木曜日, 4月 9, 2026
ホームスポーツ【夏の高校野球県大会】湖北、霞ケ浦 コールド勝ちで8強入り 土浦日大は4回戦へ

【夏の高校野球県大会】湖北、霞ケ浦 コールド勝ちで8強入り 土浦日大は4回戦へ

2020年夏季県高校野球大会は7日目の1日、2球場で3回戦の残り2試合と4回戦4試合が行われた。J:COMスタジアム土浦では土浦日大がつくば秀英を4-0で下し4回戦進出。土浦湖北は茨城キリスト教学園に13-0の大差で7回コールド勝ち、準々決勝に進出した。ノーブルホームスタジアム水戸で4回戦の霞ケ浦は鹿島学園に11-1で6回コールド勝ちを収めた。今大会は雨の影響で順延が重なり8強決定で打ち切りとしていたが、4強決定まで実施する。

3回戦 土浦日大はつくば秀英を完封

【土】中川 – 菅野 【つ】枩本、次郎丸、後藤 – 青木

【崎山勝功】土浦日大は、2回表に吉原蓮の安打を皮切りに、笠嶋大介の二塁打が続き2点を先制。つくば秀英は3回表に枩本匠に代えて次郎丸匡峻をリリーフに送るも、5回表に暴投や守備陣のエラーなどが重なったところへ、土浦日大が五十嵐明斗主将の適時打でさらに2点を追加し、4-0と引き離した。

完投した土浦日大の中川竜哉=J:COMスタジアム土浦

土浦日大エースの中川竜哉は8奪三振で完投、守備陣も堅守でつくば秀英に得点を与えず、完封勝ちを収めた。小菅勲監督は「久々の試合だったので調子が図りかねたが、投手戦でピッチャーに抑えてもらうしかないと思った。完封は上出来だった」と中川を高く評価した。

中川は「ピッチング自体はあまり調子が良くなかったが、残り3試合と決められているので、自分の持てる力を悔いのないよう出しきろうと思い、最初から腕を振っていった」と試合を振り返った。

主将の五十嵐は「今日は相手のエラーやミスで2点もらったので、打線がつながったわけではない。チャンスの場面での凡退は、もう少し工夫しなくては」と、次戦への改善点を挙げた。

完封負けを喫したつくば秀英の森田健文監督は「点の取られ方が悪く、守備からリズムをつくるうちの持ち味が出せなかった。打線は相手のファーストストライクの甘い球を狙おうとしたが、それが打てなかった」と敗因を分析した。

若井太陽主将は「守備から入る意識だったが、ミスから失点し流れが悪くなった。序盤、相手投手が変化球を置きにきたのを振っていけば、流れを渡さずに済んだかもしれない」と悔やんだ。

3回から8回まで力投した次郎丸は「先制されて苦しい展開だったが、相手を気にせず自分の投球ができた。3、4回はゼロで抑えたが、5回の失点は安易に攻めてしまった。もっと緩急や高低など広く使い、じっくり攻めていればエラーもなく、次の回に良い展開ができたと思う」と敗戦の弁を語った。

土浦湖北 下位打線が躍動

(7回コールド)【土】大坪、三浦、荒木 – 佐藤武 【茨】横山、綿引、蛭田、徳永 – 清水太

【池田充雄】土浦湖北は2・3回の攻撃で計6点を挙げ、試合の大勢を決めた。「引き付けてすべてのボールに対応しようという意識だった。最初はタイミングが早くフライを打ち上げていたが、後のバッターが修正し、狙い通りのつなぐ野球ができた」と田中海斗主将。

特に下位打線が躍動し、7~9番の3人がいずれも3打点を挙げた。7番の稲葉悠太は、2回には1死三塁から右前へ先制タイムリー、3回には2死一・二塁から右越えの2点二塁打という活躍ぶり。「新チームになってすぐ7番に抜擢されたが、打てなくて迷惑をかけていた。今大会では一つもミスがなく、ヒットも打てて3年生に恩返しができた」と感慨深げ。

3回表、生還した稲葉を迎える土浦湖北の選手たち=J:COMスタジアム土浦

4回以降は相手の2人目投手に対しやや淡泊な攻撃になったが、「いままでやってきたことをもう一度しっかりやろう」との小川幸男監督の檄(げき)を受け、7回に再び大爆発。打者11人で長短打6本を放ち、5点を奪ってコールド勝ちを決めた。

投手は3人のリレーで、前の試合から間隔が空いた影響からか、それぞれ調子はいま一つだったという。先発の大坪誠之助は「ストレートで腕に力が入らず力んでしまった。後ろに2人いいピッチャーがいるので安心して任せられる」と2回でマウンドを降りたが、「次は自分がちゃんと投げないと勝てないと思う。3日間あるので球威は戻せる」と、最終戦に向けて調整に励む構えだ。

霞ケ浦 打ち勝つ野球で大量得点

(6回コールド)【霞】山本、高松、前原、真仲-瀬川【鹿】猪俣、穂刈、常世田、渡辺、徳永、東風谷-野原、岡本

【高橋浩一】霞ケ浦は、3回戦の総和工戦で延長タイブレークに持ち込まれた反省から、打ち勝つ野球を追求し、2ケタ安打で大量11点をものにした。

この日2番に入った小田倉啓介主将は、3回と4回に2打席連続の二塁打、2打点を挙げ、チームの大量得点の足がかりを作った。「今まで情け  ない試合ばかりだったので何とか打ちたかった。みんながつないでくれたのでチームを勝たせるバッティングができた」と振り返る。

3回表無死二・三塁、斎藤拓生の左前打で佐々木が先制のホームイン

6回には相手投手の乱れから1死満塁とし、瀬川悠人の左前適時打や伊澤誠の中越え3点三塁打などで一気に6点を奪った。「今まで出ていない選手が気持ちを出し、食らいついたプレーをしてくれた。それがいままで出ていた選手にも伝わって、もっとやらなきゃいけないと、全員がまとまった試合だった」と小田倉。

「代わった選手が持ち味を出してヒットを打ってくれてうれしい。出ていなかった3年生が11人いたので、全員出すつもりで組み合わせを考えた。点数が入ったので思い通りに使えた」と高橋祐二監督。

次の試合は5日の準々決勝だが、日程の都合により本大会の最終戦となる。「2連覇という目標を掲げて1年間やってきたので、甲子園はなくなっても最後に気持ちよく勝って終わりたい」(小田倉)、「最後の試合なので20人フルメンバーで下級生も入れて、いつもの試合と同じ気持ちで戦う」(高橋監督)と、あくまで前向きに戦う姿勢を見せる。

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「芥川龍之介記念館」来年夏に開館《ふるほんや見聞記》15

【コラム・岡田富朗】芥川⿓之介は、東京帝国⼤学(現・東京⼤学)学⽣であった1914(⼤正3)年から亡くなる1927(昭和2)年まで、北区⽥端に暮らしました。その芥川の居住跡地に、「芥川龍之介記念館」(仮称)が、没後100年を迎える2027(令和9)年夏に開館する予定です。命日である7月24日は「河童忌」と呼ばれ、毎年芥川龍之介をしのぶ催しが行われています。 ⽥端には、明治から昭和期にかけて、1キロ四方の狭い地域に累計100人以上もの芸術家や文筆家らが暮らしていました。1889(明治22)年に東京美術学校(現・東京藝術⼤学)が上野に開校すると、上野への便がよい⽥端には、芸術を志す若者たちが住むようになりました。 そして1914(⼤正3)年に芥川⿓之介が転⼊し、その後、室⽣犀星、菊池寛、堀⾠雄、萩原朔太郎、⼟屋⽂明らも転⼊し、芸術家のみならず、多くの⽂⼠も住む地域となっていきました。 陶芸家の板谷波山も、1903(明治36)年から、当時、人家少なく故郷の筑波山を望むことのできる場所ということで、田端に居を構えていました。1945(昭和20)年、戦災により住居兼工房が全焼し、郷里に疎開しましたが、戦後再び戻り、終生田端で暮らしました。 芥川⿓之介の没後、⽥端の家にはご遺族が居住していましたが、1945年の空襲により焼失し、ご遺族は転居しました。その後、集合住宅1棟と個人住宅2棟が建ちましたが、2017(平成29)年、そのうち1棟が売却されることとなり、翌18年に北区はその⼟地を購⼊し、国内初となる「芥川⿓之介記念館」(仮称)を建設することを表明しました。これまで芥川⿓之介を単独で顕彰する記念館・⽂学館は設置されてきませんでした。 大正期の暮らしを体感できる場所 芥川龍之介が居住し、多くの作品を生み出したこの地において、記念館は大正期の暮らしや創作環境を体感できる場所となります。邸宅2階にあった書斎は、創作の場として再現され、芥川が実際に使用していた文机やインク入れ、ペンなども複製して配置されます。来場者は再現された書斎に実際に入ることができ、これらの複製品に触れることもできます。 また建物や内装、庭園に至るまで、当時の姿を参考にしながら空間の雰囲気を大切にし、庭の木々や石の配置についても、写真資料などを手掛かりに芥川が見ていた風景の面影を感じることができるよう、整備をする予定です。館内には展示スペースのほか、ミュージアムショップの設置も予定されています。 北区地域振興部文化施策推進課の飯塚さんは「今では、田端に住む人の中でも芥川龍之介が実際に田端に住んでいたことを知らない方が増えています。北区民、文学ファンの中でも「芥川といえば⽥端」ということを知らない人たちに、是非足を運んでいただき、芥川が数多の名作を生み出した書斎などを「体感(feel)」して、楽しんでもらいたい」と話してくれました。 芥川⿓之介の作品は40を越える国・地域でも翻訳され、現在も世界中で高く評価されています。開館に向けてクラウドファンディング(CF)も行われており、海外からの支援も寄せられているそうです。今後のCFは今年の夏ごろを予定しているそうです。(ブックセンター・キャンパス店主)