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読書文化の復権を願って―水戸の佐川文庫 《邑から日本を見る》108

【コラム・先﨑千尋】3月19日、水戸市の郊外、河和田町にある佐川文庫の木城館で行われたピアノ・リサイタルに足を運んだ。文庫を主宰する千鶴さんのお誘い。ここでのコンサートは若手の音楽家がメイン。この日は、東京芸大卒業後、ベルリン芸術大学でピアノを学んだ北村朋幹さんの晩年のベートーベンのピアノソナタ3曲。静かな、時には体全体を鍵盤にたたきつける動きに魅了され、ベートーベンを堪能した。

佐川文庫は、1984年から1993年まで水戸市長を務めた佐川一信さんの姉千鶴さんが「ぼくの好きな本や音楽を集めて一般に公開したい」という一信さんの夢を実現させて、2000年に開館した。3万冊の書籍と1万枚のクラシックCDでスタートし、現在は書籍が5万冊、CDが2万5千枚になっている。

佐川文庫は、生前に彼が集めた蔵書を自宅の後ろに小屋を建て、児童書も置いて、近所の子供たちに公開したことに始まる。彼が市長の時に建設した西部図書館はドーム形のデザインが特徴。周囲に大回廊があり、芝生の上でも本が読める。音響もよく、ここでCDを聴くとコンサート会場にいるような気分に浸ることができる。この図書館にも法律関係の専門書と洋書5千冊が寄贈され、佐川文庫という一室に収まっている。

「若い子が本を読むのには開放感がある方がいい」

一信さんは学生時代、図書館が開館すると入り込み、閉館になるまで本を読んでいるという読書三昧の生活を送っていて、図書館には強いこだわりがあった。その時の思い出が「読書文化の復権」という理念につながり、水戸芸術館とともに佐川市政の柱の一つになった。それを千鶴さんが引き継ぎ、読書と音楽の城=一信さんのメモリアルホールとしての「佐川文庫」に結晶したということだ。

ゆったりとした書棚。本を読むテーブルは庭に面し、ガラス張り。とても明るく開放感がある。座るスペースも一つ一つ広く作られていて、周りを気にしないでいい。「若い子が本を読むのには開放感がある方がいい。土日には子どもたちが勉強に来る」と千鶴さんは言う。絶えず静かな音楽が流れている。公共の図書館にはない雰囲気に浸れる。私はここでお茶をいただきながら、千鶴さんとしばしのおしゃべりを楽しむ。

一信さんは高校で私の2級先輩。下駄(げた)のような角張った顔で、生徒会長をしていたのを思い出す。早大大学院卒業後、大学で講師を務めながら会社を経営し、1984年に「市民派市長」として当選。水戸芸術館の建設や千波湖の浄化などの実績を残した。93年に当時の県知事がゼネコン汚職で逮捕された後の知事選に出馬し、いわれのない中傷を浴び、僅差(きんさ)で敗北。95年に54歳で亡くなった。セルバンテスの理想を追う姿に共感していた一信さんは、さながら現代の「ドン・キホーテ」だったのではないか、

佐川文庫に入ると、ぎょろりとした目の一信さんに、「お前、この頃どうしているんだ、がんばっているか」と声をかけられている気がする。(元瓜連町長)

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