木曜日, 7月 29, 2021
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ほんとうに海に流してしまっていいのですか 《邑から日本を見る》87

【コラム・先﨑千尋】表題を福島県いわき市で発行されている「日々の新聞」4月30日号から借用した。同紙はこの号で「汚染水の海洋放出」を特集しており、12ページの紙面のうち実に11ページを使っている。発行者の安竜昌弘さんはいわき市で地方紙の記者をしていたが、そのあり方に疑問を持ち、2003年に「日々の新聞」を創刊した。現在は大越章子記者と2人で紙面をつくっている。 タブーのない、個の思いが詰まった新聞づくりをしていて、毎号届くのが楽しみだ。紙面の下には「海洋放出反対の理由」、「放射能汚染水で海を汚さないで」など、他の新聞にはほとんど見ることのない意見広告も載っている。 同紙は1面で「ほんとうに海に流してしまっていいのですか」と読者に問いかけ、2面で「海洋放出の反対はいささかも変わらない」と主張。これまでの経過をたどり、トリチウムなどを含む汚染水の説明、いわき市漁協の江川章組合長ら4人の話を載せている。 このほか、北海道がんセンター名誉院長の西尾正道さんの「トリチウムの海洋放出は人間の遺伝子組み換えによる殺人行為」という寄稿文があり、『被曝インフォデミック』という西尾さんの本を紹介している。 それによると、「トリチウムは原発から近いほど濃度が高く、生態系の食物連鎖の過程で生物濃縮する。トリチウムは人のDNAを構成している塩基の化学構造式まで変えてしまう。(これは)人間の遺伝子組み換えを行っていること。処理コストが安いからといって海洋放出することは、人類に対する緩慢な殺人行為」と警告している。 これらを受けて、安竜さんは最後に「一番は、海に流される液体の正体をきちんと知ることだ。これで引き下がっていいのか。他人事ではない」と訴えている。

福島第1の汚染水、海洋放出へ-問題点は 《邑から日本を見る》86

【コラム・先﨑千尋】政府は今月13日、東京電力福島第1原発で増え続ける放射性物質を含んだ処理水を海洋に放出する方針を決め、18日にいわき市で「廃炉・汚染水・処理水対策福島協議会」を開き、地元市町村長、漁連、農協など関係者にその方針を伝えた。県内の首長や団体代表から意見を直接聞いたのは初めて。 それに対して、「放出には反対。政府の方針は関係者の理解を得ておらず、国、東電への信頼性に疑問がある」(野崎哲県漁連会長)という声をはじめ、「方針を決めた後で説明するということは、結論ありきではないか。海洋放出は、漁民だけでなく県民全体にも影響を及ぼす。正確な、透明性のある情報を出してほしい。海洋放出による損害は、風評ではなく実害だ」など、政府の方針に批判的な意見が多く出された。 しかし、政府や東電の答弁は「今回の意見は今後の検討に反映させたい」などというもので、具体策には触れなかった。今回の経過を取材したが、そのなかで私にはいくつか疑問が湧いた。 東電は2015年に県漁連に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と文書で約束している。今回の政府の決定では、このことには触れていない。地元との約束を守らず、「丁寧な説明をする」と言われても、誰が信用するのだろうか。「国が決めたのだからそれに従って放出する」と、東電は主役のはずなのに脇役に回って、他人事のようだ。 第一番に、被害を受ける漁業関係者らが反対しても、国と東電はそれを無視して海洋放出する。沖縄・辺野古への新基地建設と同じ構図ではないか。 もう一つは、風評被害(実害)に対する賠償問題だ。東電は16日に公表した賠償方針で「期間や地域、業種を限定せずに賠償する」と明記した。商品やサービスの取引量の減少、価格の下落などに基づき、損害額を算定する。しかし、その基準はまだ決まっていない。風評と損害の因果関係を厳しく審査され、被害があっても救済されないこともあり得る。

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権利獲得目指した障害者運動の歩み語る 「茨城青い芝の会」60周年記念誌

脳性まひ者を中心とする障害者団体「茨城青い芝の会」(里内龍史会長、土浦市神立)がこのほど、60周年記念誌「大いなる叫び―茨城青い芝の会の障害者解放運動」(A5判、251ページ)を刊行した。  同会は60年前の1961年、脳性まひ者の折本昭子さん=故人=と、千代田村(現・かすみがうら市)上志筑の寺院の大仏空(おさらぎ・あきら)住職らが中心となって結成した。63年には大仏住職の寺に障害者が共同生活をするコロニー「マハラバ村」をつくった。その後、村を出た障害者たちが全国各地で青い芝の会を結成し、70年代には先鋭的な社会運動を起こした。運動を通して生まれた「自分たち抜きに、自分たちのことを決めるな」という訴えは、その後の国内のさまざまな人権運動に影響を与え、現代の「当事者主権」につながったとされる。学術研究の対象としても近年、再評価の動きが起こっている。 記念誌は、14人と1団体による25編の原稿で構成され、障害者の権利獲得を目指した当事者らが、自らの闘いの歴史を振り返っている。当事者主権の思想を育んだ共同生活がどのようなものだったかも垣間見せる。さらに、知的障害者らが殺傷された津久井やまゆり園事件や、新型コロナで論争になった治療の優先順位を決める命の選別問題など、現代もある優生思想や差別について、当事者の視点から語っている。 会長の里内さんは記念誌出版の経緯について「(マハラバ村を経験した)茨城青い芝は僕だけになった。最後の大仏門下生として後世に対して、青い芝の会の偉業を文章化して残したいと思っていた」と話す。 昨年4月、里内さんは「障害者解放運動から」と題した講演を行う予定で一昨年から準備をしていた。里内さんは障害のために、声を出すことが出来ない。そのため、講演のために原稿を作り、それをパソコンで読み上げる予定だった。しかし、コロナ禍でその講演は延期となり、ついには中止になってしまった。 その際「茨城青い芝の60周年記念でもあるので本にしよう」という提案があり、「講演録や大仏和尚が書いた文章、先輩たちが書かれた文章などをまとめて一冊の本として店頭販売したい」と考え、出版に至ったという。里内さんは「この記念誌の読者の中から新しい人間関係が出来てくれればうれしい」と話す。

養老孟司先生の講演を聴く《令和楽学ラボ》14

【コラム・川上美智子】つくばのホテルグランド東雲で、東京大学名誉教授の養老孟司先生の講演を聴く機会がありました。養老先生は20数年前の現役時代に東大医学部の学生に解剖学実験を指導されていて、当時受講生だった娘が時々その様子を話してくれました。ホルマリンの臭いが充満する教室で、学生たちが人体解剖をしている傍らで、椅子に座ってじっと本を読んでおられたようです。 学生たちも大変ですが、先生にとっても厳しい時間なのではないかと、当時、思ったりしました。たとえ仕事であったとしても、医学の継承のため、若い学生を育てるため、人体を捧げる運命に至った人に最後まで傍らで寄り添い、畏敬の念を抱きつつも送り出さなければならない先生の気持ちを、本が和らげてくれていたのではと思います。 講演で先生は、「生老病死(しょうろうびょうし)」という言葉を黒板に書かれ、これが人の自然の姿だと言われました。最近、宗教学者の山折哲雄も、人生終焉に向かうテーマとして同名の本を出版しています。生老病死とは、人の人生には「生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと」の四つの苦しみがあり、これを避けて通れないという仏教語(お釈迦様の言葉)だそうです。 つまり、人が生きること自体が思い通りにならない苦しいことであると、仏教は教えています。先生は、演題「今、私たちは何をすべきか」の中で、そうだからこそ、「生(しょう)」のスタート部分の子ども時代には、生きることの楽しさ、社会の明るさを教えてほしいと訴えました。 子ども時代の一定期間、田舎で過ごすのがよい 先生は今、理想の保育園を目指し、保育園の理事長の職に就いていらっしゃるとのこと。毎日、孫や曾孫のような子どもたちと、虫取り、魚獲りで自然に触れ、子どもたちを幸福にしたい、子どもたちに幸せな生活を送らせたい、という思いで過ごされているそうです。

今年のワカサギは大ぶり 霞ケ浦・北浦の解禁漁

霞ケ浦と北浦の夏の風物詩、ワカサギ漁が21日解禁された。今年は例年に比べ体長が約7センチと大ぶり。「身も大きさも消費者に喜んでもらえるのではないか」と、12月まで続くこれからの漁に期待が寄せられている。 解禁日当日の操業(出漁)船は、霞ケ浦・北浦併せて142隻(昨年は118隻)、平均漁獲量は霞ケ浦が29.6キロ(同45.6キロ)、北浦が1.7キロ(同10.5キロ)だった。 温暖な霞ケ浦・北浦はワカサギの成長が早く、全国でも珍しく夏にワカサギが捕れることから「ナツワカ」の愛称で知られ、フライなどのほか、様々なレシピで好まれている。 愛好者などからの引き合いも多く、土浦市内のスーパーや専門店などでは生や加工品のワカサギが販売されている。霞ケ浦水産研究会(霞ケ浦漁業協同組合内)は昨年から捕りたての夏のワカサギを多くの人に味わってもらおうと、産地直送通販サイト(https://poke-m.com/products/165223)で「わかさぎオンライン解禁市」を関東地方限定で実施している。 国内の昨年のワカサギ漁獲量は、青森県の365トンをトップに、北海道210トン、秋田県207トンと続き、茨城県は73トンで第4位だった。解禁日は秋田県の小川原湖が9月1日、北海道の網走湖が9月頃、秋田県の八郎湖は10月頃とまちまちで、「ナツワカ」は霞ケ浦・北浦だけだ。 霞ケ浦・北浦のワカサギ漁獲量で最も漁獲量が多かったのは1965年の2595トンで、現在全国トップの青森県の実に7倍以上の水揚げを誇っていた。(山崎実)

にんにく祭りとニンニク 《県南の食生活》27

【コラム・古家晴美】一の矢神社(つくば市玉取)の祇園祭(ぎおんさい)は、旧暦6月7日(今年は7月16日)に開催され、茨城県内の祇園祭の皮切りとされている。「にんにく祭り」としても有名だ。その後、順次、他の八坂神社が祭礼を執り行う。鉾田町には、全戸が参加する一の矢講を編成し、玉取まで参拝に来ていた地区もあったと言う。 潮来市や行方市でも「一の矢の天神様の祭り」として、うどんや餅を作って食べた地域があり、広い地域で知られた祭りであった。では、どうして「にんにく祭り」なのか。諸説あるが、ご祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が朝鮮から持ち帰ったニンニクを用い、江戸時代に流行した疫病退治のために、戸口につるしたことが始まりと言う。 実際には、遣隋使か遣唐使がもたらしたものと推測されている。『万葉集』には、醤酢(ひしおす)とともにニンニクをついてタイを食べたい、という歌がある。『医心方』には、かっけ、風邪、虫刺されに効く、と書かれている。『源氏物語』の「帚木(ははきぎ)」には、風邪のために薬草(ニンニク)を煎じて飲んだ、とある。 禅宗の山門には「不許葷辛酒肉入山門」とあるが、滋養強壮作用があることから、修行の妨げになるということで、葷食(くんしょく=ネギ、ニラ、ニンニク、ラッキョウ、タマネギ)を禁じた。 また、室町から江戸時代にかけては、獣肉の調理や臭い消しに、すりおろしたニンニクが使用された。江戸から昭和にかけて、へき村では、節分の鬼やらいで、とげのある柊(ヒイラギ)、臭気があるイワシの頭とともに、さらに匂いが強いニンニクを門に挿しかける風習もあった。 また、コレラなどの悪疫の流行時に、児童にニンニク入りのお守りを持たせて、悪疫を防いだ。このほか、ニンニクは、腹痛、下痢、風邪の予防と治療に用いられた。