火曜日, 12月 2, 2025
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《吾妻カガミ》87 つくばセンタービル再生の問題点

【コラム・坂本栄】本サイトの中ほどに「つくばセンタービル」というタイトルの特設コーナーが設けられています。現時点では、市が同ビルをどう活用しようとしているのか調べた記事と、ビル裏手(正面?)の中央広場への想いを述べた脚本家のコラムがアップされています。今回のコラムではこのセンタービルの問題を取り上げましょう。

記事とコラムは、「具体案、市民に説明なく」(6月26日掲載)、「民意と距離ある計画」(6月27日掲載)、「世界的アート建築に屋根?」(6月28日掲載)、「コラム:磯崎新の設計思想」(7月9日掲載)の青字部をクリックしてご覧ください。磯崎氏は、ノバホール+ホテル日航つくば+センタービル+中央広場を設計した方です。

記事は、①市は空きが目立つセンタービル1階を、事業の立ち上げを目指す起業者の作業区にしようとしている②また、音楽会場・ノバホール右側の建物などは市民活動を支援する拠点に改装しようとしている③しかし、これらの案は市民の意を汲んだものとはいえず、市の情報開示も十分ではない④一方、中央広場に屋根を付けるという改修案に磯崎氏は遠回しに反対している―に要約できます。

起業には「トキワ荘」がよく似合う

一昔前、センタービル1階には銀行の支店や飲食店などが入り、一帯はまさに市のセンターでした。ところが、賑わいの中心がTX研究学園駅に移り、センタービル周辺は駐車の便が今一のこともあって、市の真ん中ではなくなりました。

こういった場所の再生を考える市も、大変です。若い起業者支援のために、旧一等区画を活用しようとする気持ちは分かります。でも、そういった優遇策は彼らのためにならないでしょう。起業には、赤塚不二夫らが雑居した「トキワ荘」がよく似合うからです。ビル・ゲイツはガレージで起業しました。事業の立ち上げには、公務員宿舎跡が向いていると思います。

センタービルを核とするTXつくば駅周辺は、オフィスビル+マンション+飲食店+小売店が立ち並ぶ「ビジネスゾーン」にし、企業の本支店を誘致したらどうでしょうか。センタービルについては、その区分所有権(つくば市53%、ホテル日航つくば38%、筑波都市整備9%)を大手不動産に一括売却し、民間の知恵(再設計は磯崎新事務所?)で再開発してもらったらどうでしょうか。(経済ジャーナリスト)

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

日本商工会議所が関心 関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。 調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。 同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。 同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。 同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。 同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)