日曜日, 11月 30, 2025
ホーム ブログ

隣国・中国を視察して《令和樂学ラボ》38

0
重慶市内(筆者撮影)

【コラム・川上美智子】水戸市は、中国 重慶と友好交流協定を25年前に結んでいる。重慶は、上海、北京、天津と並ぶ中国四つの直轄市の一つであり、面積も人口も世界最大で、3200万人超の人々が住んでいる。日本では、広島市と水戸市の2市が友好交流都市となっており、水戸市と重慶は定期的に相互の国を表敬訪問し友好関係を深めてきた。

10月15~19日、水戸市は、団長・髙橋靖市長、副団長・綿引健市議会副議長とする総勢33名の友好交流25周年記念親善訪問団を仕立て、5日間の視察を行ってきた。私自身は、8年前に次いで2回目の訪問であったが、その後の重慶の発展ぶりを見たいという強い思いで参加した。

現在、高市早苗首相の衆議院予算委員会の答弁が発端で、日中関係が目まぐるしく変化し、気になるところであるが、日本にとっては大切な隣国である。本視察は今後の日中関係を考える上でも、学びの多い有意義な5日間であった。

中国は、私の長年の研究対象<茶>の故郷であることから、30代のころより研究や学会発表などで訪問し、隣国の移り変わりを見てきたが、超高層ビルが林立する重慶に迎えられて、今回ほどその発展ぶりに驚かされたことはなかった。また、日本文化のルーツでもある中国の歴史文化のスケールの大きさに触れる貴重な機会にもなった。

訪問2日目の公式行事で、重慶市人民政府外事弁公室を表敬訪問した。訪問では、沔子敏(Feng Zimin)副主任と日本国駐重慶総領事館の高田真里総領事、横山理紗副領事がお出迎えくださり、歓迎レセプションが開かれた。

沔副主任は、団員一人ひとりとシャンパンで乾杯を交わされ、名刺交換の際には、子(Zi)という字が私の名前にも入っていることを見つけられ、同じだねと喜んでくださった。本当に丁寧にもてなされて、一同感激し、友好を深められたことを喜んだ。また、日本の外務省に所属する女性官僚2人が領事、副領事を務められ、国際社会の前線で活躍される姿に頼もしさを感じた。

両国友好こそが平和維持に不可欠

水陸の要所であり、一帯一路の中心に位置する重慶は、習近平が掲げる「中国を世界の工場にする」との方針のもと、世界的な工業都市として発展を続けてきた。私たちは重慶九州神鷹通航公司と重慶長安汽車工場を視察した。

重慶九州神鷹通航公司は、ドローンやヘリコプター、プライベート飛行機などの利用拡大のための施設で、機器の貸し出しや操縦指導などの支援を行っていた。広大な領土を有する中国ならではの空の利用促進を狙ったものとなっていた。

重慶長安汽車工場は、中国でBYDや吉利汽車、テスラ中国に次ぐ、販売台数シェア第4位の最先端の電気自動車工場である。ラインのロボットアームが金属板の切断、曲げ、溶接、塗装、組み立ての一連の作業を行い、タイヤをはめるのと最終チェックだけを人が関わっていた。その場で360度回転する車や、センサーを多用した車など、利便性の面では日本車より遥かに先端を行っていた。

中国には59のユネスコ世界遺産があるが、その一つ、大足石刻を訪れ、丘陵石窟に彫られた仏教、儒教、道教の1万体の石像も見学した。唐代から宋代まで500年間かけ造られた壮大な芸術群に驚かされた。今回の視察は、中国がもつ底力や未来への伸び代を理解する上で大変意義深いものであった。

今年、日中国交正常化53年目を迎えたが、両国間の友好こそが平和維持に不可欠であることは言うまでもない。(茨城キリスト教大学名誉教授、関彰商事株式会社アドバイザー)

「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

0
スポンサー更新契約書に署名する(左から)ハノイ工科大のイエム副学長と関彰商事の関社長

日本商工会議所が関心

関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。

調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。

来社したイエム副学長らを出迎える関彰商事社員ら=つくば市二の宮、関彰商事つくば本社

同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。

同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。

同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。

調印式で撮影に応じるハノイ工科大学一行と関彰商事の役員ら

同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)

つくばセンター地区と水戸芸術館に見る「理想の終わり」《水戸っぽの眼》7

3
「磯崎新:群島としての建築」で展示されていたつくばセンタービルの模型とその廃墟の想像図

【コラム・沼田誠】現在、水戸芸術館(水戸市五軒町)では「磯崎新:群島としての建築」展が開催されています。今回コラムでは、この企画展を見て考えたことを踏まえ、つくばセンタービル(1983年開園)と水戸芸術館(1990年開館)を比較してみたいと思います。

様々な要素の併置

両建築には二つの共通項があるように感じています。一つは「複数の異なる機能や要素を、同じ場所に置く」という特徴です。様々な機能や意匠が、統一された秩序の下に配置されるのではなく、まるで島々のように並び立っているということです。

これは、磯崎が1970年代末から展開した「群島」という思想に基づくものです。都市はもはや単一の理念や価値観では成り立たず、異なる文化や論理が、時に緊張関係をはらみながら併置される―そのありさまを建築で表現しています。

もう一つは、広場に立った時の「静謐(せいひつ)さ」です。センタービルも、水戸芸術館広場も、アラン・ポーの小説『アルンハイムの地所』に描かれるような、外界から隔絶された「閉ざされた理想郷」の趣があります。

例えば、センター広場で行われるイベントの多くは、広場そのものではなく、その周囲のペデストリアンデッキなどで展開されています。ある出展者にその理由を尋ねたところ、「センター広場だと音も外に伝わらず、イベントの開催に気付かれないから」とのことでした。

人を選別する空間

広場とは本来、誰にでも開かれた空間であるはずです。しかし、二つの広場は、どこか「理性的にふるまう者」だけが立ち入ることを許された場所として造られているからではないか─そんな気がしてなりません。そして何より、そのことに誰よりも自覚的だったのは、磯崎自身だったはずです。

その証左として、磯崎自身が制作した版画作品「廃墟と化したつくばセンタービル」(1985年)があります。センタービルが完成する前から、彼はその廃墟としての姿を想像していました。それは、建築が制度や理性の象徴として立ち上がりながら、同時に崩壊へ向かう運命にあることを暗示しています。

つまり、センター地区における「群島」とは、単なる多様性の象徴ではなく、統合する理念が失われた後の「残骸」の姿でもあるわけです。それは、多様性を認めながらも他者との交わりを恐れる、近代的な知性の孤独と言えるかもしれません。

あるいは、無目的=屹立(きつりつ)した個性が明確でないことに対する「恐れ」も含んでいるのではないかとも感じます。かつて「多目的ホールは無目的ホール」という言葉が関係者より繰り返し語られていたことが思い出されます。

廃墟から再構築へ

一方、水戸芸術館には、同じ群島的構成でありながら、こうした「廃墟」のイメージや関連作品が見当たりません。その理由をあえて想像するなら、芸術館が計画された時代背景(1980年代後半)が大きい気がします。そのころ日本は、バブル景気による過剰な繁栄に包まれ、世界では冷戦が終結し、崩壊の予感よりも明るいムードが満ちていました。

こういった時代を受け、磯崎は「理性の限界を嘆く建築家」から「異なる文化をつなぐ媒介者」へと、立場を変えていったのではないかと想像します。

「廃墟」はもはや前提として内側に沈み込み、それを踏みしめながら、もう一度秩序を構築しようとする意思へと転じたのではないでしょうか。個人的には、合理的な西洋近代に代わるものとして、東洋的な思考、具体的には「風水」的な意匠を水戸芸術館に取り入れようとしたのではないかと感じています。

まとめると、つくばセンタービルは「終わりを見つめる建築」。水戸芸術館は「終わりを越えて立ち上がる建築」。二つの建築は、崩壊と再構築の間に立つ人間の葛藤を、静かに示しているように思います。(元水戸市みとの魅力発信課長)

免許返納後は公共交通でお出掛け 土浦のバス事業者が「乗り方教室」

1
バスの乗り方教室に参加し「キララちゃんバス」の車内に座る港町三丁目寿会の参加者

免許返納後はバスに乗る生活にスムーズに移行してほしいと、土浦市でコミュニティバス「キララちゃんバス」を運行するNPOが27日、高齢者を対象に初めてバスの乗り方教室を開催した。

NPO法人まちづくり活性化土浦(同市中央、横山恭教理事長)が実施した。同NPOマネージャーの金澤敦子さん(53)は「免許返納時に初めてバスに乗るのでは戸惑ってしまう。車を運転しているうちに、並行してバスに乗り慣れる生活を送ることが大切。いつでもバスの生活にシフトできるよう、乗り方教室を企画した」と狙いを話し、「キララちゃんバスの乗り方がわからず、利用しない人もいる。乗り方を覚えるきっかけさえあれば利用してくれるはずという思いもあった」と語る。

27日開催されたバスの乗り方教室には、シニア団体、同市港町三丁目寿会の70代から92歳までの男女17人が参加。同NPOの横山理事長は「キララちゃんバスは市ではなく、まちづくり活性化が運行している。足として、キララちゃんバスを利用していただいて、安心して暮らせる環境作りをしたい。今日は実際に乗っていただき便利さを実感してほしい」とあいさつした。

ピアタウンバス停からキララちゃんバスに乗り込む参加者

参加者は港町三丁目バス停から乗車。バスを待つ間、バス停の時刻表に掲載されているQRコードを読み取ると、バスが今どこを走っているかがわかる最新のバスロケーションシステムについても、各自自分のスマートホンをかざして体験した。

乗車する際は、前扉から乗車して乗車券を見せる、降車するバス停名がアナウンスされたら降車ボタンを押して降りるといった流れも体験した。乗車料金の支払い方法として交通系ICカードをタッチしたり、現金で払ったりなどさまざまな方法があることも同法人スタッフから説明を受けた。キララちゃんバスに初めて乗ったという参加者からは「知らなかった」といった声も上がっていた。

バスに乗車すると、窓から見える街並みを見ながら話が弾んでいた。約15分後、ショッピングセンター、ピアタウン(同市真鍋町)で下車して30分ほど買い物やお茶などを楽しんだ。再びピアタウンからバスに乗り、港町三丁目のバス停に戻った。バス代として同法人が1日乗車券を用意した。

乗り方教室に参加した82歳の女性は「初めてキララちゃんバスに乗った。ピアタウンまで近いので驚いた」と話す。78歳の女性は「わいわいと皆さんと楽しく乗れてよかった。今度は仲間でキララちゃんバスに乗ってランチを食べに行きたい」と笑顔で語った。

港町三丁目寿会会長の黒田千勝さん(82)は「半年ほど前にキララちゃんバスから乗り方教室をやりませんかと言われた。会員は高齢者が多いので、免許証を返納して後々バスにお世話になる人も多い。バスは乗り方のコツを覚えれば便利だと思う」と語り「自ら運転するより、バスの方が安全だと思う。キララちゃんバスはコースによっては時間がかかるが『楽しんで乗る』と考えを変えるのもよいのでは」と話した。副会長の結城由行さん(82)は「町内ではキララちゃんバスの認知度は低かったと思うので実施してよかった。寿会だけでなく町としてやるのもいいと思う」と語った。

(左から)副会長の結城由行さんと、会長の黒田千勝さん

寿会は、地域の60歳以上の会員48人で構成され、普段は茶話会などで公民館に集まっている。同NPOが乗り方教室を寿会に依頼したのは、港町の区長がキララちゃんバスの取り組みに賛同し、町内会では初めてサポーター会員になってくれた縁もあったという。

同NPOの金澤さんは「今年8月、視察に行った山形県の庄内交通でバスの乗り方教室を開催しているのを見て、今回の開催の背中を押された」とし、「今後はNPOの理事が住んでいる町に呼び掛けて乗り方教室を開催し、バス利用者を増やしていきたい」と意気込みを語った。(伊藤悦子)

交通インフラで地域を変える 小田川つくばみらい市長【キーパーソン】

0
小田川浩つくばみらい市長

鉄道や道路といった交通インフラは、通過する地域や周辺を大きく変える。伊奈町と谷和原村が合併して誕生した「つくばみらい市」は来春に市制20周年を迎えるが、開通から20年が経ったTX(つくばエクスプレス)みらい平駅周辺は一大住宅地域に変貌した。TXなどの交通インフラによって同市がどう変わったのか、これからどう変わるのか、小田川浩市長に聞いた。

みらい平地区と旧伊奈の間に新住宅地

2006年3月の町村合併時、新しい市の人口は4万1200人だった。それが今では5万3700人になっており、20年弱の間に1万2500人増加した。死亡者が出生者を上回る人口の自然減を加味すると、それ以上増えたことになる。

「みらい平駅周辺の人口は1万6000人を想定していたが、現在の人口は1万7700人を超えている。市全体の人口の3分の1がTX周辺の新興住宅地(200ヘクタール)に住んでいることになる。TXがなければ、これほどの発展はなかっただろう。まさにTXが『まちづくり』をけん引した」

現時点での問題はTX駅周辺の住宅用地が足りなくなっていること。「これを解決するため、みらい平地区と伊奈東市街地の間にある土地を住宅地にする。駅から1.5キロのところにある約19ヘクタールの土地を開発、完成すると800世帯程度が住めるようになる。来年度には地権者による土地区画整理組合が発足する予定だ」

来年秋にスマートICが開通

つくばみらい市にとって、来年度最大のイベントは常磐道のスマート・インターチェンジ(IC)開通。東京寄りの谷和原ICから3.7キロ、水戸寄りの谷田部ICから7.5キロの地点で整備が進んでおり、秋には「つくばみらいスマートIC」が開通する予定という。

「開通に伴い、インターチェンジ周辺の約60ヘクタールを産業・商業用地として開発、工場や商業施設を整備する構想を立てている。市のほぼ中央部に新ICができ、その周りに商業施設を整備すれば、東京圏からやって来る人も増える。このスマートICは、取手市や龍ケ崎市の人にとっても常磐道に一番近いICになり、これら地域の方にも便利になると思う」

新スマートICの概略図(つくばみらい市提供)

Ⅰ期とⅡ期の工場団地は完売

市を東西に常磐道が貫き、西隣りの常総市や北隣りのつくば市を圏央道が横切ることもあり、つくばみらい市は工場建設の人気エリアだ。旧町村に適地が多かったことが、工業団地整備にプラスになったと言える。

「8年前に土地区画整理組合による区画整理事業で32ヘクタールを工場用地に造成したところ(第Ⅰ期)、短期間のうちに7社の企業立地が決まった。第Ⅱ期区画については県による工業団地造成が進められ、日清食品、ダイキンなど大手企業7社の企業立地が決まった」

第Ⅲ期の工場用地開発があるのか聞いたところ、「今のところは無い。大型工業団地を用意して工場を誘致するのはⅠ期とⅡ期で一段落した。ただ、企業から工場用地がないかと相談があれば、市内の適地を探して要望に応えていきたい」

15年先の人口は20万人?

TX、常磐道、圏央道という交通インフラによって、つくばみらい市は「白紙に絵を描くような」まちづくりを進めてきた。15年先、2040年の人口はどのくらいになるか質問したところ、同席していた担当課長に「20万だっけ?」と笑いながら聞き、「冗談、冗談。5万6000人ぐらいかな」と修正した。これまでの勢いが維持されれば、20万人も夢ではないかもしれない。

【おだがわ・ひろし】明治大学大学院ガバナンス研究科修了。会社員、会社役員を経て、2012~17年、つくばみらい市議。2018年から市長、現在2期目。旧伊奈町生まれ、58歳。

【インタビュー後記】埼玉県にも伊奈町があり(いずれも江戸幕府関東郡代伊奈氏の領地)、私の娘家族が住んでいる。圏央道開通前、孫たちに会いに行くのに一般道を使い、片道2時間半もかかった。今では圏央道経由で1時間10分。片側2車線化が完成すると、1時間に短縮される? 交通インフラの充実は生活の形を変える。(坂本栄)

市職員が刑事告発 つくば市生活保護行政めぐり「虚偽公文書作成罪に該当」

47
告発状

県の監査に5年間虚偽報告

つくば市の生活保護行政をめぐる不適正な事務処理に関し、同市が県の監査に対して虚偽報告をしたのは「虚偽公文書作成罪に該当する」などとして、同市職員(40)が20日付でつくば警察署に刑事告発していたことがわかった。

告発内容は、生活保護を担当する市のケースワーカーなどの現業員が受給者に生活保護費を支給するにあたって、組織的に現業員が現金を取り扱っていたにもかかわらず、2019~23年度の5年間にわたり、県の監査調書に虚偽の回答を行い県に提出していたほか、23年度の県の監査でも県に対し「現業員が現金を取り扱うことはない」など事実と異なる説明をしていたなど。告発した市職員は、公務員がその職務を行使する目的で虚偽の文書を作成した虚偽公文書作成や背任などにあたるなどと指摘し、「虚偽が5年以上に及んだ事実を考慮すれば市が組織的に行ったものであることは否定し難い」「すべての事実が明らかになっているとは思えず、看過することはできない」などと指摘している。告発対象者は不詳としている。

現業員の現金取り扱いをめぐる虚偽報告については、県が2024年度に実施した特別監査で、市に対し「監査において虚偽の報告を行う行為は非常に悪質であり、生活保護行政に対する社会的信頼を損なうものとして誠に遺憾」だなどと指摘している(25年3月17日付)。

生活保護費の現金取り扱いをめぐっては、全国各地で現業員が現金を失くしたり取ったりしていたことが分かり、会計検査院が2007年度の報告で是正を求め、厚労省が現金取り扱い手順や決済権者を明確にした事務処理規定の整備や、事務処理方法の見直しなどを求めていた。

つくば市の場合、2015年度に「現業員は原則として金銭等を取り扱わないものとする」などの内部規定を作成し、18年10月に「現金支給については現業員以外の担当職員を指定する」などと改めた。内部規定が守られなかったことについて同市は県の調査に「(内部規定が)組織的に周知徹底されず、引き継ぎもされなかったため適切に運用されなかった。現金取り扱い員の人員不足もあり、現業員による現金支給を組織的に黙認していた。そのため監査においても事実と異なる説明を行っていた認識はあり、虚偽の報告を行っていた」などと回答している。現在は改善され「基準に基づいた運用を徹底し、二度と虚偽報告を繰り返さないことを徹底」しているとしている。

県に対する虚偽報告について、市福祉部は今年6月に発表した報告書の中で「(現業員の現金取り扱いについて)管理職は業務中も『口外しないこと』『台帳に記録しないこと』を指示し、県の監査においても事実と異なる回答をするよう指示していたと考えられる」などと記述している。なぜ5年間も県に虚偽の報告を続けたのかについての原因や背景は、報告書では明らかにされていない。

今回の市職員による刑事告発について同市の五十嵐立青市長は「(刑事告発が)どの部分か確認してないのでコメントできない。(生活保護行政をめぐる同市の不適正事務については)これまでも福祉部の報告等ですべて明らかにしているし、是正も行われているので、我々としてはこれまで通り改善を進めていきたい」としている。

刑事告発した市職員は2022~23年度まで約2年間、市社会福祉課に所属し生活保護行政を担当した。業務の中で、誤支給や誤認定など不適正な事務処理が行われていることを見つけ、内部で是正を訴えたが聞き入れられず、24年2月と3月に各種の不適正事案の是正を求めて市公益通報委員会などに通報した。その後市は、県などからの指摘を受けて24年7月に誤支給や誤認定などを公表し、25年6月に報告書をまとめた。しかし市職員は「すべての事実が明らかになっているとはいえない」などとして、24年8月と25年6月に特別委員会や第三者による調査委員会の設置などを求めて市議会に請願書を出し、不採択となっていた(9月26日付)。

告発した市職員は「最近のつくば市の記者会見や議会での様子を見るに、とても市民に対して誠実に向き合っているとは言い難く、このまま市当局に任せていても遅々として事実は明らかにならないと思い、刑事訴訟法に定められた公務員の告発義務に基づき今回告発した」としている。

つくば警察署は、告発状を受理したかどうかについて「個別のことはお答えできない。仮に出ていたとしても捜査に関わることはお答えできない」としている。(鈴木宏子)

神様の日常は人間の非日常《マンガサプリ》1

2
写真は筆者
瀬尾梨絵さん

【コラム・瀬尾梨絵】私はマンガの大ファン。いろいろな作品を主に冊子で読んでいるが、このコラムでは私が面白いと思ったものを紹介していきたい。初回は、筑波山をモデルにして神様も登場する「ひとひとがみ日々」(古山フウ著 全5巻 小学館)。神様が出てくるというと、枕詞に「いにしえの〜」とか、「昔々…」なんて言葉がついてくるイメージが強いと思うが、背景の時代は限りなく現代に近い。

舞台は、町から少し離れた「ミツカド山」の麓。隣には「フタツカド山」という二峰の山もあり、筑波山の周りの山々のような地形だ。そこの廃村に、人間の姿になった神々が暮らしている。石の祠(ほこら)の神のイシ、菊の神の菊など、個性的な能力を持った神々が登場する。

例えば、猯(まみ)と呼ばれる神はタヌキのように姿を自在に変えられる。たくさんの神が登場する中で、宝塚がお好きな方は、「ヤネ」という神に注目してほしい。しかし、その力は人間の姿になる前より衰えてはいるようだ。少し時間がたつと大けがが治り、神様と人間の狭間でチグハグな様子がかわいらしい。

「人間1年生感」の神々

彼らはなぜ自分たちが人間の姿になったのか、思い出せないまま時を過ごしている。元は人間が暮らしていた廃村に、人間の姿になった神様たちが工夫を凝らして生活する姿も「人間1年生感」があり、ほほ笑ましい。

体の作りは人間なので眠くもなるし、空腹にもなる。神の姿だった時ではすることの無かった食事をする。食材の調達は主に、物の怪たちが新月の際に開く市でそろえる。ここまで書くと本当に人間のようだが、市でのお代の支払いは、髪の毛数本だったり爪の先だったり、突然人間らしくない。

イタチやトカゲなどの姿をしている物の怪たちにとって、神様の体の一部というのは力のあるものらしく、お代をもらった物の怪が当たり前のように髪の毛を食べていて、こちらの喉に引っかかりそう。

筑波山がモデルの「フタツカド山」

食事をするシーンが何度もあるのだが、これら全ておいしそうなのも注目したい。山菜を使った煮物や、市で売っている冷やしアメ、ペンキの缶で沸かしたミソ汁まで様々な食べ物が出てくる。個人的にフキミソのおにぎりは確実においしいと思う。素朴で魅力的な料理の数々と、ほっこりする作画が相まってとてもお腹が空く。

筑波山をモデルにしたという山も「フタツカド山」として出てくる。立派な神社があり、登山客も多く、まさしく筑波山のようだ。神社があるのでこの山にも神様たちがおり、それぞれの山の神同士交流も描かれるのだが、これもまた人間(?)模様が渦巻いており、ほほ笑ましい。

冒頭でも記したが、ミツカド山の神々はなぜ人間の姿になったかは本人たちも覚えていない。人間に忌み嫌われ打ち捨てられてしまったのか、何か良からぬものが働いているのか。力があるとはいえ、人間の姿になる以前よりも弱くなっているということは、ゆっくりと消滅へ向かっているのかもしれない。優しい作画と少し暗さを感じるこのバランスが病みつきになる作品だ。(牛肉惣菜店経営)

【せお りえ】土浦市出身。飯村畜産(土浦市)の直営店iimura-ya(いいむらや、つくば市二の宮2丁目)店長。地域密着型の弁当・惣菜・精肉販売店に10年間従事。日々の店舗運営で、多様な年代、多様な価値観を持つお客様と接する中で培った人間観察眼を、マンガの選定に生かす。コラムでは、疲れた心にサプリとして、マンガで癒され明日への活力になる一冊を紹介していく。

掃いても、掃いても《短いおはなし》45

1
イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

私は、イチョウの木でございます。
神社の参道へと続く道に、たくさんの仲間と一緒に立っております。
このあたりでは、少しばかり有名な並木道でございます。

青々と茂っていた葉は、秋が深まると黄金色に染まります。
それはそれは素敵な散歩道になりますのよ。
葉っぱたちは、風にはらはらと舞い落ちて、地面に黄色のじゅうたんを敷き詰めます。
ため息が出るほど美しい晩秋の風景ですわ。

ところでこの春、神社の長男が嫁をもらいました。
その嫁が、まあ、きれい好きと言いますか、風情がないと言いますか、せっかくの美しい葉っぱたちを箒(ほうき)で掃いてしまうんです。
竹箒でザッ、ザッ、ザッ、と葉っぱを集め、ゴミ袋に入れるんです。
何ともまあ、風情のない現代っ子でございます。

こちらとしても、負けるわけにはまいりません。

「おまえたち、あの女めがけて散りなさい」

私が命令すると、葉っぱたちは嫁をめがけて、まるで矢のように降りました。

「ああ、もうっ、掃いても、掃いてもきりがない」

嫁はとうとう掃くのをやめて、家に帰って行きました。
勝ちました。

…と思ったのもつかの間、今度は、大きな熊手を持って現れたのでございます。
あんなものでかき集められたら、たまったものではありません。
私たちは、嫁がいなくなるまで待って、ふたたび葉っぱの雨を降らせました。
負けるものですか。

そんなバトルが、数日続きました。
嫁がどんなにきれいに掃いても、翌朝にはまた黄色のじゅうたんが敷かれます。
それでも嫁は懲りもせず、毎日箒を持ってやってくるんです。
こういうのを、イタチごっこというのかしら。

次の日は、朝から雨でした。よく降る雨でございます。
並木道を、レインコートを着た小学生が走って来ました。
通学路ではないけれど、おそらく学校までの近道なのでしょう。
遅刻しそうなのか、赤い顔をして、一生懸命走っています。
子供の長靴が葉っぱを踏んだ時、つるりと滑ってバランスを崩しました。

「まあ大変」

私は、とっさに枝を伸ばして、子供を抱き上げました。
子供は、転ばずにすみましたが、よほど驚いたのでしょう。
大きな声で泣きました。

それを聞きつけて、嫁が走ってまいりました。

「滑っちゃったのね。気をつけて。走っちゃダメよ」

優しく頭をなでて、女の子を見送りました。
そして私の幹に手を当てて、誰にともなくつぶやいたのでございます。

「きれいなんだけど、滑るんだよね」

嫁は、黄色の葉っぱをひとつ拾いあげ、指で優しく汚れを落としたのでございます。

「雨が止んだら、また掃かなくちゃ」

あら、宣戦布告とは頼もしい。

でもね、ごらんなさい。もう葉っぱが、いくらも残っていませんの。
もうすぐ12月ですもの。

「どうぞ、好きなだけお掃きなさい」

あら、私ったら…。
どうやらこの嫁が、少しだけ好きになったようでございます。

(作家)

スズメの記憶二つ《鳥撮り三昧》7

4
写真は筆者

【コラム・海老原信一】今回はスズメの話を二つしてみます。一つは、野鳥の観察・撮影を始める前のことです。小学生3人の子供たちを連れ、栃木県小山市にあった「小山遊園地」へ出かけた際の出来事です。当時、この遊園地は存在感がある施設でしたが、20年ほど前に閉園となり、今は大型ショッピングセンターになっています。

運転席の窓を全開にして、下館から結城を抜け、小山市内を走っていた時、全開した運転席に小さな塊が飛び込んできました。驚きましたが、すぐスズメであるのが確認できました。車内はこの出来事に興奮状態です。

スズメは自分のいる所が本来の場所ではないと思ったのでしょう、フロントガラスに向かい飛び出そうと羽をバタつかせています。私も、まさかスズメが同乗者になるとは想像もできませんでしたが、右手を伸ばし、ダッシュボード上で動けなくなっているスズメ保護できました。ケガはしてないようでしたので、窓から放鳥しました。

もう一つは、野鳥の観察・撮影を始めて10年ぐらい経った時のことです。「花と鳥」という定番の情景を求めて、何日か同じ場所に通っていました。今日で一区切りと思いながら、周りを眺めていると、視界の下方で何かが動き、自分の方に這い寄って来る気配。見ると、1羽のスズメが足元に来てうずくまりました。

人からは逃げるはずのスズメがなぜ? そう思ってよく見ると、足元にうずくまったまま動く気配がありません。目は半分閉じられ、ゆっくりとした呼吸が感じられるほどでした。見るからに弱っており、残された時間の長くないことがわかりました。

足元に寄って来たのは、冷えてきた自分の体を温めたいと人の体温を求めたからではないか? でも私はじっとしている以外になすすべがなく、かなりの時間そのままでいました。やがて動かなくなったスズメをそのまま置き去りにするのが忍びなく、近くのヤブに隠しました。生きている時間を少しでも遅らせることができればと。

二つの記憶。一つは楽しかった記憶。もう一つは切なかった記憶。これからも、野鳥との関わりの中で多くの記憶を残せたらと思っています。(写真家)

いくつかの符合 記憶の継承(1)《文京町便り》46

0
土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】体験・記憶の継承は、意識的に行われる場合もあるが、偶然の場合もある。戦争や東日本大震災などは前者で、しかも社会的な取り組みが求められる。家族・知人の体験の多くは後者で、その発現は一般化しにくい。今回は、私自身の体験を紹介したい。

私の母方の祖父(1888~1976年)は、県会議員(1907~15年)を父に持ち、自身も地元の小学校長・村長を務め、二男五女に恵まれた(私の母は三女)。加えて、進学先の土浦中学(現在の土浦一高)では友人(後に町長)にも恵まれ、その長女を自分の長男(後に町長)の嫁に迎えた。その祖父が、私が土浦一高に進学した際、自分自身の体験を基に、友人との出会いの重要性を語り、激励してくれた。

武井大助と小泉信三のこと

その祖父(自身は第7回=1908年3月=卒)は「自分が入学した土浦中学には、立派な先輩たちがいた。とりわけ、武井大助氏(第3回=1904年3月=卒、1887~1972年、東京高商=現在の一橋大学=卒、海軍主計中将。歌人としても知られ、戦後、安田銀行・文化放送社長などを歴任)は、学業成績もさることながら人格も高潔だった」と話してくれた。残念ながら、武井氏の具体的なエピソードを聞きそびれたが、この先輩の名前は記憶していた。

その後、私は慶應義塾に進学し、塾生(在学生)・塾員(卒業生)の必読書『学問ノススメ』『福翁自伝』『海軍主計大尉 小泉信吉』(前2書は福沢諭吉著、3冊目は小泉信三著)などを手に取ってみた。塾長・小泉信三(1888~1966年)は、『…小泉信吉』(1946年、300部限定私家版)で、1942年10月に南太平洋で戦没した一人息子への哀切をつづった。

自身は東京大空襲(1945年5月)で瀕(ひん)死の大火傷(やけど)を負い、『…小泉信吉』の公刊を固辞していたが、没後の1966年、文藝春秋から刊行された(文春文庫、1975年)。

一読では気づかなかったが、再読・三読してみると、信吉主計中尉(戦死後大尉)の死後、武井主計中将・海軍省経理局長が小泉邸へ弔問。信三博士は、海軍省へお礼に伺候(しこう)するなど、信三博士と武井中将の交流エピソードが登場する。この武井氏は土浦中学のあの大先輩ではないか、と思い当たった。しかも武井氏は、信吉中尉が乗船し轟沈(ごうちん)した戦艦・八海山丸の艦長・中島喜代宣大佐(戦死後少将)と中学同級生だったそうだ。

同書では、学校名への具体的な言及はないが、これは明らかに土浦中学である。歴史上の(偶然の)奇縁をもって、この関係性を明記しておきたい。

武井氏は二度目の弔問の際、「一筋にいむかふ道を益良夫の ゆきてかへらむなにかなげかむ」と詠んだそうである。これは、わが子顕家の戦没を嘆く北畠親房の気持ちにつながるものだ、と信三博士は記している。親房が、南朝・後醍醐天皇の意を体して、筑波山麓の小田に籠(こも)ったことは知られている。さらに、『…小泉信吉』私家本を出す際、編集者の依頼で横山大観(水戸出身)に巻頭の絵(群青で日ノ出の富士)を描いてもらいながらも、戦災で原稿とともに焼失したことも、茨城県人としては縁の符合を感じざるを得ない。

アダム・スミス輪読会

武井氏がこれほどまでに信三博士とのつながりを大事にしていたのは、東京高商教授・福田徳三(1874~1930年)の千駄ヶ谷宅でのアダム・スミス輪読会(福田が慶應義塾大学教授だった1905~18年ころか?)に、2人が学生として同席して以来の関係性に由来するようである。

ちなみに、武井氏は1911年(当時は中主計)、英国王ジョージ5世戴冠祝賀で英国を訪れた際、スミスの生地・カーコーディに足を延ばしたが、スミスの痕跡はほとんど残っていなかった。しかしその後、案内した現地の人たちによってスミス顕彰の動きが始まったようである。このエピソードは、小泉信三著『読書雑記:アダム・スミス』(文藝春秋新社、1948年)に記されている。(専修大学名誉教授)

自動運転バス「レベル4」27年度実現へ つくば市で3回目の実証実験開始

12
筑波大から、つくば駅前のターミナルに到着した自動運転バス「ミニバス2.0」

つくば市で21日、公道を使った自動運転バスの走行テストを行う実証実験が始まった。ルートは、つくば駅から筑波大学構内を循環する約10キロの既存のバス路線で、所要時間は約40分。一般の乗客を乗せて1日4便の運行を来年1月23日まで続ける予定だ。同市は2027年度に、運転手不在の状態で、特定の条件下で完全な自動運転が可能となる「レベル4」の実現を目指している。

この実験は、昨年と今年1月に続いて3回目となる。今回はこれまでと同様、状況に応じて運転手が操作を行う「レベル2」での実施となる。

運転席の後ろに設置されたモニターに走行状況が映し出される

今回は、国の補助金を活用して関東鉄道が自動運転バス車両を新たに購入し、同社のバス路線「筑波大学循環」内のすべてのバス停に停車するなど、新たな取り組みも加わった。また、今年8月にはつくば市を代表として、筑波大学、関東鉄道、KDDIが「つくば自動運転社会実装推進事業コンソーシアム」を設立。民間5社の協力も得て実施されている。

今回使用されている車両は、名古屋市のベンチャー企業ティアフォーによる自動運転EVバス「ミニバス 2.0」。最高時速は70キロ、定員は28人だが、自動運転時は時速35キロ、定員16人で走行する。走行時には8台のカメラと13台のレーザーセンサーが周囲の状況を分析し、事前に設定した走行ルートに従って自動安全システムが交差点やカーブでの停止・発進、加減速などを行う。緊急時には乗車する運転士が手動運転で対応する。この日は通信トラブルが発生し、バス停での停車・発車時などで手動操作に切り替え運行した。

車体にプリントされる実証実験に参加する団体名

つくば市科学技術戦略課の中島央樹さんは、今回の実証実験について「国は、全国で自動運転サービスの実装を2025年度に50カ所、27年度に100カ所以上とする目標を掲げている。つくば市もこれに合わせ、27年10月に完全に運転手がいないレベル4の実装を目指している」とし、「昨年は6カ所のバス停のみ停車したが、今回は、路線バスと同じ動きをすることを目指し、29カ所すべてに停まるようにした。以前はつくばセンターのロータリー外側から発車していたものを、内側からの出発に変更した」と説明し、「つくば市に限らず、中心部と周辺地域の移動格差が課題となっている。つくばは車が主な移動手段で、交通渋滞や事故が問題になっているほか、交通事業者では運転手不足による減便などの課題もある。自動運転バスの運行を通じて公共交通を地域に根付かせ、こうした課題の解決につなげていきたい」と目標を語った。

同市は今年度当初予算で、国の国庫支出金を財源に、自動運転バスの購入費、自動運転地図作製費、レベル4通信費など約1億3400万円と、自動運転バス年間維持費約1370万円の計1億4770万円を計上した。今年度は実証実験とレベル4許認可申請、26年度は実証実験、27年は定常運行を目指している。(柴田大輔)

◆乗車料金は無料。QRコードで希望の時間を事前予約する。事前予約がない場合は先着順となり、定員に達した場合は乗車できないことがある。詳しくはつくば市ホームページへ。

ナショナルトラストと自然共生サイトが同時実現《宍塚の里山》130

1
紅葉真っ盛りの宍塚大池

【コラム・森本信生】市民の意思で土地を守る「ナショナルトラスト」と、国が認定する新制度「自然共生サイト」。歴史のある活動と新しい仕組みが、宍塚の里山で本格的に重なり合った。

ナショナルトラストの特徴は、市民が資金を出し合い、自然や歴史的環境を「自分たちの手で」次世代に引き継ぐ点にある。発祥は1895年のイギリス。急速な都市開発が進むなか、「失われゆく景観を市民の力で守る」ことが出発点だった。

日本でも1964年、鎌倉・鶴岡八幡宮裏山の開発を防ぐため、市民と市が協力して土地を買い取った例が最初とされる。現在、日本ナショナルトラスト協会に関わる団体の会員は計17万人、保全地は約1万5000ヘクタールに及び、市民による継続的な取り組みとして根付いてきた。

一方、自然共生サイトは、生物多様性の国際目標「30by30」達成のために創設された制度である。国立公園のような法的保護区だけでなく、民有地や市民団体が管理する森も、一定の管理水準を満たせば保全エリアとして国の認定を受けられる。科学的根拠に基づく評価と行政の審査が特徴で、信頼性の高い新しい仕組みといえる。

この二つが交わったのが、宍塚の里山だ。9月16日に自然共生サイトに正式認定されたのは、前回のコラム129で紹介したが、それに続き、9月25日には日本ナショナルトラスト協会から助成金の交付が決定。「キャンエコの森」と呼ばれる447平方メートルの雑木林を対象に、宍塚でナショナルトラストが実現した。

自然共生サイトに認定されたのは三つの森であるが、残る二つの森は、すでに会の基金や寄付によって取得済みなので、今回登録された自然共生サイトすべてが「自ら土地を持つ」形で保全される体制が整ったことになる。

市民と行政が自然を守る新モデル

宍塚における常磐自動車道路のスマートインターチェンジの設置決定や、つくばエクスプレス(TX)のつくば駅から土浦駅への延伸構想のなかで、宍塚の里山の保全をいかに図るかが課題となっている。このような情勢のなかで、宍塚で実現したナショナルトラストと自然共生サイトの両者の組み合わせには、意義があり、大きな相乗効果が期待できる。

市民参加と土地所有というトラストの強み、国の認定による制度的裏付けを提供する自然共生サイトの強み。これらが重なることで、価値のさらなる明確化、資金調達の安定性、企業・行政との協働の広がり、科学データの蓄積、地域ネットワークの強化など、多角的な効果が見込まれる。

宍塚の里山は、市民と行政が連携して自然を守る新しいモデルとして、その持続可能な保全がより力強いものとなっていくだろう。そして、その成果が、土浦の誇りとなり、日本全体、さらには世界に波及してくことを強く願っている。(宍塚の自然と歴史の会 理事長)

旧家住宅が登録有形文化財に つくば市栗原 家族が保存・活用方法を模索

0
下邑家住宅の長屋門と堀。地域の歴史的景観を形成している=つくば市栗原

国の文化審議会(島谷弘幸会長)は21日、江戸後期から大正後期に建築されたつくば市栗原、旧家の住宅「下邑(しもむら)家住宅」の主屋(おもや)や米蔵、長屋門など6棟1基を、国の登録有形文化財に登録するよう文科相に答申した。主屋と米蔵は造形の規範として、長屋門や塀は歴史的景観に寄与するものとして評価された。

登録されるのは、主屋と、米蔵・北蔵・南蔵の3棟の蔵、長屋門、外便所、塀。同市文化財課は「市として、市内で文化財の登録が増えるのは喜ばしい。これまでにもイベント等で活用されてきた実績がある施設で、今後も市としてイベントの周知等を通じて連携していきたい」と話す。答申後、官報に告示され、正式に登録される。登録されれば、市内の登録有形文化財は7カ所28件になる。

主屋=2023年撮影

下邑家は、新田開発や質屋などの事業で財を成した。同市筑波地区と土浦市を結ぶ街道沿いにあり、敷地面積は約4200平方メートル。

主屋は平屋建て寄棟造、江戸後期の建築とされ、明治中期に現在の豪華な姿に改修された。間取りは、一般的な農家建築よりも部屋数が多い六つ間取りで、来客を迎えるための広い式台玄関などに当時の栄華を見ることができる。座敷は、書院の障子や欄間(らんま)に、繊細な模様を作り出す組子(くみこ)を用い、格式を備えている。

3棟の蔵のうち、米蔵は1921(大正10)年ごろに建てられた。木造2階建て、切妻造、外壁は黒漆喰(しっくい)塗仕上げで、屋根材を構成する下屋桁(げやけた)には、長大なマツの一丁材が使われるなど豪華な造りとなっている。入り口脇には英語で記された木札が残され、戦後にGHQの食糧倉庫として借し上げられたことを伝えている。江戸後期の建築と伝わる北蔵は、かつて質草を保管した蔵で、外壁を漆喰で塗り固めた土蔵造り、こて絵による「下邑」の文字が残る。南蔵は、関東大震災以後の1924(大正13)年に再建され、現在も倉庫として使用されている。

長屋門と塀は明治前期に建築され、長屋門は門口廻りにケヤキ材を用いた重厚な造りとなっている。塀は三段の切石積みの基礎の土台の上に柱を立てて造られている。

長屋門から望む中庭=2023年撮影

震災と家族の思いが背中押した

下邑家の7代目の下邑悠司さん(32)は、母の郷晴美さん、妹の瑞季さんらと参加者を募り、住宅敷地内で飲食物やハンドメイド作品などを販売する「邑(むら)マルシェ」の開催や、レンタルスペースとして利用者を募るなど、これまで古民家の新しい利用方法を模索してきた。

今回、国登録有形文化財に登録されることについて下邑さんは「家を残さないと先祖に顔向けできないという焦りがあった。東日本大震災での家の破損と、祖父の逝去とが重なり、その思いが加速した」と述べ、「2017年から開始した『邑マルシェ』は、資金がない中でできる活動として、多くの人に家を知ってもらうために始めた。今回の文化財登録は、さらに多くの方に知ってもらうための大きな一歩」と話す。

また「2028年には下邑家が今の場所に移り住んで230年を迎える。そのタイミングで家の歴史そのものに焦点を当てた展示会を、邑マルシェと同時開催することを計画している」と語り、今後については「今の姿のままを残していきたい。古建築活用といえばリノベーションやワークショップが主流だが、資金や人脈がない一個人には難しい。一方、リノベーションしていない本来の姿が喜ばれる活用方法としてマルシェや撮影利用などがある。古い家に生まれたものの、保存に悩んでいる全国の皆様の参考になれるように活動していきたい。今回の登録は、出店者やお客様、家の保全や広報を手伝ってくれている方々のおかげで実現したもの。感謝を忘れることなく今後も邁進していきたい」と思いを語った。(柴田大輔)

〈下邑家住宅の過去記事〉
➡古民家活用のモデル模索中(2023年5月31日付
➡地元ホテル、ワイナリーとコラボ(23年10月23日付
➡大正建築の米蔵に価値を見出す(23年10月24日付
➡コスプレーヤーの高校生ら動画制作しPR(24年5月16日付

高所作業車から2人が転落 つくば市並木大橋

6
つくば市役所

アームが車線はみだし大型トラックと接触

20日午後0時5分ごろ、つくば市並木4丁目、学園東大通りに架かる並木大橋で、作業員2人が高所作業車のアームの先端に設置されたゴンドラに乗って作業中、アームが隣の車線にはみ出し、走行してきた大型トラックの荷台に接触、ゴンドラに乗っていた20代と30代の男性作業員2人が4~5メートル下に転落した。2人は救急車で病院に運ばれたが、30代男性は重体、20代男性は重傷を負った。2人共、意識はあるという。

つくば市道路整備課によると、工事は同市が発注した橋梁長寿命化補修工事。この日は、東大通りの片側2車線の道路のうち、荒川沖方面に向かう、並木地区の住宅街側の1車線を通行止めにしていた。作業員2人はアームの先端のゴンドラに乗って、橋の底部のコンクリートひび割れの補修作業を実施、ひび割れ箇所に注射器のような注入器具を取り付けて薬剤を注入し、取り付けた注入器具を回収する作業をしていた際、注入器具を回収するためアームを隣の車線の上に動かしたところ、走行してきた大型トラックの荷台にアームが接触した。

転落した作業員2人はいずれも下請け会社の作業員だった。

同課によると、本来、アームを隣の車線の上に動かす際は、隣の車線も一時通行止めにすべきだったが、規制しなかったという。市によると、なぜ車線を規制しないままアームを動かしたかなどの原因は現時点で不明としている。

この事故で、アームが動かなくなり高所作業者の撤収に時間がかかったなどから、荒川沖方面に向かう片側2車線がいずれも、同日午後6時15分まで約6時間にわたり通行止めになった。路線バスと高速バスのバス停3カ所も利用できなくなった。

並木大橋の橋梁補修工事は6月3日に始まり、来年1月30日まで実施される予定。再発防止策として市は同日、元請け業者に対し、工事現場の規制方法の再確認や交通誘導員及び現場作業員に対する安全対策の再教育を指示した。さらに現在、市の工事を受注している全事業者に対し、安全対策に関する指導を徹底するとしている。

地元企業から社協へ 福祉活動への寄付金を贈呈

5
寄贈式で撮影に応じる関彰商事の葉章二常務(左端)、関正彰取締役(中央)と、市社協会長の松本玲子副市長(左から4人目)

つくば市に本社を置く関彰商事(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)の「セキショウふれあい基金」から20日、同市社会福祉協議会(会長・松本玲子副市長)に50万円の寄付金が贈呈された。20日、つくば市役所で贈呈式が催され、市社協会長の松本玲子副市長は「幅広く、地域福祉への貢献のために有効に活用することで、さらにつくばへ貢献していきたい」と語った。

セキショウふれあい基金は、地域の社会福祉貢献活動を支援することを目的に1999年に創設された。会社と職員のほか、同社の顧客から募った寄付金をもとに、県内外で福祉貢献活動をする団体や自治体に寄付活動を行っている。今年で26年目を迎え、東日本大震災の際には茨城県と福島県いわき市に、2019年の台風19号、23年の台風13号の際には被災した自治体に義援金を寄付した。22年に守谷、常総、坂東、つくばみらいの4市が連携しウクライナ避難民を受け入れた際には、生活支援金として200万円を寄付している。

関彰商事によると、県内に44あるすべての社会福祉協議会に対して、9年かけて寄付を行っていくとし、今年はつくば市をはじめ、阿見町、美浦村、河内町、牛久市に50万円ずつ寄付する。

寄贈式のあいさつで、関彰商事の葉章二常務取締役は「高齢者や障害者、子どもたちなど、地域で支援を必要とされる方々へ幅広く活用されることを希望している。つくば市社会福祉協議会が推進しているさまざまな活動に役立てていただければ」とし、「今後も地域とのつながりを大切にし、地域貢献の一環として社会福祉活動を支援していきたい」と語った。(柴田大輔)

民有地の建物内にセアカゴケグモ 土浦市が注意呼び掛け

0
駆除されたセアカゴケグモのメス(左)と卵のう4個=土浦市提供

土浦市は18日、同市東中貫町、民有地の建物内で、特定外来生物のセアカゴケグモのメス1匹と、卵が詰まった卵のう4個が発見されたと発表した。クモはすでに駆除され、かまれた人や健康被害を訴える人はいない。

セアカゴケグモのメスは毒をもち、かまれると重症化することがある。素手で触るとかまれることがあるため、同市は、見掛けても絶対に素手で触らないよう注意を呼び掛けている。

市環境衛生課によると、17日、建物内にクモが1匹いるのが発見され、セアカゴケグモだと分かり、発見者がクモと卵のうを駆除した。発見者は同日午後5時30分ごろ、市ホームページの問い合わせフォームから市に連絡した。

翌18日午前9時ごろ、連絡を受けた市職員が現地を訪問し、駆除されたセアカゴケグモ1匹と卵のうを確認。県生物多様性センターが同日、セアカゴケグモであることを確認した。

駆除されたメスは体長1センチ弱、卵のうは袋状で、一つの直径が5ミリ程度。クモがどこから侵入したかなどは不明という。

同市内では今年8月、民有地でセアカゴケグモの死骸が発見された。生きた状態で見つかったのは今回が初めて。県内では2013年に神栖市で発見されて以降、各地で目撃されている。

市は、セアカゴケグモを見つけた場合、素手で触らず、家庭用殺虫剤か熱湯、靴などで踏みつぶして駆除し、市環境衛生課(電話029-826-1111内線2459)に連絡してほしいと呼び掛けている。

30年にわたり筑波山を撮影 会沢淳さんが写真展 ダイナミックな自然、見るものを圧倒

2
会沢淳さんと開催中の筑波山写真展の様子=つくば市吾妻、県つくば美術館

18日から 県つくば美術館

30年間にわたり筑波山を撮り続けているつくば市在住の写真家、会沢淳さん(70)の筑波山写真展が18日から、つくば市吾妻、県つくば美術館で開かれている。筑波山の姿のほか、ダイナミックな自然の動きや人々の暮らしを巧みな構図で撮影した70点が展示され、見るものを圧倒する。30年間にわたって撮影した年代、季節、地域など多岐にわたる作品が並べられている。

筑西市舟生で2022年に撮影された「天紫の目覚め」=会沢淳さん提供

山頂付近のブナを撮った「白きブナたちの森」は、積雪した筑波山に登り撮影した。「燧ケ池(ひうちがいけ)の榎(えのき)」に写る榎は、今は伐採されたためもう見ることができない貴重な写真だ。「火の神山の神」は、山麓の小田地区で催される伝統行事、どんど焼きを撮った。

ほかに、筑波山神社の祭礼、御座替祭(おざがわりさい)で女体山頂付近で撮った「天近きところで」、山麓の田植えの様子を写した「命を植える手」などが展示されている。

会沢さんは筑波山の写真集を出版している唯一の写真家。1955年北海道三笠市で生まれ、新潟県で育った。千代田写真専門学校卒業後はスペインやモロッコを放浪。帰国し1981年、撮影会社の竹見アートフォトスに入社。84年に独立し、95年に「2億4千万年の神々―会沢淳筑波山写真集」を出版。筑波山の写真展は2008年に東京・秋葉原のつくばエクスプレスプラザで初めて開催して以来、2回目。

つくば市に住み、筑波山に徐々に魅了され、素晴らしさに気づいたと話す。「標高877メートルの低山だが、百名山の一つ。関東平野にそびえる目立つ存在で、万葉集には25首の句が詠まれた。しかし、あまりにも当たり前にそこにある」。

展示されている「天近きところで」(左)と「火の神山の神」

ある時会沢さんは「自分が筑波山を見ているのではなく、筑波山が自分を見ている」という感覚になり、「筑波山に通うしかない」と思ったという。

「撮影中に、凍った地面で転落しそうになったり、中腹の白滝神社の前でシャッターが切れなくなったりなど、危ない目や、不思議な現象にたくさん遭った。やはり神々の山なのだと思い、それから筑波山神社でお参りするようになった。筑波山と対峙すると、山が意思を持っていると感じられる」と話す。

来館した園児たち=会沢淳さん提供

市内から来館した60代男性は「筑波山の写真がたくさん並べてあって楽しい。配列にも工夫があって、とても見やすい。全体として構図が素晴らしくさすがにプロの写真家」と話していた。(榎田智司)

◆同展は11月18日(火)から24日(月)まで、つくば市吾妻2-8、県つくば美術館で開催。開館時間は午前9時30分~午後5時(最終日は午後3時まで)。入場無料。問い合わせは会沢淳さん(電話029-838-2786、メールfffaizawa@yahoo.co.jp)。

つくば市「かつらぎ公園」の秋《ご近所スケッチ》20

1
イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】今年は夏が長くて、秋はあっという間におしまい? そんな中でも、紅葉狩りは楽しみですね。筑波周辺には、思いのほか紅葉のきれいな場所が多いです。「かつらぎ公園」(つくば市春日)もその一つです。市立春日学園義務教育学校の裏にあり、あまり知られていないかもしれません。

この公園にはテニスコートがあるため、常駐している方もいます。また、池が2つあり、石組の小川でつながっています。そこで見つけたのは、左側の落ち葉お掃除の様子。私は、いろいろな場所で(空港や海外でも)お掃除道具を見るのが大好きです。ついスケッチしてしまいます。日本では、空港掃除係の方が「プロフェショナル」として話題になったこともありました。

お掃除のプロフェッショナル

プロと言えば、私の属している全国組織の団体の方の話です。そこで県のトップとして長年活躍していた方が、高齢になり仕事を辞めました。その方はその後も地域に貢献していきたいとシルバー人材センターに登録し、お役所関係の場所のお掃除を始めました。

「トイレのウォシュレットを引き出して、ここまでキレイにしているのは、多分、私くらい」との言葉を聞いて、感動してしまいました。だから、仕事を通して皆さんに信頼され、自分も誇りを持って生きてきのだと。その心持ちで何十年も仕事をしてきたプロだったのですね。

誇りを持って仕事をこなしていくことは、簡単ではないのではないでしょうか。たとえ誰も見ていない、誰にも認められなくても、手を抜かず仕事をこなしていくのは、結構シンドイです。主婦業はそんな感じですね。普通の人は褒められたいし、収入も多くと願うものです。自分を褒め淡々と、仕事も家事もこなしていける人でありたいと思いました。

宅配さんが東屋でお弁当

ちなみに、「かつらぎ公園」は紅葉の時期でなくても癒される場所です。お昼時、小さな東屋で、宅配便のお兄さんがお弁当を食べていました。何でもない、そんな日常がいとおしくなる公園です。(イラストレーター)

ウサギ捕り遊び仕事(3)《デザインを考える》26

4
イラストは筆者

【コラム・三橋俊雄今回は、京都府北部・丹後半島で行われているウサギ捕りという「遊び仕事」について2つの事例を紹介します。「ククリワナ」(宮津市由良・南丹市大野)と「バイ投げ」(宮津市上世屋)です。

針金の「ククリワナ」

杉の新芽を求めて訪れるウサギのケモノミチに、針金で輪をつくり、近くの木へ仕掛ける―それが「ククリワナ」(図1)です。針金は藁(わら)で一度焼いて粘りを出し、柔らかくして用います。金属の匂いが消えるためか、よく捕れるといいます。罠(わな)の針金は使い捨てにし、山仕事の行きしなに仕掛けますが、同じ場所には続けて置きません。

ワナは7〜10カ所ほど設けておきます。ケモノミチはウサギがヒサカキの葉を食べたり、丸い糞を落としたりすることで見分けられます。猟の技術は大人から教わったものだといいます。

朝7時半に山仕事へ出発し、道中で仕掛けを確認します。ウサギが捕れていれば、仕事の間は木にぶら下げておきます。谷では仲間とともに山の作業をし、午後4時半頃には帰宅します。ある日には7羽もウサギが捕れて、近所に分けたこともありました。猟は10月から翌年4月まで続き、平均すると5日に1羽ほどの成果でした。

昔はウサギによる害が圧倒的に多かったようです。杉の苗木を春や秋に苦労して植えても、新芽を食べられてしまい、翌年には植え直しを余儀なくされることもありました。杉の木が一本でも助かればと思い、仇討ちのつもりでウサギを捕りましたが、それは同時に「楽しみ」でもありました。食料の乏しい時代でもあり、捕ったウサギは料理して食べました。

皮は喉から足まできれいに剥ぎ、なめすことはせず干して山の敷物にしました。内臓はうまく取り出せるので捨ててしまい、背や足の肉はすき焼きにして食べました。佃煮(つくだに)風の「コロ炊き」にすれば日持ちもしました。

二股枝の「バイ投げ」

「バイ投げ」は、まず雪山の陽の当たる斜面で、曲がった木の根元近くに眠っているウサギを探し出します。ウサギに気づかれないように近づき、バイ(二股の枝にアカマツの葉をくくりつけたもの)を用意します。そして、天敵のタカやトンビが襲いかかってきたかと思わせるように、続けざまにバイを空中へ投げ上げます(図2)。

バイはヒューヒューと風を切って唸(うな)り声を発し、その音に驚いたウサギは身をひるがえし、木の根元の隠れ穴へ一目散に逃げ込みます。間髪を入れず雪穴めがけて走り寄り、すばやく周囲の雪を踏み固めて逃げ道をふさぎます。テンズキ(木製の除雪具)で穴を慎重に掘り進め、ウサギの後ろ足を探り出して掴(つか)み、引きずり出します。

この「バイ投げ」は午前10時から午後3時頃まで行われ、猟期は節分(2月初め)までとされています。節分を過ぎるとウサギは発情期を迎え、行動が敏感になるため、追いかけるのが難しくなるといいます。(ソーシャルデザイナー)

中学校保護者の個人情報漏えいの恐れ つくば市 写真販売会社が不正アクセス受け

21
つくば市役所

つくば市は17日、市内の中学校1校が写真販売を委託しているフォトクリエイト(東京都新宿区)が不正アクセスを受け、宿泊学習などの行事写真を購入した保護者の個人情報が漏えいした可能性があると発表した。市教育局学び推進課によると、写真を購入した保護者の人数は現時点で不明。実際に個人情報が漏えいしたなどの被害は現時点で確認されていないという。

同社のウェブサーバーが今年7月までに第三者から不正アクセスを受け、同社が調査した結果、同社が保有する個人情報が漏えいした恐れがあることが判明したと今月14日、同社から同校に連絡があった。

漏えいした可能性がある個人情報は、2022年から25年に、同社が運営するインターネット写真販売サービス「スナップスナップ」で写真を購入した保護者の氏名、性別、生年月日、住所、電話番号、メールアドレス、パスワード、購入時のニックネームなど。

市によると、22年から25年の4年間に、同校が同社に写真販売を委託した宿泊学習や修学旅行に参加した生徒数は計225人。そのうち何人の保護者が写真を購入したかは不明。写真は、宿泊学習や修学旅行に同行した地元の写真館のカメラマンなどが撮影したスナップ写真などという。

写真を購入した保護者に対し同社は、個人情報漏えいの恐れがある旨を個別メールで通知、さらに使用中のパスワードを変更するよう依頼し、二次被害を防ぐ対策を行ったとしている、

一方、市は同社に対し、個人情報の厳正かつ適正な管理について徹底するよう強く申し入れたとしている。