火曜日, 11月 25, 2025
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狩りガール押し立てイノシシ狩猟 県がコンテストと体験ツアー

【相澤冬樹】茨城県がイノシシ狩猟コンテストを行っている。亥年(いどし)の今季が初開催。元年度の「狩猟者登録」を行ったものが参加でき、新年2月15日まで県内で捕獲したイノシシ限定で体長の大きさを競う。

県民以外でも参加できるが、茨城県で狩猟者登録を行い、県内で捕獲した体長(尾の付け根から鼻の先までの長さ)100センチ以上のイノシシが対象になる。捕獲方法はわな猟、銃猟になるが、国の補助金が出ている有害鳥獣捕獲許可と指定管理鳥獣捕獲等事業で捕獲したイノシシは対象外となる。

参加者は捕獲したイノシシを横たわらせ、メジャーで採寸する写真を撮って応募する。コンテストは、体長に後ろ足長を加算したポイントを基準に審査し、上位入賞者を決める。第1位は最優秀狩人賞として10万円相当の副賞が贈られるのをはじめ、5位までを表彰。女性参加者の第1位には狩りガール賞(副賞5万円相当)、応募数が最も多かった者には特別賞として県猟友会長賞(副賞5万円相当)が出る。

県によれば、県内のイノシシによる農作物被害は17年度に約1億5000万円で、前年から約3割増加し、獣類全体の8割以上、鳥獣全体の約3割を占めた。さらに最近は市街地にまで出没し、通学や日常生活の安全安心の観点から看過できない状況になっている。

対策の強化が求められる一方で、捕獲の担い手となる狩猟者は20年前に比べてほぼ半減した。狩猟免許所持者の約7割が60歳以上と高齢化も進んでいるなど、全県的に担い手の確保が大きな課題となっている。

このためコンテストは、狩猟の意義や役割を広く発信し、理解を深めてもらうとともに、少しでも多くの人に捕獲の担い手になってもらう機会と位置づけ実施する。この際「大型獣を駆除するほど個体数の減少に効果があるという研究結果もある」(県自然環境課)ことから100センチ以上を対象にした。現在わな猟、銃猟合わせ延べ4000人近くが参加資格を持つという。

イノシシ解体に立ち合う体験ツアー参加者=同

定員超えの狩猟ツーリズム

コンテストは県の主催、県猟友会の協力で行われるが、応募や問い合わせの窓口は旅行代理店が担っているのが異色だ。同店では今季の猟期中、2回に分けて「狩りガールと行く狩猟体験ツアー」(主催は県)を企画・催行しており、第1回の「わなプラン」は今月7、8の両日、城里町で行った。

箱わなの架設見学やイノシシの解体体験に29人が参加、土浦市から3人、つくば市から1人の参加もあった。全体で20代、30代からそれぞれ2ケタの参加者があり、底辺拡大の目的は一部果たした。来年2月8、9日には第2回「銃プラン」の開催が予定されており、こちらは1月17日の締め切りを前に募集定員超え、抽選が必至となっている。

問い合わせはJTB水戸支店(電話029-225-5233)

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つくば市で21日、公道を使った自動運転バスの走行テストを行う実証実験が始まった。ルートは、つくば駅から筑波大学構内を循環する約10キロの既存のバス路線で、所要時間は約40分。一般の乗客を乗せて1日4便の運行を来年1月23日まで続ける予定だ。同市は2027年度に、運転手不在の状態で、特定の条件下で完全な自動運転が可能となる「レベル4」の実現を目指している。 この実験は、昨年と今年1月に続いて3回目となる。今回はこれまでと同様、状況に応じて運転手が操作を行う「レベル2」での実施となる。 今回は、国の補助金を活用して関東鉄道が自動運転バス車両を新たに購入し、同社のバス路線「筑波大学循環」内のすべてのバス停に停車するなど、新たな取り組みも加わった。また、今年8月にはつくば市を代表として、筑波大学、関東鉄道、KDDIが「つくば自動運転社会実装推進事業コンソーシアム」を設立。民間5社の協力も得て実施されている。 今回使用されている車両は、名古屋市のベンチャー企業ティアフォーによる自動運転EVバス「ミニバス 2.0」。最高時速は70キロ、定員は28人だが、自動運転時は時速35キロ、定員16人で走行する。走行時には8台のカメラと13台のレーザーセンサーが周囲の状況を分析し、事前に設定した走行ルートに従って自動安全システムが交差点やカーブでの停止・発進、加減速などを行う。緊急時には乗車する運転士が手動運転で対応する。この日は通信トラブルが発生し、バス停での停車・発車時などで手動操作に切り替え運行した。 つくば市科学技術戦略課の中島央樹さんは、今回の実証実験について「国は、全国で自動運転サービスの実装を2025年度に50カ所、27年度に100カ所以上とする目標を掲げている。つくば市もこれに合わせ、27年10月に完全に運転手がいないレベル4の実装を目指している」とし、「昨年は6カ所のバス停のみ停車したが、今回は、路線バスと同じ動きをすることを目指し、29カ所すべてに停まるようにした。以前はつくばセンターのロータリー外側から発車していたものを、内側からの出発に変更した」と説明し、「つくば市に限らず、中心部と周辺地域の移動格差が課題となっている。つくばは車が主な移動手段で、交通渋滞や事故が問題になっているほか、交通事業者では運転手不足による減便などの課題もある。自動運転バスの運行を通じて公共交通を地域に根付かせ、こうした課題の解決につなげていきたい」と目標を語った。 同市は今年度当初予算で、国の国庫支出金を財源に、自動運転バスの購入費、自動運転地図作製費、レベル4通信費など約1億3400万円と、自動運転バス年間維持費約1370万円の計1億4770万円を計上した。今年度は実証実験とレベル4許認可申請、26年度は実証実験、27年は定常運行を目指している。(柴田大輔) https://youtu.be/FfSoeYhtxLI ◆乗車料金は無料。QRコードで希望の時間を事前予約する。事前予約がない場合は先着順となり、定員に達した場合は乗車できないことがある。詳しくはつくば市ホームページへ。