月曜日, 1月 12, 2026
ホームコラム《沃野一望》15 藤田小四郎の5 天狗党豪雪の峠越え

《沃野一望》15 藤田小四郎の5 天狗党豪雪の峠越え

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

幕末の元治元年(1864)、藤田小四郎たち水戸藩改革派諸派連合の天狗党は、美濃国(現在の岐阜県)濃尾平野の北端、揖斐(いび)宿へ辿りついた。濃尾平野を横断すれば関ケ原。さらに進めば琵琶湖。湖岸を回りこめば、頼りとする一橋慶喜が政務する京へ、あとわずか。

天狗党は、これまでの行軍で遵守してきた規律にしたがい、行く手の通過予定領大垣藩へ使者をたてた。

「争いを起こす所存はありません。穏便に通してほしい」

対する大垣藩からの返答は、天狗党を震撼させた。

「水戸藩天狗党追討のために出陣された一橋慶喜様より、先陣を担うように命じられています。平野へ出陣されるとあれば、一戦を交えねばなりません」

京で天狗党の行動を監視していた慶喜は、「天狗接近」の報を得るや朝廷に、「天狗勢追討」の願書を自ら提出し、出陣の指揮をとっていた。天狗党にとっては驚愕至極。何という天変。頼りとしてきた慶喜様が追討の指揮とは…。これからいったいどう動けば…。どこを目指せば…。

混迷の軍議が繰り返された。たったひとつ確かな道理は、慶喜様の軍勢と戦端をひらくわけにはいかないという立脚点。とすれば、進むべき行く手は。

難行軍823名 慶喜に降伏

軍議を繰り返す中で天狗党は、尊攘を信奉し天狗党を側面から支援する地元医師棚橋衡平(たなはしこうへい)の勧めにしたがい、揖斐から北方の山岳地帯へ向かい、蠅帽子(はいぼうし)峠を越えて越前国(現在の福井県)への迂回路を選択した。慶喜と戦わずに京へ迫る。

季節は、厳冬へ向かう師走。名だたる豪雪地帯。地元民さえ通わない氷雪の峠越えへ天狗党は、かすかな活路をもとめた。深い峡谷沿いの崖をぬう狭い杣道が、鉛色に凍りついている。天狗党の隊員たちは、黙々と進んだ。

峠越えの途中で何人かの隊員が、前途に見切りをつけ脱走していった。また、凍った崖を踏み外し、谷底へ転落し絶命した隊員もいた。それでも天狗勢はついに、執念の鬼と化し亡霊のような雪まみれ姿で、蠅帽子峠を越えた。下った先は、越前大野藩領。

天狗来襲を聞きつけた大野藩は、行く先々の集落を焼き落とし、天狗党の行軍宿泊を側面から妨害した。それでも天狗党は、間道を抜け新保(しんぽ)宿へ入る。新保宿で天狗党は、間道前方の葉原(はばら)宿に、加賀藩軍が布陣していることを知る。

加賀藩兵は、琵琶湖岸へ出陣していた慶喜の命で動いていた。心情的に天狗党へ肩入れする加賀藩士永原甚七郎は、戦闘を避けるべく慶喜との仲介の労をとり、天狗党を説得する。

そしてついに藤田小四郎たち天狗党の一党は、慶喜に降伏状を提出し、加賀藩勢に捕らわれの身となる。ここまで難行軍をともにしてきた降伏者823名。筑波山挙兵以来9カ月目のこと。(作家)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

つくば、土浦で「二十歳のつどい」

12日の成人の日を前に、つくば、土浦両市で11日、「二十歳のつどい」がそれぞれ催され、20歳を迎えた若者たちの門出を祝った。 手荷物検査など今年も厳重警備 つくば つくば市の式典は同市竹園のつくばカピオで催された。出身中学校別に午前と午後の2部制で行われ、合わせて計1950人が出席した。 同市では2017年の成人式で逮捕者を出したのを契機に、翌18年から手荷物検査をはじめ多数の警備員や警察官が厳重警備を実施。会場近くの道路はバリケードを設置して通行止めにし、会場に隣接する大清水公園などを警備員や制服・私服警察官が巡回した。名前入りのぼり旗を掲げた10人前後の若者の一団が現れたが、市職員らの指示に従いのぼり旗を一時預かり所に預け、大きな混乱は見られなかった。 式典では、新成人代表の長谷川莉生さんが誓いの言葉を述べ「違いを受け入れ、互いの価値観を尊重しながら未来を描き築いていくこと、それが二十歳を迎えた私たちに求められる姿勢だと感じています」と話した。 五十嵐立青市長は、つくば育ちの宇宙飛行士、諏訪理さんが、宇宙飛行士の選抜試験に一度は落ちながらも苦難の末に夢を成就させたエピソードを語り「今日の日をきっかけに、皆さんが幸せな人生を歩み続けていくことを心から願っています」と式辞を述べた。 その後、出身中学校の恩師からのビデオメッセージが放映されると、参加者からは感嘆の声が上がった。 式典自体は約30分で終了、終了後は出身中学校ごとに係員が誘導して参加者を退場させた。参加した大学生の中崎遥香さんは「一つひとつの行動に責任を持っていきたい」と、20歳の抱負を述べた。 千葉ロッテ・木村投手がサプライズ 土浦 土浦市の式典は、同市東真鍋町のクラフトシビックホール土浦(市民会館)で開かれ、847人が出席した。 会場前の広場は、参加者らが滞留しないように入場規制が敷かれ、市職員や警察官らが酒類やのぼり旗の持ち込みを警戒した。時折のぼり旗を掲げた改造車が会場付近に数台現れたが、大きな混乱は見られなかった。 式典で安藤真理子市長は、新成人が中学・高校の頃はコロナ禍で、部活動や学校行事などが制限された件に触れ「これまでの難局を乗り越えてきた皆さんは、すでに壁を打ち破る力をもっているはず」「どうか自分の力と可能性を信じて、未来を築き上げていってください」とエールを送った。 出身中学校恩師からのビデオメッセージの後、同市出身で千葉ロッテマリーンズの木村優人投手から「20歳になり、自分も含め自覚と責任を持ち、子どもたちの模範となり、夢を与えられるように共に頑張っていきましょう」とのビデオメッセージがサプライズとして流された。その直後、場内にいる木村投手が紹介されると、場内から歓声が上がった。 代表謝辞で長田舜さんは、コロナ禍での辛い学校生活に触れ「困難な状況だからこそ、支えてくれる人がいることの大切さやありがたさに気づかせてくれました」と感謝の意を示し「今度は私たちがここ、土浦で受けた愛情をこれからの世代へ伝えていく事を約束します」と誓いの言葉を述べた。 参加した、両親がスリランカ出身で同市生まれの大学生、サケンタ・ペレラさんは「将来は科学の分野の仕事を目指している」と語った。専門学校に通う知久心愛さんは「将来は美容師になっていっぱい稼ぎたい」などと抱負を述べた。(崎山勝功)

「ロビンソン酒場漂流記」で考える学校の魅力《竹林亭日乗》36

【コラム・片岡英明】茨城県教育委員会は2025年7月、高校審議会に対し、中学卒業者数減が大きな課題として、27年以降の「人口減少をはじめとする様々な社会変化に対応した活力と魅力のある学校・学科の在り方について」を諮問した。この内容は18年の高校審と同じで、県が生徒減に伴う県立高の魅力を継続的なテーマにしていることが分かる。今回、私もこの課題を耕してみたい。 この諮問に対する答申案は25年12月の総会で了承されたが、残念ながら、構えは広いが議論が狭く、つくばエリアなど生徒が増えているエリアには目が向けられていない。答申では「活力と魅力ある学校・学科」という大項目に全16ページの3分の2が充てられ、それを3項目構成で記述している。 1項目「高等学校の適正配置・適正規模」、2項目「魅力ある学校・学科の在り方」は前回と同じ構成だったが、前回は「その他」だった3番目を「選ばれる県立高校であるための魅力訴求」とし、「県立高の広報充実と校名・学科名変更の検討」を提案した。 実際の高校受験はどうなのか? 県全体では定員と受験者数はほぼ見合う中、通学上の問題もあり、受験者の偏在と地元からの入学減によってかなりの高校で定員割れが起きている。これに対し、2つの対策で十分だろうか? 確かに、広報や校名の視点も必要だが、その前に大切な点があると思う。 「高校の魅力」を知らせる前に ルポ「ロビンソン酒場漂流記」(加藤ジャンプ著、新潮新書、2025年7月刊)で著者は、駅からも繁華街からも遠く、おおよそ商売向きとは思えない場所で、料理のうまさと大将のもてなしでしたたかに生き延びる酒場をロビンソン酒場と称し、訪ねている。この本を読みながら、県立高定員割れ解決のヒントになると感じた。 そこで、料理(教育)と大将(教師)のよさが光るロビンソン酒場を参考に、定員割れ高校が「ロビンソン高」になる魅力について考える。 では、魅力を広報する前に高校が行うべきことは何だろう。まず、自分たちの学校のよさを確認することだ。受験者減を地元の受験生の「もっと私たちが行きたい学校にして!」の声と捉え、そして各高校に「魅力ある〇〇高校委員会」を作り、皆が知恵を出し合い、学校のビジョンを明確にする。 そのビジョンを地域と共に生きる学校として発信する。具体的には、「学び・青春・進路」での充実した教育、教職員の個性豊かな指導をアピールする。ビジョンを定め、生徒と教師の手作りの学校説明会を行うと、ビジョンに共感する生徒が必ず入学する。そして、これらの生徒を大切にしてロビンソン高校をめざす。 地元生徒も入学するプラチナ高 入学した「こだわり派」の生徒・保護者は、必ず地域で自分の学校のよさを宣伝する。この最初のヒットが次の波を起こし、学校・教師の自信が深まる。魅力が地元に広がるにつれ、学校のイメージが改善、高校の魅力を求め入学する生徒が増える。すると、こだわり派を集めることから始めた遠くにあるロビンソン高校は、地元の生徒も多く入学する近くのプラチナ高校になる。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表) ➡県高校審議会の過去記事はこちら(2025年8月27日付、12月21日付、12月25日付)

心に刻み付けたい言葉 2冊の本《ハチドリ暮らし》57

【コラム・山口京子】2026年の新年にあたって、心に刻み付けたい言葉に出会いました。「原発事故と農の復興」(小出裕章著、コモンズ、2013年)に出てくる言葉です。いま私たちに求められているのは、「エネルギーが足りないからエネルギーを供給する」ことではなく、「エネルギーを大量に必要としない社会を創る」ことだと。 エネルギー浪費型の工業社会から脱却し環境に見合った新しい形態の社会を創り出すこと、必要なのは農業の構造改革ではなく農業を疲弊させてきた工業優先の浪費社会を転換すること、自らの地で農産物を供給するような社会構造を生み出すこと―だと。 今日の世界には気の遠くなるような課題が山積みされており、私たち一人ひとりは、どんなに頑張ったところで、課題のごく一部分に自らを関わらせることができるに過ぎない。私たちに求められているのは、自らが真に求めている目標が何であり、自らが関わりきれない無数の運動とどのように連帯できるかを、常に問い直しながら運動を進めることである、と。 今後、放射能汚染から身を守るためには、汚染源そのものを廃絶させる以外に道はない。真に、放射能汚染から身を守る運動ができるならば、それは、農薬漬けの農業から脱却する道、食料を輸入に頼る社会から脱却する道だ、と。 食卓から地球を変える 小出さんがやりたいことは二つ。まず、原子力を選んだことに責任がなく、放射線感受性の高い子どもたちの被曝を減らすこと。そして、これまで破壊し続けてきた一次産業の崩壊を食い止めること。 この本には、有機農業を実践されている方々の声が多く掲載されています。食べることは生きることの基本、有限な地球で無限の欲望が成就されることはない、どのような未来を築きたいのかを構想することが必要―といった声です。 別の本「食卓から地球を変える あなたと未来をつなぐフードシステム」(ジェシカ・ファンゾ著、日本評論社、2022年)では、食卓がどう世界とつながっているか、世界のフードシステムがどうなっているのか―を「見える化」しています。暮らしの中に潜む深く重たい課題に気づかされます。(消費生活アドバイザー)

北条芸者ロマンの唄が聞こえる《映画探偵団》96

【コラム・冠木新市】今、1月25日に開催する詩劇コンサート「新春つくこい祭/北条芸者ロマンの唄が聞こえる」を準備中だ。これは2012年秋に上演した詩劇「北条芸者ロマン/筑波節を歌う女」を14年ぶりに再演するものである。 前回の講演と詩劇では、1930(昭和5)年に童謡詩人 野口雨情が筑波町から依頼されて作詞した「筑波小唄」が、完成40日後に二分されて「筑波節」が生まれた謎の解明を試みた(映画探偵団22)。今回、「筑波節」誕生95周年記念詩劇に取り組むうち、新たな謎に気付かされた。 「筑波小唄」を初披露したのは筑波芸者だったのに、SPレコードに吹き込んだのは東京のうぐいす芸者・藤本二三吉、「筑波節」を吹き込んだのは北条芸妓連だったことだ。 なぜ筑波芸者は吹き込みから外されたのか? なぜ北条芸妓連が選ばれたのか? 改めて気になった。資料は何も残されていない。このことには14年前に気付いてはいたが、それよりも当時は雨情が一つの詞を二つに分けたことの方に関心が向いてしまい、筑波芸者の存在をそれほど気にかけなかった。 淡島千景vs.山本富士子 泉鏡花 原作「日本橋」が1956年、大映で市川崑監督により映画化された。日本橋芸者・稲葉家のお孝(淡島千景)が医学士 葛木晋三(品川隆二)をめぐって、滝の家の清葉(山本富士子)と張り合う話だ。昔、名画座の赤茶けた画面で見たのだが、淡島千景の粋な芸者ぶりと山本富士子のさっぱりした姿にほれぼれし、以後、私の芸者映画の基準になった。 美人芸者同士の恋のさや当ては、見ていてスリリングであり、この作品を超える芸者映画にはなかなかぶつからない。後にきれいな画面のDVDを見て、2女優の美しさに酔いしれた。 「日本橋」を思い出したとき、レコード録音をめぐり、雨情を挟んで筑波芸者と北条芸者が争ったのではないかと想像した。すると、一つの詞を二つに分けたことよりも、芸者さんにとって、吹き込みの件は重大な出来事だったと思える。雨情は、そのことをどう考えていたのだろうか? 北条芸者に録音を取られた筑波芸者は何を感じたのか? 今回はそのあたりに少し踏み込んでみた。 土浦音頭と筑波節、どっちが先? これに関連して、もう一つの謎が浮かび上がってきた。それは1930(昭和5)年か33(昭和8)年に土浦で作られた横瀬夜雨 作詞、弘田竜太郎 作曲の「土浦音頭」である。こちらは、水郷芸者の君香がSPレコードに吹き込んだ(映画探偵団25)。 こちらも資料がないため想像するしかないのだが、もし昭和5年に制作されたならば、「筑波節」と同時期ということになる。では、どちらが先だったのか? 「筑波節」の動きに刺激され、「土浦音頭」が作られたのか? 先に「土浦音頭」が作られ、その後「筑波節」が企画されたのか? はっきりしているのは、筑波も土浦もこの唄を大切にしてこなかった事実だ。その証明として両方とも歌碑がない。雨情の場合、いくつも歌碑が残されている。雨情のふるさと磯原には、「磯原小唄」は三つ、「磯原節」は一つある。また、夜雨の歌碑も筑波山にはある。たかが歌碑と言ってしまえばそれまでだが、文化に対する民度を物語っているのではなかろうか。 今回のイベントでは、第1部は大川晴加さんらの「筑波節」録音をめぐる詩劇、第2部は筑波の唄を集めた小野田浩二さんのコンサート(中でも「筑波馬子唄」は幻の唄に近い)となっている。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)