火曜日, 3月 31, 2026
ホーム土浦《霞月楼コレクション》11 リンドバーグ夫妻 土浦で名残りの一夜「人生最良の日々」

《霞月楼コレクション》11 リンドバーグ夫妻 土浦で名残りの一夜「人生最良の日々」

【池田充雄】1931(昭和6)年9月12日、リンドバーグ夫妻は、霞ケ浦を発つ前の最後の1日を土浦で過ごした。錦秋の筑波山をケーブルカーで登り、夜の土浦の街でそぞろ歩きも楽しんだ。午後6時30分に霞月楼に戻って入浴後、霞ケ浦海軍航空隊の松永寿雄副長主催による歓送会が松の間で開かれた。

霞月楼での歓送会の様子。中央にチャールズと松永副長、その右にアン。外国客向けに特注した高脚の膳が並ぶ

宴を待つ間、満寿子女将が夫妻に茶を立てており、当時10歳の恒二(後の霞月楼3代目)が迎えに行くと、アン夫人が歩み寄り、頬に優しくキスをしてくれたそうだ。芸者の白粉とは違う、初めて嗅ぐ香水は少年にとって忘れられない思い出になり、集まった記者団に感想を聞かれ「とてもいい匂いがした」と答えたという。

1カ月の長旅の末に霞ケ浦へ

霞月楼で歓送会を前にくつろぐ夫妻

チャールズ・オーガスタス・リンドバーグは1902(明治35)年米国ミシガン州デトロイト生まれ。曲芸飛行士や郵便飛行士などを経て、1927(昭和2)年に愛機スピリット・オブ・セントルイス号でニューヨーク・パリ間を飛び、世界初の大西洋単独無着陸横断飛行に成功した。1929(昭和4)年に駐メキシコ米国大使ドワイト・モローの息女アンと結婚。1931(昭和6)年に北太平洋航路の調査飛行に乗り出し、アン夫人も無線通信士として同行した。

夫妻は7月27日にロッキード社のシリウス高速連絡機でニューヨークを出発。ワシントンDCを経由し、カナダのハドソン湾やノースウエスト地方を抜け、アラスカからベーリング海を横断。カムチャッカ半島を海岸線沿いに南下し、千島列島を伝って8月24日に北海道へ到達した。根室に2日間滞在後、26日午前8時21分に離水し、午後2時6分に霞ケ浦上空へ飛来。航程1万2000キロ、80時間33分の飛行で17地点をたどる長旅だった。

空の大使として多忙極める

シリウス機は午後2時10分霞ケ浦に無事着水。フォーブス駐日米国大使、安保清種海軍大臣、杉山元陸軍次官、小泉又次郎逓信大臣ら日米の政府高官や海軍関係者など約1000人が出迎え、国内外からの取材陣は200人を超えた。

霞ケ浦海軍航空隊水上班の中央滑走台に到着したシリウス機

霞ケ浦海軍航空隊第一士官宿舎食堂で歓迎会の後、来賓と共に自動車約30台を連ねて土浦駅へ向かい、午後4時40分発の常磐線汽車に乗車。6時28分に上野駅を降り、リンカーンのオープンカーで沿道の大観衆の喝采に応えながら、7時15分に築地明石町の聖路加病院トイスラー院長邸へ到着。ここが夫妻の東京での拠点になった。

27日から31日まで多数の歓迎式典や表敬訪問をこなし、9月1日から4日までフォーブス大使の軽井沢別荘で休養。5日は日光を周遊し金谷ホテルで1泊、6日に東京へ戻った。7日以降も各種行事の合間を縫って、チャールズは逓信省航空局で飛行計画の打ち合わせや、霞ケ浦で愛機の点検と試運転など出航準備を進め、アン夫人は博物館の見学や茶道・華道の体験などをして過ごした。

最新技術が搭載された名機

ロッキード・シリウスの開発にはリンドバーグ自身も加わり、彼の要望が細部まで反映された。全長8.38メートル、翼幅13.7メートルの木製モノコック構造で、当時としては珍しい低翼単葉機。P&W社の425馬力空冷9気筒エンジンを搭載し、最大時速282キロ、航続距離1700キロという高性能を誇った。日本の海軍関係者は「わが国は10年以上の遅れがある」とショックを受けたという。

空を行くシリウス機。褐色の翼に紫色の胴体、ジェラルミン製の白いフロートという姿だった

シリウスの整備は水上班第16格納庫で行われ、エンジンや機体の秘密を探る絶好の機会になった。霞ケ浦航空隊の整備員と、同隊内に分社があった中島飛行機の技師らも参加して修理に着手。破損個所の修繕や塗り替えによって見違えるようになり、リンドバーグは日本の整備技術の優秀さに舌を巻いたそうだ。

欧米では1930年代半ばに技術革新が進み、ドイツのメッサーシュミットや英国のスピットファイアなど新鋭機が次々に登場。一方、日本ではその頃もまだ複葉機が全盛で、総金属製の低翼単葉機というと海軍では1936(昭和11)年の九六式艦上戦闘機、陸軍では1937(昭和12)年の九七式戦闘機が最初。その後は陸軍の「隼」や海軍の「零戦」が世界を驚かせることになる。

アン夫人が見た日本の宴席

再び9月12日に話を戻す。霞月楼での歓送会の詳細は不明だが、根室で初めて受けた日本式接待の様子をアン夫人が手記に残しており、土浦でも同様の印象だったかと思われる。

「畳の敷いてある大きな部屋にロの字型に座布団が置かれ、チャールズは光栄な場所にあたる床の間の前に座りました。一人一人に小さなお膳が運ばれ、そこにはいろいろな大きさと形のお皿が載せられ、20枚以上の違ったお皿があったと思いますが、どれも私が見たことのないものでした。その後、華やかに装った芸者たちがお酌をして踊りを舞い、臨席の人たちを楽しませました。不思議なポーズをとる舞踏で、顔は人形のようで表情がなく、足でステップを踏むというよりは、どちらかというと手と長い着物の裾で踊るのです。ゆっくりとした短調の歌に調子を合わせた、とても美しいもので、両手の指は絶対に開きませんので、単純な仕草でも気が散ることはありません。鳥が飛ぶ時のように、敏捷で真っ直ぐな動きです」(アン・モロー・リンドバーグ著「輝く時、失意の時」より抜粋・構成)

夫妻は霞月楼で1泊し、9月13日午後0時21分霞ケ浦を離水、大阪市の木津川飛行場に着水後京都に入り、14日から16日まで京都・奈良を堪能。17日に大阪から福岡市の名島水上飛行場へ移動し、19日朝に福岡から中国南京へ向けて飛び立った。

佳日の思い出はそのままに

霞ケ浦にて愛機を背に記念写真

1970(昭和45)年の大阪万博ではシリウスがアメリカ館に展示され、来日していたリンドバーグが当時10歳の浩宮徳仁親王(今上天皇)を操縦席へ案内した。シリウスは現在、ワシントンDCのスミソニアン国立航空宇宙博物館に、スピリット・オブ・セントルイス号などと一緒に展示されている。

晩年の夫妻はハワイのマウイ島に住み、チャールズは1974(昭和49)年に72歳で死去。アンは2001(平成13)年にバーモント州パサンプシックで94歳の天寿を全うした。

霞月楼では1989(平成元)年の創業100年祭に際し、アンを式典に招待するべくマウイ島に訪ねた。彼女は「当時のことはよく覚えている。私の最も幸せな時期だった。だが式典には行かない。思い出はあのときのまま、自分の心の中に置いておきたい」と話したという。

●取材協力・参考資料
陸上自衛隊武器学校▽陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地▽土浦市立博物館▽ジョイス・ミルトン「リンドバーグ」(中村妙子訳、1994年、筑摩書房)▽アン・モロー・リンドバーグ「輝く時、失意の時」(中川経子訳、1997年、三好企画)▽アン・モロー・リンドバーグ「翼よ、北に」(中村妙子訳、2002年、みすず書房)▽「霞月楼百年」(1988年、霞月楼)▽東京朝日新聞、讀賣新聞、いはらき各1931年8月26日~9月19日付▽夕刊フジ1974年8月30日付▽ウィキペディア

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なぜ私たちはフィクションを求めるのか《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》7

【コラム・1年 H.O】フィクションには、人間を一時的に現実世界の憂慮から離す力がある、と私は思っている。 学校で、哲学部とともに文芸部にも所属する私は、小説などのフィクション作品を作る担い手であり、フィクション作品を鑑賞する立場でもある。そんな私がフィクションに触れるのは、自分の感じたい感情のため、あるいは作品づくりの勉強をするためというのが主な理由だ。ただ、その根底にあるのは、フィクションという空想の世界に一時的に没入して、悩んでいることから離れたい、もしくは他の人にも自分の作品で嫌なことを一時的に忘れてほしいという思いだと思う。 なぜ私たちはフィクションを求めるのだろうか。私たちの身の回りでは、さまざまな出来事が起こっている。わざわざ架空のものを求める必要性は何なのか、と私はふと思うこともある。おそらく、フィクションを必要とせず、普段ほとんど接することがない、という人もいるだろう。 ここでは、改めて私たちがなぜフィクションを求めるのか、私の経験などをもとに考えていきたい。この文章を読みながら、あなたも一緒に考えてみてはいかがだろうか。 「作られたストーリー」だからこそ可能なこと フィクションを読む理由の一つとして、冒頭でも述べた通り、自分の感じたい感情のためというのがあると思う。これは私がフィクションを求める大きな理由だ。 ある日のこと、私はクラスの人からお菓子をもらったのがうれしかったので、親にその旨のLINEを送った。また、その日返却されたテストの結果が良かったので、その点数も送った。しかし、全て送った後に何か違和感を感じて、自分が今開いているトークルームを確認してみると、それはクラスのトークルームだった...!  慌てて消そうとしたため、間違って「送信取り消し」ではなく「削除」という自分の端末からだけ消去する選択肢をしてしまい、送ったメッセージは消せず。今となっては話のネタだが、その当時は絶望的な気持ちだった。そんな嫌な現実を忘れるために選んだのが、コメディー作品を読むことだ。自分がいる場所から一時的にフィクションの世界に没入して、登場人物たちによって繰り広げられる面白劇を眺める。そうすることで、絶望の記憶が楽しい記憶で塗り替えられていく。結局、出来事が起きてからすぐコメディーを読んだおかげで、この思い出は割と早くに笑い話へと変化した。 上記の例では、誤送信から発生した「現実を忘れたい」「楽しいことを考えたい」という感情を満たすため、笑えるコメディーを読んでいる。 それ以外にも、一般的に、ワクワクしたい時にファンタジーを、キュンキュンしたい時に恋愛ものを、肝試し感覚で恐怖を感じたい時にはホラーを読むことが多い。自分が感じたい感情を感じる時、フィクションは割と効果的な気もする。 ここで少し、なぜ私が自分の感じたい感情を感じるとき、フィクションを求めるのか考えてみたい。 フィクションの大きな特徴として、「虚構性」が挙げられる。完全に作者の手によって作られるため、その世界は私たちが生きている現実世界そのままではない。また、フィクションには「決められたストーリー」がある。 では、その虚構性と決められたストーリーにより、どういった効果があるのだろうか? まず、とある作品を読むことによって、ある程度特定の感情を感じることができるというのがあると思う。作者の手によって、フィクション、特に大衆向けのものは作者の意図した感情を抱かせるような作りをしている。例えば、ファンタジーもので、優しい姫が王子に婚約破棄される話はどうだろう。心優しい有能な姫は国のために一生懸命働いていたが、王子に浮気されて国外追放されてしまう。途方に暮れる姫だったが、追放された先の王子が姫を助け、2人はやがて恋に落ちる。そして、姫がやってきた国は豊かになり、姫は優しい王子と結婚する。一方で、姫を追放した王子は姫の恩恵を失い、責任を取らされて全ての地位を失う。 この例において、読者の感情の流れとして意図されているのは 冒頭(姫が王子に婚約破棄される) ・姫を追放した王子への怒り ・姫が救われてほしいという願望 中盤(姫が追放された先の王子に助けられ、恋に落ちる) ・姫が助けられたことによる満足・幸福感 ・姫と王子の恋が成就してほしいという願望 ラスト(姫が王子と結婚・追放した王子が地位を失う) ・姫と王子の恋が成就したことによる満足・幸福感 ・追放した王子が報いを受けたことによるスカッと感 (※ただし、ここで挙げた感情は意図されている感情の一部) といったものだろう。 ここで、フィクションが私たちの感情にもたらす効果をもう一つ挙げてみる。現実世界とは違う世界で話が展開されるため「安心しつつフィクションの世界と感情を楽しむことができる」ということだ。登場人物に感情移入して笑ったり涙を流したりはするが、その登場人物と私は同一人物ではない。一方、ノンフィクションはあくまでも現実世界の話であり、どこかに「これは現実だ」という意識がある。つまり、私たちはフィクションを現実とは違うものとみなし、その分、思う存分感情を味わうことができるのだ。 ここまでの話を一度まとめてみる。フィクションには虚構性があるため、特定の感情を感じるために作られたストーリーを、現実世界の出来事だという意識を持たずに、「自分の求める感情のため」に読むことができる。これは、ノンフィクションにはない特徴だ。 もちろん、自分の感じたい感情を感じる手段は他にもある。SNSはその一つの例だと思う。でも、私にとって、フィクションは自分が求める感情を感じるための一つの大きな手段であり、自分の心を支えるための薬とも言えるかもしれない。 人と人をつなげるフィクション ここまでは、私の経験をもとにして、フィクションを求める理由の一つである、自分の求める感情のためについて考えてみた。しかし、これ以外の理由からフィクションを求める人もいる。ここで一度、先ほどとはまた違った角度から、フィクションを求める理由を考えていきたい。 一般的に、フィクションは、複数人が見ることが可能な形式になっていることが多い。そのため、フィクションは人と人の間で共有可能という特徴がある。すなわち「共有性」があると言えるだろう。これが存在することによって、人と人はつながることができる。フィクションは、人と人をつなげるのだ。それが、「人とのつながりのため」という、フィクションを求める理由の一つになる。 フィクションが人をつなげることについて、もう少し深く考えてみよう。 人同士がフィクションを通してつながる時、そのつながりには種類があると思う。つながりによって、その特有さや強度が異なるのだ。フィクションを見た時に生じるであろうそれぞれのつながりを、以下で考えてみる。 一つ目のつながりは、同じものを知っているということだと思う。同じ本を読むことで、そこで登場する人々、発生する出来事、ストーリーなどを共有することができる。 フィクションが生み出す二つ目のつながりは、同じ感情を同じ流れで感じたということではないかと思う。これは、作者の意図した感情を読んでいる側に感じさせるようなフィクションの場合に言える。先ほど「優しい姫が王子に婚約破棄される話」の例でも述べたが、フィクション、特に大衆向けの話は意図した感情の流れを発生させるようなものが多い。フィクション特有のつながりは、これによって生まれるのではないかと私は思う。 まず、フィクション以外の感情の共有について少し見てみる。「同じものが好き」というのは、「好き」という感情を好きな者同士で感じていることであり、そこにつながりは発生する。しかし、その場合共有しているのは単一の感情のみであり、つながりは薄いような気がする。 同じフィクションを読んだ場合は、共有しているのは一つの感情だけではない。主人公が不幸に遭った時は悲しみや同情、主人公が幸せになった時は幸福感や満足感を感じるなど、一つのストーリーの中でも様々な感情を感じる。しかもその感情には一定の流れがある。それにより、フィクションを読むことは様々な感情を同じ流れで感じたという、他のものではなかなか起こりづらい体験の共有ができるのだ。これは一つの感情を共有している時よりも、より強力なつながりだと思う。しかも同じフィクションを読めば同じ体験が共有できるのだから、手軽なリンクでもある。 ただ、ここで二つ目のつながり、「同じ感情を同じ流れで感じた」というものについて考えてみると、いくつか例外的なフィクションが出てくる。それは、決まった感情の流れを意図していない作品だ。この間の授業で、芥川龍之介の「羅生門」を学んだのだが、その受け取り方は生徒によって多種多様だった。その場合、同じ感情を同じ流れで感じたというつながりは発生しない。では、その他に何かリンクはないのだろうか。 私が思うに、フィクションの場合、もはや同じ感情を共有していなくとも、フィクションを媒介として人と人の内面をつなげることができるような気がする。フィクションに対する感想交換を通じて、社会的規範に縛られず、ありのままの自分を知ってもらえるのではないか、と思う。 一つのニュースについて意見を交換するとき、その意見は無意識的、もしくは意識的に社会的規範に縛られる。常識や一般的な倫理感から、「こんなことはあり得ない」「倫理的にいけない」と、社会規範から外れる意見はセーブされやすくなる。意見は国籍や所属団体によっても変化するだろう。しかし、それが現実世界ではなくフィクションについて感想を交換するとき、意見の束縛は減るのではないだろうか。 フィクションは虚構の世界の話だ。だから、その世界の物事について感想を述べるとき、「これは現実世界のことではない」と割り切って話すことができる。社会的規範や立場に縛られることなく、登場人物になりきったり、自分だったらもっとこういう世界がいい、と考えることができる。それは、現実の物事に対する意見と比較して、さらにその人自身の考え方に近く、内面を映し出していると言えるのではないだろうか。フィクションは、人の思考を社会的なしがらみから解放し、より自由な意見を表せるようにする。そうすることで、感想を交換した人同士は、ただニュースなどについて意見を交換するより、その人の内面を知ることができる。フィクションには、人と人の内面を繋ぐ力があるのだ。 私は、「感想交換を通じて、自分の内面を共有できる」というのが、フィクションが生み出す三つ目の強いつながりになるのではないかと思う。 最後に この文章では、フィクションを求める理由を「自分の感じたい感情のため」と「人とのつながりのため」の二つに絞り、深く掘り下げてみた。「なぜフィクションを求めるのか」という問いへの答えは、人によって違うだろう。また、同じ人であっても、時と場合によって変化もするだろう。今回考えてみた理由二つのうち、どちらも当てはまらない人や、フィクションを見ない、という人もいると思う。ぜひ、私が今回この文章で私にとってのフィクションを求める理由を考えたように、あなたもあなた自身にとっての理由を考えてみるのはいかがだろうか。 最後に、尋ねよう。「あなたはなぜフィクションを求めるのか?」

アストロプラネッツ、茨城ダービーでゴールデンゴールズに勝利

プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの開幕を前に、茨城アストロプラネッツ(AP)は28日、笠間市箱田の笠間市民球場で、社会人クラブチームの茨城ゴールデンゴールズ(GG)とオープン戦を行い12-2で勝利した。茨城APの今季開幕戦は4月5日エイジェックスタジアム(栃木県宇都宮市)で、ホーム開幕戦は翌6日ノーブルホームスタジアム水戸(水戸市見川町)で行われ、対戦相手は2戦とも栃木ゴールデンブレーブスになる。 【2026シーズンオープン戦】茨城アストロプラネッツ-茨城ゴールデンゴールズ(3月28日、笠間市民球場)茨城GG 000001010 2茨城AP 30021123X 12 茨城APは先発投手の川平真也が5回を投げ被安打1、6奪三振、1四球と試合をつくった。攻撃では初回に5安打を固めて3点を先制。4回以降も得点を重ね、救援投手を打ち崩した。 初回に右前打で先制点を挙げた木村泰賀は下妻市出身、常磐大高では31本塁打を挙げた強打者だ。仙台大を卒業し今季、茨城APに加入。高校ではサード、大学ではレフトを守ったが、今年はセカンドにも挑戦中だ。「プロに行くなら内野で勝負しようと考えた。特にセカンドは守備範囲も広く、一つ一つの打球に他のポジションの選手と連携して動かなくてはいけない」と、守備を鍛え直している最中だという。 「今季は新たに18選手が加入し、レギュラーも去年から6人が入れ替わった。サインプレーやフォーメーションなどは一からつくり直しの部分もあるが、八木健史ヘッドコーチの加入や北原翔捕手の兼任コーチ就任でスタッフが充実し、よりスムーズな指導ができている」と話すのは巽慎吾投手兼任監督。「能力ある選手たちがそろい、実力を発揮してリーグ優勝を目指すとともに、昨年はゼロだったドラフト指名にも選手を送り込みたい。一人でも多く上のステージへ上がれるよう全力でサポートする」と意気込む。 注目選手の一人が捕手の草場悠。大阪の名門・履正社高の出身で、50メートル走5.9秒、遠投100メートルなど肩と足にストロングポイントを持つ選手だ。今季は打率3割、10本塁打、30盗塁を目標とし、主将にも就任した。「2年目なので気持ちも新たにチームを引っ張ってくれというメッセージだと受け止めている。年の近い選手も多いので楽しくやらせてもらっている」と話す。 それぞれの日本一目指す 茨城APと茨城GGの対戦は今回初めて実現した。スタッフや選手同士の交流は以前からあり、機会をうかがっていたという。「個々のレベルの違いはあるが、いま持っている実力を出すことができた。ぜひまた再戦したい」と茨城GGの樋口亮介・助監督。「どこへ行っても茨城と言うと欽ちゃん球団(茨城GGの初代監督はタレントの萩本欽一さん)の名が上がる。その知名度はすごい。うちも頑張らなくては」と巽監督。「ここ数年は全国大会を逃してきたが、今年こそ力をつけて全国へ行き、カテゴリーは違ってもプラネッツと一緒に茨城の野球を盛り上げていきたい」と樋口助監督は返す。なお、茨城GGは今年チーム創設20周年を迎え、去年からは女子チームも活動を始め、躍進が期待される。(池田充雄)