火曜日, 11月 25, 2025
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コロナ禍乗り越え143人卒業 つくば国際ペット専門学校

【鈴木宏子】つくば国際ペット専門学校(つくば市沼田、高橋仁・学校長)の2020年度卒業式が13日、同市竹園、つくば国際会議場大ホールで催され、犬の訓練士や動物看護師、トリマーなどを目指して、4つのコースで2年間学んだ143人が卒業した。

高橋校長は「今年度は新型コロナの影響で大変な1年となり、さまざまな我慢や不自由な生活を経験したが、家族や仲間を思いやる大切さを再認識したはず。自分の責任を果たし、他人を認め、人を思いやり、尊重する気持ちを忘れないでほしい」と式辞を述べた。

続いて、同校を運営するつくば文化学園の東郷治久理事長は「皆さんは平成最後の入学生。令和に変わり、1年間はコロナ禍の渦中で、約1カ月の休校や様々な学校行事の延期、縮小を余儀なくされた。卒業式までも実施すべきか、中止すべきか迷い悩んだ」と話し、「コロナ禍で動物たちに癒されたこともあったと思う。日々動物に触れ、感じ、学んだこと、さらに真のプロフェッショナルになるのに必要な愛情、根気を胸に、羽ばたいてほしい」などと話した。

卒業生を代表してペットケア総合コースの荻野真美さんが答辞を述べ「2年生になり、見えないウイルスに生活を一変させられたが、この学校で学んだ知識や技術、先生方、仲間たちやパートナードッグは一生の宝となり心の支えになる。卒業したことを誇りに思い、これからは立派な社会人として精進していくことを約束します」などと述べた。

ソーシャルディスタンスをとって卒業式に臨んだ卒業生たち

同校は、全国トップクラスの動物系専門学校で、動物の美容師を目指す「ドッグトリマー」、訓練士を目指す「ドッグトレーナー」、動物病院の看護師を目指す「動物看護福祉」、動物分野で総合的に活躍する人材を目指す「ペットケア総合」の4つのコースがあり、県内のほか全国各地から300人を超える学生が学ぶ。卒業生は全国各地のペットショップ、動物病院、ペット関連企業で活躍し、ペット業界を支える教育機関として注目されている。

例年、卒業式は、同国際会議場の多目的ホールで開催していたが、今年はソーシャルディスタンスが確保できるよう、会場を大ホールに移した。式典には父母らも参加した。式典では、全日本愛犬技術者指導協会の松島美夫理事らから、トリマーや小動物衛生看護士、ペットケアマネージャー、ホームドッグトレーナーなどの資格が卒業生にそれぞれ授与された。

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自動運転バス「レベル4」27年度実現へ つくば市で3回目の実証実験開始

つくば市で21日、公道を使った自動運転バスの走行テストを行う実証実験が始まった。ルートは、つくば駅から筑波大学構内を循環する約10キロの既存のバス路線で、所要時間は約40分。一般の乗客を乗せて1日4便の運行を来年1月23日まで続ける予定だ。同市は2027年度に、運転手不在の状態で、特定の条件下で完全な自動運転が可能となる「レベル4」の実現を目指している。 この実験は、昨年と今年1月に続いて3回目となる。今回はこれまでと同様、状況に応じて運転手が操作を行う「レベル2」での実施となる。 今回は、国の補助金を活用して関東鉄道が自動運転バス車両を新たに購入し、同社のバス路線「筑波大学循環」内のすべてのバス停に停車するなど、新たな取り組みも加わった。また、今年8月にはつくば市を代表として、筑波大学、関東鉄道、KDDIが「つくば自動運転社会実装推進事業コンソーシアム」を設立。民間5社の協力も得て実施されている。 今回使用されている車両は、名古屋市のベンチャー企業ティアフォーによる自動運転EVバス「ミニバス 2.0」。最高時速は70キロ、定員は28人だが、自動運転時は時速35キロ、定員16人で走行する。走行時には8台のカメラと13台のレーザーセンサーが周囲の状況を分析し、事前に設定した走行ルートに従って自動安全システムが交差点やカーブでの停止・発進、加減速などを行う。緊急時には乗車する運転士が手動運転で対応する。この日は通信トラブルが発生し、バス停での停車・発車時などで手動操作に切り替え運行した。 つくば市科学技術戦略課の中島央樹さんは、今回の実証実験について「国は、全国で自動運転サービスの実装を2025年度に50カ所、27年度に100カ所以上とする目標を掲げている。つくば市もこれに合わせ、27年10月に完全に運転手がいないレベル4の実装を目指している」とし、「昨年は6カ所のバス停のみ停車したが、今回は、路線バスと同じ動きをすることを目指し、29カ所すべてに停まるようにした。以前はつくばセンターのロータリー外側から発車していたものを、内側からの出発に変更した」と説明し、「つくば市に限らず、中心部と周辺地域の移動格差が課題となっている。つくばは車が主な移動手段で、交通渋滞や事故が問題になっているほか、交通事業者では運転手不足による減便などの課題もある。自動運転バスの運行を通じて公共交通を地域に根付かせ、こうした課題の解決につなげていきたい」と目標を語った。 同市は今年度当初予算で、国の国庫支出金を財源に、自動運転バスの購入費、自動運転地図作製費、レベル4通信費など約1億3400万円と、自動運転バス年間維持費約1370万円の計1億4770万円を計上した。今年度は実証実験とレベル4許認可申請、26年度は実証実験、27年は定常運行を目指している。(柴田大輔) https://youtu.be/FfSoeYhtxLI ◆乗車料金は無料。QRコードで希望の時間を事前予約する。事前予約がない場合は先着順となり、定員に達した場合は乗車できないことがある。詳しくはつくば市ホームページへ。