火曜日, 4月 22, 2025
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紛争地イエメンで国境なき医師団活動 筑波メディカルセンター病院に戻り報告会

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病院の職員向けに開かれた活動報告会=28日、筑波メディカルセンターTMCホール

NGO組織、国境なき医師団(MSF)の一員として、アラビア半島の紛争地イエメンで3カ月間にわたり医療活動をしてきた医師が、勤務先の筑波メディカルセンター病院(つくば市天久保、河野元嗣院長)に戻って28日、職員向けに体験談を語った。同病院救急診療科の新垣かおる医師(42)。日中の診察時間の終わった午後6時過ぎから約1時間、医師や看護師、病院スタッフら約50人を前に、活動報告会で話した。

「手を洗おうキャンペーン」から

イエメンはアラビア半島の南端にあるアラブの貧困国。イスラム教シーア派の武装組織「フーシ」と、スンニ派が主導するサウジアラビア中心の「アラブ連合軍」の対立による紛争が10年近く続いている。新垣医師は4月から7月の3カ月間、フーシ派の支配域であるサナア近傍の2カ所の医療施設で、手術麻酔、手術室スタッフの教育・監督の業務、病棟や集中治療室などで重症患者治療などに従事した。

過去2度の空爆のあった地域で、「外国人はまずスパイとして見られるから移動が大幅に制限される。病院への出入りでも、現地スタッフの指示で周囲を確かめてから駆け込む」ほどの切迫した状況だった。そんななか病院は、待合室や病床がほぼ半屋外に置かれている。日中の最高気温45℃、コレラが流行するなど衛生的とはいえない劣悪な環境に加え、手で食事をとる状態だから「みんなで手を洗おうキャンペーン」から始めたという。

唯一エアコンが利いているのが手術室。現地のスタッフと協力して麻酔を行った。主に手掛けたのは産科での手術で、帝王切開は約80例に及んだ。「女性たちは現地の風習で手先にいれずみをしているから点滴がとれないこともあり慣れるまで大変だった」。日本では珍しい鎖状赤血球症(異常ヘモグロビン症)の妊婦にも遭遇したそうだ。

会場からの質問に答える新垣医師。講演後、マスクを外してもらった

「輸血製剤には、大きく赤血球液製剤、新鮮凍結血漿(けっしょう)、濃厚血小板の3種あるのはご存じでしょうが、イエメンでは新鮮な全血と新鮮でない全血の2種類があるだけ。全血は採血して3つに分ける前の血液で、日本でも昔の病院では使われてた。新鮮な全血にはこれら3つ全部が入っているという理解で、血を止める目的などに使いました」

麻酔科医師として「ダメージコントロール」の経験は積んだつもりだが、麻酔できない症状に出くわしては「まず死なせない」ことを肝に銘じ治療戦略を立てたという。

次は「南極越冬隊員」

3カ月間の勤務で支えになったのは「帰る場所がある」という安心感。同病院は在勤2年目の新垣医師を長期研修の名目で快く送り出してくれ、帰国後の復職もあらかじめ認めてくれていた。「現地の同僚からもうらやましがられた。ありがたいこと」と新垣医師。

活動報告を聞いた筑波メディカルセンターの志真泰夫代表理事は「この経験は財産になる。病院にとってもこういう経験を積んだ若い医師が増えてくれればいいなと思う」と語る。

新垣医師は沖縄県の出身。もともとは医療スタッフとして南極越冬隊に参加したい意欲をもっており、こうしたミッションに協力的な医療機関を探して同病院に就職した経緯がある。「経験を積まなければならないことはもっと沢山ある。そのうえでチャンスがあれば、改めて南極をめざしたい」職場に戻った日々、救急医療の最前線で運ばれてくる患者の対応に当たっている。(相澤冬樹)

医学工学融合の実証研究施設 筑波大附属病院にリニューアルオープン

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実証研究スタジオでの立ち車いす「Qolo」のデモンストレーション=筑波大学附属病院

筑波大学附属病院(つくば市天久保、平松祐司院長)に医学工学融合の実証研究施設、未来医工融合研究センター(CIME、野口裕史センター長)がリニューアルオープンし、27日に記念の講演会「異分野融合・産学連携のハブを目指して」が開かれた。

同センターは、病棟内の患者の協力を得て、リハビリテーションなどで医師や作業療法士ら医療者らと、医療機器の実証研究や生体情報の収集・解析ができる施設。今夏、病棟の免震改修工事が完了したことから、一層の拡充を図って、入院棟であるB棟11階、見晴らしのいい最上階の広いフロアに陣取って業務を開始した。

元は2014年、病院の基礎研究の成果を臨床研究・実用化へ効率的に橋渡しするため、大学のつくば臨床医学研究開発機構(T-CReDO、荒川義弘機構長)の橋渡し研究推進センター(町野毅センター長)内に開設。ロボットスーツ「HAL(ハル)」や立ち車いす「Qolo(コロ)」などの社会実装に成果を上げてきた。

今回、実証研究スペースとして175平方メートルの実証研究スタジオや、レンタル可能な7部屋などのラボ施設が整備された。さらに、起業支援に実績のある医工連携の専門教員の執務室も併設され、伴走支援などのインキュベーション機能を拡充させた。

センター内では産業技術総合研究所や自動車業界によるコンソーシアムとの共同研究も展開中だ。ドライビングシュミレーターに各種センサーを組み込んだ研究室で、患者から疾患関連予兆シグナルの収集を行っており、特許出願が準備されるなど成果を上げつつある。

ドライビングシュミレーターに試乗する見学者

野口センター長は「これまではスペース的な制約もあってアカデミア内の交流にとどまりがちだったが、特に産業界へ向けた発信を強化したい。革新的な医薬品・医療機器・再生医療製品などの実用化を目指していきたい」とした。

講演会では国光あやの衆議院議員(医療機器議員連盟事務局長)が医療機器研究開発へテコ入れを拡大する国の政策を紹介、筑波大学の鈴木健嗣教授(システム情報系長)が医療と工学系研究との連携強化によるイノベーション創出をアピールした。

同大附属病院は1976年完成。病院のほぼ中心部に位置するB棟は主に入院病棟として利用されてきたが、耐震性確保や老朽化した設備の改善が必要となり、2020年から既存の建物を残しながら耐震化する大規模改修に取り組んでいた。 (相澤冬樹)

開き直った戦い方が良い方につながった 霞ケ浦 高橋監督に聞く

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甲子園に出場した霞ケ浦高校の野球部員ら。右から3人目が高橋監督=宿泊先のホテルにて

甲子園初勝利つかみ、秋の大会へ

霞ケ浦高校は7月に行われた第106回全国高校野球選手権茨城大会を5年ぶりに制し、甲子園では2回戦(初戦)で名門の智弁和歌山と対戦。延長11回タイブレークにもつれ込むも、エース市村才樹(2年)と眞仲唯歩の継投でしのぎ5対4で甲子園初勝利をつかんだ。続く3回戦では滋賀学園に2対6で敗れた。息つく暇もなくその4日後に秋季大会1次予選を迎え初戦敗退となった。激動の日々を経験した霞ケ浦の髙橋祐二監督に、夏の大会や甲子園初勝利の感想、秋の戦い方について語ってもらった。

苦しい初戦をものにできて選手がまとまった

―改めまして、第106回茨城大会の優勝と夏の甲子園で学校として初めての1勝おめでとうございます。まず、茨城大会について振り返っていただきたいと思います。大会前のインタビューで、今年はチームの中心選手が不在で選手の一体感がないとおっしゃっていました(7月9日掲載)。大会初戦(2回戦)は太田一に2対2から9回サヨナラ勝利と苦しい試合戦だった訳ですが、優勝に至るまでチームはどのような変遷をたどったのでしょうか。

高橋 全く打てなくて本当に苦しい初戦になりました。負けてもおかしくなかったと思います。ですが、苦しい試合をものにできて、バラバラだった選手たちが少しずつまとまり、どん底の状態から偶然に最高の状態に持っていけました。こういうふうに勝ち上がる展開を計算してできる監督だったらまさしく名将と言えますが、完全に偶然の産物です。今年のチームは本当に力がなかったので、「いつ負けてもいいや」くらいに開き直ったところがありました。

―大会前のインタビューでも「勝ちたい勝ちたいと思わない方が、欲がない方が意外と勝てるのかもしれない」とおっしゃっていました。

高橋 この夏はいろいろな方面から「ちょっと以前とは采配が変わりましたね」と言われることがありましたが、私は別段何かこう変えようと意識していた訳ではありません。開き直った戦い方が結果的に良い方につながったのだと思います。

市村がよくしのいでくれた

8月8日に誕生日を迎えた髙橋監督(左)。生徒たちからお孫さんのユニフォームをプレゼントされたそう

―準々決勝では秋に負けた鹿島学園に、決勝では春に負けたつくば秀英に勝利しました。何か特別な対策はあったのですか。

高橋 2チームとも秋と春に対戦していたので勝つイメージはつかめていました。組み合わせが決まった時に最大の山場になるのが準々決勝の鹿島学園戦だろうと見ていました。鹿島学園は春にも関東大会に出場して非常に勢いがあった。内容的に楽に勝てた訳ではないですが、市村才樹(2年)がよくしのいでくれました。

準備したものを羽成がやってのけた

―決勝のつくば秀英戦では、羽成朔太郎選手がライト前ヒットで一気に二塁を落とし入れる走塁が光りました。あのプレーで試合が動いて霞ケ浦ペースに傾いたように思います。

高橋 チームでは大高先生を中心に相手を分析しており、投手の癖や球種、打者の傾向や守備の隙など、ある程度のデータを蓄積しチームで共有しています。あのプレーはまさにチームで事前に打ち合わせて準備したものでした。しかし、あれを羽成がやってのけたのは私も驚きました。チームを勢いづける素晴らしい走塁でした。

―羽成選手に関しては、雲井選手と共に1年生から出場している中心選手なのに、チームを引っ張れていないと大会前に話されていましたが、その後の評価はどうですか。

高橋 羽成と雲井の二人に関しては期待値に見合った行動をしてこなくて、夏前には私がかなり追い込んでました。初戦から4回戦までは精神的にかなり負担の方が大きかったと思います。その後、準々決勝からは何だかプレッシャーから解き放たれたように輝き出して顔付きが変わり、チームを引っ張る活躍を見せてくれました。彼らの精神的な成長は本当にうれしかったですし、よくぞ期待に応えてくれたと思います。

壮行会で決意表明する高橋監督

込み上げる感情抑えた

―その後の甲子園では、全国優勝経験もある強豪の智弁和歌山に対して延長11回タイブレークの末に5対4で勝利し、遂に校歌を歌うことができました。校歌を聞いた時はどのようなお気持ちでしたか。

高橋 3度目の甲子園にしてようやく勝利してホッとしたのが本音です。強豪の智弁和歌山を相手に何でうちが勝ったんだろうという不思議な感覚と、甲子園初勝利の感動で戸惑っているうちに校歌が流れてきました。途中でやばい、泣きそうだというタイミングがあったのですが、戸惑いの方が強くて込み上げる感情を抑えることができました。

連絡が1000件

―ここまで茨城大会の決勝でたくさん壁にぶつかり、甲子園でも2度の初戦の壁に跳ね返されてきました。OBや関係者からの祝福の連絡が相当あったのではないですか。

高橋 茨城大会優勝時に500件ほど祝福の連絡をいただきましたが、智弁和歌山に勝った時は1000件ほどの連絡を頂戴しました。ものすごい熱量で桁が違いますね。みなさんに同じ文面で通り一遍に返すのも違うと思ったし、次の対戦の準備をしなくてはならない。申し訳ないですが返事が書けていません。この場をお借りして祝福してくださった方にはお礼を申し上げたいです。

―引退した3年生に一言お願いします。

高橋 この夏にみんな力を合わせて頑張ってこういう結果で終われて本当に良かった。この経験を将来の人生の糧にしてもらいたいです。

厳しい日程

―3回戦の滋賀学園には惜しくも2対6で敗れ、翌8月17日に帰茨しました。その4日後の8月21日に3年生引退後の新チームによる秋季県南地区大会1次予選を迎えました。結果としては、江戸川学園に0対2で初戦敗退して、敗者復活戦に当たる2次予選に回ることとなり、秋の県大会のシード権を獲得することは出来なくなりました。この状況について所感をお聞かせください。

高橋 甲子園出場校にとっては厳しい日程です。昨年からこのような日程に変更され、土浦日大は甲子園準決勝の翌日に秋の1次予選を戦いましたが、日程は今年、見直されませんでした。茨城に残った選手たちは直井先生が指導してくれていましたが、私が直接見ることが出来ません。また、甲子園で2試合やったので、応援部隊は0泊3日を2回です。当然その間は練習できないし、疲労ばかり蓄積される。甲子園組も16日間ホテル生活で明らかに体のキレがおかしくなっていました。

新チームによる秋季県南地区大会1次予選は初戦敗退となった

―土浦日大の小菅監督にお話しを伺った時も、日程にもっと配慮して欲しいとおっしゃっていました。

高橋 秋の大会ってその1年間を左右する大事な大会なので、新チームの立ち上げ期間は1カ月程度は必要だと思います。それくらいあれば、選手を色々と試して適性を見極めて地固めをしてから臨めます。県大会のシード4つも(水戸、県北、県南、県西の)各地区で優勝した1チームということになったので、今回もし2次予選を勝ち抜いたとしても県大会はノーシードになります。だからまた初戦で他地区のシードと当たるかもしれません。秋に序盤で有力校がつぶし合う可能性が高いルールになったから、今夏と同じように来夏も力があるのにノーシードのチームが出てくるでしょう。

気持ち立て直して戦う

―2次予選はいかに戦いますか。

高橋 甲子園から帰ってきて選手で話し合い、新チームの目標を「春の選抜甲子園出場」に設定したんです。うちは第62回大会の選抜甲子園に出場しましたが、私が監督に就任してからは一度も出場したことがありません。そしたらいきなり負けました。正直、昨日の負けはショックですけど、しょうがないですねこれは。必死でやったのですが点が取れなければ勝てません。もう後がないわけだからしっかりと気持ちを立て直して県大会の出場権を取れるように頑張って戦っていきます。

7月の地方大会から甲子園、秋の1次予選と休みなくお疲れのところ、インタビューを引き受けていただいた。霞ケ浦の秋の戦いぶりに注目したい。(聞き手・伊達康)

雨の日は憂鬱《短いおはなし》30

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

朝から雨が降っていたので仕事を休んだ。
怠け者だと思わないでほしい。雨の日は、出かけたくない。
なぜなら、見えてしまうから。

歩道橋の下や踏切の前、橋のたもと、交差点の真ん中。
成仏できない霊たちが、私を見つけて傘の中に入ってくる。

「ねえ、お願い、助けて」

私は霊媒師ではないし、どうすることもできない。
ただひたすら、気づかないふりで歩くしかない。
それはとても辛く、苦しい時間だ。
身体中が重くなり、この上なく憂鬱(ゆううつ)になる。

出かけないと決めた日に限って、母から連絡が入る。

「咲ちゃん、具合が悪いの。すぐに帰ってきて」

母はいつも私を頼る。家を出てひとり暮らしを始めても、母は私を束縛する。
仕方がないので、ため息まじりに家を出る。
霊が見えると傘を閉じて耳をふさいだ。
おかげで家に着いたときにはびしょ濡れで、まるで私の方が幽霊みたいだった。

「ああ、帰ってきてくれたのね。さっきから頭が痛くて」

母は、ソファーに力なく座っていた。

どうせ私を呼び戻す口実と知りながら、「大丈夫?」と声をかける。
母は私にすがり、決まって繰り返す。

「咲ちゃん、帰ってきてよ。私はこの家を出られないんだから」

「無理だよ」

「じゃあせめて、今日泊まって行って。寂しくて耐えられない」

「いやよ。再婚相手がいるのに泊まれないわ」

「あんな人、気にしなくていいのよ」

「気にするわ。私はあの人が来たから家を出たのよ」

母はだるそうに頭を抱えた。雨がますます強くなってきた。
窓の外に何人もの霊が、ずぶぬれで私を見ている。

玄関を開ける音がした。再婚相手が帰ってきたようだ。

「お母さん、私帰るね。あの人が帰ってきたみたいだから」

「行かないで。あの人とふたりにしないで」

母は私にすがった。
再婚相手が、きしむような鈍い音を立ててリビングに入ってきた。
青い顔で、乱れた髪をかきあげて私をにらんだ。

「咲さん、来てたの? まあ、元々ここはあなたの家だから自由だけど、来るなら連絡くらい欲しいわね」

「ごめんなさい。ちょっと、忘れ物を取りに」

「あら、それならお母さんの位牌(いはい)も、一緒に持っていってくれないかしら。あれがあると落ち着かなくて。何だかいつも見られている気がするのよ」

父の再婚相手は、いかにも体調が悪そうにため息をついた。
無理もない。この人のまわりにはいつも、母の霊が憑(と)りついているのだから。

「雨の日は気分が悪いわ」

そう言って座り込んだあの人の後ろで、母の霊が私に訴える。

『ねえ、お願い、この人を追い出して。お願い、助けて』

ああ、これだから雨の日は…

(作家)

少年院でワイン向けブドウを収穫 牛久シャトーとプロジェクト

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15人の少年と職員や関係者がペアになり収穫作業が行われた

牛久市にある少年院「茨城農芸学院」(樋口光平院長)内で、ワイン向けブドウのメルロー種が栽培されている。同院に入所する15人の少年が26日、ブドウを収穫した。日本初の本格的なワイン醸造所「牛久シャトー」が、牛久市、茨城農芸学院と2020年から始めたプロジェクトで、入所者の更生と職業指導を兼ねている。収穫には牛久市の沼田和利市長、牛久シャトーの川口孝太郎社長らが参加し、若者たちと汗を流した。

ワインは、茨城農芸学院のハウスと牛久シャトーのブドウ畑で栽培されているメルロー種とブラッククーン種を原料に、牛久シャトーのワイナリーで醸造し、牛久シャトーが発売している。

26日、ハウス内で作業にあたった17歳の少年は、ブドウをうまくはさみで切り落せたことに喜びを感じたとし「暑かったが、楽しかった。自分たちが作ったものがたくさんの人に届くといい」と充実した表情を浮かべた。

作業を終えた19歳の少年は「自分たちが作ってきたものがワインとして人の手に届くと思うとやりがいを感じるし、最後まで愛を込めて作ってきて良かった」と話し、「ここにくる前はお金が絶対だと思っていた。作業を通じて人とのつながり、信頼が本当に大切だと学んだ。今の夢は、今日収穫したブドウのように、さまざまな人を幸せにすること。まだお酒は飲めないが、いつか、家族や友達と一緒にワインを飲んで、思いを共有したい」と話した。

入所者にブドウ栽培について語りかける牛久シャトーの川口社長(右)

沼田市長は「皆さんに教えてもらいながら収穫した。市の産品としてPRできる。栽培を通して今後の人生の糧にしてもらいたい」と話し、牛久シャトーの川口社長は「丁寧な作業で良いものができているし、皆さんが達成感を感じているように見えた。このワインは皆さんのブドウでできている。皆さんが社会の一員として作業できていると実感してほしい」と語った。

農芸学院職業指導主任の中橋文弥さん(48)は「ブドウ3房でボトル1本のワインができるので、子どもたちにとって、作業が仕事につながると実感しやすく、やる気につながる」とし、「製品化して消費者に届けるところまで取り組むことで、少年院の作業の一つだった農作業が、職業としての農業として理解できる」と話す。また「作業は同じことの繰り返しで面白みはないかもしれないが、繰り返すことでブドウの実に色が付くなど作物の成長を実感し、意味を確認できる。手を掛けた分だけ作物は応えてくれるし、学びが多い。彼らがワインを一緒に飲めるような仲間や、自分の過去を受け入れてくれるような人たちに囲まれるようになると良い」と思いを語った。

この日1日でメルロー種340株から約1.5トンが収穫できた。今後は職員による選果を経て、9月頃に収穫が見込まれる24株のブラッククイーン種とともに、牛久シャトーの醸造所で製品化される。来年5月には赤ワイン「牛久葡萄酒 Merlot(メルロー)2024」として牛久シャトーの店頭やオンライン通販で販売される予定だ。価格は1本(720ミリリットル)4000円(税込)。昨年収穫されたブドウで作った「牛久葡萄酒 Merlot2023」が現在販売中だ。

今年5月から販売されている、昨年収穫されたブドウで作った「牛久葡萄酒 Merlot2023」

茨城農芸学院は13万平方メートルの敷地に、17、8歳を中心とした15歳から20歳未満の少年約80人が入所している。主な入所理由は、窃盗、特殊詐欺、暴行、傷害、薬物犯罪など。コミュニケーションに稚拙さがあるなど人との関係を苦手にする者も多いと担当者は話す。11カ月の入所期間の中で、それぞれの矯正教育の進度に合わせて、段階に応じた教育目標や内容が設定される。今回の収穫作業に臨んだ15人は、最も段階が進んだ1級に属する。(柴田大輔)

café struggle《続・平熱日記》164

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】浅間山の麓から茨城に戻ってすぐに山口に向かう。何度目かになるパクを連れての車の旅も大分要領を得てきた。軽井沢ほどではないが、標高500メートルにある弟の家。エアコン要らずのはずだが、この夏はちょっと様子が違う。テレビでは連日「これまでに経験したことのない」という枕詞(まくらことば)の付いた暑さの予報が連日流れる。

それでもやっと朝晩は涼しくなったころ、弟の次女が夏休みで帰って来た。せっかくなので、みんなでどこかに出かけようということになって、日本海側の長門市にある「香月泰男美術館」を訪ねることにした。

香月泰男は山口県三隅町(現長門市)に生まれ、故郷を愛し住み続けた画家である。今年ちょうど没後50年ということで、県立美術館ではシベリア抑留の体験を題材にした代表作である「シベリアシリーズ」を公開展示していた。実は、私の高校の恩師は高校生の時に当時教師をしていた香月泰男に出会い、以来師と仰ぎながら画業に取り組まれた人だった。だから、香月泰男は私にとって最も身近な画家だった。

美術館は香月が愛した三隅の小高い丘にある。入ってすぐの工作室では、夏休みの子供たちが木っ端や枝を使った工作をしていた(木っ端や鉄くずで作る香月の作る動物や人はとても魅力的だ。また美術館の中でもそれらは重要な展示作品となっている)。

展示室に入ると、モノトーンに近い香月独特の絵画が待っていた。程よい数と質の高い展示に満足したところで、最後に待ち受けているのは何度見ても見入ってしまう再現された香月のアトリエ。それから中庭に出て、香月がシベリアから種を持ち帰って植えたというサン・ジュアンの木の前で記念の写真を撮った。

あぐねあぐね描く

美術館を後にして、雑誌で見たカフェで一休みしようということになった。建物全体が緑の蔦(つた)で覆われたキュービックな建物。中に入ると、とても高い天井のレトロモダンな雰囲気。弟が突き当りの壁に大きな金庫らしいものが埋まっているに気付いた。以前は銀行か何かだったのか。しかし、「café struggle(カフェ・ストラグル)」、直訳すると「苦闘するカフェ」とは、奇妙な店名だ。

ところで、私は先ほどからどうも腹の調子が悪い。いったん外に出て、古い真ちゅうの取手を握って開いたトイレは和式だった。私はしばらくぶりにとる姿勢と流れ落ちてくる汗に思った。「まさにstruggle!」

自家焙煎のコーヒーは薫り高く、外の暑さを忘れさせてくれた。店を出る時、とっさに私は姪に店名の意味を店主に尋ねさせに行かせた。扉を開けて出てきた姪の口からは、「試行錯誤だって!」という言葉が。

「あぐねあぐね描く」というフレーズを高校の恩師はよく口にした。方言のようにも思えるが「倦(あぐ)ねる」というれっきとした共通語であるらしく、つまり「絵には答えや方法などはなく、あぐねあぐね(struggle)描くものだ」ということだ。

私は「café struggle」の扉の前で姪と記念写真を撮った。夏の空は絵に描いたように青かった。(画家)

ネット投票し市民評価で金額決定へ つくば市長2期目退職金

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記者会見を開き、2期目の退職金について説明する五十嵐立青つくば市長=市役所内の記者クラブ

市議会9月会議に条例提案

つくば市長2期目の退職金2039万4000円について、五十嵐立青市長は26日記者会見し、インターネット投票を実施し、投票者が下した評価の平均点で、受け取る金額を決める条例案を9月3日開会の市議会9月定例会議に提案すると発表した。1期目は「市長特権の退職金廃止」を公約に掲げ、受け取り額を22円としており、2期目はどうするか注目されていた。

市議会で可決されれば、同市長選・市議選終了後の11月1~11日に、ネット投票ができるよう開発された同市の市政情報発信アプリ「つくスマ」を使って、2期目の市政運営評価を市民に改めて投票してもらう。

ネット投票ができるのは、マイナンバーカードの交付を受けていて、電子的に本人確認ができる15歳以上の市民で、同市のアプリ「つくスマ」をダウンロードしていることが必要。現時点で、人口約25万8700人のうち、マイナンバーカードの交付を受けている15歳以上は約13万人、アプリ「つくスマ」をダウンロードしているのは約2万人という。一方、ネット投票に参加しない市民の評価は、退職金算定評価には加味されない。

評価点は、2期目の市政運営について、0点から100点まで10点間隔で何点かを選んでもらい、投票した人の平均点をパーセンテージにして退職金の支給割合とする。例えば投票者の平均点が50点だった場合、50%の1019万7000円の支給を受けるという。

ネット投票の実施時期については、市の顧問弁護士に相談したところ、公選法で禁じている人気投票の公表にならないよう、市長選・市議選の終了後に実施する。

五十嵐市長は、実質的に受け取りを辞退した1期目の退職金について「賛否があった」とし、2期目については「適切に市民の声を反映させるためネット投票を方法を行う」としている。ただしネット投票による市民評価で金額を決める今回の条例は、2024年度の退職金1回限りのものとなる。

市民評価で決めるやり方は、大阪府寝屋川市が昨年、市長給与に対して導入した。給与の3割分を無作為抽出した市民3500人の市民意識調査の評価と連動させ、「評価しない」が「評価する」を上回った場合、給与を3割カットする仕組みを作った。昨年の意識調査では「評価する」が「評価しない」を上回ったため、カットせず満額の支給となっている。一方、退職金については広島県呉市長が、市民の評価を退職金に反映させる退職金市民評価制度を公約に掲げたが、コロナ禍だったなどから実施を見送った。五十嵐つくば市長によると、同市がネット投票による市民評価で退職金の金額を決めるのは全国で初めてという。

一方、五十嵐市長が1期目に退職金を22 円としたことをめぐって、市が市長退職金の原資として県市町村総合事務組合に支出した負担金約600万円が市に返還されないことから、元大学教授の酒井泉さんが、市の財政に約600万円の損失を与えたなどとして住民訴訟を起こした経緯がある。判決は住民側敗訴で確定している。

五十嵐立青後援会 青風会の政治資金収支報告書によると、同後援会は、退職金を実質的に辞退した2020年9月に、水戸市とつくば市内で計3回「感謝のつどい」を開き計2350万円を集めた。昨年3月提出の22年分同収支報告書によると、同後援会は22年末で約1858万円の翌年への繰越金がある。市長選を控えた今年、政治資金パーティーを実施するか否かについて五十嵐市長は、実施しないとしている。(鈴木宏子)

かや葺き屋根の家で老子を学ぶ《邑から日本を見る》166

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かや葺き屋根での懇話会

【コラム・先﨑千尋】石岡市八郷地区在住の中島紀一さんから、「7月にかや葺(ぶ)き屋根の民家で古代中国の思想家・老子の勉強会(懇話会)を開くので、参加しませんか」と声がかかった。中島さんは有機農業研究の第一人者。しかもご自分で実践しておられる。私の同志の一人だ。

このかや葺き屋根の所有者は、2017年に八郷地区で新規就農した山田晃太郎・麻衣子さん夫妻。山田さんたちは自然と共にある農業を志し、「いのち育む水辺を目指す田んぼ」「草原を目指す畑」「里山復活を目指す落ち葉集め」「人がつながる農園へ」を柱とし、4年前に譲り受けた築百年のかや葺き屋根の家を拠点として「やまだ農園」を開き、有機農業に取り組んでいる。

中島さんは山田さんたちの茨城大学での恩師に当たり、中島さんが主導した耕作放棄地での農と自然の再生活動に参加したことが有機農業への道につながった。この茅葺き屋根の家は「八郷・かや屋根みんなの広場」として、いろいろな集まりに利用されている。

茅葺き屋根の葺き替え作業

老子は、古代中国、春秋戦国時代の思想家。中国が秦に統一される前だから、約2500年前の人。孔子や孟子などと並ぶ思想家だ。インドではブッダが生きていて、仏教のもとを開いた。西洋のギリシャ・ローマ文明の時代も同じころで、キリストはその少し後の人。老子は、宇宙の根源を「道」や「無」と名づけ、これに適合する「無為自然」への復帰を人間のあるべき姿、と説く。

中島さんによると、老子の時代の古代中国は経済も社会も政治も既に成熟していた。しかし、暮らしの基盤は田んぼだった。山田さんや中島さんたちが昔ながらの手植えで田植えをしながら、ふと老子のことを考えた。老子の思想と生き方が、ひょっとしたら山田農園のやっていることとつながるのではないか。そういうことで今度の勉強会が企画されたようだ。

といっても、参加者は10人。筑波大学で中国古代文学を研究されていた松本肇さんの話を聞きながら、老子の時代に思いをはせた。

「いいね、老子」

この日に開かれた懇話会は、松本さんが用意した「老子の人生観」という『老子』(岩波文庫版などがある)から引いた15の言葉の説明を受けながら進められた。その言葉は「上善水の如し」「無の効用」「(孔子の)儒教道徳反対」「あるがままに生きる。欲を減らす。文明を否定し、自然に帰る」「ほどほどで満足する。ちょっと立ち止まってみる」「人間万事塞翁(さいおう)が馬」、「生への執着を捨てるのが養生の秘訣」など。

松本さんの話を一通り聞いたあとで、それぞれが感想を述べ合った。私は、「老子が言っていることは現代社会の真逆。政治も経済もすべて『今だけ、カネだけ、自分だけ』の考えがまかり通っている。山田さん夫妻がしなやかにこの地で実践していることはまさに老子の思想に通じるのではないか」と話した。

この日、私の頭の中をさわやかな風が通り過ぎていった。(元瓜連町長)

茨城の朝鮮人強制連行 慰霊塔管理委事務局長が講演 つくば

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登壇する張永祚さん

「歴史風化させず未来の教訓に」

戦前や戦中に、朝鮮半島から茨城県内の鉱山や炭鉱などに強制的に連行されたり、過酷な状況下で労働を強いられた朝鮮人の歴史を振り返る講演会「茨城における朝鮮人強制連行を知る8・25集会・デモ」(主催:戦時下の現在を考える講座)が25日、つくば市竹園、竹園交流センターで開かれ、県内外から約20人が参加した。

講師を務めたのは、茨城県朝鮮人戦争犠牲者慰霊塔管理委員会の事務局長で、実父が炭鉱労働者だった張永祚チャンヨンジョ(78)さん。強制連行された朝鮮人が働いていた日立鉱山をはじめ、県内各地の歴史を振り返りながら、「未来への教訓とするためにも、歴史は風化させてはいけない」と訴えた。講演会の後は主催者によるデモ行進が市内で行われ、約15人が「差別、排外主義を許さない」「ヘイトスピーチを許さない」などと声を上げた。

父は炭鉱労働者に

張さんは北茨城市関本町の炭鉱で生まれ育った在日朝鮮人2世。日本の植民地下にあった朝鮮で農家の長男だった父親は、植民地政府に土地を没収され、貧困の中で仕事を求めて日本に渡り、全国各地で仕事を求めた末に炭鉱のある北茨城市に来た。

地元の小学校に通った子ども時代、「臭い」「汚い」といった暴言を周囲から浴びせられた。差別を受ける苦しみから母親に対して「なんで俺を朝鮮人に産んだんだ」と叫んだこともあったという。日本の学校で「張田」を名乗っていた張さんは、中学から水戸の朝鮮学校に通うと、初めて朝鮮の名前で生活する同級生たちに出会った。文化や歴史など自身のルーツを学び、自身のアイデンティティーへの誇りを感じ、仲間との一体感に心を和ませることができたと話す。

現在は、日立鉱山(日立市)での犠牲者を追悼するため1979年に在日朝鮮人らによって建てられた茨城県朝鮮人納骨塔の管理委員会で事務局長を務めている。日立鉱山では約4000人の朝鮮人が劣悪な環境下で働き、多くが名前や出身地が分からず無縁仏となっている。慰霊祭を毎年9月に納骨塔のある日立平和霊園(日立市諏訪町)で開催し、歴史を語り継ぐために日立鉱山を巡るワークショップも随時行なっている。今年は9月28日に慰霊祭を催す。

張さんは「日本政府が『労務動員計画』を作成した1939年以降、(民間の)事業主による朝鮮人の『募集』が始まった。その後は官による『斡旋』、『徴用令』と三段階で国家権力による強制連行が行われた。炭鉱などの労働現場では環境の劣悪さから命を落とす人も多く、逃亡を防ぐために朝鮮の家族を一緒に住まわせるなどしていた」と説明した。さらに「誰が何のためにこういうことをしたのか。歴史を知ること、学ぶことで未来への教訓にし、歴史的事実を風化させてはいけないと胸に刻んでいる。戦争は絶対にダメだという思いでいる。二度と戦争は起こさないよう皆さんと共に頑張っていきたい」と語った。

まつりつくばの会場近くで行われた差別反対を訴えるデモ

群馬県の行政代執行きっかけ

神奈川から講演会とデモに参加した雨宮圭一郎さん(28)は、パレスチナ問題への関心が参加へのきっかけになったとし、「学校では深く教えてもらえなかったテーマで、関係者の生の声を聞く機会は貴重。知らなくても生きていけてしまうことが、知っていくことの重要性を感じた」と話した。

主催団体の藤田康元さん(58)は「今年1月29日に群馬県高崎市の県立公園にあった朝鮮人追悼碑が行政代執行により暴力的に破壊された。その報道などをきっかけに、若い世代も含めてなぜ追悼碑があるのかが知られるようになった。茨城でも日立鉱山を主に、それ以外にも羽田精機竜ケ崎工場、海軍西筑波飛行場、常磐南部炭田、日立製作所水戸工場、日本通運土浦などでも多くの朝鮮人が連れてこられたことが知られている」とした上で、「強制的に連行されたという歴史を否定する動きがある。自分たちが暮らす地域の歴史を自分たちで調べ直すことは、事実が修正されないためにも重要なこと。今回のイベントが、歴史に対する各地の動きにつながるきっかけになれば」と思いを語った。(柴田大輔)

3度目のモンゴルで《文京町便り》31

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】モンゴルの専門家ではない私は、7月末から8月初めにかけ、同国に3度目の滞在をしてきました。最初は1996年10月末で、初雪・吹雪を体験しました。その時のことは、コラム15(2023年4月23日掲載)で述べましたので省略します。2度目(2017年8月)は、私が代表を務めていた専修大学ソーシャル・ウェルビーイングSWB研究センター(文部科学省の私立大学戦略的研究基盤形成支援事業、2014年度~18年度)による現地調査でした。

この20年間、モンゴルの社会経済はすさまじい勢いで変化し、ウランバートル市内には相当数の高層ビルが林立するようになりました。しかし郊外は、ゲルや簡素な板囲いの家屋・集落が散在していて、日本人捕虜の集団墓地の近くまで住居群が押し寄せていました。そこで、現地の障害者支援の一環で、国際協力機構(JICA)から派遣されていた全盲の日本人女性の活動に接した時は、驚きと同時に頭が下がる思いでした。

3度目の今回は、専修大学SWB研究センターを継承した日本学術振興会JSPS研究拠点形成事業Core-to-Coreプログラム「若手研究者ECR(アジア8カ国)ワークショップ」が、モンゴル国立大学で開催され、私は2日目午前の国際公開シンポジウムの冒頭挨拶を、共催機関・独立モンゴル研究所(IRIM)会長のベヒバタ・カシュバツラ(フランス語研修組のキャリア外交官で最後は駐米大使)と共に務めました。

タクシーはライドシェア

今回滞在で感じたのは、モンゴルでも、グローバルな変化が同時進行している、ということです。第1に、気象状況・天候の変化です。1日目はそれこそ好天で、日差しがさんさんと降り注いでいました。しかし、2~3日目は、ものすごい豪雨で道路は(排水がままならず)水浸しで、雨具の用意のなかった私は、ホテル1階のコンビニで、急きょ、折りたたみ傘を求めました。

第2に、ホテルから会場までの移動(徒歩で約20分)をどうするかですが、タクシーを呼ぼうとしても見当たりません。現地の人に相談すると、彼らはスマホを使ってライドシェアを活用しているようです。彼らに立て替え払いで呼び出してもらうと、ものの数分で、目の前に当該車がやってきました。要するに、タクシーが無数に走行しているので、探す必要がないのです。

というわけで、最初のモンゴル訪問から30年近く経ったわけですが、その間に当方も年齢を重ね、胃腸は衰え、郊外の観光ゲルでも羊の肉・乳やウォッカをあまりたしなむことができませんでした。会議の合間の昼食時には、(私が土浦ロータリークラブ会長<2024年7月~2025年6月>だと分かると)IRIM出身の元気のいい(コンサルタント業務を営む)ローターアクトも駆けつけてくれました。なんと、私が初めてモンゴルを訪れた1996年の生まれでした。

20「…インドネシアで」(23年9月22日掲載)、21「…ベトナムで思ったこと」(23年10月22日掲載)、22「韓国事情…」(23年11月23日掲載)でも紹介したように、アジアは今や大変革期に入っています。今回はモンゴル出張の報告でした。(専修大学名誉教授)

今年も盛大に まつりつくば2024

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通りを練り歩く大ねぶた

つくば市最大の祭り「まつりつくば」(同大会本部主催)が24日、つくば駅周辺で始まった。車両通行止めとなった同駅近くの土浦学園線では午後4時から、つくば音頭などのオープニングパレードが実施され、午後5時40分過ぎ、大ねぶた4基と中小ねぶた5基が登場した。万博山車のほか、市内各地区のみこしも掛け声と共に通りをパレード。午後6時、ねぶたの照明が点灯すると、降りしきる雨の中、祭りは最高潮に達した。

まつりは25日までの2日間、つくば駅周辺の土浦学園線や、つくばセンター広場、中央公園、竹園公園などを会場に、みこしや山車のパレードのほか、大道芸フェスティバル、コンサートなどがにぎやかに催される。

土浦学園線をパレードする山車

24日のつくば市の最高気温は平年より3.8度高い33.9度に達し、湿度も高かったが、まつりパレードが催される土浦学園線の歩道には同日夕方、大勢の市民が集まり、ねぶたが登場すると歓声が上がった。

13年前からつくばに住んでいるという同市研究学園に住む中国出身の雨虹(ゆいおん)さん(50)は「つくばに来て、まつりつくばを見てとても感動したので、毎年見に来ている。中国にも似たような祭りがある。この祭りがずっと続いてくれればうれしい」と語り、昨年バングラディッシュから来日した筑波大学の留学生、サイドさん(43)は「去年も見に来た。来年国に帰るので思い出の一つにしたい。昨年も今年も感動した。たくさん写真に収めたい」と話した。

つくばセンター広場と大清水公園の「まんぷく広場」には、市内のグルメや特産品が勢ぞろいし、並んで買い求める市民らでごった返した。中央図書館からつくばエキスポセンター前のつくば公園通りでは「アートタウンつくば 大道芸フェスティバル」が開催され、大道芸のパフォーマンスに人だかりができた。(榎田智司)

大道芸のパフォーマンスを見る市民ら

レトロな加速器舞台にアート&サイエンス 9月7日 高エネ機構一般公開

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アーティスティックな照明に彩られたコッククロフト・ウォルトン型加速器=21日、高エネルギー加速器研究機構

高エネルギー加速器研究機構(KEK、つくば市大穂、浅井祥仁機構長)は9月7日(土)、宇宙や物質の成り立ちに迫る最先端の実験装置など16施設を一般公開する。目玉企画として、地階に眠る形だった「コッククロフト・ウォルトン型加速器」のほこりを払い、アート&サイエンスプロジェクトの舞台装置としてお披露目する。

コッククロフト・ウォルトン型は1972年に初運転したレトロな加速器。1976年から2005年まで稼働した「12GeV陽子シンクロトン」という加速器に、高電圧をかけた負水素イオンを送り込むための前段加速器として活躍した。

その形状がユニーク。高電圧を得るため、コンデンサーと整流器を何段かに重ねた回路構造が形作られ、整流器がはしごのように見えている。絶縁体の碍子(がいし)周りには丸みを持ったつばのような放電防止の装置「コロナリング」があり、天辺には巨大な立方体のような箱があって周囲を圧している。

装置は陽子シンクロトン加速器準備棟の地階にあり、部屋は大気圧の放電に耐えるため、銀色の金属壁で囲われて、神殿のようにも見える独特の雰囲気を醸している。同型の加速器は2基あり、1基は解体されたが、もう1基は往時のまま残され、過去のKEK一般公開でもインスタ映えするスポットとして人気があった。

これに目を付け、アート&サイエンスプロジェクトの舞台演出を仕掛けたのが多摩美術大学(東京都世田谷区)の森脇裕之教授。1971年設立のKEK50周年に、同加速器を舞台にしたパフォーマンスを行った。タイトルは「テンプラム・フレクエンティア(周波数の神殿)」。LEDライトで幻想的に染められた金属壁の空間で3人のダンサーが、4人のコーラスに合わせて踊った。

2021年11月の50周年記念式典に向けた企画だったが、折からのコロナ禍で一般公開は断念、収録したパフォーマンス映像をYoutubeなどで公開するにとどまった(リンク先はこちら)。

今回の一般公開ではタイトルはそのままに、同じ照明を再現して展示する。一般公開のポスターやチラシでもコッククロフト・ウォルトン型を前面に押し出したデザインを採用している。

森脇教授によれば、解体されたもう1基もKEK内に保管されており、「屋外でアート&サイエンスを展開する際の科学遺産として活用を考えていきたい。今回を資金の公募などを考えるきっかけにしたい」と語っている。

昨年の一般公開の様子

今回は次世代型の試験加速器であるERL(Energy Recovery Linac、エネルギー回収型線形加速器)も公開され、研究者らによる解説が聞ける。大強度で高品質の電子ビーム生成を目指しながら、加速とは逆の減速のエネルギーを再利用する、SDGsな加速器ということだ。

開設当初からの恒例行事だったKEKの一般公開はコロナ禍での中断、オンライン開催を経て4年ぶりに復活した昨年は、約3700人の参加者を集めた。今回も研究成果を紹介するブース展示や体験コーナー、研究者によるトークイベントなど実施する。(相澤冬樹)

◆「高エネルギー加速器研究機構一般公開2024」は9月7日(土)午前9時~午後4時30分、つくば市大穂KEKつくばキャンパスで開催。入場無料。TXつくば駅から往復する無料のシャトルバスと、構内を10分間隔で循環する無料バスが運行する。駐車場あり。暑さ対策として構内17カ所に給水スポットを設置。正門近くで食堂・喫茶室やキッチンカーが営業する。詳しくは特設ページへ。

なぜ宍塚にマツムシとクツワムシがいないのか 《宍塚の里山》116

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宍塚のスズムシ

【コラム・中原直子】枕草子に代表されるように、日本には古くから秋の風物詩として鳴く虫を愛(め)でる文化があります。明治時代に作られた「蟲のこゑ(むしのこえ)」という唱歌もその一つで、今も多くの人に歌い継がれています。

この歌には、マツムシ、スズムシ、コオロギ、クツワムシ、ウマオイの5種の秋に鳴く虫が登場します。歌が作られた当時、彼らは人々の身近に普通にいる鳴く虫だったのでしょう。しかし今では、この5種類の虫の声を同時に聞ける場所は非常に少なくなっています。

宍塚の里山では、スズムシとコオロギ(エンマコオロギなど)、ウマオイ(ハヤシノウマオイ)の3種類の声が聞こえますが、マツムシとクツワムシの声は確認できません。どうして、マツムシとクツワムシがいないのでしょうか。

その前に、秋の鳴く虫とはいったいどのような虫か説明しましょう。秋の鳴く虫の多くは、雄が前翅(ぜんし)に発音器を持っています。その構造や発せられる音は種によって異なり、雌への求愛や雄に対する威嚇、他の種との識別、時には天敵への威嚇など、様々な情報を伝達する役割があります。

そのため、音を受け取る器官も発達しており、コオロギやキリギリスでは前脚に音=空気の振動を伝える鼓膜器官があります。私たちが愛でている虫の声は、彼らの種の維持のためのツールの一つなのです。

多くの種は飛べますが、その能力は種によってまちまちです。宍塚にいるスズムシやコオロギ類、ハヤシノウマオイは、どれも飛ぶ能力が高く長距離を移動できる種です。一方、宍塚にいないマツムシとクツワムシは飛んで移動することが少なく、生息するために良好な環境が無くなると、姿を消してしまいます。そのため、宍塚ばかりでなく、茨城県全域で数を減らしています。

普通種が普通種でなくなる時代

マツムシは、チガヤやススキが生育する風通しの良い明るい草地を好みます。クツワムシは、クズが絡む明るい林の縁を好みます。どちらの環境も、人の手が入らなくなったり開発されたりして、無くなっていく一方です。

宍塚にはこの2種が生息できるような環境はあるのですが、なぜか確認できません。昔はいたのか調べようにも記録が残されていないので、過去生息していたのか、それとも分布の空白地帯であったのか謎のままです。しかし、周辺市町村にこの2種がかろうじて生息している場所があることから、おそらく、宍塚にもいたのではないかと考えています。

一度環境が変わって絶え、環境が回復しても都市化や道路によって生息地が分断され、緑の島となっている宍塚に再び入ることができなかったのではないかと推察しています。

生息地が分断されてしまうと、移動能力が低い生物種は生息地が消失しそうになった時にどこかへ逃げることもできないまま、その地域からいなくなってしまいます。近年、これまで普通に見られた生物種が地域絶滅の危機にひんしています。普通種が普通種でなくなる時代となっているのです。

スズムシも全国で見ると減少傾向にある種ですが、移動能力が比較的高いため、つくばや土浦の都市部や住宅地でも、好適な環境が点在していれば生息しており、きれいな鈴の音を聞くことができます。野外で聞くスズムシの声音は、飼育されているものと違い、角がなくまろやかで聞き心地が良く感じられます。

この秋、涼しくなった夜に虫の声を聞きに来ませんか。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

<宍塚月例テーマ観察会「鳴く虫」>
9月14日(土)18:30~20:30。9月2~8日にHPで申込み受け付け。

猫を飼う人のための賃貸住宅 つくば・二の宮団地にお目見え URで全国初

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壁に猫用ステップ、キャットウォーク、猫用ボックスが設置されているリビング

9月14日から入居申込受け付け

猫を飼う人のための賃貸住宅を、UR都市機構がつくば・二の宮団地に新たに設け、9月14日から入居の申込受け付けを開始する。猫を飼う人専用の住宅はURで全国初。

「ねころぶ住宅」と名付けたペット共生住宅で、同団地5号棟1~4階の5戸を改修した。猫と暮らしたい人のニーズに応えるなど、くらしの多様化に柔軟に対応するのが目的。

天井近くのキャットウォークに設置された猫用ボックスでくつろぐ猫

室内は①リビングの壁一面に猫が天井近くまで上り下りできるステップやキャットウオークなどを設置してあるほか、②和室や洋室に、入居者がくぎやビスを打って猫用階段や爪とぎなどを自由に設置できるDIY壁を設けてある。

さらに➂リビングや洋室、廊下などの床は猫が滑りにくい耐衝撃に優れた床材を使用し、④和室の畳は耐久性の高い和紙畳を使用している。⑤部屋のドアには猫が行き来できるくぐり戸が設けてあるほか、⑥猫用トイレが設置できるスペースを確保、⑦台所の出入口には格子の侵入防止扉を設置し、猫が立ち入れない一方、飼い主が猫の様子を確認できるようにしている。

猫を飼う人向けの賃貸住宅が設けられるつくば・二の宮団地5号棟

URはすでに、犬または猫をいずれか1匹まで飼育できるペット共生住宅をつくり、共有スペースに散歩で汚れた足を洗うことができる足洗い場などを設けた賃貸住宅を導入しているが、室内を立体的に動き回る猫の特性に特化した、猫を飼う人専用の賃貸住宅は初めて。ねころぶ住宅では猫を2匹まで飼うことができる。

◆ねころぶ住宅は、つくば市二の宮4-8-3、つくば・二の宮団地5号棟(4階建て)で5戸の入居を受け付ける。2LDKが3戸、3LDKが2戸で、家賃は2LDKが月額8万200円~、3LDKが8万5400円~、共益費は月額3800円。家賃は二の宮団地の一般の同タイプより15%ほど高くなる。入居申込受け付けは、9月14日(土)午前10時から、つくば市吾妻1-8-10 Biviつくば2階 UR賃貸ショップつくば駅前の窓口で先着順に受け付けを開始する。事前に内覧することが条件。内覧日は9月5日(木)~8日(日)。詳しくは電話029-855-4045(同窓口)へ。

阿見町の「あみっぺ」と予科練平和記念館《遊民通信》95

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【コラム・田口哲郎】

前略

阿見町の人口が5万人を超えたというニュースがありました。コロナ禍以降の地方移住の機運もあって、阿見町の新たな住宅地としての魅力が発見されたのでしょう。あみプレミアムアウトレットが15年前に開業し、徐々に知名度を上げていたところに、二所ノ関部屋もでき、有名になったと思います。最近は、荒川本郷にホームセンターのカインズ、スーパーマーケットのベイシアがオープンして、ますます郊外都市としての機能が充実しつつあると感じます。

先日、アウトレットのフードコートの一角に、阿見町のPRスペースがあるのを見つけました。阿見町の魅力を伝えるパンフレットなどが置いてあるのですが、そこには阿見町の公式マスコット「あみっぺ」のぬいぐるみもありました。

「あみっぺ」は冒険が大好きな男の子らしいのですが、見た目は白いネコのような風貌(ふうぼう)です。飛行帽とゴーグルをしています。これは、かつてあった予科練の海軍飛行予科訓練生のイメージかと思ったのですが、1929年に霞ケ浦飛行場に飛来した巨大飛行船ツェッペリン号を想起させるものなのかもしれません。「あみっぺ」は飛行船ウォーターメロン号で世界中を飛び回り、阿見町をアピールしているそうです。

予科練平和記念館が伝えるもの

こうして見ると、阿見町は旧海軍の霞ケ浦飛行場があったため、飛行船や航空隊とつながりが深いですね。その中心的施設はやはり予科練平和記念館でしょう。予科練では14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をしたそうです。終戦までの15年間で約2万4000人が飛行練習生課程を経て戦地へ赴きました。なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9000人に上ったそうです。

パリ五輪で銅メダルを獲得した卓球の早田ひな選手が鹿児島の知覧特攻平和会館に行きたいと発言したことがニュースになりましたが、特攻に関係する施設が阿見町にもあるのですね。

展示を見ていると、青年飛行隊の存在がひしひしと感じられます。特攻を肯定するか否定するかに関わらず、彼らが実在し、懸命に飛行訓練を行ったこと、そして悲しいことに飛行機ごと敵の戦艦に自爆的に突撃した事実は変わりません。若き青年がどんな思いで飛び立って行ったのか、祖国の勝利のための犠牲となることをどのように受け入れたのか…考えると胸が痛くなります。

平和な世の中が末長く続き、阿見町のように日本中の町々が発展することを願わずにはいられません。ごきげんよう。

草々 

(散歩好きの文明批評家)

廃食用油を飛行機の燃料に まつりつくばで回収 ホテル日航つくば

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昨年のまつりつくばでは、18リットルの廃食用油が集まった(ホテル日航つくば提供)

ホテル日航つくば(つくば市吾妻 髙田浩総支配人)は、航空燃料への再利用を目的に、一般家庭から出る使用済み食用油を24、25日開催の「まつりつくば 2024」で回収する。場所は同ホテルが出展するテント。昨年に続き2回目の実施で、脱炭素社会の実現に向けた「フライ トゥ フライ プロジェクト(Fry to Fly Project)」の活動だ。プロジェクトには同ホテルのほか国内の自治体や企業など146団体が参加している。

同プロジェクトは、廃食用油を再活用し、持続可能な航空燃料(SAF)を国内で製造することを目的として日揮ホールディングスが始めた。航空機のジェット燃料にSAFを混ぜることで二酸化炭素排出量を抑えることができる。政府は、2030年時点で国内航空会社による燃料使用量の10%を、廃油や植物、廃材などで作られるSAFに置き換え、2050年には二酸化炭素などの温室効果ガスの排出を実質ゼロに抑えるカーボンニュートラルにすることを目指している。SAFは、従来の化石燃料と比べて二酸化炭素の排出量を80%程度減らせるとされている。

同プロジェクトで集められた廃食用油は、日揮ホールディングス、コスモ石油、レボインターナショナルの3社で設立した合同会社サファイア スカイ エナジー(SAFFAIRE SKY ENERGY)により、2025年度からSAFを製造し、供給を開始する予定だ。

東京―大阪間、1.5便分

ホテル日航つくばでは昨年5月から、ホテルの厨房から出る廃食用油を回収している。昨年のまつりつくばでは18リットルを回収し、今年3月までにホテル全体で合わせて3251リットルを回収した。同ホテルによると、約1年間で集めた廃油から生まれる航空燃料は、東京国際空港(羽田空港)と大阪国際空港(伊丹空港)間の約 1.5 便分の燃料に相当し、7200キログラムのCO2を削減できることになるという。

同ホテルの担当者は「昨年のまつりつくばでは、多くの方が廃食用油の回収に協力してくださった。固めて捨てるという認識が多い中で、廃油の回収はありがたいという声も届いた。自身の家庭で使った油が、航空燃料として実際に再活用されるのは興味深いことだと思う。これからも続けていきたい活動。少しでも会場にお持ちいただけたら」と参加を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆廃食用油の回収は24日(土)と25日(日)の正午から午後9時まで。場所は「まつりつくば」会場内、同ホテルアネックス館そばの同ホテルが出店する2階ペデストリアンデッキのテント。テント内に専用の回収箱が設置される。回収する廃食用油は、1回に付き200ミリリットル以上。ペットボトルや牛乳パックなど中身がこぼれない容器に入れ、調理ごみや水分が入らないようにして持参する。廃油を持参した人には、1回につき1枚、出店される同ホテルのテント内で利用できる「100円引きチケット」を進呈する。

「まちの保健室」 23日までイーアスつくばに開設

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「まちの保健室」で、訪れた人々の相談に応じる筑波大附属病院の看護師ら=イーアスつくば2階

看護師らが無料で健康相談

つくば市の大型商業施設イーアスつくば(同市研究学園)に21日、「まちの保健室」が昨年に続いて開設され、筑波大学附属病院(同市天久保)の看護師や助産師らが、訪れた人の生活習慣病や家族の認知症、介護の心配に関する無料健康相談や、血圧、血糖値、脈拍の測定をするなどした。

同イベントは県看護協会が主催する。23日まで開催され、22日はいちはら病院(同市大曽根)、23日は筑波学園病院(同市上横場)の看護師や薬剤師らがそれぞれ担当する。

助産師による妊娠、出産、育児に関する相談ブースでは21日、赤ちゃん人形の抱っこ体験や、妊婦ジャケットを用いた妊婦体験も実施された。今年から新たに県薬剤師会の薬剤師も参加し、薬に関する疑問や不安について直接、薬剤師に相談することもできる。

指先で血糖値を測る看護師

県看護協会は、水戸市や守谷市などでも「まちの保健室」を開設している。病院では、患者一人ひとりに対して指導時間が限られる場合があるが、「まちの保健室」では看護師や助産師、薬剤師が丁寧に相談に応じ、地域住民の健康維持や増進に役立てる狙いがある。

同協会つくば地区担当理事で筑波記念病院看護部長の星豪人さんは「まちの保健室は、誰でも、気兼ねなく、ふらっと立ち寄れて、健康に関するどんなことでも相談できる場所。一人でも多くの人に健康意識を持ってもらうお手伝いができれば」と来場を呼び掛ける。

同大附属病院副看護長の飯田育子さんは「専門の知識を持った看護師のほか、人口が増加するつくば市で妊娠、出産、子育てに関する相談のニーズも踏まえ、助産師も参加している」とし「地域の方々の健康に関する悩み、不安の解消と、病気の予防の面から関わっていき、地域貢献につなげたい」と話す。

来店し立ち寄った同市在住の80代女性は「病院に行くか迷うこともあるが、豊富な知識を持つ看護師の方たちがこのような場を提供してくれて非常に助かった。定期的に開催してほしい」と語った。

夫婦で訪れた石岡市の70代女性は「無料で相談できるところが魅力的。血糖値は家で測ることができないため測定できてよかった」と話した。(上田侑子)

◆「まちの保健室」は21日(水)〜23日(金)の午後1時から4時まで、つくば市研究学園5-19、イーアスつくば2階 中央エスカレーター付近(スーパースポーツゼビオ前)に開設される。

僕はつくばの新住民、自分は何者?《けんがくひろば》9

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私の家族(筆者提供)

【コラム・清岡翔吾】僕は高知県の田舎で生まれ育ち、関東の大学を卒業し、就職とともにつくば市の研究学園地区に移ってきました。引っ越してきたときには、ショッピングセンター「イーアスつくば」がまだ建設中で、開発途中の街といった感じでした。

仕事の関係上、つくば市新庁舎をはじめ、研究学園周辺の建物の建設にも携わっており、研究学園地区は自分の人生とともに歩んできた街です。とても親近感が湧いてきます。

これは、子どもが通っている小学校のPTA活動も大きいと思います。現在3人の子どもがおり、慌ただしい日々を送っていますが、長女が幼稚園に通っていたころは、正直、PTA活動に興味がありませんでした。

しかし長女が小学校に上がり、何かやらなければと思い、葛城小学校のPTA活動もあって地区委員を務めました。そこで初めて、学校と保護者、地域との関わりを知り、安全な登下校や学校生活のために、保護者活動の重要性を学びました。

研究学園は第2の故郷

研究学園地区周辺は開発が進み、子育て世代が移り住んできたことで、小学校の数も急激に増えています。そのため、学区など非常に不便に感じることも生じています。特に葛城小学校地区の難しいところは、元々葛城小付近に住んでいた地域住民と各地から移ってきた新住民が暮らす、新旧住民地域となっていることです。

そのような住環境もあり、PTA活動に希薄さを感じることもありますが、現在、葛城小では従来のPTA活動を廃止し、基本的な活動を保護者の方々や地域の方々のボランティアに頼る任意団体となっています。

僕は「研究学園は自分の第2の故郷」と思い、学校関係だけではなく様々な地域活動に参加し、地域を縁の下から支えられればと思っています。

僕はやってもいないことに「できない」と言うのが苦手です。何事にもまずチャレンジします。研究学園地区での活動を通じ、自分が何者なのか、何者になれるのか、探していきたいと思います。(保護者と教職員と地域のみんなで応援する団体『葛小応援団』団長)

民家の光ケーブルを切断 除草作業中 つくば市

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つくば市役所

つくば市は21日、同市高見原で17日午後4時50分ごろ、市発注の水路除草作業を請け負った業者が、民家1軒の光回線ケーブルを切断してしまったと発表した。

市道路管理課によると、水路沿いの電柱にからまっていたツタを引っ張って除去する作業中、電柱に這わせて敷設されていた光ケーブルを切断したという。この事故で民家はインターネットサービスが利用できなくなった。

市は、切断により影響を受けた民間に状況説明と謝罪を行い、NTT東日本に復旧対応を依頼、光回線は19日午後4時までに普及した。

再発防止策として市は、受注業者に対し、周辺状況を把握し細心の注意を払って作業するよう指導したほか、除草工事を受注している全業者に注意喚起を徹底するとしている。

10年間で計1770万円を国に請求せず つくば市 生活保護めぐりまた不適正事務

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新たな不適切事務について説明するつくば市の根本祥代福祉部長(中央)ら=同市役所

市の会計で不納欠損処理

生活保護行政をめぐり不適正な事務処理が相次いでいるつくば市(5月9日付7月20日付)で新たに、2014年度から23年度までの10年間、本来国に請求すべき生活保護費の過支給による徴収不能分 計1771万0826円を国に請求していなかったことが分かった。21日、同市が発表した。国に請求しなかった分は、市の会計で徴収不能として不納欠損処理し、結果的に市が負担していた。

生活保護受給者に年金や就労などによる収入があって支給額が基準より多くなった場合や、本人が他市町村に転居したり死亡するなどして過支給があった場合、市は本人や相続人などに過支給分の返還を求める。しかし最終的に徴収できなかった場合や時効になった場合などは、徴収不能として債権放棄の処理をする。つくば市の場合、2014年度からの10年間で徴収不能とされた過支給による未返還金は174件 計2361万4435円分あった。

生活保護は法定受託事務で、財源の4分の3を国、4分の1を地方自治体が負担している。市は徴収不能の約2360万円の4分の3の約1770万円を国に請求できたが、10年間していなかった。2014年度より以前については資料が保存されてないため不明という。

原因について市福祉部は、国に請求するためには、過支給があった受給者に対し、催促状や催告状を出し、催促や催告した記録を付け、さらに転居した場合は転居先の調査、本人が死亡した場合は相続人の調査などをしなければならない。一方、市は、催促や催告はしていたものの、記録を付けてなかったなど、国に請求するための基準を満たしていなかったため請求しなかったとしている。さらに催促や催告についてのマニュアルはあったが、記録を付けることまでは書かれていなかったとし、管理職も正しいやり方に対する認識が甘かったとしている。

今月9日、市職員から福祉部長に申し出があり、社会福祉課内で調査し請求漏れが判明した。この職員は昨年10月にも課内でこの問題を申し出ていたが、当時は管理職の認識が不足し、問題視されなかったという。

今後の対応と再発防止策について市は、債権管理事務のマニュアルを見直すと共に、具体的な手順や方法を再確認して適切な事務処理を徹底するとしている。さらに生活保護費支給の際は過支給とならないよう適切に事務処理を行うと共に、受給者への説明を十分行い、やむを得ず債権となってしまった場合は、専門部署からの協力も得て債券管理体制を強化するとしている。

五十嵐立青市長は「社会福祉課のこれまでの業務の問題点の調査を行い、現段階では、特に業務遂行における管理職の対応に問題があったと認識している。今後、すぐに対応可能なものは速やかに是正すると共に、調査を継続し、原因究明や再発防止、必要な処分を検討していく」とするコメントを発表した。