月曜日, 4月 20, 2026
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つくば駅周辺 商業地、住宅地とも7年連続県内1位 21年地価調査

茨城県は21日、2021年の地価調査結果を発表した。県内で最も地価が高かったのは商業地、住宅地いずれもつくば市吾妻のつくば駅周辺で、7年連続1位となった。商業地は上位5位のうち2地点をつくば市内、住宅地は4地点をつくば市内が占めた。

つくば市(調査地点46地点)全体では、全用途平均変動率は前年より0.8%上昇し、0.1%下落となった前年から上昇に転じた。0.8%上昇は、守谷市と並んで県内で最も高い上昇率となる。

市全体の平均価格は1平方メートル当たり8万900円で、前年同様、守谷市に次いで県内で2番目に高い価格となった。

用途別では商業地(7地点)の平均価格は16万9400円で、2.9%上昇(前年は1.2%上昇)、住宅地(36地点)の平均価格は6万8900円で、平均変動率は0.3%上昇(20年は0.3%下落)した。工業地(2地点)は2万2600円で2.8%上昇(同0.7%上昇)した。

順位はいずれも昨年と同じ。1位は7年連続

商業地は調査地点7地点のうち6地点で地価が上昇した。上昇地点について県は、TX研究学園駅及びつくば駅から徒歩圏内の商業地域に位置しており、研究学園駅から徒歩圏内は、宅地分譲が進展し、背後住宅地の人口が増加していることに加え、新規店舗の立地が見られ、繁華性、集客力が向上していることから土地需要が高まっているとしている。つくば駅から徒歩圏内については、クレオに商業施設がオープンしたほか、駅近隣エリアにマンションが建設中で、背後住宅地人口の増加、繁華性や集客力の向上が見込めることから土地需要の高まりが続いていると分析している。

順位はいずれも昨年と同じ。1位は7年連続

住宅地は調査地点36地点のうち12地点で地価が上昇した。上昇地点について県は、つくばエクスプレス(TX)沿線の住宅地域で、大規模商業施設や各種店舗、小学校に近く、住環境に優れていることから、従来から土地需要が高いことに加え、新型コロナの感染拡大に伴うテレワークの普及などもあり、都心方面からの需要者層も見られ、新型コロナ感染拡大前の状況よりも土地需要が高まっているとしている。

工業地は調査地点2地点いずれも上昇した。県は、圏央道ICに近接し、研究施設や工場が集積する工業団地に位置しており、圏央道の県内全線開通による交通利便性の向上に伴い、IC周辺で、特定のテナントの要望に応じてオーダーメードで建設され賃貸されるBTS型物流施設の竣工が続くなど、土地需要の高い傾向が続いているとしている。

土浦市は下落幅縮小

土浦市(同34地点)の全用途平均変動率は前年と比べ0.1%下落し、コロナ禍で0.2%下落した20年と比べ下落幅が縮小した。平均価格は1平方メートル当たり3万8400円。

用途別では商業地(8地点)の平均価格は6万1900円で、前年と比べ0.4%下落(前年も0.4%下落)した。住宅地(24地点)の平均価格は3万2200円で、平均変動率は0%と昨年と同じとなった。20年は0.2%下落だったことから今年は横ばいに転じた。工業地(2地点)は1万9000円で0.6%上昇(同0.6%上昇)した。

商業地で上昇した地点はなかった。住宅地は調査地点23地点のうち2地点で上昇した。県は上昇地点について、JR常磐線の土浦駅から概ね徒歩圏内の市街地中心部は上昇しており、旧来からの市街地として根強い人気を誇ると共に、同一需給圏として競合するつくば市、牛久市、取手市などに対する割安感と相まって、土地需要が高まっているとしていると分析している。

工業地は調査地点2地点いずれも上昇した。県は上昇した工業地について、常磐道土浦北ICに近接し、向上や倉庫が集積する工業団地に位置し、より都心に近い千葉県に対する割安感から土地需要が高い状況が続いているとしている。

上昇率が県内で最も高かった研究学園駅前広場接面

新型コロナの直接影響大きくない

県全体の全用途平均変動率は0.4%下落となり、前年の0.7%下落と比べ下落幅が縮小した。用途別では住宅地は0.5%下落、商業地は0.2%下落となり、住宅地と商業地の平均変動率は1992年から30年連続で下落となった。一方、コロナ禍で下落幅が拡大した昨年と比べると下落幅は減少した。工業地の平均変動率は0.3%上昇となり、16年から6年連続で上昇しており、昨年と同率の上昇となった。

県は下落幅が縮小した要因について、商業地は、昨年は新型コロナの感染拡大により一時は先行きの不透明感から取引停滞や減退も見られたが、飲食店やホテルなど収益性が大きく低下した業種を除き収益性の悪化は限られ、オフィス街では回復傾向となったと分析している。

住宅地は、昨年は感染拡大で、買い主が内覧等を控えたことで一時的に土地需要が減退したが、オンライン内覧の普及も相まって、土地需要の回復傾向が続いているとしている。

工業地は、昨年は感染拡大による景気の悪化や先行きの不透明感により企業が新たな用地取得や設備投資に慎重になり、地価の上昇傾向が鈍化したが、首都圏に近い県南や県西地区のインターンチェンジに近い工業地域では流通業務用地の需要が依然として高く、地価の上昇が続いているとしている。

県は、リーマンショックによる資金調達環境の急激な悪化や東日本大震災による災害リスクの高い土地の急激な需要減退と比べると、新型コロナが地価に直接的に与える影響は大きくないとしながら、引き続き注視が必要だとしている。

地価調査制度は、適正な地価の形成を図ることを目的に、国土利用計画法に基づき都道府県が7月1日を基準日として県内540点の標準価格を判定している。

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土浦の花火100年の紡ぎ(4)《見上げてごらん!》51

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絶滅危惧種のアイドル サクラソウ展始まる 筑波実験植物園

筑波大コレクション100品種以上展示 100品種余りのサクラソウの園芸品種が並ぶ企画展「さくらそう品種展」が18日、つくば市天久保、国立科学博物館 筑波実験植物園(遊川知久園長)で始まった。筑波大学が保有する約300品種の中から、見頃を迎えた株を順次入れ替えて展示する。環境の変化などから野生種の個体数が減少しているサクラソウは、「一見地味にも見えるが、よく見ると可愛らしく、絶滅危惧種植物のアイドルとも言われる。古くから日本人の身近にあった植物でもあり、人々の暮らしから生まれた多様な園芸品種を見てもらえたら」と、企画に携わる筑波大つくば機能植物イノベーション研究センター准教授の吉岡洋輔さん(47)は話す。26日まで。約20年前に始まったこの企画には、毎年およそ5000人が訪れる。 江戸の庶民文化を知る 展示会場では、上部や背面をすだれで囲んだ3段から4段の木製縁台に、鉢植えのサクラソウが並べられる。江戸時代に観賞用に用いられた「桜草花壇(さくらそうかだん)」を再現したものだ。当時の文献や図面をもとに、上段には下向きの花、下段には上向きの花を置くなど、見る人の目線を意識した配置がなされている。すだれの隙間から差し込む光も含め、花壇全体で空間を演出する手法だ。 サクラソウは、種子とともに地下茎でも増える多年生植物で、自分の花粉では受粉せず、昆虫が運んだ異なるタイプの花粉によって受粉・受精するのが特徴だ。近年は環境の変化などにより野生種の個体数が減少し、準絶滅危惧種に指定されている。 ルーツは1種の野生種 日本では古くから園芸用として栽培され、現在確認されている園芸品種は300種以上にのぼる。その多くを筑波大が遺伝資源の保存を目的に保有している。同大での園芸品種の研究は、2003年に埼玉県の園芸試験場から約200品種の寄贈を受けたことを契機に本格化した。それ以前は野生種の研究が中心だったが、園芸品種の多様性に注目が集まり、研究対象が広がった。 栽培の歴史は1440年代、室町中期に始まった。当初は野山の花を持ち帰って育てていたものが、やがて公家や武家、僧侶へと広がり、江戸時代には庶民文化として定着した。 国内に現存する300種以上の園芸品種のルーツをたどると、江戸時代に江戸郊外の荒川流域に咲いていた1種の野生種に行き着くことが、DNA研究から分かっている。その後、生育環境によって色や形などにわずかな違いが出て、その差異に着目して人々が選抜と栽培を重ねた結果、数百年をかけて多様な品種が生まれた。花の色は白から赤が中心だが、花びらの形や咲き方は多彩で、ギザギザの縁を持つ「錦鶏鳥」や、下向きの花をつける「白滝」、縁が白く色づく現存する最古の園芸品種「南京小桜」など、野生ではあまり見られない特徴を持つ品種も多い。 江戸郊外の荒川流域に園芸品種のルーツがあるのは、庶民の暮らしとの近さを示しているという。吉岡さんは「こうした多様性は、人が珍しさを求めて選び続けた結果ともいえる。江戸時代には庶民の間でも栽培が広まり、特に後期には品種改良が盛んになり、多様性が飛躍的に拡大した」と話す。 温暖化、10日早い開花 サクラソウは、種子だけでなく地下茎で繁殖するため、環境が整えば広がりやすい特性を持つ。また、林内から河川敷まで幅広い環境に適応する能力も高い。しかし近年は気候変動などの影響も指摘され、今年は暖冬の影響で開花が例年より約10日早まった。企画を担当する同博物館植物研究部多様性解析・保全グループ研究主幹の田中法生さんは、今後は展示時期の見直しが必要になる可能性もあると話す。 一方、野生種の保全が課題となっている。かつては関東各地に自生地が広がっていたが、多くはすでに失われた。埼玉県の田島ケ原は現在も残る貴重な自生地で、天然記念物に指定されている。野生種の個体数が減少する中、筑波大学では市民と協力して品種を守る「里親制度」を市内のNPO法人とともに2005年に立ち上げ、遺伝資源の保全にも取り組んでいる。 田中さんは「来園者に人気投票を行ったところ、濃い紫色の『天晴(あっぱれ)』や、桃色の『美女の舞』などが上位に挙げられた。サクラソウの面白さは、小さな違いに目を向けて増やしてきた歴史にある。花の大きさや色だけでなく、それぞれの個性を楽しみ、自分のお気に入りを見つけてほしい」と話す。(柴田大輔) ◆コレクション特別公開「さくらそう品種展」は18日(土)~26日(日)、つくば市天久保4-1-1 国立科学博物館 筑波実験植物園で開催。開館時間は平日は午前9時~午後4時30分(入園は午後4時)、土日曜は午前9時~午後5時(入園は午後4時30分)。20日(月)は休館。入園料は一般320円。高校生以下と65歳以上、障害者などは無料。19日(日)は無料入園日。 ◆第1会場の教育等では、「さくらそうを知る」と題した、サクラソウに関する歴史や栽培方法を紹介するパネル展が開かれ、「さくらそう里親の会」が増殖したさくらそう品種の販売会が開かれる。25日(土)には、「植物園研究最前線 シコクカッコウソウ遺伝子資源から見えてきた花の色の多様性」と題する講座が、午後1時30分から開かれる。定員は30人。事前予約制。