火曜日, 3月 31, 2026
ホーム土浦《霞月楼コレクション》8 一色五郎 地域を愛し地域に愛された彫刻家

《霞月楼コレクション》8 一色五郎 地域を愛し地域に愛された彫刻家

塑造のように柔らかな写実表現

霞月楼にある「白鷺(しらさぎ)」は、一色五郎が土浦に帰郷した頃の作品だ。冠羽や尾羽の優美な曲線など、実物かと見まがうほど写実的に表現されている。これは油粘土や石こうで造った原型を、星取り法という技術で木彫に起こしたため。

「白鷺」1947年頃、木彫彩色、高さ26cm、霞月楼所蔵

星取り法は明治期に導入された西洋の石彫技術で、東京美術学校で木彫に応用され広く普及したが、戦後は顧みられなくなった。「身近に残るものではこの白鷺くらいか。素晴らしい出来で僕も大好きな作品。大事にされているのはありがたい」と、五郎の子で牛久市在住の彫刻家・一色邦彦さんは話す。

ちなみに五郎の妻・千代子の実家は当時土浦で名をはせた料亭・日新楼で、霞月楼からは本家筋に当たる。

母の応援で彫刻家の道へ

一色五郎

一色五郎は1903(明治36)年、新治郡真鍋町内(現土浦市西真鍋町)に生まれた。祖父・範疇は土浦藩の国家老を務め、維新後は困窮した元藩士らの生活再建に尽力し、1878(明治11)年に県内初の国立銀行である第五十銀行(常陽銀行の前身の一つ)を設立。父・範叙は範疇の長子で2代目頭取を務めた。

五郎は幼少より手先が器用で、特に虫かご作りが得意だったという。母・鶴の「せめて下の子たちには好きな道を行かせたい」との願いにより、5男の五郎は彫刻家、弟の達夫は報道写真家の道を進むことになる。

1920(大正9)年に上京し、長谷川栄作に弟子入り。栄作は当時31歳の若さながら、この2年後には帝展審査員を拝命するなど、すでに彫刻界の第一線で活躍していた。余談だが長谷川家は江戸詰めの土浦藩士の家系で、乃木希典陸軍大将の母・壽子を出し、栄作は希典の甥に当たる。このため乃木将軍像を出世作としながら多彩な作品を造った。戦前の茨城県庁前庭にあった巨大な農人形像もその一つだ。

真鍋と満州に贈られた獅子頭

1923(大正12)年、五郎は東台彫塑会展で「闇ニ棲ム獣」が一等賞受賞。痩せさらばえた獣が獲物を求めるがごとく首を垂れたこの作品は、フランスの小説家アンドレ・マルローが来日時に「東洋の神秘主義の具現」と激賞したという。1924(大正13)年の「自像」が第5回帝展で初入選、1926(大正15)年には「牛置物」を皇太子に献上するなど、若くして高い評価を得た。

初期の代表作「望月」1930年、木彫、高さ44cm、「一色五郎彫刻展」図録より転載

1928(昭和3)年アトリエを王子町上十条(現北区上十条)に構え、1932(昭和7)年に結婚。翌年には師の長谷川栄作と共に芸術使節として満州国へ渡り、五郎は獅子頭を溥儀執政(後に皇帝)に贈った。これに際しては母が桑の苗木を売却し用立ててくれた資金で雌雄一対の獅子頭を造り、うち一つを真鍋町に寄贈した。邦彦さんによれば地元にある方が雄獅子だそうだ。

帝展にはその後も出品を重ね、1932年の第13回展で「軽機兵」が特選になり、以後無鑑査。1936(昭和11)年の文展招待展には「電信兵」を出品し、文部省買い上げとなった。1939(昭和14)年に陸軍美術協会が発足すると、その一員として時局に沿った作品を多く制作した。

県内の彫刻界で指導的立場に

1943(昭和18)年に家族を伴い帰郷。当初は大町に住み、後に若松町へ移った。子どもは4人とも男児で次男が邦彦さん、4男が建築史家で今年物故した一色史彦さん。大町の家は狭くて独立したアトリエは持てず、貧困の中で帯留めやペンダントなども彫って生活の糧にした。

終戦までの2年間は筑波山神社にこもり、山麓から食料を調達して自炊しながらイザナギ、イザナミの両神像を制作。終戦を告げる玉音放送を直立不動で聞き、B29の編隊が低空で飛来するのを見て残念に思う気持ちと、焦土から立ち上がる決意がわき上がるのを感じたという。

1947(昭和22)年の第1回土浦市展開催には中心的役割を果たし、後年まで運営に携わった。県展では1948(昭和23)年の第1回から審査員を務め、以後第10回まで出品を続けた。日展では1949(昭和24)年の第5回展から1967(昭和42)年の新第10回展まで計16回出品した。

1969(昭和44)年に脳血栓で倒れてからは療養生活を送り、1985(昭和60)年に82歳で永眠。「働き盛りの時期に戦争が重なり、いろいろと苦労したはずだが、愚痴や不平不満は一言も言わなかった。明治生まれの精神力だと思う」と邦彦さんは述懐する。

「希望の像」ブロンズ、1983年にカスミストアーが亀城プラザへ寄贈

郷土の偉人らを彫像にして顕彰

五郎は戦前・戦後期に郷土の偉人像を多数制作した。その顔ぶれを一部紹介しておく。藤森天山(弘庵)は幕末の儒学者で、土浦へ招かれ藩校・郁文館の創立に貢献し、後に江戸で私塾を開く。ペリー来航の際には海防論を説き、徳川斉昭に建白書を奉ずるなど活動した。

加藤桜老は笠間藩士で、水戸藩の会沢正志斎や藤田東湖に学び、江戸の昌平坂学問所に入った。笠間城下の隠居所「十三山書楼」には諸国から志士が集まり、後に高杉晋作らの推薦で長州藩校・明倫館の教授に迎えられた。

佐久良東雄は浦須村(現石岡市浦須)出身、善応寺(土浦市真鍋)の第18代住職を務め、天山や桜老らと交わった後、江戸で平田篤胤に国学を学ぶ。尊王論で各地を遊説し、桜田門外の変では幕府の手を逃れた水戸浪士を援助した。

色川三郎兵衛は元貴族院議員。日本鉄道海岸線(現JR常磐線)の敷設ルートを変更させ、線路の盛土を湖岸堤の代用とすることで、土浦の街を水害から救った。また川口川・田町川の逆水門建設にも尽力した。

助川喜四郎は大穂村(現つくば市大穂)出身のウイルス学者。犬への狂犬病の予防注射法を完成させたほか、鶏卵内培養法による天然痘ワクチンの製造に成功し「昭和のジェンナー」と呼ばれた。助川弘之元土浦市長の父。

藤川捨吉は県内の土木工事を多数手掛けた。土浦では海軍霞ケ浦飛行場建設工事、常南電鉄土浦-阿見線敷設工事、川口川埋設工事など。特筆すべきは桜川河口の16ヘクタールに及ぶ干拓事業で、ここが後に宅地造成され港町になった。

●取材協力・参考資料 一色邦彦▽茨城県近代美術館▽図録「一色五郎彫刻展」(1980年、県立美術博物館)▽雑誌「常陽藝文」142号(1995年3月、常陽藝文センター発行)・146号(1995年7月、同)▽新聞「いはらき」1985年12月7日付▽市村壮雄一「藤川捨吉」(1941年、土浦書房)▽真船始編「助川先生とその業績」(1958年、喜誠会)▽茨城県地域学習資料研究会編「茨城の先人たち」(1983年、光文書院)▽ウィキペディア

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好きな「もの」や嫌いな「もの」とは何なのか《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》8

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なぜ私たちはフィクションを求めるのか《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》7

【コラム・1年 H.O】フィクションには、人間を一時的に現実世界の憂慮から離す力がある、と私は思っている。 学校で、哲学部とともに文芸部にも所属する私は、小説などのフィクション作品を作る担い手であり、フィクション作品を鑑賞する立場でもある。そんな私がフィクションに触れるのは、自分の感じたい感情のため、あるいは作品づくりの勉強をするためというのが主な理由だ。ただ、その根底にあるのは、フィクションという空想の世界に一時的に没入して、悩んでいることから離れたい、もしくは他の人にも自分の作品で嫌なことを一時的に忘れてほしいという思いだと思う。 なぜ私たちはフィクションを求めるのだろうか。私たちの身の回りでは、さまざまな出来事が起こっている。わざわざ架空のものを求める必要性は何なのか、と私はふと思うこともある。おそらく、フィクションを必要とせず、普段ほとんど接することがない、という人もいるだろう。 ここでは、改めて私たちがなぜフィクションを求めるのか、私の経験などをもとに考えていきたい。この文章を読みながら、あなたも一緒に考えてみてはいかがだろうか。 「作られたストーリー」だからこそ可能なこと フィクションを読む理由の一つとして、冒頭でも述べた通り、自分の感じたい感情のためというのがあると思う。これは私がフィクションを求める大きな理由だ。 ある日のこと、私はクラスの人からお菓子をもらったのがうれしかったので、親にその旨のLINEを送った。また、その日返却されたテストの結果が良かったので、その点数も送った。しかし、全て送った後に何か違和感を感じて、自分が今開いているトークルームを確認してみると、それはクラスのトークルームだった...!  慌てて消そうとしたため、間違って「送信取り消し」ではなく「削除」という自分の端末からだけ消去する選択肢をしてしまい、送ったメッセージは消せず。今となっては話のネタだが、その当時は絶望的な気持ちだった。そんな嫌な現実を忘れるために選んだのが、コメディー作品を読むことだ。自分がいる場所から一時的にフィクションの世界に没入して、登場人物たちによって繰り広げられる面白劇を眺める。そうすることで、絶望の記憶が楽しい記憶で塗り替えられていく。結局、出来事が起きてからすぐコメディーを読んだおかげで、この思い出は割と早くに笑い話へと変化した。 上記の例では、誤送信から発生した「現実を忘れたい」「楽しいことを考えたい」という感情を満たすため、笑えるコメディーを読んでいる。 それ以外にも、一般的に、ワクワクしたい時にファンタジーを、キュンキュンしたい時に恋愛ものを、肝試し感覚で恐怖を感じたい時にはホラーを読むことが多い。自分が感じたい感情を感じる時、フィクションは割と効果的な気もする。 ここで少し、なぜ私が自分の感じたい感情を感じるとき、フィクションを求めるのか考えてみたい。 フィクションの大きな特徴として、「虚構性」が挙げられる。完全に作者の手によって作られるため、その世界は私たちが生きている現実世界そのままではない。また、フィクションには「決められたストーリー」がある。 では、その虚構性と決められたストーリーにより、どういった効果があるのだろうか? まず、とある作品を読むことによって、ある程度特定の感情を感じることができるというのがあると思う。作者の手によって、フィクション、特に大衆向けのものは作者の意図した感情を抱かせるような作りをしている。例えば、ファンタジーもので、優しい姫が王子に婚約破棄される話はどうだろう。心優しい有能な姫は国のために一生懸命働いていたが、王子に浮気されて国外追放されてしまう。途方に暮れる姫だったが、追放された先の王子が姫を助け、2人はやがて恋に落ちる。そして、姫がやってきた国は豊かになり、姫は優しい王子と結婚する。一方で、姫を追放した王子は姫の恩恵を失い、責任を取らされて全ての地位を失う。 この例において、読者の感情の流れとして意図されているのは 冒頭(姫が王子に婚約破棄される) ・姫を追放した王子への怒り ・姫が救われてほしいという願望 中盤(姫が追放された先の王子に助けられ、恋に落ちる) ・姫が助けられたことによる満足・幸福感 ・姫と王子の恋が成就してほしいという願望 ラスト(姫が王子と結婚・追放した王子が地位を失う) ・姫と王子の恋が成就したことによる満足・幸福感 ・追放した王子が報いを受けたことによるスカッと感 (※ただし、ここで挙げた感情は意図されている感情の一部) といったものだろう。 ここで、フィクションが私たちの感情にもたらす効果をもう一つ挙げてみる。現実世界とは違う世界で話が展開されるため「安心しつつフィクションの世界と感情を楽しむことができる」ということだ。登場人物に感情移入して笑ったり涙を流したりはするが、その登場人物と私は同一人物ではない。一方、ノンフィクションはあくまでも現実世界の話であり、どこかに「これは現実だ」という意識がある。つまり、私たちはフィクションを現実とは違うものとみなし、その分、思う存分感情を味わうことができるのだ。 ここまでの話を一度まとめてみる。フィクションには虚構性があるため、特定の感情を感じるために作られたストーリーを、現実世界の出来事だという意識を持たずに、「自分の求める感情のため」に読むことができる。これは、ノンフィクションにはない特徴だ。 もちろん、自分の感じたい感情を感じる手段は他にもある。SNSはその一つの例だと思う。でも、私にとって、フィクションは自分が求める感情を感じるための一つの大きな手段であり、自分の心を支えるための薬とも言えるかもしれない。 人と人をつなげるフィクション ここまでは、私の経験をもとにして、フィクションを求める理由の一つである、自分の求める感情のためについて考えてみた。しかし、これ以外の理由からフィクションを求める人もいる。ここで一度、先ほどとはまた違った角度から、フィクションを求める理由を考えていきたい。 一般的に、フィクションは、複数人が見ることが可能な形式になっていることが多い。そのため、フィクションは人と人の間で共有可能という特徴がある。すなわち「共有性」があると言えるだろう。これが存在することによって、人と人はつながることができる。フィクションは、人と人をつなげるのだ。それが、「人とのつながりのため」という、フィクションを求める理由の一つになる。 フィクションが人をつなげることについて、もう少し深く考えてみよう。 人同士がフィクションを通してつながる時、そのつながりには種類があると思う。つながりによって、その特有さや強度が異なるのだ。フィクションを見た時に生じるであろうそれぞれのつながりを、以下で考えてみる。 一つ目のつながりは、同じものを知っているということだと思う。同じ本を読むことで、そこで登場する人々、発生する出来事、ストーリーなどを共有することができる。 フィクションが生み出す二つ目のつながりは、同じ感情を同じ流れで感じたということではないかと思う。これは、作者の意図した感情を読んでいる側に感じさせるようなフィクションの場合に言える。先ほど「優しい姫が王子に婚約破棄される話」の例でも述べたが、フィクション、特に大衆向けの話は意図した感情の流れを発生させるようなものが多い。フィクション特有のつながりは、これによって生まれるのではないかと私は思う。 まず、フィクション以外の感情の共有について少し見てみる。「同じものが好き」というのは、「好き」という感情を好きな者同士で感じていることであり、そこにつながりは発生する。しかし、その場合共有しているのは単一の感情のみであり、つながりは薄いような気がする。 同じフィクションを読んだ場合は、共有しているのは一つの感情だけではない。主人公が不幸に遭った時は悲しみや同情、主人公が幸せになった時は幸福感や満足感を感じるなど、一つのストーリーの中でも様々な感情を感じる。しかもその感情には一定の流れがある。それにより、フィクションを読むことは様々な感情を同じ流れで感じたという、他のものではなかなか起こりづらい体験の共有ができるのだ。これは一つの感情を共有している時よりも、より強力なつながりだと思う。しかも同じフィクションを読めば同じ体験が共有できるのだから、手軽なリンクでもある。 ただ、ここで二つ目のつながり、「同じ感情を同じ流れで感じた」というものについて考えてみると、いくつか例外的なフィクションが出てくる。それは、決まった感情の流れを意図していない作品だ。この間の授業で、芥川龍之介の「羅生門」を学んだのだが、その受け取り方は生徒によって多種多様だった。その場合、同じ感情を同じ流れで感じたというつながりは発生しない。では、その他に何かリンクはないのだろうか。 私が思うに、フィクションの場合、もはや同じ感情を共有していなくとも、フィクションを媒介として人と人の内面をつなげることができるような気がする。フィクションに対する感想交換を通じて、社会的規範に縛られず、ありのままの自分を知ってもらえるのではないか、と思う。 一つのニュースについて意見を交換するとき、その意見は無意識的、もしくは意識的に社会的規範に縛られる。常識や一般的な倫理感から、「こんなことはあり得ない」「倫理的にいけない」と、社会規範から外れる意見はセーブされやすくなる。意見は国籍や所属団体によっても変化するだろう。しかし、それが現実世界ではなくフィクションについて感想を交換するとき、意見の束縛は減るのではないだろうか。 フィクションは虚構の世界の話だ。だから、その世界の物事について感想を述べるとき、「これは現実世界のことではない」と割り切って話すことができる。社会的規範や立場に縛られることなく、登場人物になりきったり、自分だったらもっとこういう世界がいい、と考えることができる。それは、現実の物事に対する意見と比較して、さらにその人自身の考え方に近く、内面を映し出していると言えるのではないだろうか。フィクションは、人の思考を社会的なしがらみから解放し、より自由な意見を表せるようにする。そうすることで、感想を交換した人同士は、ただニュースなどについて意見を交換するより、その人の内面を知ることができる。フィクションには、人と人の内面を繋ぐ力があるのだ。 私は、「感想交換を通じて、自分の内面を共有できる」というのが、フィクションが生み出す三つ目の強いつながりになるのではないかと思う。 最後に この文章では、フィクションを求める理由を「自分の感じたい感情のため」と「人とのつながりのため」の二つに絞り、深く掘り下げてみた。「なぜフィクションを求めるのか」という問いへの答えは、人によって違うだろう。また、同じ人であっても、時と場合によって変化もするだろう。今回考えてみた理由二つのうち、どちらも当てはまらない人や、フィクションを見ない、という人もいると思う。ぜひ、私が今回この文章で私にとってのフィクションを求める理由を考えたように、あなたもあなた自身にとっての理由を考えてみるのはいかがだろうか。 最後に、尋ねよう。「あなたはなぜフィクションを求めるのか?」

アストロプラネッツ、茨城ダービーでゴールデンゴールズに勝利

プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの開幕を前に、茨城アストロプラネッツ(AP)は28日、笠間市箱田の笠間市民球場で、社会人クラブチームの茨城ゴールデンゴールズ(GG)とオープン戦を行い12-2で勝利した。茨城APの今季開幕戦は4月5日エイジェックスタジアム(栃木県宇都宮市)で、ホーム開幕戦は翌6日ノーブルホームスタジアム水戸(水戸市見川町)で行われ、対戦相手は2戦とも栃木ゴールデンブレーブスになる。 【2026シーズンオープン戦】茨城アストロプラネッツ-茨城ゴールデンゴールズ(3月28日、笠間市民球場)茨城GG 000001010 2茨城AP 30021123X 12 茨城APは先発投手の川平真也が5回を投げ被安打1、6奪三振、1四球と試合をつくった。攻撃では初回に5安打を固めて3点を先制。4回以降も得点を重ね、救援投手を打ち崩した。 初回に右前打で先制点を挙げた木村泰賀は下妻市出身、常磐大高では31本塁打を挙げた強打者だ。仙台大を卒業し今季、茨城APに加入。高校ではサード、大学ではレフトを守ったが、今年はセカンドにも挑戦中だ。「プロに行くなら内野で勝負しようと考えた。特にセカンドは守備範囲も広く、一つ一つの打球に他のポジションの選手と連携して動かなくてはいけない」と、守備を鍛え直している最中だという。 「今季は新たに18選手が加入し、レギュラーも去年から6人が入れ替わった。サインプレーやフォーメーションなどは一からつくり直しの部分もあるが、八木健史ヘッドコーチの加入や北原翔捕手の兼任コーチ就任でスタッフが充実し、よりスムーズな指導ができている」と話すのは巽慎吾投手兼任監督。「能力ある選手たちがそろい、実力を発揮してリーグ優勝を目指すとともに、昨年はゼロだったドラフト指名にも選手を送り込みたい。一人でも多く上のステージへ上がれるよう全力でサポートする」と意気込む。 注目選手の一人が捕手の草場悠。大阪の名門・履正社高の出身で、50メートル走5.9秒、遠投100メートルなど肩と足にストロングポイントを持つ選手だ。今季は打率3割、10本塁打、30盗塁を目標とし、主将にも就任した。「2年目なので気持ちも新たにチームを引っ張ってくれというメッセージだと受け止めている。年の近い選手も多いので楽しくやらせてもらっている」と話す。 それぞれの日本一目指す 茨城APと茨城GGの対戦は今回初めて実現した。スタッフや選手同士の交流は以前からあり、機会をうかがっていたという。「個々のレベルの違いはあるが、いま持っている実力を出すことができた。ぜひまた再戦したい」と茨城GGの樋口亮介・助監督。「どこへ行っても茨城と言うと欽ちゃん球団(茨城GGの初代監督はタレントの萩本欽一さん)の名が上がる。その知名度はすごい。うちも頑張らなくては」と巽監督。「ここ数年は全国大会を逃してきたが、今年こそ力をつけて全国へ行き、カテゴリーは違ってもプラネッツと一緒に茨城の野球を盛り上げていきたい」と樋口助監督は返す。なお、茨城GGは今年チーム創設20周年を迎え、去年からは女子チームも活動を始め、躍進が期待される。(池田充雄)