ホーム つくば 不存在の議事録 「後から発見された」 日本財団軽症者施設問題でつくば市

不存在の議事録 「後から発見された」 日本財団軽症者施設問題でつくば市

日本財団(東京都港区、笹川陽平会長)がつくば市南原のつくば研究所跡地に計画している新型コロナウイルス感染者の軽症者滞在施設について、つくば市は、資料が不存在だとしていたが(6月25日付)、「存在していない」はずの議事録が「発見された」として不開示決定を取り下げ開示した。市によれば、存在していた資料が後から発見され開示されるケースは初めてという。

5月末、NEWSつくばはつくば市に同施設の運営に関わる検討資料の情報公開請求を行った。しかし、6月9日、市は検討資料が「全く存在していない」として不開示決定を下した。ところが、6月30日、市は「存在していない」はずの議事録が「発見された」として不開示決定を取り下げ開示した。

開示されたのは同財団の尾形武寿理事長が4月30日につくば市役所に来庁し五十嵐立青市長と直接やりとりした際の議事録だ。

なぜ存在してないはずの文書が発見されたのか。市の担当者によれば、4月30日、日本財団尾形理事長の来庁当日に、市長公室内にある秘書課が議事録を作成した。

5月末、情報公開窓口である総務課の担当者は、NEWSつくばの開示請求を受け、市長公室に検討資料の有無を確認した。

このとき市長公室は、秘書課に議事録が既に在ったにも関わらず「資料は全く存在していない」と総務課に回答したという。

同時に、新型コロナウイルス関連の主たる担当部署である健康増進課も資料はないと総務課に回答した。

これにもとづき総務課は不開示決定を行ったという。

しかし、公開された議事録によれば、会議には市長や日本財団関係者のほか、市長公室秘書課の職員及び健康増進課のある保健福祉部の部長が参加している。開示請求の時点で市長公室秘書課において既に議事録が作成されていたのである。

市の担当者は、恣意的に議事録を開示しなかったのではないと隠蔽の可能性を否定し、あくまでも「連絡ミス」という説明をしている。

若い職員の連絡ミス?

連絡ミスの原因は、総務課の問い合わせに対し資料は存在しないと回答した市長公室の担当者が、若い職員であったこと、議事録が機密性の高い資料であるために「下までは共有されていなかった」ことにあると市は釈明する。

なおこの会議については、重要な案件として、市のホームぺージや五十嵐市長のツィッターなどで会議の内容の一部について広報が複数回なされていた。

市の説明について、筑波大学人文社会系教授で弁護士の根本信義氏はNEWSつくばの取材に対し「私も役所に勤めたことがなく分からない部分が大きいが、あくまで一般論としては、担当課といえども下の者が知らない会議はありうるだろう。総務課から問い合わせを受けた職員が会議の存在を知っていたとすれば、上司に確認を取れば議事録の存在は分かったことであるから、確認を取らなかったのが問題ということにはなる。ただ、問い合わせを受けた職員が会議の存在そのものを知らされていない場合には、会議があったかどうかまで確認する義務があったかどうかが問題となる」としている。

14 コメント

  1. 「自分の知らない会議の存在を確認する義務があったかどうか」って、知ってようが知っていまいが聞かれたら確認するのが仕事でしょうよ。根本先生、変な理屈で煙に巻かないでください。

    5
    7
  2. 総務課から問い合わせを受けた、”若手職員”は、
    問い合わせを受けたときに、万々一、会議そのものの
    存在を知らなかったら、事の重要性から、上司等に確認する筋の
    ことと思います。それも思いつかない職員は、とても市長公室の
    職員の任にはたえないものと思います。筑波大の先生は、かき乱す
    コメントをしていると思います。

    記事の内容に戻って、一連の話で、一番不思議なことは、総務課が、
    かくも大事なことの議事録がとられていないことに、あまり問題意識を
    もっていないことです。市長公室の”若手職員”に口頭で確認し、
    「ありません。」の返事をもらったら、即、不存在で不開示に
    するのでしょうか。

    わからないことや不思議だらけ。
    市役所の運営が、中枢のところで、
    まじめに正当になされていないことは確かと思います。

    議事録等を誠実に取らないといけないでしょう。
    情報請求に対して誠実に対応しないといけないでしょう。
    ミスをしたら誠実に謝らないといけないでしょう。
    子供がするような連絡ミスが起こったのが、かりに真実なら、
    ミスを発生させて、開示請求者その他に迷惑をかけたことを
    誠実に謝らないといけないでしょう。
    原因と再発防止について誠実に言及しないとだめでしょう。

    以上、発生したことが、市長公室・秘書室・総務課という
    中枢部門がかかわることであり、深く慨嘆しつつ
    つい長文を書きました。

    5
    5
  3. 6/30に公開された経緯が書かれていないので、自主的に公開したのか、不存在がウソだとバレて公開したのかがわからない。
    自主的に公開されたならば、連絡ミスという市役所の言い分も強ちウソではないような気もするが。

    それより、せっかく公開された議事録の中身を知りたいのに、この記事では触れられていない。
    先にそちらを記事にしてほしいのだが。

    • 6/26に議事録が無いという記事が出てるので、それを市が見て公開したってことですかね?よく分からないですけど。

      • タイミング的には、議事録がないという記事を議事録の存在を知っている人が見て、公開したような感じです。
        だとすると連絡ミスという言い分もありえると思います。
        そこを曖昧にして、市役所が何か隠していると思わせたい記事なのかもしれません。

        • 結果的には開示しなかった訳ですけど、隠しているとまでは言えないんじゃないかとは思いますよね。

  4. で、責任は?税金が給料の原資であれば、見合った仕事をしていなかった。税金を無駄に使ったわけでさ。

  5. 2
    6
  6. 結局、何となくつくば市が隠し事をしていると思わせる記事だけ書いて、議事録の中身は報じられませんでした。
    おそらく、報じるほどの内容はなかったと思われます。
    つまり、わざわざ市役所が隠すほどのこともなかったということだと思われます。

匿名 へ返信する 返事をキャンセル

Please enter your comment!
Please enter your name here

スポンサー

LATEST

10カ月ぶり出場の高橋竜也が判定勝ち コロナ禍、声援禁止し拍手で応援

【崎山勝功】日本バンタム級7位の高橋竜也(29)=土浦市出身、ヤマグチ土浦=が20日、つくばカピオ(つくば市竹園)で催された「東日本大震災復興チャリティー ダイナミックヤングファイトボクシングinつくば」(ヤマグチ土浦ボクシングジム、ヤマニ主催)に出場し、城後響(26)=大阪府出身、三迫=と対戦、3―0で相川に判定勝ちを収めた。高橋の通算成績は今回の勝利を含め47戦32勝21KO9敗6分。 高橋は昨年11月9日の試合で負傷して以来約10カ月ぶりの出場となった。中盤辺りから積極的な攻めを見せキレのある攻撃を展開、左ストレートを城後の顔面に決めるなど攻勢を強めたが、城後も粘り強く試合を進め、全8ラウンド(R)終了し、判定に持ち込まれた。結果、3人の審判が高橋優位と判定し、勝ちが決まった。 試合後、高橋は「声援が無くても応援してくれる気持ちは伝わった。チャンピオンになってみんなに感謝を返したい」と、今後への意欲を示した。 根本は判定負け、人見は3R TKO負け 同日の試合では、根本裕也(34)=つくば市出身、同=もスーパーウエルター級で足名優太(26)=東京都出身、渡嘉敷=と対戦。出血しながら全6Rを戦い抜き善戦したものの、判定で勝利を逃した。根本の通算成績は17戦6勝1KO9敗1分。根本は「ちょこちょこと相手から(パンチを)もらっていた。相手の方が強かった」と試合を振り返った。

創作版画の草分け 永瀬義郎展 つくばの古書店

【池田充雄】県西出身で大正・昭和期に活躍した版画家、永瀬義郎の作品展「創作版画の草分け 永瀬義郎展」が、つくば市吾妻の古書店、ブックセンター・キャンパスで開かれている。展示作品は版画や絵皿など14点。一部は額装されて店頭に飾られている。ほかに表紙画を描いた雑誌や著書、画集なども展示している。 永瀬は1891(明治24)年、現在の桜川市入野に生まれた。県立土浦中学校を卒業後、白馬会洋画研究所を経て東京美術学校彫刻科に入学。ムンクの作品に影響を受け、版画制作を始める。1912(大正元)年、詩人、日夏耿之介や西條八十らが創刊した文芸同人誌「聖盃」(後に「仮面」と改題)に参加。表紙画や口絵を手掛けたほか、小説や戯曲、詩なども発表した。 同人誌「仮面」より、永瀬が表紙を描いたもの 創作版画に対する考え方は「仮面」1914(大正3)年9月号掲載の評論「現今の版画に就いて」に詳しい。当時、自画自刻の版画作品が増えてはいたが「皆装飾的趣味の遊技的産物に過ぎず、版画の独立した芸術としての価値を発揮している者は一人もない」と嘆き、一方で長谷川潔に対しては「白と黒の調和を基礎として簡潔にして偉大な印象」と讃え、広島新太郎については「刀のテクニックにも他の人と違った切れ味」があり「従来の版画と違った近代思想に触れた氏の個性のひらめき」が認められると述べた。 1916(大正5)年、永瀬・長谷川・広島の3人は本邦初の版画結社「日本版画倶楽部」を結成したが、翌々年には長谷川がフランスへ活動拠点を移し、自然消滅した。後に広島は晃甫の名で日本画家として名声を高め、永瀬は山本鼎らが創立した日本創作版画協会に活動の場を移していく。 1922(大正11)年に永瀬は技法書「版画を作る人へ」を上梓。当時の美術書としては異例のベストセラーになり、棟方志功や谷中安規ら多くの版画家に影響を与えたほか、多様な分野の芸術家に斬新な発想の転換をもたらしたという。今展では旧版と新版を展示しており、旧版の方は木版刷りの口絵が殊に美しい。

国勢調査の世帯一覧表を紛失 つくば市の調査員

つくば市は20日、同市沼田地区を担当する国勢調査の調査員が、25世帯の個人情報が記載された調査世帯一覧表1枚を紛失したと発表した。 市によると一覧表には、世帯主の氏名と住所、家族の男女別の人数などが記載されていた。 市企画経営課によると、調査員は19日午後10時ごろ、自宅で、国勢調査の書類の確認をしたところ、調査世帯一覧表1枚が無くなっていることに気付いた。自宅などを探したが見つからなかった。 翌20日朝、前日に調査票を配布するため訪問した世帯や移動経路を探したが発見できなかったことから、同日午前9時30分ごろ、警察に遺失届を出した。 市は21日以降、一覧表に個人情報が記載されていた世帯に状況を説明し謝罪するとしている。 さらに再発防止策として全調査員と指導員に対し、調査書類や個人情報に細心の注意を払い、書類の管理徹底やマニュアル遵守について改めて注意喚起するとしている。

土浦一高~筑波大卒の若手落語家 リニューアルオープンの幕開け飾る

【相澤冬樹】土浦市制施行80周年記念・クラフトシビックホール土浦(※メモ)リニューアルオープン記念と銘打って、最初のステージとなる「立川流若手落語家二人会」が19日、同市東真鍋町の同ホールで開かれた。幕開けを飾ったのは、地元、県立土浦一高と筑波大学を卒業した立川志のぽん=本名・広瀬敦さん(43)。コロナ禍で「辛抱の時」を過ごしての帰郷公演は、チケット完売の拍手喝采で迎えられた。 3密対策し高座に 楽屋で取材に応じる立川志のぽん=同 「二人会」は市産業文化事業団と同市民会館自主文化事業運営委員会が主催するホール落語。会場の小ホールは座席数288だが、新型コロナウイルス感染防止のため、前方2列を空席とし、3列目以降も間を1席ずつ開けて120席定員でチケットを販売、早々に完売した。 出演は立川志らく門下の立川志ら玉(真打)、立川志の輔門下の志のぽん(二つ目)の2人。それぞれ「目黒のさんま」「谷風情相撲」(志ら玉)、「金明竹」「粗忽の釘」(志のぽん)の2席ずつを演じた。
おすすめ