日曜日, 12月 28, 2025
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土浦日大、打線爆発し古河一を圧倒【高校野球茨城’24】

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2回裏土浦日大2死一・三塁、ダブルスチールで三走・大橋が生還(撮影/高橋浩一)

第106回全国高校野球茨城大会は9日目の16日、3会場で2回戦6試合が行われた。J:COMスタジアム土浦では第1試合に昨年の優勝校、土浦日大が登場。古河一を相手に14-0の大量得点で5回コールド勝ちを収めた。土浦日大の3回戦は18日、ひたちなか市民球場の第2試合で科学技術学園日立と対戦する。

1回裏土浦日大1死満塁、梶野が3点二塁打を放つ

土浦日大の打線が爆発した。初回は2番・石崎滝碧が遊ゴロで出塁、3番・中本佳吾の右前打と4番・大井駿一郎の四球で満塁とし、5番・梶野悠仁が右翼へ走者一掃の二塁打を放って3点を先制した。

2回には四死球3つでまたも満塁とし、大井が中越えの二塁打を放って2点を獲得。投手交代の後、梶野の右前適時打で2点を追加。7番・大橋篤志の左前打で1点を加え、8番・野口智生の右前打で2死一・三塁とすると、ダブルスチールでさらに1点をもぎ取った。

2回裏土浦日大無死満塁、大井が2点二塁打を放つ

3回は四球2つと敵失で無死満塁から、大井が右翼線へ三塁打を放ち走者一掃、梶野も右翼への犠牲フライで1点を加え、この回4点を獲得。4回は1番・西澤丈が左前打で出塁し盗塁で二進、中本の放った内野ゴロは一塁手が捕球できず、その間に西澤が生還。この回もスコアボードを裏返すことができた。

この試合、大井は長打2本で5打点、梶野は2安打1犠飛で6打点。中軸以外でも足を使った攻撃などで点を稼いだ。3番に座る中本主将は「自分の後ろに2人いい打者が控えているので気負わずにできる。どこからでも点が取れる打線。ただし点差が離れていても、夏は1点から流れが変わることもある。最後まで自分たちの野球を貫き通すことが大事」とコメント。梶野に対しては「2年生だが思い切りがいい。気負いすぎず自分のスイングをしてくれた」と評した。

1回表古河一1死二・三塁、三塁手・石崎が三走を挟殺。捕手・大橋

小菅勲監督は「打撃陣はミート主体にコンパクトなバッティング。ヒット8本は決して多くないが、四球を生かしてつながりある攻撃ができた。各自が個性を出し、一つのチームとして戦える集団になってきた」と目を細める。

先発の笹沼隼介は3回を投げて2被安打1四球2奪三振。もちろん無失点だ。初回は味方のエラーもからみ1死三塁のピンチを迎えるが、スクイズを外して飛び出した三走を挟殺し、次打者を中飛に打ち取って切り抜けた。4回は2番手の山崎奏来が1被安打1四球1奪三振、5回は3番手の小島笙が2被安打2奪三振でいずれも無失点。

先発し3回を好投した笹沼

「笹沼は調子を上げてきているので背番号にとらわれず起用した。点が入ったので他の選手も積極的に投入することができた。好調な旬の選手や生き生きとした選手を使いながら見極めたい」と小菅監督。

笹沼は「初戦ということで緊張した。0点に抑えたい気持ちもあったが、チームメートから『点を取られても取り返してやる』と言われ、仲間を信じて自分のピッチングができた。次もいままでやってきたことを信じて、自分らしいピッチングがしたい」と振り返った。(池田充雄)

満員の応援席へ勝利の報告に向かう土浦日大ナイン

➡土浦日大 小菅監督の監督インタビューはこちら

登録増やすため まずは制度を知って【里親1000人へ】㊥

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フォスタリング機関である「さくらの森乳児院」の増子さん(左から3番目)と担当スタッフたち

里親登録1000人プロジェクト

里親のリクルートや研修、マッチング、支援などを行うフォスタリング(里親養育包括支援)機関の一つで、社会福祉法人同仁会(塩沢幸一理事長)が運営するつくば市高崎の「さくらの森乳児院」で里親リクルーターとして活動する増子洋一さん(44)は「里親登録を増やすためには、まずは制度を知ってもらうことが必要」だと話す。

増子さんら県内のフォスタリング機関が協力して始めたのが、「茨城県里親登録1000人プロジェクト」だ。地域のドラッグストアや漫画喫茶、スーパーなどの協力を得て待合スペースで説明会を開いたり、ポスターを設置したりしている。SNSでの発信も活発だ。

県内各地の商店などに掲示されている里親の啓発ポスター

増子さんは、里親には4つのタイプがあると説明する。一般的に里親として最も認知されているのが、子どもが自立するまでの一定期間を一般家庭で養育する「養育里親」。原則、子どもが18歳になるまでと養育期間は最長だが、大学進学などを理由に22歳まで延長することもある。養育里親のうち5、6人の里子を受け入れるグループホームをファミリーホームという。虐待によって心身が不安定だったり、障がいがあったりする子どもを専門的な研修を受けて養育するのが「専門里親」。その他、養子縁組を希望する「養子縁組里親」、里親制度を活用して親族が養育する「親族里親」がある。

現在、何らかの理由で家庭で暮らせない子どもは全国に約4万2000人いるとされる。そのうち施設で暮らす子どもは約8割で、里親家庭で暮らすのは2割ほど。国は「家庭で育つことが望ましい」として、2016年に「新しい社会的養育ビジョン」を策定。29年度までにすべての自治体で保護を必要とする乳幼児の75%以上、学童期以降の50%以上が里親に委託されるよう求めている。

短期で受け入れる里親を増やしたい

活動の成果もあり、さまざまな形で里親を希望する人が増えつつあると増子さんは話す。「養子縁組を中心に考える人、実子がいて2人目の子は社会貢献の意味で里子を迎えようと考える人もいる。単身者でも『1人でもできませんか?』と質問する方もいる」。目立つのが30代や40代の希望者だという。「血縁にこだわらず、柔軟に多様な家族の形を考える若い世代が増えているように感じている」と語る。

現在、フォスタリング機関により、週末や月に数日間など、短期で受け入れが可能な里親の募集もしている。理由の一つが、子どもの委託を受けている里親を支えるためだ。増子さんは「虐待を受けた子どもを養育するのは大変な面がある。他の里親さんに一時的に子どもを預けて休息を取るレスパイトケアも必要」と語る。

もう一つ理由として、増え続ける子どもへの虐待予防を挙げる。各自治体では、一般家庭の子育てを支援する事業として、ショートステイを行っている。病気にかかったり育児に疲れたりして、保護者が子どもを養育できない状態にある時に、児童養護施設や里親家庭に子どもを一時的に預ける制度だ。育児の負担を和らげるだけでなく、必要な支援とつながる一歩になることも期待されている。

増子さんは「家庭の中で『虐待』になってしまう状況をどう食い止められるのか。未然に防ぐためにも里親さんに協力してもらうことが重要。地域で子どもを守るために、地域ぐるみで協力できる体制を整える必要がある」と話す。

また「年齢による体力的な心配や、実子がいることなどから長期間の受け入れは難しいという方、夫婦の時間、仕事、生活も大切にしていきたいという方が、短期間の里親を始めるケースも増えている。長期を見据えてまずは短期からという方もいる」とし、「子どもは家庭的な環境で健全に成長するというのが改正児童福祉法でも明示されており、虐待で保護される子どもがより家庭に近い環境で暮らすためには里親が必要になる。1人でも多くの方に、里親に登録してもらえたら」と語る。

続く

里山の暮らしを学ぶ《デザインを考える》10

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背負子(しょいこ)

【コラム・三橋俊雄】私は1997年に職場を京都に移し、主に丹後半島の農山漁村を中心として「里山の暮らしを学ぶ」活動を続けることにしました。今回は、赴任して数カ月後に訪ねた、宮津市北部・奥波見(おくはみ)集落の桶(おけ)職人Yさんご夫妻についてお話しします。

京都府立丹後郷土資料館の案内で、Yさん宅に向かいます。天橋立を通り過ぎ、山間の集落入り口で車を降りて急な山道を登ると、深紅の彼岸花が盛りでした。狭い切り通しを過ぎた突き当たり、杉林の手前にYさん宅がありました。

Yさんご夫妻との出会い

玄関脇の水場には、小ぶりの木桶に山から引いた清水が張られ、中に小粒の栗が漬かっています。軒下には、大きな笊(ざる)に、この地方独特の細長いナスと厚肉のピーマンが並べられ、箕(み)にはインゲンに似た野菜が干してあります。静かです。暮らしの気配は感じられますが、案の定、家にはどなたもおられません。

裏山の小道を登って行くと、小さな畑が広がり、奥さんのHさんが畑仕事の最中でした。ひとしきり、畑の作物の話を伺ってから家に戻り、土間から座敷に上がると、間もなく、桶づくりのタガに使う山竹を手に、ご主人のTさんが帰ってきました。その日は、桶づくりの話ではなく、里山の生活全般についてお話を伺うことにしました。

Hさんの冬場の仕事は藁(わら)仕事と筵(むしろ)織りです。

藁仕事は、ひと冬に草履20~30足、背負子(しょいこ)のオイソ(背負い綱)を人から頼まれて6つほど作るそうです。藁を丸めてオイソをこすり、つやとなめらかさを出す「コスリ」の作業が、なかなかつらいとのこと。また、背負子の背当て部分の縄綯(な)いも行います。写真の背負子は、木部をTさん、藁部をHさんが作られました。

筵織りは、まず藁打ちをして、縦糸になる藁縄を60尋(ひろ)綯(な)います(1尋は両手を左右に伸ばした指先から指先までの長さです)。さらに、両側の太めの縦糸(ミミナワ)を綯います。横糸には、長さ1メートル以上のモチイネの藁を用います。横糸の藁が短く途中でつなぐと、できた筵に穴が空いてしまうからとのこと。1枚織るのに3日を要します。

「足るを知る」生き方

集落の共同作業についてもお聞きしました。「クロアゲ(雪が消えたころの、たまった落ち葉の溝掃除)」や「集落の植林(杉の枝打ち、下刈り、植林)」「田んぼの水路掃除」などは村中で行う「総仕事」でした。

10月の秋祭りはまだ続いていましたが、田植えの後に行う「サナブリ(ご苦労さん会)」は止めてしまった家もあるようでした。

「地蔵盆」「2月2日の火祭り(Tさんが4歳のころに村中が火事になり、それを忘れないように皆で話をする)」「9月1日の風日(台風がひどかったことを思い、仕事を休む)」「虫送り(太鼓をたたいて、ヌカムシオクッタ、フネガタニオクッタと叫ぶ)」「キツネガリ(キツネガエリイッソウロウと言ってキツねを追い出す)」などの年中行事は、今では行われないとのことでした。

Yさんご夫妻とは、その後10年以上のお付き合いをさせていただき、「自給自足」の暮らし、「足るを知る」生き方などについて学ばせてもらいました。(ソーシャルデザイナー) 

霞ケ浦、太田一に勝ち越しサヨナラ【高校野球茨城’24】

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9回裏 生還しサヨナラ勝ちを決めた霞ケ浦の三塁代走・森田瑞貴(撮影/高橋浩一)

第106回全国高校野球茨城大会は8日目の15日、2会場で2回戦4試合が行われた。J:COMスタジアム土浦の第1試合にはシード校の霞ケ浦が登場。太田一を相手に接戦を繰り広げ、9回裏に代打・大石の犠牲フライでサヨナラ勝ちを収めた。霞ケ浦の3回戦は18日、鉾田二と対戦する。球場は未定。

2回裏 霞ケ浦1死一・三塁、片見が右前へ先制打を放つ

霞ケ浦は2回に2点を先制。先頭の4番・羽成朔太郎が四球で出塁し、送りバントの後、6番・四條好誠の左前打と、7番・片見優太朗の右前打で先制点を挙げた。その後、2死満塁から四球押し出しで1点を加える。

霞ケ浦の先発は飯田創太。守備のリズムを考えて淡々とテンポの良いピッチングを心掛け、7回までを5奪三振1四球2安打に抑えた。ストレートを主体に右打者にはカーブ、左打者にはツーシームがよく決まった。

好投で試合をつくった霞ケ浦の先発、飯田

追加点が欲しい霞ケ浦だが、なかなかその機会が回ってこない。チャンスらしいチャンスとなったのは4回。先頭の片見が四球で出塁し、2者が三振に倒れた後、1番・谷田貝優の打球は中堅へのポテンヒット。守備のもたつきに乗じ2死二・三塁としたが、2番・荒木洸史朗が見逃しの三振に倒れた。

「9番の飯田に代打を出す考えもあったが、彼を4回で降板させるのもどうかと思い、引っ張ったことで追加点が取れなかった。自分の思い切りの悪さから苦しいゲームになった」と高橋祐二監督。

その後、霞ケ浦の攻撃はますます単調になっていく。早いカウントで手を出してゴロアウトを連発。そうこうしているうちに8回表に同点に追い付かれる。飯田はそれまで低めに決まっていた球が浮き始め、三塁打を含むヒット3本を浴びて2点を失い、ここで2番手の眞仲唯歩に交代。8回裏の攻撃では取り返そうと気負ったか、3人が大振りのフライを3発打ち上げて終わった。

9回裏霞ケ浦1死満塁、サヨナラ勝ちを決めた大石の右犠飛

9回裏の攻撃は、先頭の片見が中前打で出塁し、暴投と送りバントで1死三塁。眞仲が四球を選び、谷田貝が申告敬遠で塁を埋めると、代打の大石健斗が登場。「満塁で出番が回ってきて、自分が決めてやろうと打席に立った。相手投手はアウトコースの直球が主体で、2球目にその通りの球が来た。少し力んでしまいポップフライかと思ったが、意外と伸びてくれた」と大石の振り返り。

サヨナラ勝ちが決まり、グラウンドへ飛び出す霞ケ浦の選手たち

「大石は2年生だがチームで一番信頼できる選手。冷静に打席に立ち、体が開いたりせず、ちゃんと逆方向へフライを打ってくれた」と高橋監督。彼の存在があったから、この場面ではスクイズは考えなかったという。この日はほかに2回スクイズの機会があったが、相手投手の強気の投球により2回とも失敗していた。

「勝ちきったことで次につながった。今は技術的にも精神的にもチームを引っ張る存在がいない状態だが、大石が中軸に戻ってくれば打線も変わるし、投手陣は試合をつくれる子が数人いる。選手たちが今日の内容を考え、やるべきことをやり、ちょっとずつ良い形になっていけばうれしい」と高橋監督は期待をかける。(池田充雄)

グラウンドへエールを送る霞ケ浦の応援団

➡霞ケ浦 高橋監督のインタビューはこちら

やりがい感じ、まずはやってみよう【里親1000人へ】㊤

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昨年里親に登録した恵さん

親の病気や経済的理由、虐待などで実の親と暮らせない子どもを一般家庭で育てる「里親」を増やす取り組みが、茨城県でも進められている。子どもが育つ上で、特定の大人との安定した関係の中での養育が必要だとして、国は里親への委託を増やすことを方針として掲げている。より多くの人に里親制度に参加してもらおうと、県から委託を受けた事業所らが「里親登録1000人」を目標に活動している。(全3回)

大人のためではなく子どものため

5月、龍ケ崎市在住の恵さん(44)=仮名=の家に子ども用のタンスが届いた。間もなくやってくる里子のためだ。夫婦に子どもはいない。2人の暮らしが少しずつ変化していく。

恵さんの自宅に子ども用のタンスが届いた

恵さんは2年前、里親制度説明会の案内が載っていた行政の広報誌を偶然目にして、里親になることに関心をもった。20代のころに聞いた里親経験者や施設で育った知人からの話が心に残っていた。

里親制度説明会の会場となるのはつくば市高崎の「さくらの森乳児院」だ。社会福祉法人同仁会(塩沢幸一理事長)が運営し、県から委託を受けて里親制度の普及促進とリクルート活動を進めている。

「自分たちに子どもはいないが、虐待など子どもに関するニュースに触れるたびに何かできないかと考えていた」と恵さん。夫婦共に40代を迎え「里親になるのもいいかもしれない」と思っていた。一方で「とても大きな責任が伴うこと。うまくいかなかったからといって、簡単に『止めます』というわけにはいかない。本当に自分たちにできるだろうか?」と不安があった。「まずは話を聞くだけ、行ってみようと思った」と話す。

気軽な気持ちで参加した説明会で最も心に残ったのは、里親支援機関である乳児院の職員が強調した「里親制度は子どもが欲しい大人のための制度ではなく、子どものための制度」ということだった。同時に、里子になる子には虐待を受けて心に傷を負っている子が多く、里親に馴染むのに時間がかかるという話もあった。「覚悟がいるなと思った」と振り返る一方で、里親を支える仕組みがあることに勇気づけられた。

里親支える仕組みがある

里親が子どもの養育に悩んだとき、里親支援専門相談員という職員にいつでも相談することができるとの説明もあった。一時的に、他の里親に子どもを預けるレスパイトといった制度もある。定期的に開かれる里親サロンでは、里親同志の交流も生まれている。子どもを委託される前には、地元自治体の担当課や地域の福祉事業所、学校、保育所など、子どもに関わる人たちと顔合わせをする里親応援ミーティングも開かれる。手当ての支給もあり、経済的な負担も少ないことがわかった。「子どもにまつわる問題をチームで養育に当たるのが里親の養育」という話も、恵さんの背中を押した。

「問題を抱える子どもや思春期の子どもへの対応や、これまでの生活がどう変化するのか予想がつかず不安もあったが、それ以上にやりがいも感じた。でも、まずはやってみよう」と夫と話し合い、座学や児童養護施設などで6回の研修を経て、里親として登録をしたのが昨年10月のことだった。

恵さんの部屋には、施設でのマッチングのために夫婦で用意したエプロンがある

その後、児童相談所から恵さん夫妻に里子の委託に向けた連絡があり、今年3月から里子を受け入れるために子どもが暮らす施設を週に2、3度訪ね、一定の時間を共に過ごしながら子どもとの関係を作るためのマッチングを進めている。

その間、施設職員から受けるサポートに「子育て経験がない中で、とても安心して子どもに向き合うことができた」と話す。順調に進めば、7月中に里子を委託される予定だ。「まだ不安も大きいが、楽しみもある。他の里親さんからのアドバイスもとても貴重でした。周囲に頼りながら子どもと向き合っていきたい」と話す。

続く

オリンピックの年は中学校の同窓会《吾妻カガミ》187

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霞ケ浦総合公園の花蓮園(写真は筆者)

【コラム・坂本栄】6月末、土浦市内の結婚式場で中学校の同窓会を開きました。皆、後期高齢者の区分に入ってから3年目ということもあり、何人ぐらい出席できるのか心配でしたが、まあまあの形になりました。今、土浦には宴会ができるホテルが一つしかなく、結婚式場というのは少し違和感がありましたが…。

私たちは団塊の世代(定義は1947~49年誕生)に先行する1946年生まれです。戦後1年ということもあって、教室はギュウギュウ詰めでした。1組50人強✕12組=1学年600人強という多子時代です。教室の椅子最後列と壁の間は狭く、カニの横ばいで移動しなければなりませんでした。

前回はリオデジャネイロ五輪があった2016年。そのとき、次回は東京五輪がある2020年にやろうと決めたものの、コロナ騒ぎで中止。今回はパリ五輪に合わせ、8年ぶりの同窓会になりました。前回の出席106人の半分ぐらいかと予想していましたが、市内在住者を中心に71人が参集。式場という華やいだ場所で楽しいお喋りができました。

後期高齢者たちの病気自慢会

開会スピーチで何を話すか、幹事の私はいろいろ考えました。欠席の返信を読むと、その理由は「体調不良」「〇〇が悪く」と病気を理由にするものがほとんど。各テーブルの話題も持病の自慢話になると思い、その皮切りにしようと、私もあちこちが悪いと自慢することに。下はそのポイントです。

10年ぐらい前にアップしたFACE BOOKには「体は劣化しているが、頭は20代後半。独製セダンから国産SUVに乗り換え若ぶっている」と自己紹介している。しかし、後期高齢者の運転免許証更新認知機能検査には、持参する必要がある通知ハガキを持っていくのを忘れてしまった。前立腺にがんの疑いがあると主治医に言われ、生体検査を受けることになった。

そろそろFBの更新が必要です。私の頭と体の病気自慢で皆さんの病気自慢も刺激され、後期高齢者の同窓会らしい宴会になりました。

あと何年 やんちゃをくり返せる

スピーチは5分ぐらいにし、今の私の気持ちを歌ってくれている演歌を流したら面白いと思い、その曲を入れたUSBを持参しました。ところが式場の音響装置にはUSBの受け口がなく、この趣向は不発に終わりました。その歌詞(作詞・ちあき徹也、作曲・杉本眞人、「銀座のトンビ」)を紹介しておきます。

「あと何年 俺は生き残れる/あと何年 女にチヤホヤしてもらえる/あと何年 やんちゃをくり返せる/夜の銀座をピーヒョロ 飛び回る…/命の蝋燭(ろうそく)の 焔(ほのお)の長さ/人はそれぞれ/あんな若さであいつも あン畜生も/先に勝手に 逝きやがって/あと何年 あと何年 あと何年だとしても/…俺は俺のやり方で/お祭りやってやるけどね/ワッショイ」(CD「すぎもとまさと ベスト&ベスト」12曲目の1番)

今回の同窓会がきっかけになり、長居できる所で「いつでも同窓会」をやろうと、その第1回目が7月上旬に実現。元不動産経営者、元大学教授、元県庁幹部と、今の政治・経済・社会・教育問題について激論しました。♫ワッショイ♫ (経済ジャーナリスト)

土浦一、延長サヨナラで鹿島に敗れる【高校野球茨城’24】

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4回裏 鹿島2死一塁、盗塁した一走を刺殺する土浦一の遊撃手・高橋(左)

第106回全国高校野球茨城大会7日目の14日、J:COMスタジアムでは土浦一が鹿島と対戦。試合は土浦一が先行したが、終盤に追い付かれ延長に突入。10回タイブレークの攻防が明暗を分け、土浦一が延長サヨナラ負けを喫した。

2回表 土浦一2死一・三塁、暴投で三走・木村(右)が生還

土浦一は前半は我慢して後半に勝負をかけるスタイルが持ち味。去年のチームから受け継いだスタイルだ。この日も途中までは自分たちのペースで進めることができた。2回表に7番・木村瑛人の中前打と8番・萩谷圭の中前打で2死一・三塁とし、暴投で1点を先制。守備ではヒットを許しながらも要所を締め、スコアボードにはゼロ行進が続いていた。

先発の大関祐二朗は最速140キロのストレートを柱に、ツーシームやスプリットなどの変化球を織り交ぜるスタイル。だがこの日はストレートが高めに浮き、変化球のキレも最高潮とはいかず、腕の振りなどを微調整して探りながら投げていた。「もう少しストライクゾーンの端にボールを収められたら違っていた」と大関は振り返る。

途中降板を含め打者35人に投げ、10安打を浴び8三振を奪った大関

6回裏には長打とポテンヒットで1-1と追い付かれるが、7回表にすかさず勝ち越し。先頭の5番・橘内凛太郎が遊ゴロで出塁後、2死二塁から萩谷が初球ストレートを左前へ運んだ。だが鹿島もしぶとく、7回裏に長打2本で再び追い付く。その後は互いに決めきることができず、2-2のまま延長に突入。

7回表土浦一2死二塁、萩谷の左前打で橘内(手前)が生還

10回表の土浦一の攻撃、先頭の6番・小林温司のバントは投手の悪送球を誘い無死満塁。1死後、萩谷の遊ゴロで1点を勝ち越す。萩谷はチャンスを広げようと二塁を狙うが、塁間に挟まれてタッチアウト。得点は1点止まりだった。

10回裏の鹿島は先頭が送りバント。これを大関が処理するが、グラウンドに足をとられ送球できず無死満塁。その後二ゴロで同点とされる。ここまでは10回表と似た展開だった。だが鹿島の一走は土浦一の守備の隙をついて悠々と二塁に達し、次打者の右前打によりついに勝負がついた。

10回表1死満塁、土浦一 萩谷の遊ゴロで1点を勝ち越す

「次の回は1番からなので、この回さえ抑えればと思っていた。勝ちきれず悔しい」と橘内主将。「影の1番」である9番・清遠健二から、1番・山田眞人、2番・大関ら上位陣へつなぐのが土浦一の得点パターン。だが皮肉にも、この日得点にからんだのはいずれも下位打線だった。

今年の3年生は6人だけ。学年は関係なく全員がキャプテンだという考え方で、だれもがチーム第一に、自分から役割を考えて行動する組織づくりをしてきた。その完成形が今日のチームだったと、橘内主将は述懐した。(池田充雄)

仲間の好プレーに沸く土浦一ベンチ

霞ケ浦ふれあいランドに屋内型動物園 31日リニューアルオープン

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「霞ケ浦 どうぶつとみんなのいえ」新しいエントランス部=霞ケ浦ふれあいランド

2020年に休館となった「水の科学館」の大規模改修に取り組んでいる霞ケ浦ふれあいランド(行方市玉造甲、笹尾昌社長)が今月31日、「霞ケ浦 どうぶつとみんなのいえ」をリニューアルオープンする。

アニマルカフェや猫カフェなどの事業を全国展開しているMOFF(石岡市鹿の子、矢口宗平社長)が、行方市との官民連携事業(PFI)を進めるため、特別目的会社(SPC)の霞ケ浦ふれあいランド社を設立し、22年4月から屋内型動物園への改修工事が進められていた。

施設としての霞ケ浦ふれあいランドはシンボルタワーの「虹の塔」や「玉のミュージアム」を含む親水公園、道の駅「たまつくり」、観光物産館「こいこい」などからなり、全体敷地面積は約5万6700平方メートル、これらの管理運営を霞ケ浦ふれあいランド社が請け負っている。

中核施設だった旧水の科学館は建築面積2475平方メートルあり、一部解体の上、鉄筋コンクリート造建築面積約1800平方メートルのエントランス棟と歩廊を増設した。階段を上って入館する形になっていた従来の導入口を場所を移して改良、外周部にスロープ状に動線を配置した。入館料を払わずとも散歩がてら施設内部を見物できるようにもしている。

キリンのお披露目は秋以降に

同社によれば、動物園は観光交流と地域住民のための場としての機能に加え、水辺という立地環境を生かした体験や学びもでき、動物と触れ合うことができる。キリンをはじめ、アルパカ、カピバラ、ケープペンギンなどを展示する予定。無料で動物と触れ合える屋外エリアも開設する。

このうちキリンは動物愛護法で定められた特定動物で無許可飼育が禁じられているため、日本動物園水族館協会(JAZA)との協議手続きが必要になる。複数頭の搬入を予定しているが、特殊車両での陸路輸送を計画するため、現状では暑さ対策から、移送が難しくなった。31日のオープンには間に合わず、登場は秋以降の涼しい時期にずれ込みそうな見通しになった。

キリンの目の高さで見学できるよう回廊などの整備が進む屋内型動物園

1992年開館した水の科学館は独立行政法人水資源機構、茨城県、旧玉造町(現行方市)の3者で共同実施された事業。最大で年間20万人を超える入館者があったが、2011年度に水機構と茨城県から事業撤退の意向が示され、20年に休館。同年3月に霞ケ浦ふれあいランド再生基本計画が策定され、同市は36年度までの維持管理・運営費や施設改修費など総額約18億9500万円の契約を締結。同社が再整備を進めていた。

動物園は22年4月に着工したものの、新型コロナの感染拡大や資材の不足・高騰などの影響を受け、オープン時期が2度にわたって延期された。

動物園の園長となる笹尾昌社長は石岡市の「ダチョウ王国」で長く国王(園長)を務めてきた動物飼育の専門家。スタッフは専門教育を受けた人材を採用し、開園に備えている。

笹尾園長は「動物や自然や地球の環境を守りたい。そのためにはどうしたら良いのだろうかーとの命題の、さらにその先を考えられる人が一人でも増えるように、という思いで今回の開業を迎えたい」と語っている。

◆霞ケ浦 どうぶつとみんなのいえ(行方市玉造甲1234、電話0299-55-3927)は入館料:大人1650円、子供1100円(小学生以下)=税込み、3歳以下無料。虹の塔入場料は別料金。ウェブサイトはこちら

つくばサイエンス高校訪問記《竹林亭日乗》18

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7月の筑波山麓の田んぼ(筆者撮影)

【コラム・片岡英明】県立つくばサイエンス高校はつくば市内の生徒割合が近年増加している。来年からの普通科設置で多くの生徒の受験対象校となり、地元での存在価値が問われる高校となったといえる。

同校のつくば市内の生徒割合は以下の通りである。

年  度 2020 2021 2022 2023 2024
定  員  160  160  160  240  240
入  学  157  150  134  88  77
つくば市  76  80  73  53  53
割  合 48.4 53.3 54.4 60.2 68.3

私たちは、5月23日、それから6月14日と27日、サイエンス高を訪問し、先生方と懇談した。今回は、この懇談を通して感じた同高校の可能性や魅力について考えたい。

サイエンス高の良さと課題

訪問前は、パンフレットから硬いイメージを持っていた。まず、私たちは昨年1期生の88人がどう学び、何人が2年生に進級したかに注目した。受験者全員合格なので、多様な生徒が入学し、教育的な苦労を想像していたからだ。

しかし、2年の在籍者は84人。退学や進路変更者も少なく、生徒がそれぞれ楽しく学び、教師と生徒の対話、生徒同士の語り合いの場があることが分かった。全体的として、生徒をていねいに教えていた。少人数の学級が功を奏し、入学後の生徒の満足度も高いことが分った。

このような入学後の生徒たちの学ぶ姿を、ぜひ地域へ発信してほしいと思う。

パンフレットなどでは受験生に高い意欲を求めているので、それが受験減につながるのではないかと少し心配していた。しかし、高いハードルを越えて、2年間、70~80人の科学技術に意欲のあるコアな生徒が入学した。これは今後の土台になる新設高校の準備期間を含めた成果といえる。

今後、学校全体の魅力をハードからソフトへ、コアからその周辺に広げる視点を持てば、科学技術科120人の定員確保は2025年度入試からでも可能であると思う。気になる点は、科学技術科は当初から週34時間(週4回7時間)設定だが、普通科はどのような教育課程なのかである。

2学科制発足の学校案内では「4年制大学進学重視単位制高校」と高らかにうたっている。オープンスクールでも、この具体的な説明が要のひとつとなる。

オープンスクールで魅力発信を

懇談では、新設の普通科も週34時間体制との説明を受けた。これは週31時間・55分授業の牛久栄進校と授業時間で遜色ない。それどころか、授業を5分伸ばすよりも1週間の英数国などの授業数を増やした方が学習効果は上がる。生徒も教師も大変だが、地域の声に応えようとするサイエンス高の努力に期待したい。

サイエンス高の魅力を上げると、①2学科制の幅広い学びある、②全学年がサイエンス高校生で学校が一新、③広いキャンパスでの充実した教育施設の中、楽しい友との出会いや共に進路を考える時間がある―ことである。

魅力ある学校づくりとは、学ぶ生徒の視点であり、地域にとって必要な学校になるということだ。成功するかどうかは、どれだけ多くの教職員が学校づくりを自分事として参画するかにある。そんな魅力ある学校づくりを見たいと思い、8月10日のオープンスクールを申し込んだ。

オープンスクールでは、生徒と教職員が共同で学校の魅力を発信してほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代長)

つくば国際大、麻生に勝利し3回戦へ【高校野球茨城’24】

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3回裏つくば国際大1死二・三塁、廣瀬の左犠飛で小川が生還

第106回全国高校野球茨城大会6日目の13日、J:COMスタジアムでの第2試合はつくば国際大が麻生と対戦。8-1で7回コールド勝ちを収めた。つくば国際大は次戦、17日に第2シードの鹿島学園と対戦する。

3回裏つくば国際大2死二塁、右中間へ適時三塁打を放つ山口

試合は落ち着いた立ち上がりだったが、3回裏、つくば国際大が3安打と相手のエラーなどで一挙5点を奪い波に乗った。8番・今井大智が内野安打で出塁すると、1番・津留崎隼人の左翼線安打で1死一・二塁。2番・小川勇輝の送りバントは相手投手の送球ミスを誘い、今井が先制のホームを踏んだ。続く3番・石橋湧晟の投ゴロでは津留崎が生還、4番・廣瀬の左翼への犠飛で1点を加え、暴投でさらに1点、とどめは6番・山口の右中間三塁打で5点目が入った。

5回には四球と相手捕手の打撃妨害に、山口の中前打で1点を追加。6回には2四球と送りバントで1死二・三塁から津留崎の左犠飛と小川の遊ゴロで2点を加えた。

6回裏つくば国際大1死二・三塁、津留崎の左犠飛で代走の曽根大翔が生還

3打席で2安打2打点と活躍した山口主将。3回の適時打は「追い込まれていたが、相手投手は変化球が決まらなかったので次はまっすぐで来ると思った」と高めのストレートをとらえ、セカンドの頭上を抜いた。5回の適時打は「(打撃妨害で出塁した小堺琉生が)つないでくれたと思って、仲間への恩返しをしようと思って打った」と、これもストレートをとらえた。

「チームは1回戦よりいい雰囲気。投手がテンポよく投げ、野手は明るくコミュニケーションがとれ、自分たちらしい野球ができた。打撃では2巡目からトップを早くつくることで、相手投手の直球に差し込まれず、対応できるようになった」と山口主将のチーム評。

7回を投げ12三振を奪った先発の廣瀬

7回を投げきった先発の廣瀬剛太は被安打3、13奪三振の活躍。「1回戦では制球が乱れたのでコントロールを意識して投げた。守備にも助けられ、4回に5点取ってからは心に余裕ができ、思いきって投げられた」との振り返り。

伊藤徹監督は「1回戦を戦ってきた分、相手より落ち着いてできた。廣瀬も1回戦から修正していい投球をしてくれた」と話し、次の鹿島学園戦については「力では相手が上なので、得意の足をからめて、さらに思い切った野球ができれば」と展望する。夏の戦績では過去最高の16強を超え、甲子園をつかみ取ることが目標だ。(池田充雄)

試合後、応援席へ向かって駆けだすつくば国際大ナイン

大会初の継続試合は 常総学院が下妻二を制す【高校野球茨城’24】

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5回裏、常総学院の鈴木駿希がホームインし5点目(撮影/高橋浩一)

第106回全国高校野球茨城大会6日目の13日、J:COMスタジアムでは、昨日の雨で順延になった2試合が行われた。第1試合の常総学院ー下妻二は、大会初の継続試合となり、昨日の続きの4回裏2死満塁の場面から再開。常総学院が5-2で制した。

円陣を組んで継続試合に臨む常総学院ナイン

昨日の試合は、森田大翔の適時打や加藤太一のホームランなどで常総学院が3-0とリードした場面で中断。再開にあたっては「勝っている状態だったから点が入ればいい流れ、取れないと悪い流れになる。1点でもいいから取りたかった」と若林佑真主将。

ここで打席に入ったのは4番・武田勇哉。「あらかじめ分かっていたので昨夜も今朝も準備して、絶対打てると自信を持って打席に臨んだ。試合の先頭打者になるのは珍しいことなので緊張も少しあった」と振り返る。三塁線へ鋭い打球も放ったがこれはファールの判定。最終的には死球で押し出しの1点をものにした。

昨日に続きマウンドを守った鍛冶

昨日に続き5回表のマウンドに立った鍛冶壮志は「相手に流れを渡さないよう気持ちを入れて投げた。ピンチも多かったが要所でしっかり投げきれた」とコメント。この回の最後の打者には「特に最後のストレートが良かった。決め球が浮かずに投げ込めた」と見逃しの三球三振に打ち取った。

5回裏には1点を追加。四球と送りバントで1死二塁の場面、鍛冶の代打の西谷匠人は「鍛冶がよく投げていたので思いを背負って打席に入った。打ったのはまっすぐで感触よく、ヒットになると思った」とこれが、右翼への適時二塁打になった。

5回裏、常総学院1死二塁、適時二塁打を放つ西谷

その後は追加点は生まれず。投手陣は大川慧が6回から8回までをリリーフし3安打2失点、9回は平隼磨が1死球無失点で抑えた。

「勝てたのはいいが雑なプレーが多かった。求めるところが高いので正直もの足りない。経験はあるのだからもっと余裕を持ち、ミスしても次で取り返すとか、打てなくても球数を投げさせるとか、チームのためにできることで力を出しきってほしい」と島田直也監督は厳しい言葉をかける。

常総学院の3回戦は17日、水戸啓明との対戦が予定されている。球場は未定。(池田充雄)

➡常総学院 島田監督の監督インタビューはこちら

鹿嶋市の大迫力工場を見学《日本一の湖のほとりにある街の話》25

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】奈良時代に編さんされた常陸国風土記に「若松の浜(鹿島)のまがねを採りて剣を造りき」と記される、日本における製鉄のルーツである鹿嶋市。この地に、日本最大にして世界でも指折りの製鉄会社「日本製鉄株式会社」の東日本製鉄所が立地しています。

日本に3社しかない、原料を溶かして鉄を精錬するところから、薄板などの製品まで一貫して製造する高炉メーカーである同社では、真っ赤に熱された分厚い鉄の板(スラブ)を圧延して薄板にする「熱間圧延工程」を見ることができる工場見学を開催しています。今回は、年間約2万人もの見学者が訪れるこの工場見学について、同社広報の中野さんにご案内頂きました。

まずは、鉄がいかに人の営みに不可欠な物質か、さらに鉄の特性や製鉄プロセス、環境への取り組みなどをわかりやすくまとめた映像資料を拝見。その後、作業着とヘルメットを着用し、いざ工場見学スタートです!

車に乗って熱延工場まで移動するにあたり、改めて驚くのが敷地の広さ! 敷地内の道路は片側2車線、普通に信号も設置されています。大型の工場然とした車両から、乗用車まで様々な車がごく普通に走る様に「あれ、いつの間にか工場から出てしまった?」と軽く混乱しますが、依然ここは敷地内。広大な敷地の面積は、なんと東京ドーム約220個分におよぶのだそうです。

敷地を進むにつれ、次第に風景は非日常的なものに変化。何百メートルもある巨大な建屋が続いたかと思うと、今度は港に停泊するタンカー、鉄鉱石や石炭の山が現れます。道路に並行して伸びる何本ものパイプは所々で交差し、まるで巨人の体内に入り込んだよう。

鉄鉱石の赤茶色に染まり始まった道をしばらく走ると、製鉄所のシンボルである高炉の足元に到着します。内容積5370立方メートルで年間約350万トン(一般的な車350万台分)もの鉄を生産する巨大なプラントは、その高さ実に110メートル!

そこからさらに進むこと数分、ついに「鹿島熱延工場」に到着! 見学コースは700メートルにもなるこの工場、入るとまず場内の熱気に驚きます。階段を上るごとに高まる熱気を感じつつ、見学スペースに到着すると、眼下で大きな鉄の扉が開き、真っ赤に熱された25センチほどの厚さの鉄板「スラブ」が現れ、コンベアの上に載せられます。数十メートルは離れているにもかかわらず、スラブが出てきた途端、こちらまで届くほどの熱気が!

コンベア上を進むスラブは、何度もローラーで圧延され薄く伸ばされていきます。伸ばされる直前、スラブに勢いよく水がかけられるのですが、そこは何しろ赤く熱された鉄、水が一気に蒸発する大きな音があたりに響き渡ります。この工程は、表面の酸化鉄部分を除去するためのものだそうです。

これを何度も繰り返し、分厚かったスラブは最後にはとうとう1ミリほど(1.2~25ミリ)の薄板となり、最速で時速100キロもの速さで巻き取られます。薄板になるまで何度もかける、水のかけ方を細かく調節することにより、様々な特性の鋼板に作り分けているのだそうで、ダイナミックな製造工程と、出来上がる製品の繊細さのギャップにこれまた驚きです。

地球の重量の1/3を占め、人の営みに重要な役割を担ってきた鉄。今後も必要不可欠な存在であり続けるこの物質の、迫力満点な製造現場を目の当たりにできるこの工場見学、茨城県民ならずとも必見です!(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

つくば秀英、県西連合に圧勝 2回戦始まる【高校野球茨城’24】

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4回にライトスタンドに満塁ホームランを放ち、出迎えを受ける明石理紀斗(中央)

第106回全国高校野球茨城大会は5日目の12日、2回戦が始まった。シード校のつくば秀英は初戦に臨み、1回戦で古河二高に逆転勝ちし勢いに乗る県西連合(総和工.三和.結城ー)と対戦、6回コールド11−1で圧勝した。

12日は4会場で8試合が行われる予定だったが、雨により、常総学院-下妻二が4回裏2死からの継続試合となったほか、4試合が順延となった。

先発したつくば秀英の大石隼也投手

つくば秀英の先発、大石隼也は3回1死後2連打で先制を許すが、その裏自らのバットでセンターへヒットを放ち出塁した。大石は、続く佐々木将人のバントで二塁に進み、吉田侑真、吉田泰規の連続二塁打で逆転した。

3回裏1死2塁から左中間に同点のタイムリーツーベースを放つ吉田侑真

4回には、無死3塁で稲葉煌亮がレフトへタイムリーを放ち1点を追加、1死後、再び大石がセンターオーバーのタイムリー三塁打でリードを広げた。さらに2四球と死球で満塁とすると、明石理紀斗がライトスタンドに駄目押しの満塁ホームランを放ち、この回打者12人4安打、4四死球で8点を入れた。

投げては大石が真っすぐ、スライダー、フォークの3球種を巧みに使い分け、4回を被安打3の8奪三振を奪う。5回は斎藤柾希、6回は津金泰成が県西連合の打線をそれぞれ三者凡退に抑えた。

6回裏は、ヒットと2四球で1死満塁とし、最後は津金がレフトへタイムリーを放ち、11−1とコールドで3回戦進出を決めた。

大量得点に盛り上がるつくば秀英ベンチ

つくば秀英の桜井健監督は「初戦ということで固さがあったが、焦らず、やるべきことをやり、前半は我慢した。先制されたが自分たちの野球ができ、途中で代わった選手がいい仕事をしてくれたことは次につながる」と話した。

満塁ホームランを放った明石は高校通算15本目のホームラン。「ランナーを返すことを意識して打席に入った。打ったのはインコース高めの真っすぐ。迷いなく振り切れた」と語った。佐々木主将は「最初の試合なのでとても緊張したが、先制されても焦りはなく、いつも通り落ち着いて自分たちの野球が出来た」と話した。

雨が降り続く中、声援を送るつくば秀英の応援団

つくば秀英は17日、3回戦で日立商業-東海の勝者と対戦する。(高橋浩一)

守備からリズムつくる 優勝候補筆頭 常総学院 島田監督【高校野球展望’24】㊦

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インタビューに答える島田直也監督

県南強豪チームの名監督インタビュー最終回は常総学院の島田直也監督。常総学院は昨秋の県大会で優勝し関東大会では4強入りを果たした。センバツ甲子園では初戦を突破したが、のちに準優勝した報徳学園に2回戦で敗れた。今春の県大会でも優勝し、関東大会では準優勝と県外でも勝てるチームに仕上がっている。今夏の優勝候補筆頭に挙げられる常総学院はこの夏をどう戦うのか、心境を語ってもらった。

―春のセンバツは島田監督として2回目の出場になりました。今回も初戦を突破し、のちに準優勝した報徳学園に1対6と敗れました。センバツで2試合を経験した所感をお聞かせください。

島田 センバツは優勝を目指して戦っていました。1回戦は日本航空石川と1対0の良いゲームができました。2回戦は報徳学園と1対6で負けてしまいましたけど、点差ほど力の差はないと感じました。うちは守備からリズムをつくることを信条としていますが、守備にミスが出てしまいいつも通りにできなかったことが敗因です。逆に、報徳さんはやるべきことをきちんとできていました。この差だと思います。

島田直也監督

―春の県大会と関東大会を振り返っていかがですか。

島田 選手は大会ごとに成長しています。関東大会で準優勝できたことは本人たちも自信につながったのではないかと思います。センバツでできなかったことが関東大会ではしっかりできた。これが結果につながったのではないかと思います。

―関東大会ではセンバツ優勝校の健大高崎を破りました。これもかなり自信になったのではないですか

島田 去年から試合に出ている選手が多いので、大きい舞台に慣れているというのはあります。強豪校と大きな舞台で対戦できて、結果が出たということは自信になるのではないかと思います。

音の感覚変わる

―春のセンバツから新基準のバットに変わりましたが、戸惑いなどはありますか。

島田 僕は就任当初からセンター返しを意識して低く強い打球を打つように指導しています。バットが変わったからといってやることは変わらないので、戸惑いや違和感はありません。

―攻撃時は意識が変わらないのは分かりましたが、守備時はどうでしょうか。

島田 音の感覚が変わって戸惑うことはありました。飛距離については若干飛ばなくなったという気はしていますが、しっかり打てば打球は前と変わらず飛ぶので、守備位置を前にすることはしていません。選手達もちょっとずつ慣れています。

春の県大会で采配を振るう島田直也監督(ベンチ内右)=ノーブルホームスタジアム水戸

状況に応じたバッティング出来る選手ぞろい

―今年のチームはどのような特徴があるかご紹介をお願いします。

島田 今年のチームは守備力が高く守備からリズムを作ります。打線はしっかりと状況に応じたバッティングが出来る選手がそろっており、何とかつないでいこうというチームに仕上がっています。

―打撃の中心を担う武田勇哉選手は昨年から4番を打っていましたが、昨年は好不調の波が激しいと仰っていました。最上級生になってからの様子はどうですか。

島田 好不調の波がなくなりコンスタントに打ってくれています。春の大会でもチームで1番打った印象がありますね。かなりの成長を感じますし頼りにしています。

U-18日本代表候補として注目される武田選手

―ショートでキャプテンの若林選手はどうですか。

島田 僕の考えていることをしっかりと受け止めてチームに還元してくれています。

―キャッチャーの片岡選手は新チーム発足当初にキャプテンだったと記憶していますが、どういった経緯で若林選手にキャプテンが変わったのでしょうか。

島田 新チーム発足当初は片岡がキャプテンだったのですが、片岡自身はチームをまとめようと一生懸命やってくれていました。ですが、自分のプレーを見失っているところがあり、県南選抜大会終了後に片岡にはもう少し余裕を持って楽にプレーしてもらいたいという思いから、キャプテンは若林に交代しました。片岡自身はレギュラーキャッチャーなので、試合は片岡がまとめなくてはなりません。片岡だけに責任を負わせるのではなく、ショートで守備の要である若林にも分散させる目的でこの形を取りましたが、上手くことが運んでいます。

秋以降、強烈な自覚

―ピッチャー陣については小林芯汰投手を中心に今年もタレントぞろいです。エースの小林投手については、3年間どのような変遷をたどって現在に至っているでしょうか。

島田 入学当時から良いピッチャーなので大事に育てようと思って、小林とも育成方針について話し合いながらやってきました。下級生の頃から実戦経験を積ませて、最上学年になったらエースとして成長してもらいたいというプランのもとにここまで来ましたが、上手く成長していると思います。欲を言えば去年あたりから長いイニングをもっと経験させようと思っていたのですが、その経験は積めませんでした。入学当時から本人はストレートには自信があったのですが、それ以外のボールがまだ実戦で使えませんでした。ストレートを生かすための変化球を磨くという取り組みは最初からしてきたのですが、自分でももう一つ武器になるボールが欲しいという強烈な自覚が秋以降に芽生え、冬場は重点的に取り組んでいました。春にはこれが上手く出来るようになったのでピッチングの幅が広がり、本人としてもここでこれを投げれば抑えられるという感覚が生まれているようです。

エースとして期待がかかる小林芯汰投手

―ほかに大川慧投手や平、中村、鍛冶とタレントぞろいです。

島田 みんな一本立ちしてもらいたいと思っていますが、小林に続くピッチャーがなかなかね。それなりにはやってくれるのですが、僕が求めているレベルが高いというのもありますが、この選手に任せたら大丈夫というレベルには到達していません。

―昨夏は4回戦で茨城高校に敗れました。勝つことが宿命づけられている常総学院としては厳しい結果だったかと思います。この結果を受けて今年のチーム作りで特に力を入れたことはありますか。

島田 勝負ごとなので勝つこともあれば負けることもある。負けた時は相手が上だった、うちに力がなかったということなので、4回戦で負けたからといって次の世代のチームづくりを変えようという風にはなりませんでした。また原点から基本を大切に一からのやり直しという感じです。勝たせられなかったのは監督である僕の責任なので僕が未熟だったということに尽きます。そのほかに僕も2020年秋から高校野球の監督になってまだ4年目ですので勉強中の身です。こういう流れでやれば良いのかなという手応えはちょっとずつつかんできたように思います。

普段通りできれば結果付いてくる

ー今年の夏は優勝候補の筆頭に挙げられています。今年優勝すると常総学院として実に8年ぶりの夏の甲子園となり、島田監督としても就任以来初めての夏の甲子園です。夏の組み合わせをみると、結構手強そうなチームが同じゾーンに入っていているように思いますが、夏の大会に向けての意気込みをお聞かせ願います。

島田 3年生にとっては最後の大会であり、秋も春も公式戦で県内負けなしの代なので、なんとか夏も頂点に立ちたいという思いです。春のセンバツでの悔しい思いもありますので、甲子園の借りは甲子園で返すしかありませんので、どんな相手でも必死に食らいついていきたいと思います。また、このチームには秋の関東大会、センバツ、春の関東大会という上位大会に出場し、いずれも勝ちを収めた経験値がありますので、それが強みなのではないかと思います。

―夏に向けて選手にはどういう話をされていますか。

島田 特に大会前にこれといって話をするわけではないです。練習をしっかりやれば結果が付いてくると思っていますので、しっかり練習していく環境に気を遣っています。相手も打倒常総で来るかもしれませんが、うちは普段通りにできれば結果が付いてくると思います。

―お忙しい中、今年もお時間をいただきありがとうございました。(聞き手・伊達康)

終わり

知っていますか?「文化観光推進法」《遊民通信》92

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【コラム・田口哲郎】

前略

最近、文化観光推進法(2020年5月施行)という法律があることを知りました。この法律の概要は文化庁の公式サイトによると以下のようになります。

文化観光とは「有形又は無形の文化的所産その他の文化に関する資源(文化資源)の観覧、文化資源に関する体験活動その他の活動を通じて、文化についての理解を深めることを目的とする観光」(文化観光推進法第2条)です。

多くの人々に文化資源の魅力を伝え、文化の振興に再投資される好循環を生み出すことで、地域の活性化や文化芸術の発展につなげていくことが期待されています。

要するに、地域に根ざす文化を観光資源化し、観光による収入を再び地域に投資し、地域活性化、文化振興に役立てようというものです。現在、日本全国で51の文化観光拠点が認定されています。

琵琶湖疏水記念館を核とする計画

名だたる名所が並んでいるのですが、そのうちに「琵琶湖疏水記念館を中核とする文化観光拠点計画」があります。この文化観光推進法はいくつかの観光拠点を有機的に結びつけて、観光客を増やして収益を文化と地域活性化のために再投資するのが目的です。

京都の計画では、2時間サスペンスドラマの撮影地で有名な南禅寺水路閣、京都に生活用水を供給した琵琶湖疏水の記念館、京都市京セラ美術館、京都水族館、疏水の高低差部分に船を通すための鉄道線路である蹴上インクライン、旧御所水道ポンプ室が結ばれています。

蹴上インクラインのライトアップ、多言語デジタル対応、オリジナルグッズの販売、集客イベントの開催などが計画され、5年間で3億円あまりの推進事業予算がついています。実績は今後出てくるものと思われます。

茨城県南の文化観光拠点は?

さて、茨城県については、2024年4月1日現在、認定された拠点はありません。これは各県ひとつずつとかそういった決まりもないですし、拠点がないからといって観光に力を入れていないということでもありません。

ただ、たとえば霞ケ浦は琵琶湖に次ぐ大きさを誇る巨大な湖ですし、霞ケ浦の周りにはレンコンやサツマイモの産地があり、美浦村にはJRAのトレセン、阿見町には予科練記念館、昭和初期には世界一周中の巨大飛行船ツェッペリン伯号が飛来、リンドバーグ夫妻が飛行機で土浦の海軍飛行場に寄港するなど歴史的事実もあります。

霞ケ浦の帆引き船の見学や自転車によるりんりんロードは2023年12月まで県が行っていた観光振興事業、体験王国いばらきの精神を継承できるのではないでしょうか。

茨城県南が文化観光推進事業によって、その魅力を再発見し、広報できれば、より魅力ある街づくりができるのではないかと、また夢見てしまいます。ごきげんよう。

早々

(散歩好きの文明批評家)

「気負わずに走る」 男子100mの東田旺洋 パリ五輪へ

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東田旺洋選手=10日、筑波大学陸上競技場

筑波大出身で関彰商事所属の東田旺洋ひがしだあきひろ(28)が、パリオリンピック陸上男子100メートル及び400メートルリレーの日本代表に内定し、10日、練習拠点のつくば市天王台、筑波大学陸上競技場で合同取材会に臨んだ。大会の目標について「個人の目標としては自己ベストの更新。自己ベストを出せば準決勝進出も付いてくる。リレーではメダルを取りたい」と語った。今後、日本オリンピック委員会の認定を受け、正式に日本代表となる。

東田は「オリンピックは他の世界大会と違うとは言うけれど、やることは走るだけなので、気負わずにやりたい。リレーに選ばれるということは日本で4番目以内に速いということになるので、責任をもって走りたい。また日本のバトンのうまさの精度を高めていきたい」と意気込みを話す。

「無理な挑戦してきた」

筑波大時代から東田を指導する同大体育系の谷川聡准教授は東田について「大学時代からけがが多く、素直ではなかった。こだわりが強く、1回やってみないと分からないということで無理な挑戦をしてきた。この2年は安定してきて、日本選手権は当然の結果だった思う。オリンピックでは自己記録を十分狙え、条件が整えば9秒台も出るかも知れない」と期待を話す。

東田と指導者の谷川准教授(左)

東田は6月30日に行われたパリ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権男子100メートルで10秒14で2位に食い込み、内定を得た。10秒13で1位となった坂井隆一郎(大阪ガス)との差は0.01だった。

1995年奈良県生まれ。奈良市立一条高3年時はインターハイ200メートルで8位入賞した。筑波大に進学後は、度重なるケガを乗り越え、大学院2年の2019年に日本インカレ100メートルで初優勝。その後の国体100メートルも制した。

卒業後は茨城陸上競技会を経て21年から栃木県スポーツ協会に所属。同年、100メートル10秒18、200メートル20秒60の自己新を出し、日本選手権100メートルでは8位入賞を果たした。昨年の日本選手権100メートルでも決勝に進んだ。

前回、東京五輪の代表になった桐生祥秀選手(日本生命)とは同級生。高1で出会い、数々のレースで競ってきたが、10年かけてようやく追いついたという。

練習拠点の筑波大学陸上競技場

現在、関彰商事ヒューマンケア部に所属し、仕事をしながらトレーニングに励んでいる。サポート体制が充実しており、女子中距離の平野綾子、同100メートルハードルの相馬絵里子、男子400メートルハードルの高橋塁、男子やり投の村澤雄平、女子競歩の熊谷菜美も在籍している。

陸上競技の五輪出場は奈良県の高校出身者では初となる。「つくばは10年以上住んでいるので第二の故郷」だと言う。16日、パリに旅立つ。(榎田智司)

先輩たちの偉業断ち 一戦必勝で臨む 土浦日大 小菅監督【高校野球展望’24】㊥

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真剣な面持ちでインタビューに答える小菅勲監督=土浦日大応接室

高校野球県南強豪チーム監督インタビューの2回目は、昨年の茨城大会を制し、甲子園で4強入りして土浦日大旋風を巻き起こした土浦日大の小菅勲監督。その後の国体でも優勝(順延のため仙台育英と2校優勝)し、小菅監督としてもキャリアハイを経験した。

中でも、茨城大会準決勝から決勝にかけては、正捕手でキャプテンの塚原歩生真選手が、頭部死球によって決勝には出場できなかったり、代役として出場した飯田捕手が神がかったプレーをするなど、県大会準決勝と決勝は後世に語り継がれる内容だった。今年のチームはどのように仕上がっているのか。

ー昨年の茨城大会では準決勝で塚原歩生真選手が頭部に死球を受けて、飯田将生選手が決勝戦まで代役を務め大活躍しました。

小菅 昨年4月から5月の時点で「この選手の中で明日からでも夏の大会に出られるのは飯田だ」と言っていたほど、飯田はいつでも出場する準備が出来ていました。彼があの場面で出ていく台本が用意されていたのではないかと思うくらいです。あの場で塚原の代わりに出場しても本人もチームも全く不安はありませんでしたし、結果的に塚原以上の活躍を見せてくれました。塚原は決勝戦にはドクターストップがかかって出られなかったのですが、塚原を甲子園に連れて行こうとチームがまとまりました。

ー飯田選手は出塁したらファーストベース上でベンチに向かってガッツポーズをして雄叫びを上げていました。彼が流れを呼び込んで来ているように見えました。

小菅 何かが乗り移っているようでしたが、飯田はもともとガッツを前面に出す選手ではなく、どちらかと言うと元気を出そうぜと言われる側でした。自分の中で思うところがあったのでしょう。 3年生になって全くの別人になりました。

ーその決勝戦は0対3の劣勢のスコアから9回表に5点を奪って大逆転勝利を収めました。見ていて鳥肌が立ったのを覚えていますが、なぜあのような大逆転勝利が生まれたのでしょうか。

小菅 決勝戦での最大のポイントは最終回に先頭バッターが出塁した後に飯田が続けて打ったことです。彼が打ったことがみんなに勇気を与えました。それにみんなもつられて、飯田が出来るのだから俺たちもという雰囲気が生まれました。あの瞬間に「これは絶対にいける」と思いました。私は普段の年は試合のビデオは見ないのですが、去年ばかりはどうなっていたのか確認したくて後から見直しました。ワンフォアオール オールフォアワン(一人はみんなのために みんなは一人のために)とよく言葉では使っていますが、あの場では言葉がすんなり体に入ってきていたように思います。緊張するというよりも、塚原をなんとか甲子園に連れて行ってやろうとチームが一体になってオールフォアワンを体現できていました。

校長室に飾られていた茨城大会の優勝旗

ー昨年の甲子園ではベスト4まで勝ち上がる快進撃でした。

小菅 甲子園に滞在した3週間で選手は急成長しました。自分たちで練習をつくって、次に対戦するピッチャーについても対策を自分たちで立てて練習内容をリクエストしてくる。データミーティングをやると普段は私たちスタッフからデータ類を提示するのですが、ビデオも癖も対戦相手のデータも既に選手間で共有していました。甲子園で試合が終わってバスに乗るとすぐにバスの中で選手が次の試合に向けてミーティングしていました。守破離(しゅはり)を体現した素晴らしいチームになっていたと思います。

ー勝ち上がれた要因は何だと思いますか。

小菅 この場で、この期に及んで、大舞台でこんな良いプレーが出来るんだという驚きというよりも、このチームなら、この選手なら、やっぱりできるよなということの連続でした。甲子園の前まではたまに出来ていたということが、甲子園では常に出来たと思います。平常心とか不動心とかよく言いますが、普段どおりにできたことが勝ち上がれた要因だと思います。

ー甲子園から戻って翌日に県南選抜大会(新人戦)という過密スケジュールでした。

小菅 去年は茨城のチームが甲子園で勝ち上がることを想定していない日程で県南選抜大会が組まれていました。大変体力的に厳しかったので、今年は甲子園出場校には考慮していただきたいという意向は大会前の会議で述べさせていただこうと思います。

中本の逆転ホームランを拍手で称える小菅勲監督(右端)=J:COMスタジアム土浦

ー今年の1年生は何人入部しましたか。また、甲子園4強入りの影響を感じていますか。

小菅 新入部員は34人です。一般入部の選手が影響を受けて選んでくれています。1年生に話してもらう抱負はこれまで「甲子園に出場したい」だったのですが、今年は「甲子園で優勝したい」に変わりました。これまで先輩たちが積み重ねてきたものが後輩たちに良い影響を与えていると感じています。

時間と自信

ーあれだけ甲子園で勝ち上がったので1年生には甲子園で勝つイメージは湧きやすいでしょうね。それでは今年のチームについて伺います。今年のチームづくりにおいて重きを置いたことは何でしょうか。

小菅 時間と自信です。去年の甲子園が終わって新チームを預かった時に「このチームが成熟するには夏の大会の直前までかかる。時間が必要だ」と思いました。というのも、レギュラー1年目の選手が多く、自信がおぼろげな選手が多かったのです。時間をかけて練習と試合を繰り返しながら夏の大会の直前まで来て、ようやく夏に優勝を狙えるチームになってきたなと思います。

後は自信です。自信は実際のシチュエーションでしかつかめないことなので、大会の時に逆境を乗り越えながらつかんでもらいたいと思います。自分の役割を理解してそれを貫き通してくれたら結果は自ずと付いてくると思います。

チーム変える特効薬

ー春の大会では秋から大胆なコンバート(守備位置の変更)がありましたが、その狙いを教えていただけますか。

小菅 チームを劇的に変えるための一番の特効薬はコンバートでセンターラインを固めることです。中本佳吾のウィークポイントであるスローイングをカバーするために、センターにコンバートしてバッティングにより専念してもらうこと。さらにキャプテンである彼にセンターからチームを見てもらおうという意図もあってのコンバートでしたが、これが大変はまっています。

セカンドからセンターにコンバートされたキャプテンの中本佳吾選手

大井駿一郎についても中心選手ですからサイドにいるよりはセンターラインに来てもらって内野をより活性化させようという意図で春はショートで使いました。大井はスタメンで出るべき実力がありますから、その分、セカンド、サード、ファーストに競争が生まれました。そのような経緯を経て、この夏、大井はピッチャー専任でいきます。中本はセンターで、大井はピッチャーでという形に落ち着いています。

粘り強く戦える集団にはなった

ーどんなチームに仕上がりましたか。

小菅 打撃か守備かで言うと守備のチームです。地味ではありますが、個々の選手が自分のやるべきことを分かっているチームです。大井という投打の中心選手はいますが、毎年のようにスター選手は不在で、だからこそみんなで泥臭く繋いでいこうとしています。最後の仕上げは夏に戦いながらやっていくのですが、それに耐えられる粘り強く戦える集団にはなったかなと思います。

ー各選手について個別に紹介も交えながら教えていただきたいと思います。大井駿一郎投手をエースに据えるということでしたが、どういうタイプのピッチャーでしょうか。

小菅 剛速球やキレ味が鋭い変化球というタイプではなく打たせてとるピッチャーです。結構出塁を許すのですが、打たれ強くて最後は最少失点で切り抜けるということが多いです。

エースで4番の大井駿一郎投手

ー大井選手がエースで4番の中心選手という形ですか。

小菅 そうですね。大井におんぶに抱っこにならないようにチームづくりをしてきてはいたのですが、大井と中本がクリーンアップを打つことがチームとして落ち着いた感じになったので、4番に大井がいて打線が機能するという形です。

ー春までエース番号を背負っていた小島笙投手についてはどうでしょうか。

小菅 小島は球威で押してきりきり舞いさせるピッチャーではなく、変化球と真っ直ぐのコンビネーションで乗り切るピッチャーです。よく打たれるのですが、打たれても最後にホームを踏ませないという大井と似たところはあります。自分でも最近になってタイプが分かったようです。本人としては打たれるのが嫌で奮闘していたのですが、打たれ強ければ良いんだと、最後に点をやらなければ良いんだという考え方に到達したので、打たれながらも抑える投球ができるようになりました。自分の良さを生かして投げてもらえるように本人に考えてもらおうと思って、エースや準エースはこういう投球をしていかないといけないんだよということを1年間かけて学んでもらいました。今はようやく自分のスタイルはこれですと言える域に到達しました。それで良いと思います。

ー3番手は右サイドの笹沼隼介投手でしょうか。

小菅 そうですね。4番手には左の山崎奏来と今本大翔のどちらかが食い込んでくると思います。いずれも3年生です。

大橋の成長がチームの成長

ー続いて野手の話をお願いします。中本選手と大井選手がクリーンアップだとお聞きしましたが、他に打線のキーマンはいますか。

小菅 1番から9番まで全員がキーマンだと思っていますが、打線の中に未熟な者がいるなとこの1年間思っていました。特に期待をかけて上位を任せている石﨑瀧碧と島田悠平の2人がボール球を振ってしまうとか、狙い球が定まらないとか、基本中の基本が秋から春にかけてできていませんでした。しかし、ようやく自分を俯瞰(ふかん)して見られるようになって、やっていることは間違っていない段階に来ていますので、夏に結果が出る形までは持って来られたかと思います。あとは夏の大会中に化けてもらうことを祈るばかりです。本人たちにもそのように話しています。

あとは2年生なのですが、キャッチャーの大橋篤志です。大橋の成長がチームの成長だとチーム設立当初から公言していました。大橋がプレッシャーに捉えて萎縮することなく、前向きに捉えて伸びてくれたら優勝もあり得ると思っています。

さらにファーストを守る2年生の梶野悠仁ですね。大橋と梶野という2年生レギュラーがいかに存在感を現すかが鍵になると思います。

ー春の大会を振り返って所感をお聞かせ願います。

小菅 春も失点もエラーも少なかったと思いますし、守備力は手応えを覚えました。攻撃力については低反発バットに変わるということで冬の間は打撃強化に努めていたのですが、各自で自分のバッティングができるようにはなりましたし、繋げるようになりましたので、一定の成果は出たかなと思っています。準々決勝の鹿島学園戦では打力が課題となって1点しか取れなかったですが、鹿島学園の投手陣に対してあと2点や3点をどうやって取りにいくかというのが課題になりましたので、春は非常に良い宿題をもらったと思っています。春以降の練習試合では打力だけにとらわれずに走力や小技を絡めた上での得点力にこだわって取り組んで来ました。

飛距離にして10%程度マイナス

ー新基準のバットに変わってどのような感想をお持ちですか。

小菅 春先に導入されたばかりの頃は長打が激減していましたが、高校生には順応性がありますので今はだいぶ慣れてきました。しっかりとコンタクトして、飛んでいくボールに関しては以前のバットと同様の飛距離があります。ただ、いい加減に打った打球というか、小手先だけで打ったものは思った以上に飛距離が伸びません。飛距離にして10%程度マイナスになっていると感じます。試合中も「前のバットだったら抜けていたね」というやりとりがあります。だからこそしっかりとコンタクトすることを心掛けています。

マインドセットが出来るようになった

ー夏の大会に向けての意気込みをお願いします。

小菅 去年の甲子園4強という結果からどうしても無意識のうちに今年もだとか、2連覇だとかというマインドになってしまいます。先ほどお話しした1年間かけてチームづくりする必要があると思ったのは、まずはそれをリセットしないといけないと感じたことが発端でした。

ここ最近になって、自分たちの代は先輩たちの結果を追い求める訳ではなく、自分たちのやれることをやるんだと、ようやく先輩たちの偉業と自分たちの代とのことを断ち切れてきましたので、この代の良さが出るのではないかと思います。このチームで一期一会にしてこのメンバーで初めて出場する甲子園という捉え方をしています。もちろん今年も茨城の優勝旗を奪いに行くことが目標なのですが、あくまで一戦必勝で臨みます。

ー選手が常に先輩の築いた結果を重く受け止めていて、使命感に駆られていたということですか。

小菅 そうです。ようやくそういうのがなくなってきたなと感じる部分がありまして、良い形でチームが仕上がってきたと思います。これだけ結集した力を精一杯出そうねというところまで今来ているので、それを夏に貫き通してくれたらいいなと思います。最後に戦った後に、やはり常総学院が強かったで終わるのは良いと。ただし、うちが本来の力を出せずに終わるのはダメだろうと、自分の力を出そうというマインドセットが出来るようになってきました。

認知行動療法で思考の可視化を手助け

ーマインドセットとは。

小菅 認知行動療法というものです。例えば、昨夏甲子園の準決勝で、慶應義塾のものすごい応援をどう捉えますかと聞かれたときに、今自分がやるべきことはこれだとそこでマインドセットする。私はよく「種」というのですが、自分の種は何か、それを貫き通すことで結果はやってくると言っています。私自身は選手たちの青春時代に花を添える人間です。こういうことをやったら上手くなるよ、こういう風にやったら良いことがあるよとやってきた結果が甲子園ベスト4だったということですから、その物事をどう捉えるかが大事だということです。

ー思考の整理の手助けをするということですか。

小菅 思考の可視化の手助けをするとはいいますね。大事な試合の前に「今100%のうちどのくらい緊張しているか」と問うたときに、90%と言った場合は、90%は線路に飛び出して今にもひかれる時のような絶体絶命の時だよと教えます。じゃあ、それに比べて今はどうなのと問うと、大抵は30%となります。物事の恐怖の尺度が30%ならば自分の力が出るそうだよと伝えてあげると、「ああ、そうなんですか」と平常心を取り戻してくれたということはありました。

昨夏甲子園2回戦での専大松戸戦でのエピソードです。台風の影響で本校も専大松戸も応援団がたどり着けなくて、静かな試合だったんです。

最初に先制されて、次にうちが逆転したら球場全体で拍手してくれて。その時にエースの藤本が私に「いやあ、夜の甲子園って良いですね。阪神タイガースってこんなところで試合できて良いですね」と、試合中にこういう捉え方をしたんです。だからこそ本来の力が出せたのではないかと思います。台風で1日延びたおかげで夜の応援団なしの一球一打の音を体感する甲子園が経験できて、お互いに敵味方ではなくて野球の現場を盛り上げてくれるという、それに呼応するかのように選手も躍動するという、それに20時になると涼しいですから良かったですね。甲子園でかなうなら2部制も最高ですね。

今年は教育実習生として2020年のコロナ直撃で甲子園がなくなった世代の笠嶋大介(仙台大野球部4年)が来てくれたんです。この間、私と笠嶋君で「君たちは甲子園を目指せるだけで幸せなんだよ」、「とにかく試合に出られるだけで良いじゃないか」という、あの時の気持ちを2人で涙ながらに語って選手に聞かせるミーティングをしました。あの当時、今の現役選手は中2、中1、小6だったのですが、2020年世代のリアルな思いをどれだけ聞き入って気持ちをつくり上げてくれるか楽しみにしています。今年笠嶋と出会ったことがきっかけとなって、野球が出来るだけでありがたいと骨身に染みて思ってくれたら、よい結果が待っていると思います。(聞き手・伊達康)

続く

北欧の福祉国家を見習う《ひょうたんの眼》70

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自宅近くから遠望した筑波山。筆者撮影

【コラム・高橋恵一】昨年、日本のGDP(国内総生産)がドイツに抜かれて世界第4位になり、2025年にはインドにも抜かれるようです。ちなみに、1人当たりGDPは34位です。かって世界2位だった日本としては残念な気もしますが、もともと人口も国土面積も世界の中位なのに、米国に迫るGDPというのは出来すぎだったのかもしれません。

GDPは1人当たりGDPの総計ですから、中国やインドは日本の10倍以上の人口を擁していることを考えると、日本だけでなく、米国を抜くのも当然と言えるでしょう。

高度成長のバブル崩壊による終焉(しゅうえん)には、日本だけでなく欧米も含め世界中が見舞われました。次の経済政策選択のときに、日本は米国に追随し、新自由主義経済を選択しました。結果、収益の最大を究極の目標として、全体の需給趨勢(すうせい)も見ず、コストの最小化を人件費と原材料費の削減に向けたのです。

つまり、経済構造の立場の弱いところに押し付けたのです。コスト削減の対象は、社会保障費の公的支出にも向けられました。しかし、新自由主義経済を選択したこれらの低賃金体制は、内需を停滞させました。

日本は「中福祉負担」を選択

バブル崩壊後の別の選択肢は、北欧・西欧の福祉国家でした。ところが日本では、福祉国家を高福祉高負担の税金の高い国とし、いくら働いても税金で取られてはたまらないと、中福祉中負担を選んだのです。高負担を否定する世論は、日本と米国だけではないでしょうか。北欧では、国民全体が幸福になるのであれば税負担は当然と考えているようです。

新自由主義経済に批判的なノーベル賞経済学者のJ.スティグリッツは、アベノミクス失敗の日本に対し、「私たちが一番大切に思うのは、自らの子どもたちと親たちです。その大切な人たちのケアをする教師や看護師にはその労働に見合った賃金を払うべきであり、それができるのは公共、つまり政府です」と指摘しています。

北欧5カ国は、1人当たりGDPの世界ランキングではそろって最上位を占め続けています。日本との違いは、女性の社会政治経済分野での存在が桁違いに大きいことです。というより、男女差がありません。ジェンダーフリーも労働時間の短縮も環境対策も、ずっと前から取り組まれています。医療・福祉も国民の幸福度を高める分野の需要として、人材も資本も投入してきたのです。

低賃が上れば個人消費が回復

政府は、年金制度の維持を可能とする見通しを発表しましたが、その前提として、まだ男女格差、高齢者と外国人労働者の低賃金を置いています。日本は、社会保障費削減や年金引き下げをすれば政権交代が起こるような、不公平な格差を許さない福祉国家(北欧では当たり前なので自らを福祉国家と言わない)の社会経済政策に、今すぐ切り替えるべきでしょう。

低賃金が治れば個人消費が回復し、若者の未来も明るくなります。日本の経済学者と優秀な官僚なら、実現できると思います。本来の内需拡大で、妥当な1人当たりGDPを取り戻しましょう。(地図と歴史が好きな土浦人)

土浦三、タイブレークで力尽きる 石岡商2回戦へ【高校野球茨城’24】

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2回裏土浦三1死一・三塁、関根のスクイズに三走・黒田が本塁に突入するがタッチアウト

第106回全国高校野球茨城大会は4日目の9日、J:COMスタジアム土浦での第2試合で土浦三が石岡商と対戦。1点を取りつ取られつの拮抗(きっこう)した戦いを繰り広げたが、延長10回で土浦三がついに力尽き、4-5で敗れた。

序盤は石岡商が先行し、土浦三が追い掛ける展開。2回表に2安打で石岡商が先制すると、その裏に土浦三は4番・関川千智が四球で出塁、6番・黒田広将の左前打で同点。さらに7番・中村太陽の右前打で1死一・三塁とチャンスを広げたが、関根優多のスリーバントスクイズは相手の好守に阻まれた。

その後も土浦三は3回、4回に1点ずつ失点。野手の細かいミスもあったが、エース関根優多が今一つ波に乗り切れていなかった。「マウンドにうまく対応しきれず体が開いてしまうため、80%の力で投げていた」と関根は明かす。

10回を投げ抜いた先発の関根

5回以降は力みがとれ、自分の本来のフォームで投げられるようになり、7回まではすべて三者凡退。8回は1安打を許したものの、次打者でダブルプレーを取りやはり3人で打ち取っている。

土浦三は4回に相手の送球ミスから1点を追い上げ、6回に関川の右翼線への三塁打と5番・木口善生の右翼線への二塁打で3-3の同点とする。だがこの後木口はけん制球でタッチアウトとなり、貴重な逆転のランナーを失った。

6回裏土浦三1死二塁、木口が二・三塁間に挟まれアウト

8回には相手エラーに乗じ4-3と逆転に成功、さらに無死一・二塁と好機をつくるが、交代した相手投手を攻めきれず、またもけん制で走者を失っている。

それでも9回表を乗り切れば勝てるはずだった。だがここまで力投した関根には疲れが忍び寄っていたようだ。投げ損ねのワンバウンドのボールが当たってしまい先頭打者に出塁を許す。続く代打2人は打ち取ったものの、下位の8・9番の連続ヒットで、4-4の同点とされてしまう。

そして10回タイブレーク。先頭・2番打者の送りバントは関川の見事な処理で走者を進めさせず、次打者は二ゴロに打ち取り2アウト。ここで相手4番打者との勝負を選んだが、制球が整わず歩かせてしまい満塁。5番打者の打球は打ち取った当たりだったが、二塁手と遊撃手が重なって抑えきれず、三走の生還を許した。

10回表石岡商無死一・二塁、先頭打者のバントを関川が処理する

「1点を争うゲームになることは予想していたが、相手打線がしぶとかった。タフなゲームで関根を中心に守りで頑張ってきたが、相手の執念が一枚上だった」と竹内達郎監督。タイブレークまでは想定内で、それを見据えたチームづくりもしてきたという。「実際に、多くの場面で自分たちが積み上げてきたものをしっかりと発揮してくれた。選手の頑張りに報いるマネジメントをしてあげられなかったのが残念」と肩を落とした。(池田充雄)

試合後のあいさつを終え、ベンチに戻る土浦三ナイン

土浦工業、清真学園に敗れる【高校野球茨城’24】

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打っては2安打を放った土浦工業の渡辺心輝投手

第106回全国高校野球茨城大会は4日目の9日、1回戦最後の試合が行われた。ノーブルホーム水戸では、土浦工業が清真学園と対戦、7回コールド 0-8で敗れた。

捕手、投手としてチームを引っ張った山口泰人主将 

土浦工業は昨秋と今春の地区予選は合同チームで出場。今夏は1年生が多く入部し単独での出場を果たした。チームを支えるのはエースの渡辺心輝と主将の山口泰人の3年生バッテリー。「気持ちをしっかり出し、チームとして最高の状態で清真学園に挑んだ」(山口)。

初回、土浦工業は、先発のエース渡辺が3安打と四球で1点を先制された。その裏、1死後四球で出塁した川野彪雅が2塁盗塁に成功し、渡辺がライトにチーム初ヒットを放って1死1、3塁と好機を広げた。しかし後続が凡退。渡辺は2回にも1失点し2点のリードを許すが、その後は走者を出すものの要所を押さえ味方の反撃を待った。

ベンチから声援を送る土浦工業の選手たち

4回、土浦工業は四球3つで2死満塁の好機に助川誓哉がセーフティスクイズを試みるも凡退。5回には渡辺が2本目のヒットを放ち2死1、3塁とチャンスを広げるが、あと1本が出ず無得点に終わった。

これに対し清真学園は7回に4安打、4四球、1エラーで大量6点を追加し、試合を決めた。

土浦工業の久保田昌倫監督は「3年生2人、2年生3人での合同チームの時の保護者、先生が見に来てくれた。週末、長期休みは合同で練習してくれて感謝している。平日は合同練習での課題を全体で練習してきた」と関係者に感謝の意を表した上で、「清真学園の先発、川口投手が良いのはわかっていたが勝負できるところで点が入れられなかった。相手は守備がしっかりしていてバントをしっかり決めて一枚上手だった」と振り返った。さらに「2人の3年生がいなければ野球部はつぶれていた。2人が礎を築いてくれた。1、2年生が今日の経験を生かして来年につなげてくれれば3年生への恩返しになる」と語った。

試合後スタンドへのあいさつを終えて引き上げる土浦工業の選手たち

先発した渡辺心輝投手は「無駄なボール、四球を多く出してしまって悔しい。自分が取られた点は自分のバットで取り返そうとしたがランナーを返せなかったのが悔しい。相手が上回った。自分たちの力負け。来年は1、2年生に悔しさを晴らしてほしい」と後輩たちにリベンジを託した。山口泰人主将は「これまでの厳しい練習に1年生が付いてきてくれた。監督とこの環境で野球を続けてこられて幸せだった」と涙にくれながら話した。(高橋浩一)

声援を送る土浦工業の応援席