木曜日, 3月 23, 2023
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「みんなを元気に」 宝来館跡地で8回目の野外映画祭 常総水害から7年

「待ってました!」。映画の上映が始まると、会場から大きな声援が飛び交った。常総市で10日夕、野外上映会「一夜限りの復活映画祭 第8回 懐かシネマ」(懐かシネマ実行委員会、東郷治久会長)が開かれた。会場は、かつて旧水海道市の中心にあった映画館「宝来館」(常総市水海道宝町)跡地の駐車場。会場に立てられた大スクリーンで上映される映画「二宮金次郎」(五十嵐匠監督)を楽しもうと、約200人が市内外から訪れた。上映前には、ウクライナから避難し、今年6月から常総市内で暮らすシンガーのヴィテリアック・イリータさんのミニコンサートが開催された。 始まりは水害1年前 この日は、2015年の鬼怒川水害から7年。常総市では、関東・東北豪雨により鬼怒川堤防が決壊。市内の3分の1が浸水し災害関連死を含め15人が亡くなった。上映会場のある水海道駅前一帯も、膝まで水に浸かった。イベント開始に先立ち、映画祭発起人で実行委員の羽富都史彰さんが呼び掛け、1分間の黙とうが捧げられた。 「この映画祭は1回限りの予定で、水害の1年前に開催したのが始まりでした。しかし、翌年に水害があり、みんなを元気付けようと2回目の開催を決意したことが今につながりました」 そう話すのは、懐かシネマ実行委員会会長で、つくば市でホテルや料亭、専門学校などを経営するサンスイグループ代表の東郷治久さん(74)。上映会場にあった「宝来館」は、東郷さんの両親が1946年から1983年にかけ営んでいた映画館で、東郷さんの生家だった。

原告住民21人が控訴 常総水害訴訟

2015年9月の鬼怒川水害で、住民が甚大な浸水被害に遭ったのは国交省の河川管理に落ち度があったためだとして常総市などの住民が国を相手取って損害賠償を求めた裁判で、原告住民21人が4日、一審の水戸地裁判決を不服として、控訴した。 7月22日に水戸地裁で出された一審判決(7月22日付)は、常総市若宮戸地区の鬼怒川河川敷で、砂丘林による自然堤防が掘削され太陽光発電パネルが設置された場所から水があふれ出たことに対し、国が砂丘林を河川区域に指定することを怠ったのは、国の河川管理の落ち度だと認定し、住民側の主張を認め、同地区住民10人の家屋や家財などの被害に対し約3900万円の損害賠償を認めた。 一方、堤防が決壊した下流の同市上三坂地区については、堤防の高さが他地区に比べて低かったことは認めたものの、他地区に優先して堤防を改修しなかったことは、国の改修計画が格別不合理だとはいえないなどとして、国の落ち度を認めず、住民22人の損害賠償を認めなかった。 4日は、原告住民32人のうち21人が、約2億3300万円の損害賠償を求めて控訴した。 原告団共同代表の片倉一美さん(69)は控訴状提出後、水戸市内で記者会見し「(一審は)一部勝訴だったが、国を擁護する裁判所の体質は全く変わってない。水害は現実として堤防の低いところから水が浸水して決壊する。(上三坂地区で国の落ち度を認めない理由とされた堤防の計算方法の)スライドダウンは架空の経済的評価であり、まだまだ意見を言いたい」と控訴理由を話した。さらに「原告からは、水に色が付いている訳ではないので、若宮戸からの水による被害と、上三坂の決壊による被害がそれぞれどの程度だったか分からないという声がある」とし、「市民として国民として常識的に考えておかしいでしょう、ということを訴えていきたい。水害訴訟は日本全国で起きており、国の非常識を皆で訴えることで司法の考え方が変わっていけばと思っている」と語った。 国も同日、控訴した。控訴審は東京高裁で行われる。(鈴木宏子)

「体験を語り継ぐ」被災者団体が記録誌 常総水害から6年

常総水害から10日で6年。被災した住民は何に直面し、どう乗り越えようとしてきたのか。被災者団体が同日、生活再建に向けた住民の6年間の苦闘を記録した冊子を発行した。「常総市大水害・6年の軌跡」編集委員会による「常総市大水害の体験を語り継ぐ 被害者主人公の活動~6年の軌跡」(A4判、87ページ)は、鬼怒川水害はなぜ起こったのか、被災者の声を元に支援制度をどう改善していったのか、なぜ国の責任を追及する裁判に立ち上がったのかなど、5つの章で構成された。 当初、床上浸水1メートル以上でないと支援金が出ないとされた被災者生活再建支援制度、利子3%、連帯保証人を付けよとされた災害救護資金の貸し付け、ペット同伴では入居できないとされた公営住宅、基準がなかった災害関連死の認定など、生活再建に向けて踏み出した住民が直面した問題と、市、県、国と粘り強い交渉を続け、制度を一つずつ改善していった過程と成果、改善できなかった課題などが記されている。 被災者でもある住民12人が編集委員となり、住民から聞き取ったり、住民自身が執筆した体験をまとめ、計1000部作成した。当初5周年を期に発行する予定だったが、新型コロナで集まることができなくなり発行が1年延びた。 発行責任者を務める同市豊岡町の染谷修司さん(77)は、「6年になっても水害は終わったことにはできない。店を再開したけど借金を抱えている人など、今現在も困っていることが続いている。被害者が泣き寝入りするのではなく、声を挙げて粘り強く交渉することで、一歩前進した部分となかなかそうはいかない部分があった」と話し「自然災害はどこで起こってもおかしくない。常総市で6年間体験したことが語りつがれて引き継がれていけばいい」と話した。 震災関連死で妻を亡くし体験談を寄せた赤羽武義さんは「妻は持病があったが半年やそこらで亡くなる病気ではなかった。今も帰ってくるんじゃないかと毎日過ごしている。周りの人からは時間が経つと和らぐよと言われるが、時間が経てばたつほど(河川行政を担う)国に対する怒りが大きくなる。妻の死の原因がどこにあったか、国が何をやったか、何をやらなくてはならなかったか。なぜ妻は死に至ったのか、国に説明を求めたい」などと話した。 ◆記録誌の問い合わせは染谷さん(メール:kinusoshu@outlook.jp)まで。

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桜と遠藤周作が教える 日本人の心 《遊民通信》61

【コラム・田口哲郎】前略 東京で桜の開花が宣言され、21日にははや満開。茨城県南の桜も咲き始めましたね。これからがとても楽しみです。毎年、この時期になると街のいたるところで桜が咲きます。満開もすばらしいですが、散りぎわも美しいです。 世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(この世に桜がなかったならば、春の気分はおだやかだろうに) これは有名な在原業平の歌です。古代から日本人は桜を愛してきました。桜の花の咲き方は日本人の心を表している、なんて言われます。桜を見ながら、何もむずかしく考えなくても湧いてくる素直な感動、これが日本人の心というものなのかな、と思ったりします。 それにしても、日本人の心とはなんでしょうか? それについて深く考えたのは、前回も取り上げました作家の遠藤周作です。

若手社会学者 清水亮さんが紐解く 阿見・土浦「軍都」とその時代 

『「軍都」を生きる 霞ケ浦の生活史1919-1968』(岩波書店)は、社会学者の清水亮さん(31)が地道な資料調査やインタビューを積み重ね、戦前から戦後を描き出した新刊。予科練(海軍飛行予科練習生)につながる海軍航空隊があった阿見、航空隊からの来客で栄えた土浦の人々が、基地や軍人たちとどう関わりながら生活したか、さらに戦後なぜ自衛隊駐屯地を誘致したのかを紐解く。 等身大の人々の目線で歴史研究 土浦市の開業医で作家の佐賀純一さん、阿見町の郷土史家である赤堀好夫さんらが取材し聞き書きした記録や地元紙、常陽新聞の記事などの資料も多数引用され、当時の人々の声を拾い集めた生活史となっている。豊富な写真を交え、日常の中で起きたさまざまな出来事を取り上げながら、「軍都」が抱えていた問題や葛藤についても分析している。 清水さんは「俯瞰(ふかん)する歴史学とは一風違って等身大の人々の目線で、下から見上げる歴史を書きたかった。自分の解釈は出さず、事実を重ねて書いた。戦争は重たくて悲惨なテーマと思っている人、歴史に関心がない人にこそ読んでもらいたい。日常生活の中の等身大の歴史に触れてほしい」と話す。

(仮)のまま30回目の同人誌即売会 26日に土浦市亀城プラザ

同人誌即売会の第30回「亀城祭(仮)」が26日、土浦市中央の亀城プラザで開かれる。漫画やアニメの愛好者たちが集う交流イベントだが、仮称を思わすネーミングのまま、イベントは30回目を迎え、春に萌え(もえ)る。 亀城祭(仮)は漫画やアニメの愛好者たちが、読んだり見たりするのに飽き足らず、創作活動を始め、出来上がった作品を同じ趣味を持つ同士で売り買いする同人誌の即売・交流会。東京ビッグサイトなどを会場に大規模なイベントが開かれているが、地方でも同様に小規模な同人誌即売会が行われており、土浦では亀城祭(仮)がそれにあたる。 主催はコスモグループ。土浦市在住の女性会社員、三条深海さん(ペンネーム)が代表を務める。元々趣味で漫画を描くなどの活動をしていたが、県内で互いの作品を見せ合うなどして交流をする場を作っていきたいと同じ趣味の仲間に声を掛け、同市内で即売会「コミックネット」を開いたのが始まりという。 亀城プラザの大会議室や石岡市民会館を借りて、40小間程度の小規模な同人誌即売会を開催したが、会場が手狭になったため、2007年以降、亀城プラザ1階フロアを借り切る現在のスタイルになり、春と秋の年2回のペースで開催してきた。コロナ禍で20年の春、秋、21年の秋は中止となったが、参加意欲は衰えず、22年の2回の開催をこなし、今春第30回の節目を迎える。 この間ずっとタイトルから(仮)の字を外さずにきた。三条さんは、「イベントとしての発展への期待を込めて、今は(仮)である、という意味でつけている。また亀城祭という地域のお祭りがあるので、それとの区別のため名称を工夫した」そうだ。 イベントの参加者は毎回、延べ200人ぐらい。今回は出展者として50を超すサークルが参加する。1階フロアに約60台の机を並べて売り場とし、出展者の販売物が展示される。創作物は一次制作(自分で創作したオリジナル作品)、二次創作(元々あった作品に自分なりに手を加えたもの)がある。漫画やアニメだけでなく、手作りのアクセサリーや写真集などを扱う売り場もある。

磯崎新さんの思考をめぐる 「作品」つくばセンタービルで追悼シンポジウム

建築家、磯崎新さんの業績を振り返るシンポジウムが19日、つくばセンタービル(つくば市吾妻)のノバホールで開かれた。つくば市民が中心となる「追悼 磯崎新つくば実行委員会」(委員長・鵜沢隆筑波大名誉教授)が主催した。同ビルをはじめ、水戸芸術館などを手掛け、昨年12月に91歳で亡くなった磯崎さんをしのんで、県内外から約350人が訪れた。会場では、磯崎さんの「思考」をめぐってパネリストの白熱した議論が繰り広げられた。 来場者を迎える磯崎新さんの写真=ノバホールロビーに 登壇したのは、磯崎さんのアトリエ勤務を経て、建築分野で多数の受賞経験を持つ法政大学名誉教授の渡辺真理さん、横浜国立大名誉教授の北山恒さん、神奈川大学教授の曽我部昌史さん、2010年ベネチア・ビエンナーレ建築展で金獅子賞を受賞した若手建築家、石上純也さんの4人。登壇者それぞれが磯崎さんとの想い出を振り返ることから始まった。 「広島の廃墟」にルーツ 「ノバホールの入り口の壁と天井のパターンを手がけた」という渡辺さんは、1980年から95年にかけて磯崎新アトリエに勤務し、センタービル建築にも携わった。入社当時、磯崎さんは「街の全てをデザインする意気込みで取り組んでいた」と振り返る。