身との接点を強く感じ、これはぜひ他の人にも伝え、応援しなければという思いが起こったという。 渋谷さんは「(自身が)横浜生まれなのに筑波山麓に住んだのはドイツの田舎に住んだから。田舎は自然が豊かであるとともに継承された歴史や文化がある。神社守りを描いた数間さんの映画は、継承すべきものというのがテーマ。捨てたもの、失ったものの重さを数間監督と思い存分語り合うことができれば」と話す。 ◆ドキュメンタリー映画「継承」の上映会は18日(日)つくば市国松1022-2 筑波山麓じゅんばあの家で開催。上映時間は①午前の部=10~11時 上映会、11~12時 お話し会②夜の部=6~7時 上映会、7~8時 食事+お話し会。参加費は午前の部無料、午後の部は食事代2000円。問い合わせはじゅんばあの家(メールjunbaanoie@gmail.com、電話080-4713-3104)へ。

米の適正価格はいくら?《邑から日本を見る》182

【コラム・先﨑千尋】「カラスの鳴かぬ日はあっても」という言葉がある。今なら、米に関する話題がテレビ、新聞などで報道されない日はない。「米5キロ最高値4220円。昨年の2倍。16週連続値上げ。崩壊寸前食料安保」など。 予想されたことだが、最近は米泥棒があちこちに出没しているというニュースもある。5月6日付の日本農業新聞は、今年になって千葉、茨城の両県で約30件、8000キロが農家の倉庫から盗まれた、と報じている。テレビでも、被害に遭った農家の声を伝えている。我が家でも被害に遭ったらと考えるとゾッとする。あちこちのフードバンクや子ども食堂も困っているようだ。 5反百姓の我が家は、例年どおり5月の連休に田植えをした。兄弟や子供たちが集まり、1年で一番にぎやかだ。孫が田植え機を操縦するようになった。終わったあとは「さなぶり」。皆が持ち寄った手作りの料理とビールがうまい。飲み始める前に「今年も米を食べられるゾ」と宣言する。 スーパーでの店頭価格が昨年の倍になったからといって、農家は潤っているのか。米作りを止めた農家が作付けを再開するか。「上がった」と言っても、やっと30年前の価格に戻っただけ。その間、資材代は大幅に上がっている。 2022年までは「米農家の時給は10円」と言われていた。昨年それが約100円に上がった。それでもパートの時給の1割にすぎない。リタイアした人たちは高齢化で、もう米作りはできない。米で生活できるためには最低でも20~30ヘクタールは必要だし、トラクターやコンバイン、乾燥施設などの設備投資は数千万円単位になる。 「令和の米騒動」と言うが… それにしても、米5キロ4000円台の価格は高過ぎる。生産者は「高ければ高いほどいい」などとは考えていない。大部分の農家は「米の再生産ができる正当な農業労働評価をしてほしい」と願っている。大部分の農家は出来秋に米を出荷しているので、もうかることはないのだ。 では、米の適正な小売価格はどれくらいなのだろうか。 農水省の調査では、昨年の米の相対取引価格は60キロ2万4383円だ。この価格で米卸が玄米を仕入れ、スーパーなどの小売が店頭で売る場合の「適正価格」は、卸・小売りのコスト(精米、流通など)に平均利潤を加えて、5キロ換算で2918円になる。政府備蓄米の全農から卸への販売価格は60キロ2万2402円。店頭価格が5キロで3000円より少し高いくらいになっているので、その程度が「適正価格」と言えよう。誰かが不当に儲けている。 1918年に起きた米騒動は、富山県魚津町の女たちが米の投機による米価の高騰に対して暴動を起こしたのが始まりで、全国に波及した。米倉の打ち壊しが行われ、最後は軍隊まで出動した。今回の米価の急騰は「令和の米騒動」と言われているが、騒動はどこでも起きていない。 どうして「騒動」と言うのだろうか? 米を始めとする物価高に労働組合はだんまりを決め込み、自分の給料が上がればいいと言うだけ。生活苦に声を上げた市民運動があるとも聞いていない。農民の側からは、前回の本欄で伝えたように「令和の百姓一揆」が東京など全国各地で行われたが、農協陣営は動いていない。「世の中、のどかだねえ」と言っているだけでいいのだろうか。(元瓜連町長)