火曜日, 12月 16, 2025
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作谷の森で楽しい技法を求めて 飯塚優子さん【染色人を訪ねて】4

これまで訪ね歩いた染色家との対話で、「作谷には行きましたか?」という問いかけを、同じようにいただいた。この連載は当初、3回でまとめるつもりだったのだが、「それでは一人足りない」とも告げられた。

つくば市北部の作谷に伺うと、染色家達に教えられたように、森の中にアトリエがあった。「ぷにの家」である。

このアトリエを営む飯塚優子さん(50)は、藍染もこなすが専門は草木染だ。草木染は、前回紹介したfutashiba248(フタシバ)の関夫妻の項でも記したとおり、弥生時代までさかのぼる染色技法だが、飯塚さんの場合、以前勤めたことのある工房が厳しく守ろうとする伝承文化としての格式を認めながらも、染色はもっと広く楽しく多くの人々に知ってもらうものではないかと思い至り、その世界から独立した。

飯塚優子さん

「この森と屋敷は祖母の家を受け継いだもので、古い鶏小屋をアトリエに改造したのです。草木染めは独立するまで東京の自宅で行っていましたが、いろいろなチャレンジ、本格的な染色をするためには、マンションの室内では限界があったから」

飯塚の姓は旧姓。彼女は本サイトで2019年、つくば市立秀峰筑波義務教育学校が開校の記念に作成した「秀峰筑波かるた」の企画制作者として、柿崎の姓で紹介されている。本来そちらが現在の名字だが、「ぷにの家」においては旧姓で仕事をしている。

「作谷の森には、1996年頃にやってきました。今もあまり変わりませんが、あの頃は、こんな田舎に隠遁してしまって暮らしていけるかと頭を抱えることもありました。でも今は、主人と4人の子どもたちと過ごしています」

ぷにの家の花畑から臨む筑波山

飯塚さんが作谷に定住したことによって、大きな出会いを得ることになっていく。

染色家としてのなりわいは、地域の保育園での卒業制作としてミニトートバッグなどの体験染色を請け負い、オリジナルデザインや文字入れを施した手ぬぐい、シャツなどの受注をしながら、定期的に草木染めを主体とした工房体験教室を開いてきた。つくば市内を中心に各地の地域イベントにも出店している。

こうして名前と顔が地域に広まっていく中、2010年のある日、近隣の北条地区にかつて所在した染物工場が使っていた「型紙」を譲り受けることになった。

譲り受けた型紙

「工場は半世紀前には失われていましたが、縁者の方から、あなたが役に立てなさいと言われて、3000枚ほどの型紙を委ねられたんです。大半が劣化していて使用に耐えられるものは300枚くらいでしたが、旧筑波町に確かに染め物を営む人がいらした証をいただけた。染色家の1人としては、これは大変なことになったという思いをしたのです」

この型紙は、展示会などで紹介する一方、型紙そのものをベースに、体験教室でも型紙を起こすプロセスを加えるなど、染色技法と歴史の一環として体験参加者とともに再現活動を行っている。

型紙(上)と型紙を起こした作品(下)

「次第に活動内容が大きく複雑になってきました。1人でやっていくのが大変だなと感じているところに、この数年、若手の染色家がつくば発の活動を始めているわけです。最初はね、お互いに顔見せすることもなかったんですよ。といって、私は25年前からここにいるのよ、遊びに来てよとも、初めのうちは言えなかったの。少しずつ交流を始めて、丹羽さん、渋谷さん、関さんご夫妻と情報交換するネットワークを作りました。私は染染(そめそめ)クラブと呼んでいます」

天然素材にこだわる若手染色家たちに比べて、飯塚さんの染色は、化学的に開発された市販の抜染糊(ばっせんのり)を積極的に用いた型押し抜き。あらかじめ藍染された布に、型紙だけでなく木の葉などを使って抜染糊を置く。その部分だけが、薬品反応と湯煎の熱処理によって白く色が抜け文様となる。体験教室にやってくる子どもたちは、そのプロセスと出来映えに興味津々だ。

型押し抜きの完成

「藍染は、若手にお願いしようと考えています。私は草木染の伝統技法だけにこだわらず、新しいアイデアとの組み合わせを通して、型押し抜きの面白さや、栽培しているマリーゴールドの花がどんな色で布地を染め上げるかを楽しんでいるから」

飯塚さんに会うまで、作谷の森にいるのは魔女や魔法使いやらの例えだろうかと考えていたが、染色は論理と化学と自然を融合させるものと言っても良い。それを大幅に広い意味で解釈すれば、彼女は染分野の錬金術師なのだと感じた。

飯塚さんは今後、「ぷにの家」を「ぷにの邑」へと発展させるという。染色以外の活動では、「秀峰筑波かるた」の地域性をつくば市内の他地区ごとに広げた「つくばかるた」の制作も温めている。作谷の森の錬金術師は人々の優しさをつなぐために、染の魅力を振るっている。(鴨志田隆之)

飯塚優子(いいづか・ゆうこ)
草木染の大家であった故・山崎青樹の姪。大学時代に草木染を始め卒業後にその道へ進むが、自らの理念を貫き独立。草木染以外の様々な染料や技法を研究し、誰もが楽しめる染物を提案している。
ぷにの家 : https://www.instagram.com/puninoie/?hl=ja

終わり

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自然と等身大で向き合う遊び仕事(4)《デザインを考える》27

【コラム・三橋俊雄】今回取り上げる「遊び仕事」は、京都府宮津市由良地区に伝わる「にごりすくい」と「手長エビ漁」についてです。 にごりすくい 由良川は、大雨で濁ると水中の酸素が不足し、魚たちはふらついて川のよどみに集まります。そこを「タモ」と呼ばれる大きな網で上流から下流へすくい、ぐるりと岸へ寄せて捕える漁法があります。アユもコイもウナギも一度に捕れるため、「これほど面白い漁はない」と評されたものです。 昭和30〜40年頃までは広く行われていましたが、現在では大雨時の危険性から禁止されている地域もあります。タモは、杉の枝を巧みに曲げ、直径数ミリのしなやかな枝先を両側から重ね合わせて糸で縛り、輪を作ったものです(図1)。柄の長さは約4メートル。網の部分には絹糸が用いられ、女性たちが編み上げ、毎年柿渋に浸して干すことで補強していたとのこと。 手長エビ漁 網を使った漁法では、サナギや身欠きニシンを餌に糸でつり下げ、手長エビをおびき出します。エビが姿を現したところを、直径20センチほどの細長い小さな網で捕えます。エビは驚くと後方へ逃げようとするため、その習性を利用し、背後からそっと網を差し入れて捕えます。 一方、「モンドリ」を用いた漁は、由良川で6月から12月にかけて行われます。モンドリにサナギを入れて円錐形のふたをし、10カ所ほどに沈めて紐(ひも)の一端を川辺の石に結び固定します(図2)。2日ほどたったら、Y字型の枝先にひっかけて仕掛けを引き上げます。一つのモンドリに7〜8尾、合わせて80尾ほど捕れることもあります。 捕れた手長エビは高級食材ですが、売るのではなく、天ぷらにして家族や友人に振る舞われます。私も学生たちとともに、何度もその味を楽しませていただきました。 地域の伝統的生活文化を継承 これこそが「遊び仕事」の世界です。自然に分け入り、プリミティブな道具を用いて相手と同じ土俵で獲物を追う。これまでの体験で培ったスキルを駆使し、身体感覚を総動員して得られた成果は、自らの喜びとなるだけでなく、仲間内での誇りや自慢にもつながります。さらに、その成果をお裾分けすることによって、また新たな喜びが生まれていきます。 すなわち、「遊び仕事」とは、①人間行動の本質である「遊び」を通じて、自らが自然との関係を結ぶ第一歩であり、②自然と人間が等身大で向き合える貴重な共生の場でもあります。さらに、③「遊び仕事」を通じて身近な自然や生活文化の豊かさを再認識することができ、地域の伝統的生活文化の継承・保全、そして地域の活性化にもつながります。 翻って、今日の私たちは情報化やバーチャル社会のただ中にあります。だからこそ、「遊び仕事」の経験は、④自然との「生身の」付き合い方を体験できる、大切な学びの場ともなるのはないでしょうか。(ソーシャルデザイナー)

「支える人が守られる環境を」児童相談所元職員 飯島章太さん講演会 21日 土浦

「誰かを支えたいと願う人こそ、大切にされる職場であってほしい」—。千葉県の児童相談所・一時保護所で勤務していた元職員の飯島章太さん(32)はこう訴える。 飯島さんは、過酷な労働環境で体調を崩し退職を余儀なくされたとして、千葉県に未払い賃金や慰謝料の支払いを求めて提訴している。21日、土浦市川口の古書店「生存書房」で、飯島さんの講演会「労働としてのケアを考える~千葉児童相談所裁判が問うこと」(茨城不安定労働組合主催)が開かれる。「心身が守られない職場環境のしわ寄せが、本来守られるべき子どもたちに及んでいる」と語る。 精神疾患の長期療養 3倍 飯島さんが、千葉県 市川児童相談所の一時保護所で児童指導員として勤務を始めたのは2019年4月。虐待などで家庭に居られなくなった子どもを保護し、生活支援や自立に向けたサポートを行う役割だった。現場では、定員の倍となる約40人が入所し、多い日は一人で20人の子どもを見なければならなかった。 職員不足の中、休憩はほとんど取れなかった。午前8時半から午後5時15分までの日勤では、学習支援、食事や掃除のサポート、レクリエーションなどに対応した。精神的に不安定な子どもも多く、けんかや事故など不意のトラブルにも注意を払わなければならない。不慣れな職場で十分な研修もないまま、先輩の仕事を「見よう見まね」で覚えていった。残業も頻繁で、行動観察記録や学習プリントの確認などの事務作業を終える頃には、午後8時を過ぎることも多かった。 月に4~6回の宿直勤務は、2人の職員で40人を担当した。約21時間勤務の上、残業もあった。子どもたちの就寝後は、翌日の会議や行事の準備、子ども一人ずつの記録作成に追われた。緊急一時保護の受け入れや体調不良の子どもへの対応で、仮眠時間は廊下に布団を敷いて待機し、「横になれても眠れたことはほとんどなかった」と振り返る。 こうした勤務の中で飯島さんはうつ病を発症。休職と復職を繰り返し、2021年11月に退職することになる。翌22年7月、千葉県を相手取り総額1200万円の損害賠償を求め千葉地裁に訴訟を起こした。 「自分の経験を個人的な問題で終わらせたくなかった」と飯島さんは話す。千葉県では2020年度、児童相談所の専門職員の精神疾患による長期療養取得率は、他の県職員の3倍以上にのぼり、その約半数が20代だった。体調を崩したのは、決して飯島さん個人の問題ではなかった。 子どもを管理する葛藤 勤務する中で飯島さんが最もつらかったのは、「子どもを支えたい」という思いで選んだ職場で、いつしか子どもを「管理する側」に回ってしまったことだった。飯島さんは、大学2年から6年以上、子どもの電話相談ボランティアを続けていた。修士論文のテーマにもしたこの経験を生かし、「子どもの側に立ち、丁寧に話を聞き、支えになれる仕事」として選んだのが児童相談所だった。 しかし実際の現場では、思い描いた仕事はできなかった。子どもたちは多数の細かいルールに縛られていたからだ。ティッシュ1枚を使うにも職員の許可が必要とされ、起床時間まで布団から出てはならず、食事は完食が原則で、残すには許可と謝罪が必要とされた。根拠があいまいな規則に従わないと、強く叱責される子どももいた。集団生活を送る上で規律は必要とはいえ、「刑務所みたい」とつぶやく子どもを目の当たりにし、「家庭で傷ついた子どもを、さらに傷つけてしまっているのではないか」と葛藤した。しかし激務の中で、抱いた違和感はまひしていったという。 「本当は一人ひとりの話を丁寧に聞き、その子の背景を理解しながら支援につなげたかった。学生時代にしていた電話相談の延長線のような仕事がしたかったんだと思う」と飯島さん。学生時代に積み重ねてきた経験が無価値になっていくことに追い詰められていく。ふと我に返った時、自分を信じられなくなる恐怖に襲われた。そして、心身は限界を迎えた。 応援してくれる人は必ずいる 訴訟では12人の弁護士が弁護団「じそう弁護団ちば」を結成し飯島さんを支えている。千葉地裁は、飯島さんが、人員不足や多忙により十分な研修がないまま現場に配属されたこと、休憩や仮眠時間にも作業があったことなどが「安全配慮義務違反」にあたると認め、県に50万円の支払いを命じた。県は即日控訴し、東京高裁での控訴審は10月9日に結審。現在、和解協議が進められている。 飯島さんは「紆余曲折の中でも、今こうして生きてこられたのは、多くの人の支えがあったから」と語る。一方で、「児童相談所に対して世間からは厳しい声も多い。職場では、社会に味方がいるのかと不安になる職員もいた。でも裁判を通じて、応援してくれる人は必ずいると実感できた」と振り返る。 今回の講演会に向けて「今も不安を抱えながら現場で働く職員はたくさんいる中で、120%の力で働く職員に『頑張って』とは言えないが、こういう仕事を選び、子どもたちのために働く人がいることを多くの人に知ってほしい。社会の中で、児童相談所が抱える問題に関心が広がり、職場環境が改善されることで職員が安心して働けるようになれば、それが何より子どものためにつながる」と語る。(柴田大輔) ◆飯島章太さんの講演会「労働としてのケアを考える~千葉児童相談所裁判が問うこと」は21日(日)午後2時から、土浦市川口2-2-12、古書店「生存書房」で開催。参加費無料。参加申し込みは専用サイト、またはメールibarakifuantei@gmail.com(茨城不安定労働組合)、電話050-1808-8525(生存書房)へ。

外国人排斥の風潮に強い危機感 市民団体「牛久入管を考える会」が報告会

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