火曜日, 1月 13, 2026
ホームスポーツ【茨城国体】高校軟式野球 茗渓は初戦で惜敗

【茨城国体】高校軟式野球 茗渓は初戦で惜敗

【池田充雄】第74回国民体育大会「いきいき茨城ゆめ国体」の特別競技、高等学校野球(軟式)競技会が29日から土浦市のJ:COMスタジアム土浦で開幕。2日目の30日は、第2試合に本県代表の茗渓学園が登場し、兵庫代表の神戸村野工と対戦するも1-2で敗れた。スクイズで2点を先行され、9回表の好機にタイムリーで1点を返すが、あと1本が出なかった。

▽田中-古澤(村野工) 井隼-槌本(茗渓)

今大会の出場校は10校。8月の全国選手権ベスト8が中心だ。茗渓の対戦相手の神戸村野工もその一つ。「相手は全国で勝ち進んだチーム、自分たちは挑戦者。緊張したが格上の相手にしっかり腕を振ることを意識した」とエースの井隼張斗(2年)。試合は両投手の投げ合いとなったが、村野工は初回裏、ワンヒットで1死三塁からスクイズを決めて1点を先制。5回裏にも同様の状況からまたもスクイズで追加点。井隼は「狙ったプレーをしっかりと決めてくるあたり、さすがに強いチームだと感じた」と印象を受けた。

茗渓が好機を作ったのは9回表。先頭の稲田遥人(1年)が死球で出塁すると、太田尚吾(1年)の左前打で無死一、二塁。これに続いたのが5番の槌本憲祐(2年)。2ストライクから真ん中やや高めの直球をレフト前へ運んだ。「甘い球を2球見逃していたが、三振を恐れずストレートを狙って振っていった。詰まったかと思ったが打球のコースが良く、三遊間を抜けてくれた」という1打で1点を返し、チームは息を吹き返す。

次打者の井隼にはバントのサイン。だが2球続けてファールで追い込まれ、内角球を見逃して三振。「前がつないでくれてベンチも声が出ていた。しっかりバントを決めようと思ったが決められず、いい場面で流れを切ってしまった」と悔やむ。後続2人も倒れてゲームセット。

重光智章監督は「最後に追い付くチャンスだったが点を取りきれなかった。投手は一生懸命投げていたが、エラーや拙攻で好機をつぶしてしまった」と敗因を語る。それでも1・2年中心の若いチームが、全国レベルの強さを肌で感じる貴重な機会になった。井隼は「自分たちがミスしたところを相手は確実に決め、それが勝敗に直結した」と、槌本は「強豪を相手にいい試合ができた。この経験を次に生かしたい」と、それぞれ課題と気概を語った。

6回表、酒詰は二盗を狙うが捕手の好送球で刺殺される

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招待状に「特別支援学校」初めて記載 つくば市 二十歳の集い

これまでは「市外の中学校など」 11日つくば市竹園、つくばカピオで開かれた同市主催の「二十歳の集い」で、参加対象の新成人にあらかじめ送付される招待状(入場券付き案内状)の出身中学校に今年初めて、「つくば特別支援学校」の学校名が記載された。市内にある市立や県立、私立の18中学校と並んで記載された。市によると、これまで同支援学校出身者は、対象者を限定しない「市外の中学校など」に含まれていたという。今年から学校名を明記した理由について市は、「『特別支援学校の卒業生が参加していいのか分からない』という市民の声に応えた」と説明している。 同市の式典は、出身中学校別に午前と午後に分かれて開催される。つくば特別支援学校の学校名は市のホームページなどにも、午前の部に他の中学校の学校名と並んで記載された。 会場では例年同様、身障者など専用駐車場の設置や筆談対応、車いすの貸し出し、事前連絡を条件とした介助者の式典同行を認めるなどの合理的配慮を実施した。 「ちゃんと存在している」 式典に参加した、つくば特別支援学校卒業生の梅山樂さん(19)の母、恵子さんは、「出身校として学校名が記載されたことで、『ちゃんと存在している』とみんなに認められた気持ちになり、うれしい気持ちになった。子どものころに交流してきた地元中学の同級生が声を掛けてくれ、覚えていてくれたのがとてもうれしかったし、お互いに立派になっていたことにも感動した。これから先、子どもが親から離れて、自分で何かを選び、希望していけるといいと思っている」と話した。 同じく式典に参加した五十嵐心音さん(19)の母親で、会場に付き添った純子さんは「体調を崩した時期もあった中で二十歳を迎えることができ、親としてもひと段落という思いがある。感慨深い」と語った。 根本侑弥さん(19)の父親、隆行さんは「あっという間の20年。何度も入退院を繰り返してきた。よく元気でこの日を迎えてくれた」と笑顔を見せた。母親の希美子さんは、出身校として「つくば特別支援学校」が記載されたことについて「車いすでも式典に参加しやすくなった。自分が通っていた学校名が記載されていなかったとしたら、行きにくさを感じる人もいたかもしれない」とした上で、「市主催の式典に出れられることで、地域の中に障害のある子どもがいるんだと知ってもらえると思うし、子どもの頃に交流していたことを思い出してくれるかもしれない。とても意義あることだと思う」と話した。 五十嵐立青市長は「特別支援学校の卒業生も大切な同じ仲間であり、市民の一人。皆さんと一緒にお祝いできることが大切。前に進んでいくきっかけの日にしたい」とコメントした。 つくば特別支援学校では毎年、市主催の成人式とは別に、卒業生を対象とした「成人を祝う会」を開いている。今年は1月17日に同校で開催し、16人の卒業生が参加する予定だ。(柴田大輔)

映画「倭文-旅するカジの木」を見て《邑から日本を見る》190

【コラム・先﨑千尋】先月7日、東京都練馬区の大東文化会館で国際シンポジウム「旅するカジの木、旅する神々-静御前と倭文(しづり)」が開かれ、その中で北村皆雄監督の映画「倭文-旅するカジの木」が上映され、北村監督の講演などがあり、筑紫舞、大和高田の白拍子舞などが披露された。 倭文ないしは倭文織は古代の織物の名称で、常陸国風土記や万葉集、日本書紀、延喜式などの古典に登場するが、現物が発見されていないので、“幻の織物”と言われている。その素材はコウゾやカジの木などの自然繊維で、神事に使う幣(ぬさ)、手纏(まとい)、鞍(くら)などに使われていたようだ。 私は那珂市静に鎮座している常陸二の宮静神社のすぐ近くに住んでいることもあって、かなり前からその織物に関心を持って、史料も集めてきた。常陸国風土記には「まだ織物がなかった時代に倭文部(しどりべ)という織物の技能集団が静周辺に来住し、倭文を織った」とある。静神社の主祭神は、織物の神様・建葉槌命(たけはつちのみこと)だ。 「衣食住」という言葉 北村監督は映画上映の前に「衣食住という言葉があるが、衣が最初で、食、住と続く。それはなぜなのか。人が生まれてきて最初に産着(うぶぎ)を着ける。布は第二の皮膚と言われ、人間しか着けない大事なものだ。倭文という謎の織物を手掛かりに、衣の持つ呪術性を探ってみたいと考えて映画を製作した。何もないものを作るのは大変なことで、5年もかかった」と話した。 映画は最初に、日本の原始布が残る徳島県旧木頭村を訪ねるところから始まる。ここではカジの木やコウゾで織る太布(たふ)が現在でも織られている。次に、糸を使わない布、タパが登場する。カジの木の樹皮をたたいて伸ばす。撮影隊は、タパを作っているパプアニューギニアに向かい、人類最古に当たる植物繊維の衣服が今でも作られている有り様を伝える。 カジの木の原産地は中国南部から台湾。そこから4000年にわたってフィリピン、インドネシア、オセアニア、日本などに伝わったという。北村さんらは正確を期するために各地でDNA鑑定を行っている。茨城県内にはコウゾはあるが、カジの木はほとんど見かけない。コウゾはカジの木とヒメコウゾの交配から生まれたものだ。 この映画を作るために、国内の4人の織物作家(山口源兵衛、石川文江、西川はるえ、妹尾直子)が帯や幡(はた)、紙布を作る。その苦労する過程が克明に映し出される。 映画の最後は、日立市の大甕倭文(おおみかしず)神社にある宿魂石上(しゅっこんせきじょう)で、神話に出てくる倭文神「建葉槌命(たけはづちのみこと)」(大和朝廷側)がまつろわぬ星の神「香香背男(かがせお)」を、倭文織を使った呪術的な力で圧倒する場面。この場面だけがフィクションである。 冒頭に戻る。今回のシンポジウムのタイトルに「静御前と倭文」とある。静御前が鎌倉鶴岡八幡宮で歌ったという「しずやしず 倭文の環(おだまき) くりかえし 昔を今になすよしもがな」から採ったと思われるが、静御前と倭文の関係について、今後の研究に期待したい。(元瓜連町長)