月曜日, 10月 12, 2026
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年の瀬に学生・ひとり親家庭への生活支援 土浦、つくばで配布会

コロナ時代の歳末助け合いー。生活が困窮している大学生やひとり親家庭の生活支援のため、食料品や日用品の無料配布が26日に土浦市内で、27日につくば市内でそれぞれ行われる。

年越し支援テント27日松見公園に再び つくば

【山口和紀】つくば市では27日午前11時から、松見公園(つくば市天久保)を会場に、学生らに対して野菜やコメ、日用品などの無料提供が行われる。実施するのは市民団体「学生応援プロジェクト@つくばーPEACE(ピース)」(冨山香織代表)。前回の支援は今月6日に行われ、今回で2度目となる。

前回の支援では、口コミやSNSで支援物資を募り、約20人から家庭にある食品や日用品の提供があった。カンパも6万円集まり、食品の購入等に充てた。支援物資を受け取りに訪れたのは、当初の想定だった20人を大きく超えて、実際には学生を中心として140人ほどに上った。

プロジェクトを企画した冨山さん(39)は、つくば市内の飲食店を夫婦で経営している。アルバイトとして働く大学生や、店を利用する学生たちとの会話から「学生たちが大変な状況にある」ことが伝わってきたと話す。

前回、支援物資を受け取った人を対象にアンケートも実施された。回答した69人のうち、19人はアルバイトのシフト勤務が減り収入も減ったという。「親の収入が減っている」「アルバイトの収入が減り、親からの仕送りも減った」という声などもあった。

無料配布を受け取った人間学群の学生(21)は、「自分はとても困っているという状況ではないが、バイト先が短縮営業でシフトに入りづらい状況だから助かった」と話した。正月の帰省については「実家では(感染した際の死亡リスクが特に高い)高齢の祖父や祖母と同居して暮らしているので、今年は帰省できない。正月を一人で過ごすのは初めて。そういう学生も多いのではないか」という。

27日の無料配布は「年越し準備」に向けたもので、今後、月に1回程度の開催を目指している。冨山さんは「野菜や食品など支援物資の提供を募集している。学生たちのため、ぜひ協力していただけたらありがたい」という。募集しているのは、野菜、缶詰・レトルトなどの食品類、日用品のたぐいだ。

支援物資の提供など連絡はpeaceoftsukuba@gmail.com(冨山さん)まで。

シングルマザーにも呼びかけ26日市民会館駐車場 土浦

支援用の米袋と告知チラシを手に支援プロジェクトの長坂法子さん=土浦市港町

【崎山勝功】土浦市では26日午後1時から同市真鍋新町のクラフトシビックホール(土浦市民会館)駐車場で、学生・ひとり親支援の「食料日用品無料配布会」が行われる。主催は「コロナに負けるな!つちうら食料支援プロジェクト」。つくば市で行われた「学生応援プロジェクト」による食料無料配布会を知って、「土浦でもやりたい」と同市在住の長坂法子さん(74)が仲間たちとプロジェクトチームを立ち上げた。

近隣の農家に野菜やコメの提供を呼び掛けたところ「野菜を提供したい」と複数の農家から提供の申し出があったという。また市民有志からレトルト食品や日用品の寄付も相次ぎ、プロジェクトチーム立ち上げから約2週間で多くの支援物資が集まった。

長坂さんは「つくばと違って『学生の街』ではないので、ひとり親も支援しようと思った。桜町のお店で働いている人がどれだけ大変か」と目を配る。

同市桜町は県内有数の歓楽街、キャバクラをはじめ「接待を伴う飲食店」も立地する。こうした店に勤務する若いシングルマザーも少なくなく、コロナ禍に伴う営業時間短縮要請や営業自粛の影響を受け、収入減や失業する例も見られるという。

配布会の会場では、生活に困窮するシングルマザーを支援に、相談窓口の紹介も併せて行う予定だ。「本来は政治の仕事。公助が必要。みんな共助で助け合っているけど、(20代から40代の)女性の自殺率も高くなっている」と長坂さんは行政の積極的な支援を訴えた。

問い合わせは、土浦母親大会連絡会事務局(電話:029-824-8949)まで。

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