金曜日, 6月 9, 2023
タグ 弱虫ペダル

Tag: 弱虫ペダル

弱虫ペダルチームと協定締結 旧筑波東中の自転車拠点整備で連携 つくば市

つくば市は6日、市内に本拠地がある自転車チーム「弱虫ペダルサイクリングチーム」と、自転車利用の推進を目指した連携協力協定を締結した。 具体的な連携事業はこれから詰めるが、今後、同チームの選手が、小中学生向けの自転車交通安全教室に講師として参加したり、市が筑波東中学校跡地に計画している自転車拠点整備について同チームからアドバイスを受けるなどするという。 人気漫画「弱虫ペダル」の作者で、同チームの渡辺航監督(50)と佐藤成彦ゼネラルマネージャー(51)が市役所を訪れ、協定書に調印した。 渡辺監督は「国内のロードレースを盛り上げようとチームを立ち上げた。弱虫ペダルを読んで自転車競技の世界に入った若者たちが、世界に羽ばたく道筋の一つになればいいと思っていた。そのときにつくば市から(連携協定の)話があった。筑波東中にサイクリング拠点ができる。子供たちが自転車に触れ、自転車っていいな、楽しいなと感じ、選手たちがもっている自転車の気づきをフィードバックしながら、どんどん活用できる方向にいければ」などと話した。 佐藤GMは「チームが発足して6年間、つくば市を拠点に活動してきた。つくば市の素晴らしい環境があって活動ができる。少しでも恩返しできれば。筑波東中を拠点にした活用は、私どもも協力できたら」とした。 五十嵐立青市長は「今年つくば市にサイクルコミュニティ推進室が発足した。自転車利活用を本格的に加速させていくタイミングにある。(自転車を)知ってもらい、盛り上げていく上でこれ以上心強いパートナーはいない」などと述べた。

旧筑波東中にBMXコース整備へ 自転車チーム「弱虫ペダル」提案

つくば市は25日、同市北条、旧筑波東中学校グラウンドに新たに、自転車競技の一つ、BMX(バイシクルモトクロス)コースを整備すると発表した。 市内に活動拠点があるプロの自転車チーム「弱虫ペダルサイクリングチーム」(5月18日付)から昨年、市に提案があったのを受けて、市が来年度、約7500万円でコースを造成する方針だ。2023年に完成予定で、完成後は弱虫ペダルチームがコースを管理運営する予定だという。 BMXは、いくつもの小高い大小のこぶや、曲がり角がつくられた土のコースを、専用の自転車で300~400メートル走り抜けてタイムを競う競技。同中のグラウンド約1.17ヘクタールに全日本大会なども開催可能な最大約380メートルのコースと、子供用コースなどをつくる。さらに300台以上収容できる駐車場も整備する。 同中は秀峰筑波義務教育学校の開校に伴い2018年3月に廃校となった。跡地活用として校舎の一部を、筑波山地域ジオパークの中核拠点施設とサイクリング拠点として整備するため、今年度それぞれ約2200万円と約290万円で設計が実施されている。サイクリング拠点としては1~2階の教室の一部を改修し、自転車修理スペースやシャワー室などを整備する計画だ。 同中は、自転車道「つくば霞ケ浦りんりんロード」の沿線にある。市は、シャワー室などを備えているだけでは短時間の利用が多くなってしまうが、BMXは滞在時間が長く、食事や宿泊など地域への波及効果が期待できると強調する。 弱虫ペダルチームはロードレースなどの選手が多く、BMXの選手は現在、在籍していない。一方、BMXは子供たちが遊び感覚で楽しむことができるため、BMXをきっかけに将来、自転車競技の道に進む選手が出ることが期待されるという。

「弱虫ペダルチーム」の入部正太朗選手 つくば市を表敬訪問

つくば市に活動拠点を置くプロの自転車チーム「弱虫ペダルサイクリングチーム」に所属する全日本チャンピオンの入部正太朗選手(31)と、佐藤成彦ゼネラルマネジャーが18日、同市役所を訪れ、五十嵐立青市長を表敬訪問した。今後、つくば市と力を合わせて自転車のまちを盛り上げる。 人気漫画「弱虫ペダル」の作者、渡辺航さんが立ち上げたチームで、2019年の第88回全日本選手権自転車競技ロードレース大会で優勝した入部選手が今年1月から所属している。 同市要にクラブハウス、春日に合宿所がある。入部選手は1カ月ほど前に市内に転居し、現在、6月に広島で開催予定の全日本選手権連覇を目指し、筑波山や霞ケ浦などで練習を重ねている。 一方つくば市は今年4月、自転車施策を推進するサイクルコミュニティ推進室を立ち上げ、シェアサイクル事業や旧筑波東中のサイクリング拠点整備に向け準備を進めている。 こうした中、市とチームが力を合わせて何か活動できないかと、表敬訪問が実現した。 入部選手は、全日本チャンピオンだけが着ることができる、胸に日の丸が付いたジャージを着用して来庁した。つくばについて「サイクリング環境の良さにびっくりした。関東でも人気のサイクリングスポットなので、もっと盛り上げて、自転車のまちをアピールすることに貢献したい」と話した。

Most Read

音楽朗読劇「ヒロシマ」 7月、土浦公演 市民団体が主催

紙芝居やチンドン屋の練り歩きなどを行っている土浦の市民団体「つちうら駄菓子屋楽校」(石原之壽=のことぶき=代表)が主催し、音楽朗読劇「ヒロシマ」の公演が7月22日、土浦市大和町の県県南生涯学習センターで催される。2021年から毎年、土浦で開催し3回目となる。 「ヒロシマ」は、78年前に広島で被爆した路面電車を擬人化し、当時の記憶を語っていく物語。作中には被爆者たちの様々な証言を、できるだけ表現を変えずに用いているという。俳優で演出家の嶋崎靖さん(67)が平和への思いを込めて制作・演出した。今回の公演では、広島市の劇団で活動する原洋子さんと、俳優の保可南さん、地脇慎也さんが出演し、武蔵野音楽大学大学院の青山絵海さんがマリンバを演奏する。音楽は嶋崎さんが制作を手がけた。 音楽劇「ヒロシマ」の一場面(石原さん提供) チンドン屋の先輩と後輩 主催する「つちうら駄菓子屋楽校」は石原さん(64)が3年前に立ち上げた。飛行船「ツェッペリン伯号物語」や「土浦花火物語」など、土浦を中心に地域の歴史や物語を題材にした紙芝居を制作し上演している。

アストロプラネッツ、巨人との交流戦に敗れる

ラミレスさんの障害児野球教室も プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの茨城アストロプラネッツは7日、土浦市川口のJ:COMスタジアム土浦で、NPB(日本野球機構)との交流戦として読売ジャイアンツ3軍と対戦し、1-5で敗れた。試合に先立って、横浜DeNAベイスターズ前監督のアレックス・ラミレスさんによる障害児向けの野球教室も開かれ、約20人の子どもたちが直接指導を受けた。 茨城アストロプラネッツ-巨人3軍(6月7日、J:COMスタジアム土浦)巨人 003100001 5茨城 000010000 1 茨城は要所で守備にほころびが出て、要らぬ失点を重ねた。3回表、ショート寺嶋祐太の捕球ミスなどで2死一・三塁とされ、中堅への適時打で1点を先制される。次打者の右前打では、土田佳武が処理に手間取るうちに2者が生還、0-3と引き離される。4回にも2死からエラーがらみで走者を出し、さらに1点を追加された。 先発の二宮衣沙貴は「エラーでランナーを出しても、自分が踏ん張って抑えていれば結果は変わっていた。そこが今日の反省点。自分の能力を高め、三振で切り抜けられる力をつけたい」と悔やむ。

オカルト、エリファス・レヴィ《遊民通信》66

【コラム・田口哲郎】 前略 ずいぶん前からオカルトに興味があります。オカルトといえば、学研の月刊誌「ムー」です。UFOやツチノコ、心霊現象など、科学で解明できない現象について扱っています。オカルトはちょっとゾクゾクしますし、謎が解けそうで解けないところが魅力だと思います。 オカルトについて調べてみると、オカルトの元となった思想があることがわかりました。それはオカルティズムと呼ばれるもので、19世紀フランス最大の魔術師といわれるエリファス・レヴィ(1810-1875)が大成したとされています。オカルトはヨーロッパのキリスト教文化圏で生まれ、発展したものであるのは確実なようです。 少しその背景を説明すると、18世紀末のフランス革命でカトリック教会の一強支配が崩れて、聖職者ではない俗世の作家たちが、キリスト教会が担っていた精神的役割を肩代わりするようになりました。そのとき、いわゆる「宗教」には収まらない「宗教的なもの」が次々に生み出されてゆきました。その「宗教」の枠をはみ出した「宗教的なもの」の中の一つが、オカルティズムです。 オカルティズムの大成者レヴィはなにを隠そう、元カトリック修道士であり、詩人でもありました。そのレヴィがキリスト教会と絶交して、しかし人類を救いたいという一心で、つくりあげたのがオカルティズムなのです。

阿見大空襲、むなしさこみ上げた【元予科練生からのバトン】下 

石岡市 萩原藤之助さん(94) 石岡市在住の萩原藤之助さん(94)は、土浦海軍航空隊甲種第13期飛行予科練習生だった。第14期生だった戸張礼記さん(94)=6日付=に回想録執筆を勧められ、去年2月、予科練の生活をまとめた「雛鷲の残像―そのままの予科練回想録」を自費出版した。「等身大の予科練―戦時下の青春と、戦後」(常陽新聞社)などの参考文献を元に、当時の記憶と照らし合わせてつづり、戸張さんが監修を務めた。萩原さんは長年、戦争の資料を集めており、3カ月ほどで書き上げた。多くの人に読んでほしいと700部制作し、200部を阿見町の予科練平和記念館に寄贈した。 『雛鷲の残像』表紙 萩原さんは中学3年の時、校内に貼りだされた「予科練習生募集」のポスターを見て応募を決めた。1943(昭和18)年のことだった。「戦局が悪化の一途をたどる中、13期は、もっと搭乗員教育を進めて飛行機搭乗員を大量に養成せよということで、入隊者数を大幅に増やした年だった」と、回想録に付した資料を示して説明する。 予科練では精神教育が行われた。「陸海軍軍人に賜はりたる敕諭(軍人勅諭)」に由来する五ケ条を暗唱。集会に遅れたり、訓練にやる気がなかったりすると罰を受けた。「アゴ」はこぶしで練習生のあごを殴る罰で、殴られた時には自分の至らなさを恥じたという。厳しい訓練に耐えていたが、卒業直前に体調不良に陥り、しばらくの間療養した。卒業前日になり、班長から卒業できることを告げられ、土浦海軍航空隊の分隊に所属して訓練を継続することとなった。所属した分隊で、44年9月には滑空訓練を行うようになった。