日曜日, 4月 28, 2024
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追悼・高橋伍郎さん 霞ケ浦横断遠泳の実行委員長

「霞ケ浦横断遠泳を楽しむ会」の実行委員長をしていた筑波大学名誉教授(体育学)の高橋伍郎さんが6月14日、亡くなった。84歳だった。稲敷市和田岬(旧桜川村)から行方市天王崎(旧麻生町)までの約2.5キロを泳ぐ夏の催し、1987年から2011年まで25回続き、毎回100~125人の泳ぎ自慢のスイマーが参加した。 ただ24回と最終回は、土浦市の田村町 -大岩田の約2キロに変更された。天王崎にあった国民宿舎白帆荘が閉鎖され、遠泳後の入浴、シャワー、懇親の場がなくなったからという。24回と25回が土浦コースになったのは、大岩田の国民宿舎水郷の施設を使うためだったが、同宿舎も閉鎖され、25回が最後になった。 高橋さんを悼み、遠泳イベントの「言い出しっぺ」鈴木明夫さん(元茨城県歯科医師会会長)、会の事務方を務めた糸山直文さん(元ジョイフルアスレティッククラブ社長)に、遠泳会を率いた「伍郎さん」「伍郎先生」の思い出を話してもらった。 ジョイフル本田会長との出会い ホームセンター「ジョイフル本田」(本社・土浦市)が1985年、荒川沖店(同市北荒川沖町)のすぐそばに、「ジョイフルアスレティッククラブ(JAC)」をオープンさせた。同社の本田昌也会長(故人)はJACの目玉施設として50メートルプールをつくった。その設計について助言したのが伍郎さん。米国のスポーツクラブはどうなっているのか、本田会長と伍郎さんは米国まで調査に行った。 完成した本格プールで泳ぎを楽しむうち、クラブ会員の鈴木さん(かすみがうら市生まれ)が伍郎さんに「子どものころ遊んだ霞ケ浦で泳がないか」と提案。水質が懸念されたが、伍郎さんが「湖でとれたものを食べているのなら大丈夫」と遠泳会が生まれた。 霞ケ浦=水質の悪い湖のイメージを修正するのにピッタリと、会の発起人グループが竹内藤男知事(当時、故人)を訪ね、茨城県の支援を要請。知事は即決で初回100万円の補助を約束。その後も毎回60~100万円を予算化。1回目は、竹内知事がスタートのピストル合図を担当した。 「水は想像ほど汚くなかった」 遠泳会は競技ではなく、参加費3000円の「楽しむ会」。25人が1組になり、隊形を維持し、各2メートルの距離を取り、対岸天王崎を目指した。最大5班編成と決め、各班に和船が随伴した。報道船、救急船、カヌーも続いた。実行委員長の伍郎さんも一緒に泳ぎ、各班を回って泳者を励まし、安全をチェックした。 7月下旬~8月上旬に開かれたイベントを両岸の自治体も支援。出発地・和田岬では、出発を天王崎に知らせるために花火を打ち上げた。到着地・天王崎では、泳ぎ手の目標になるようにと連ダコを揚げた。 旧常陽新聞は第8回の様子を「参加者は県内全域から千葉県や東京都などにも及び、年齢も15歳から69歳までと幅広く、親子やカップルの参加者も見られた」「初出場の和知恵子さんは『完泳できてほっとしている。水は想像していたほど汚くなかったが、浄化が進んで魚や水草などが見える状態で泳ぐことができれば、素晴らしいと思う』と語り…」とリポートしている。 プールで水泳マラソン 台風で霞ケ浦横断が無理のときは、JACプールを使う遠泳会に切り替えた。クラブ内に設けられた「筑波スポーツ科学研究所」の所長もしていた伍郎さんは、水球もできる本格プールで、1万メートル、5000メートルの水泳マラソンも開いた。1月1日の正午から2日正午(JAC休館日)まで、6人の泳者が30分交代で泳ぐ「24時間スイム」も企画した。 伍郎さんの泳ぎ好きは半端でなく、猪苗代湖、田沢湖、浜名湖、洞爺湖など、全国の湖に出向いた。那珂川、四万十川などの川上りにもトライ。毎年、ワールドマスターズゲームにも参加した。 「いつも笑顔を絶やさなかった」 掲載写真を接写した「霞ケ浦横断遠泳10周年記念誌」(1997年刊)の編集を担当した亀田優子さん(不動産会社勤務)が、LINEで回覧された筑波大後輩の追悼文を送ってくれた。 「伍郎先生は、どんなときでも笑顔を絶やさなかった。色黒で立派な顎ひげをたくわえた面構えに、初対面の人は面食らう場合もあるだろうが、次の瞬間、人懐っこそうな満面の笑みに触れると、そのギャップもあってか、パッと人の心を開かせる不思議な魅力をお持ちであった」 合掌(岩田大志)

《吾妻カガミ》98 新年会で話題にしたかったこと

【コラム・坂本栄】コロナ禍で新年会が吹き飛び、このコラムもネタ不足です。というのは、1年前の「土浦とつくばの新年パーティー風景」(昨年1月20日掲載)同様、今回も両市の賀詞交歓会の様子を取り上げようと思っていたのですが、どちらも中止になりました。 そこで今回は、ビール片手の立ち話で話題にしたかったことアレコレです。 安倍~菅政権は対コロナ作戦で失敗 年末から年始にかけてコロナ禍が深刻になり、菅首相は緊急事態宣言の再発出に追い込まれました。安倍~菅政権の失政のひとつは、コロナの小康に油断し、落ち込んだ経済に活を入れようと、コロナの拡散を助長するGO TOトラベル・イート策を導入したことです。第1次非常事態を解除したあと、特別措置法の追加改定(私権制限や収入減補償などの仕組みづくり)を怠ったことも、いただけません。 私は、「善政? つくば市のコロナ対応」(昨年4月6日掲載)の中で、(1)コロナ禍という「戦争事態」には非常事態法の体系で対処せよ(2)それには「人の移動を抑え」「人を群れさせない」ことが大事(3)その結果生ずる経営や家計のマイナスは財政で回してやるべき(4)その資金は「戦時国債」(100~200兆円)で確保したらよい―と述べました。 GO TO策は(2)と真逆であり、今ごろ特措法をいじっているようでは(1)の有事に対する認識に欠けています。コロナ阻止と経済刺激の二兎(2匹のうさぎ)を追ってはいけません。コロナ抑制こそ経済対策ですから、しばらくはコロナ阻止>経済刺激でいくべきです。新年会に顔を出す衆参議員さんとは、両政権の政策センスについて議論しようと思っていたのですが、残念でした。 土浦のサプライズ花火には強い違和感 土浦市は「人を群れさせない」ために、昨秋の全国花火競技大会を取り止めました。常識的な判断だとは思いますが、その埋め合わせとして、打ち上げの日時と場所を事前に予告しない「サプライズ花火」を実施しました。市長の安藤さんは「市民に楽しみを…」と思ったのでしょうが、この代替策には違和感を覚えています。 私にとって、土浦の花火は「大相撲や歌舞伎と同じように桟敷席で重箱のご馳走をつつき飲みながら鑑賞する行事」だからです。サプライズ花火は由緒正しい花火の姿ではありません。それに、市内の商工振興には何の役にも立ちません。仕事がキャンセルされた煙火会社や花火師を支援したいということであれば、収入減を直接補償する方がスマートです。 市長さん、市議さん、県議さんと、サプライズ花火の是非について話せなかったので、ここで持論を述べました。 つくばのコロナ病床施設は再考したら つくば市の新年会では、昨春、日本財団が市内の研究所跡に設けたいと言ってきた「軽症コロナ患者の病床施設」を話題にしようと思っていました。市長の五十嵐さんが受け入れを事実上拒否したあの案件です。東京が医療崩壊状態に陥っている今、1万7000坪の敷地に複数の大型テントを設置して、9000の病床を用意するというこの壮大な計画、首都(国家)機能維持のために必要性は強まっているのではないでしょうか。 日本財団の打診と市長の対応については、「『大型コロナ病床をつくばに』の是非」(昨年4月20日掲載)をご覧ください。私はこの中で、「つくば市は国との関係で特殊な位置にある自治体」と指摘、コロナ病床を迷惑施設だと断るのではなく、広い視野に立って、協力したらどうかと述べました。国や都に大きな「貸し」をつくれますし、施設の建設と維持に伴う経済効果も大きいと思ったからです。 市長さん、市議さん、県議さん、改めてOKを出したらどうか(もう遅い?)、と提案するつもりでした。(経済ジャーナリスト)

《吾妻カガミ》98 新年会で話題にしたかったこと

【コラム・坂本栄】コロナ禍で新年会が吹き飛び、このコラムもネタ不足です。というのは、1年前の「土浦とつくばの新年パーティー風景」(昨年1月20日掲載)同様、今回も両市の賀詞交歓会の様子を取り上げようと思っていたのですが、どちらも中止になりました。 そこで今回は、ビール片手の立ち話で話題にしたかったことアレコレです。 安倍~菅政権は対コロナ作戦で失敗 年末から年始にかけてコロナ禍が深刻になり、菅首相は緊急事態宣言の再発出に追い込まれました。安倍~菅政権の失政のひとつは、コロナの小康に油断し、落ち込んだ経済に活を入れようと、コロナの拡散を助長するGO TOトラベル・イート策を導入したことです。第1次非常事態を解除したあと、特別措置法の追加改定(私権制限や収入減補償などの仕組みづくり)を怠ったことも、いただけません。 私は、「善政? つくば市のコロナ対応」(昨年4月6日掲載)の中で、(1)コロナ禍という「戦争事態」には非常事態法の体系で対処せよ(2)それには「人の移動を抑え」「人を群れさせない」ことが大事(3)その結果生ずる経営や家計のマイナスは財政で回してやるべき(4)その資金は「戦時国債」(100~200兆円)で確保したらよい―と述べました。 GO TO策は(2)と真逆であり、今ごろ特措法をいじっているようでは(1)の有事に対する認識に欠けています。コロナ阻止と経済刺激の二兎(2匹のうさぎ)を追ってはいけません。コロナ抑制こそ経済対策ですから、しばらくはコロナ阻止>経済刺激でいくべきです。新年会に顔を出す衆参議員さんとは、両政権の政策センスについて議論しようと思っていたのですが、残念でした。 土浦のサプライズ花火には強い違和感 土浦市は「人を群れさせない」ために、昨秋の全国花火競技大会を取り止めました。常識的な判断だとは思いますが、その埋め合わせとして、打ち上げの日時と場所を事前に予告しない「サプライズ花火」を実施しました。市長の安藤さんは「市民に楽しみを…」と思ったのでしょうが、この代替策には違和感を覚えています。 私にとって、土浦の花火は「大相撲や歌舞伎と同じように桟敷席で重箱のご馳走をつつき飲みながら鑑賞する行事」だからです。サプライズ花火は由緒正しい花火の姿ではありません。それに、市内の商工振興には何の役にも立ちません。仕事がキャンセルされた煙火会社や花火師を支援したいということであれば、収入減を直接補償する方がスマートです。 市長さん、市議さん、県議さんと、サプライズ花火の是非について話せなかったので、ここで持論を述べました。 つくばのコロナ病床施設は再考したら つくば市の新年会では、昨春、日本財団が市内の研究所跡に設けたいと言ってきた「軽症コロナ患者の病床施設」を話題にしようと思っていました。市長の五十嵐さんが受け入れを事実上拒否したあの案件です。東京が医療崩壊状態に陥っている今、1万7000坪の敷地に複数の大型テントを設置して、9000の病床を用意するというこの壮大な計画、首都(国家)機能維持のために必要性は強まっているのではないでしょうか。 日本財団の打診と市長の対応については、「『大型コロナ病床をつくばに』の是非」(昨年4月20日掲載)をご覧ください。私はこの中で、「つくば市は国との関係で特殊な位置にある自治体」と指摘、コロナ病床を迷惑施設だと断るのではなく、広い視野に立って、協力したらどうかと述べました。国や都に大きな「貸し」をつくれますし、施設の建設と維持に伴う経済効果も大きいと思ったからです。 市長さん、市議さん、県議さん、改めてOKを出したらどうか(もう遅い?)、と提案するつもりでした。(経済ジャーナリスト)

《霞月楼コレクション》10 山本五十六 真珠湾攻撃直前に届いた手紙

【池田充雄】霞月楼2代目の堀越正雄・満寿子夫妻は、山本五十六の土浦での親代わりのような存在で、日頃から親身に世話し、転出後も交流が続いたという。 ある日2人の下に山本から手紙が届く。正雄が贈った成田山のお札への礼状だ。日付は昭和16年(1941年)12月5日。太平洋戦争開戦となる真珠湾攻撃の3日前で、北方航路では真珠湾に向けて機動部隊が進軍、山本が座乗する旗艦「長門」以下主力部隊は、退却支援のため山口県岩国市の柱島泊地に待機していた。 手紙にある「最後の御奉公に精進致し居り候」の文言が暗示的だ。もはや生きては帰らぬ覚悟を示したか。海外経験が豊富で彼我の国力の差を知る山本は、対米戦争にはもとより反対の立場だったとされる。1940(昭和15)年9月の近衛文麿首相との会談では「是非やれと言われれば半年や1年は随分暴れて御覧に入れるが、2年3年となれば全く確信は持てぬ」と答えていた。 航空軍備の重要性を認識 山本は1884(明治17)年、新潟県長岡市坂之上町に旧長岡藩士・高野貞吉の六男として誕生、当時の父親の年齢から五十六と命名された。日露戦争中の1904(明治37)年、海軍兵学校を卒業。翌年、装甲巡洋艦「日進」に配属され、5月27日の日本海海戦に参加した。砲弾の炸裂により左手の指2本を失い、左大腿部に重傷を負った。 その後は乗艦勤務を経て、海軍砲術学校教官や海軍省軍務局員などを務める。1916(大正5)年、旧長岡藩城代家老職の山本家を相続。1619(大正7)年、旧会津藩士の娘・三好礼子と結婚した。 1919(大正8)年4月から約2年間米国に駐在し、ハーバード大学で学ぶ。1923(大正12)年6月から9カ月間、ワシントン軍縮条約下の欧米各国の情勢を視察し、日本海軍の将来には航空戦力の充実が不可欠との信念を抱く。 断髪令で隊の風紀を刷新 1924(大正13)年9月1日、自らの強い希望により霞ケ浦海軍航空隊に赴任。12月1日に教頭兼副長(後に副長兼教頭)に就くと、初日の朝礼で号令台から総員を見渡し「下士官兵にして頭の毛を伸ばしている者は皆切れ。一週間の余裕を与える。終わり」と宣告した。 霞ケ浦航空隊は1922(大正11)年11月の創隊で、隊員の間では英国教官団の影響から長髪の者が多く、腕一本で空を駆ける職人気質と、命知らずのやくざ気質が表裏を成し、遅刻や脱営も日常茶飯事だったという。そこでまずは軍紀風紀の刷新に着手し、勘や名人芸に頼らぬ合理的な飛行技術の確立を目指した。 土浦在勤中の山本の住居は、「山本五十六伝」(朝日新聞社)によると長岡中学の後輩・大崎教信少佐が建てた家だそうだ。神龍寺(土浦市文京町)の参道右手、今は墓地がある辺りにあった。なお当時の参道は桜並木が覆っていたが、1938(昭和13)年の大洪水で枯死している。 神龍寺の秋元梅峯住職とは意気投合し、1925(大正14)年9月に土浦で最初の花火大会を2人の私費で開催した。目的は海軍航空殉難者の慰霊、2年前の関東大震災の犠牲者の追悼、不況にあえぐ土浦の商業振興、農業収穫への感謝など。これが現在の土浦全国花火競技大会の基礎となった。 ブーゲンビルの空に散る 山本の霞ケ浦在任は1年3カ月で終わり、1926年(大正15年)1月から2年間、駐米大使館付武官を拝命。帰国後は空母「赤城」艦長などを経て、1929年(昭和4年)11月少将に進み、以後は海軍航空本部長や海軍次官などの要職を歴任。1939(昭和14)年に連合艦隊司令長官、1940(昭和15)年に大将となる。 1941年(昭和16年)10月に成立した東條英機内閣は、米英蘭3国に対する開戦方針を推し進め、11月26日に対米交渉が決裂すると、12月8日の真珠湾攻撃で戦端を開いた。山本率いる連合艦隊は、初期の南方作戦では良好な戦果を挙げたものの、翌年6月のミッドウェー海戦で大敗を喫し、以後戦況は悪化の一途をたどる。 1943(昭和18)年4月18日、東部ニューギニア・ソロモン群島での戦いの最中、山本は前線視察のためラバウル基地を飛び立つが、ブーゲンビル島上空で米軍機の待ち伏せに遭い撃墜された。享年59歳。 下半身像を56年ぶりに発見 山本には元帥の称号が遺贈され、同年6月5日に日比谷公園で国葬が執り行われた。また12月8日には土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊武器学校、阿見町青宿)第1練兵場の号令台横に、コンクリート製の立像が建てられた。像の高さは3.6メートル、台座を含めると6.3メートルに達した。 1945(昭和20)年8月に終戦を迎えると、進駐軍の狼藉を恐れて、山本の像は胴から半分に切断され、霞ケ浦に沈められた。上半身は1948(昭和23)年に湖底から引き揚げて神龍寺に安置され、1952(昭和27)年に菊池朝三元少将らが海軍殉職者のための慰霊祭を開いた。菊池は山本の部下で終戦時の海軍総隊参謀副長。梅峯の長女と結婚し、1959(昭和34)年から12年間土浦市議を務めている。 上半身像は1958(昭和33)年に生家跡の山本記念公園に移されたが、風雨による傷みから1970(昭和45)年に青銅の複製像に置き換えられた。原像はいま海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校、広島県江田島市)の教育参考館にある。 下半身像も湖底にあるものと考えられてきたが、2002(平成14)年の調査で台座近くの地中に埋まっていると判明。56年ぶりに掘り出され、雄翔館前に新しく建てられた山本像の台座下部に収められた。号令台横の古い台座には今、山本の揮毫による「常在戦場」の碑が置かれている。 ●取材協力・参考資料陸上自衛隊武器学校▽陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地▽土浦市立博物館▽神龍寺▽阿川弘之「山本五十六」(1994年新装版、新潮社)▽三和多美「海軍の家族」(2011年、文芸春秋)▽阿見町歴史調査委員「海軍航空隊ものがたり」(2014年、阿見町予科練平和祈念館)▽「霞月楼百年」(1988年、霞月楼)▽「阿見と予科練」(2002年、阿見町)▽阿見町民話調査班「爺さんの立ち話」(2003年、阿見町)▽「花火と土浦」(2018年、土浦市立博物館)▽常陽新聞2002年6月11日付▽長岡市山本五十六記念館ウェブサイト▽土浦商工会議所ウェブサイト▽ウィキペディア シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

《霞月楼コレクション》番外編 一色五郎ゆかりの場所

【池田充雄】前回(9月20日付)取り上げた土浦出身の彫刻家、一色五郎のゆかりの場所と、土浦周辺で見られる主な作品を紹介する。 1、一色五郎生家 土浦市西真鍋町10-4 2001(平成13)年に「一色家住宅主屋」として国の登録有形文化財に指定された。1863(文久3)年築の家屋を、元土浦藩家老で五郎の祖父である一色範疇が、明治維新後に隠居所として移築したもの。裏には小堀遠州流の庭もある。かつて日本料理店「一色園」として使われ、後に「和食つじ山」になったが昨年閉店した。現在、内部は非公開。 2、西真鍋獅子 西真鍋町公民館 土浦市西真鍋町3-13 1930(昭和5)年に制作、当時の真鍋町青年会館に寄贈された。毎年、真鍋鹿島神社例大祭(通称真鍋のまつり)に獅子屋台(幌獅子)で出て満身創痍となり、当初は長かったたてがみも短くなった。1980(昭和55)年に全面修復され、それ以降まつりにはレプリカを使用、オリジナルは同期間中(例年8月最終週の金・土・日曜日)に西真鍋町公民館で公開されている。満州皇帝献上獅子は西真鍋獅子と同時制作され、1933(昭和8)年に当時の満州国溥儀執政に贈られた。 3、純鏡上人像  光照山浄真寺 土浦市立田町3-28 純鏡上人は浄真寺中興の祖。 1925(大正14)年~1962(昭和27)年に住職を務め、10年の歳月を費やして庫裏の新築、本堂の改築など復興を遂げた。 像は1967(昭和42)年に建立され本堂前にある。 開門時間は通常午前6時~午後6時、お盆・お彼岸午前5時~午後8時。 4、希望の像  土浦市亀城プラザ 土浦市中央2-16-4 同館が創立した1983(昭和58)年に、1階ホールの入口上に設置された。 像は3体、いずれもブロンズ製で高さ45cmほど。 1965~67(昭和40~42)年頃に制作された「大気」「芽」「時」の3部作で、同時期の日展出品作のリサイズ版と思われる。 開館時間は午前9時~午後10時(施設利用者がない場合は午後5時閉館)、水曜休館。 5、梅峯大和尚像  宝珠山神龍寺 土浦市文京町1-27 秋元梅峯和尚は1926(昭和3)年に土浦全国花火競技大会を創始したほか、免囚の更生保護や小作争議の調停など、数多くの社会奉仕活動に尽力した。 像は1936(昭和11)年、3周忌の際に本堂前に建立された。 元は立像だったが戦時供出され、後に胸像として復元された。 神龍寺は土浦藩家老一色家の菩提寺でもある。 6、原脩次郎君之像  亀城公園 土浦市中央1-13 原脩次郎は台湾総督府警視・保安課長、台東拓殖合資会社代表社員などを経て、1912(明治45)年に茨城県から衆議院議員に選出、以後6期を務めた。 1931(昭和6)年には拓務大臣と鉄道大臣も歴任した。 碑文に作者の名はないが、書籍「むかしの写真土浦」に一色五郎作とある。 1935(昭和10)年に立像として建立後、戦時供出され、戦後になって胸像で再建された。 7、色川三郎兵衛之像  旧水郷汽船発着場前 川口運動公園東隣 色川三郎兵衛は1890(明治23)年から衆議院議員を2期務め、土浦の水害対策に力を注いだ。 像は当初1937(昭和12)年に紅葉ケ丘公園に建立された。同地は市内を一望できる景勝地で、かつての茨城百景の一つ。現在は常福寺紅葉ケ丘霊園の一部だ。 現在は戦時供出を経て1980(昭和55)年に川口運動公園東隣に再建された。 当時の寺内龍太郎市議会議長らが発起人となり、療養中だった五郎に代わり、次男の一色邦彦さんが残された写真から復元した。後に発着場はなくなり跡地はポケットパークのような場所になっている。 10 小川芋銭翁 三日月橋生涯学習センター 牛久市庄兵衛新田町210-3 小川芋銭は「河童百図」などで知られる明治末~昭和初期の日本画家。像は当初木彫で制作され、1949(昭和24)年の第5回日展に出品。後に原型からブロンズ像が数体造られた。現在は常陽銀行が木彫を、県近代美術館がブロンズ1体を所蔵するが、いずれも公開の予定はない。三日月橋生涯学習センターの開館時間は午前9時~午後9時(施設利用者がない場合は午後5時で閉館)、休館日は毎月第2・第4月曜日(祝日と重なる場合は翌日)、年末年始。 その他・鹿島神宮(鹿嶋市宮中)がブロンズの「佐久良東雄像」を所蔵しているが、宝物館が休館中のため現在は観覧できない。再開時期は未定。・笠間市山麓公園にはかつて加藤煕(桜老)の銅像があったが戦時中に供出された。現在、笠間小学校(笠間市笠間)に新たな桜老像の設置工事が進んでいる。 ※施設によって公開日や開館時間が限られる場合もあるので注意のこと。なお各施設では新型コロナウイルス感染拡大防止のため長時間の滞在は控えるよう求めている。 ●取材協力・参考資料一色邦彦▽茨城県近代美術館▽常陽藝文センター▽土浦市▽「むかしの写真土浦」(1990年、土浦市文化財愛護の会編、土浦市教育委員会発行)▽雑誌「大法輪」(1936年7月、大法輪閣発行)▽文化遺産オンライン シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

まつりつくば、つくばマラソンなど中止 新型コロナ

【山口和紀】つくば市は16日、今年の大規模イベントの中止を発表した。中止になるのは、秋から冬にかけ開催の「まつりつくば」「敬老福祉大会」「つくばマラソン」の3つ。新型コロナウイルスの感染拡大に対応するための措置だ。 「まつりつくば」は毎年45万人が参加する同市最大の祭り。市観光推進課は「新型コロナウイルスの感染拡大の収束がみえない状況」を理由に中止に踏み切った。毎年4月中旬から企業に協賛金を募るが、経済がひっ迫する状況の中では難しいと判断した。開催予定日は8月22日、23日だった。 主催者のまつりつくば大会本部(本部長・五十嵐立青市長)が中止の方向で委員22人全員に電話で打診し、16日までに承諾を得た。事業費は総額約5000万円で、市の補助金が約3000万円、企業の協賛金が約1800万円、出店料が約200万円。 「つくばマラソン」(同実行委員会など主催)は総勢2万人ほどのランナーが参加するマラソン大会。市のスポーツ振興課は「新型コロナウイルスの感染拡大の影響が長期化する見込み」だとして中止の判断を下した。開催予定日は11月22日だった。 市民限定のエントリーが6月から、一般参加者は7月から開始される予定だった。ゴールデンウイーク明けにはエントリー受付の準備に入る必要があったという。 種目はフルマラソンと10キロマラソンの2つがあり、それぞれ約1万5000人と約3000人を募集してきた。エントリー料はフルマラソンが7500円、10キロが5000円だった。 これまでにランナーから「今年は例年通りやるのか」「中止になった場合エントリー料は返還するのか」などといった問い合わせが数件あったという。 「敬老福祉大会」(市主催)は70歳以上の高齢者を対象に式典や歌謡ショーなどを行う行事。開催予定日は敬老の日の9月21日だった。 つくば市の五十嵐市長は「それぞれのイベントの実行委員の中心のみなさまには私から直接電話して協議をしましたが、話した方全員が『この状況では仕方ない』『早い判断を支持する』『来年万全で』とご理解いただきました。これまで開催に尽力をされてきたみなさまのお気持ちに感謝します」とSNS上でコメントをした。 筑波大やどかり祭も中止 つくば市の筑波大学では、毎年新入生が中心になって盛り上げる宿舎祭「やどかり祭」の中止が既に発表されている。開催予定日は5月29日、30日だった。宿舎祭実行委員会によれば「(春学期の)授業がオンラインで行われるため、新入生が模擬店や浴衣コンテスト等の企画を準備する時間や委員会としての活動をする時間の確保が困難であること」などを中止の理由に挙げた。 11月7日に行われる予定の筑波大学学園祭「雙峰祭」の中止はまだ決まっていない。 土浦市の大規模イベントでは7月の八坂神社祇園祭礼の中止が決まったが、8月開催予定の「土浦キララまつり」、11月開催予定の「土浦の花火」は中止の判断には至っていない。

【台風19号】つくば市北部で桜川が浸水 「昭和61年の水害以来」

【鈴木宏子】台風19号の大雨により13日桜川が増水し、つくば市北部の北太田で越水して水田や畑が一面水に浸かる被害があった。県土浦土木事務所によると、同地区の、堤防が未整備の場所から水があふれた。 桜川は12日午後6時40分、土浦市田土部の桜橋で氾濫注意水位の4.3メートルになり、同11時20分、氾濫危険水位の5.5メートルに達した。13日午後1時まで水位は上昇を続け、最高6.49メートルまで上昇した。北太田地区では同日午前4時30分ごろから浸水が始まったとみられる。北太田地区住民は「こんなに水が出たのは昭和61(1986)年の水害以来だ」と話している。 同地区では、13日朝7時30分ごろから、約60軒ある集落住民総出で、田んぼや畑に面した堤防に軽トラックで土を運び、土のう積みを続けた。土のう用に集落で山積みしていた土を崩し、各家から土のう袋や土を持ち寄った。 市は午前10時40分に同地区に避難指示を発令。消防団などが集落を回って避難を呼び掛けた。高齢者や女性、子供たちは同市筑穂の大穂交流センターに避難したが、男性たちは集落に残って土のう積みを続けた。 ビニールハウスでバラを栽培している同地区の農業、沢辺康雄さん(75)のハウスは50センチほど浸水した。「こんな浸水は昭和61年以来。当時は床上まで水に浸かって、その後、県が集落を囲む輪中堤という堤防をつくってくれた。今回、住居は浸水しなかったが、集落近くの畑や田んぼまで水が来たのは排水機場の能力が小さいためではないか。機場の能力を上げてほしい」と話した。 桜川堤防のすぐ脇に住む無職、沢辺宗一さん(60)は「集落では稲刈りはほとんど終わったが、まだ刈り終わってない飼料米8ヘクタールぐらいが水に浸かった。大豆畑も広がっているが全滅だと思う。これからもこういうことがあると思うので、堤防のメンテナンスをしっかりしてほしい」などと話した。 桜川の水位は同日午後5時に6メートル42センチと7センチ下がっただけ。浸水地区の水が引くまで数日かかるとみられている。 大穂交流センターには午後6時現在、常総市からの避難者も含めて約60人が避難している。 桜川の増水を受けて、土浦市でも同日午後1時、同市田土部、藤沢新田、高岡沖、高岡新田に避難指示が出され、同日午後6時時点で2カ所に53人が避難している。 土浦1813人、つくば839人が避難 台風19号による避難勧告を受けて12、13日、土浦市内で24カ所の避難所に最大1813人が避難し、1748人が避難所で一夜を明かした。つくば市内では12カ所に最大839人が避難し、約830人が一夜を明かした。 土浦市内では4人が軽傷を負った。台風に備えるため自宅で脚立から足を踏み外すなどしたためという。停電は土浦市で最大1950軒、倒木は12件、道路冠水が3カ所で発生した。つくば市内のけが人はなかった。 https://www.youtube.com/watch?v=DFKJt-UNerc&feature=youtu.be&fbclid=IwAR1rdSfHJ2JEpG18zqFMnGOT1iyI8gDoViKafJ-Dvw-KHZ5xnaiMZRuBWzM 桜川下流、土浦花火大会会場を上流から見る。設営中の桟敷席は水没を免れている=13日午前8時ごろ ➡台風19号に関する既報はこちら

《霞ケ浦 折々の眺望》9 霞ケ浦で聴きたい音楽(クラシック編)

【コラム・沼澤篤】以前、本コラムで、霞ケ浦で聴きたい音楽のうち、イージーリスニングの名曲を紹介した(6月21日掲載)。今回はクラシックの名曲を取り上げたい。ヘンデルの「水上の音楽」は、1715年にジョージⅠ世のためにロンドンのテムズ河畔で催された王宮の音楽祭で初演された。開放的な河畔での演奏であったから、王侯貴族だけでなく庶民も聴くことが出来ただろう。 トランペットで華やかさを、バイオリン、ホルン、オーボエ、ファゴットのアンサンブルで優雅さを表現しながら、全体の曲調で王家の威厳を保ち、荘厳さを強調しているようだ。それだけでなく、個々の楽章では、親しみやすい優しい曲調も組み込まれており、庶民も心地よく鑑賞したに違いない。 この第1組曲の序曲で、アダージョとスタッカートの小気味よい旋律が期待感を高め、第2組曲から第3組曲の終章まで、アレグロ、メヌエット、アンダンテのリズミカルで浮き立つような旋律が続き、舞踏会が開催されたのだろう。 曲調が変わるたびに、踊り手が交代し、休憩や軽い飲食を取りながら、河畔で夏の夜が更けるのを楽しんだことが容易に想像できる。またテムズ川には、王侯貴族を乗せた、豪華な船が何艘(そう)も浮かび、船上にも楽隊が配置されたかもしれない。 バロックの名曲「水上の音楽」 タイ・バンコクのチャオプラヤ川で、当時のプミポン国王即位60周年祝賀行事(2006年)の、見事な竜頭で装飾された船列を写真で拝見したことがある。晴れやかで荘厳な雰囲気が伝わってきた。 霞ケ浦でも12年に1度、式年大祭鹿島神宮御船祭(おふねまつり)が行われる。大船津の一之鳥居から祭神を載せ、龍頭で飾られた御座船(ござぶね)を中心に、約百艘の供奉船(ぐぶせん)が従う船渡御(ふなとぎょ)は見事だ。こうした行事で楽隊は欠かせない。 バロック音楽の名曲である「水上の音楽」を霞ケ浦でも聴いてみたい。ライブは無理でも、遊覧船上から湖面を眺めながら、CDで格調高い名曲を聴けば、霞ケ浦への思いも募るだろう。霞ケ浦周辺を車で廻(まわ)る時、岸辺に車を停めて、CDで「水上の音楽」を聴くのも一興。雲や空の色の変化、波、岸辺の葦の輝きを眺めながら聴けば、至福の時を過ごせる。 ただし,車を運転しながら聴くのは危険だ。バロック音楽は宇宙空間を流れる旋律のように脳をリラックスさせ(幸せホルモンのセロトニンなどが分泌される)、責任を伴う運転業務の注意が疎かになり、事故を起こしかねない。英国の調査報告では、運転時に聴くと危険な曲として、クラシックが幾つか挙げられている。天才作曲家たちは、車の運転時に聴くことを想定していないのだ。 閑話休題。ヘンデルは名曲「王宮の花火の音楽」も残した。この曲は「土浦全国花火競技大会」で聴いてみたい。遊覧船や屋形船、堤、桟敷席、橋、高津の高台、マンションなどのお気に入りの場所で、色彩豊かで華やかな花火を楽しみながら、「平和」と「歓喜」を主題にしたこの曲を聴けば、我々庶民でも豪奢(ごうしゃ)な気分を味わえる。(霞ヶ浦市民協会研究顧問) ➡沼澤篤さんの過去のコラムはこちら

からかさ万灯

土浦市大畑の鷲(わし)神社で15日夜、国選択・県指定無形民俗文化財の「からかさ万灯」が行われる。からかさ万灯は、江戸時代中期ごろから続く雨乞いの神事。五穀豊穣や天下泰平、家内安全を祈願し、直径5㍍、高さ6㍍の大傘に花火を仕掛けて点火する。 当日は、午後2時山車巡行、午後7時~午後8時45分余興、お囃子、午後9時からからかさ仕掛け花火が点火する。 荒天時は延期。

《ON THE ROAD》 2  日常の時間を忘れ ノンビリ過ごす

【コラム・石井康之】今回は土浦駅前から霞ケ浦方面を中心に書きたいと思う。これから気候がよくなると、あちこちでイベントが開かれる。1~2日の期間限定で、イベントの入場スタンプをもらうと、そこに何度でも入れるというのはどうだろう? 野球場を使ったグルメ祭り、野球場で横になり見ることができる花火―プロジェクションマッピングも出来そうだ。 駅からさほど離れない霞ケ浦の水辺に、食材、釣り道具、ビーチマットなどをケータリングできるキャンプ場があってもいい。夏の間だけ、ビーチのように砂を人工的に入れてもよい。海外でも、街中の川をビーチ風に砂を入れ、お店などがつくられていた。 イベントは、野球場、図書館の屋外部分、映画館、街のライブハウスなどで開いたらどうか。開催時間を分散させて、いろいろなイベントを体験してもらう。 例えば、朝はロードバイクで霞ケ浦周辺を走り、昼はグルメフェスティバルに行き、疲れたらテントで少し休む。夕方から、野外ライブや花火を楽しむ。船上パーティーもありではないか? 日常の時間を忘れ、ノンビリ時間を過ごすというコンセプト。 表現は「点」→「線」→「面」 駅前付近のお店にもアイデアを出してもらい、スタンプラリーに参加してもらう。それから、サイクリングをメインに来る人たちのために、「道の駅」のような休憩所をオープンエアーな空間でつくる。 例えば、荷物輸送のコンテナを何個か使い、アート風に仕上げたお店やレジデンス。アーチストを募集し、日常とは異なる文化環境で作品(お店)を制作してもらう。アイデアを公募して作品化するのも面白い。店の時間帯や曜日も自由に選べ、シェア出来るようなイメージ。 最近は「もの」より「こと」を売る時代。すべてのことにありえるのは、「点」での表現だけではなく「線」へ、そして「面」になることが大切と思う。(ファッションデザイナー) ➡石井康之さんの過去のコラムはこちら

伝説の音職人・行方洋一さん 日本ポップス録音史つづる

【田中めぐみ】土浦市在住の行方洋一さんが書いた「音職人・行方洋一の仕事 伝説のエンジニアが語る日本ポップス録音史」(DU BOOKS、税別2200円)。昨年8月に出版され、話題を呼んでいる。名盤といわれるレコードの制作秘話が満載の自伝的な一冊だ。日本のポップス史を、録音技術の進化の過程やエンジニアの労働環境という観点からもうかがい知ることができる。 行方さんは1943年生まれ。元の東芝音楽工業(後の東芝EMI)のレコーディング・エンジニアでオーディオ評論家。坂本九「見上げてごらん夜の星を」や弘田三枝子「私のベイビー」、欧陽菲菲「雨の御堂筋」、ザ・ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」など、数多くの有名ミュージシャンたちの楽曲録音から、テレビアニメ「サザエさん」の主題歌、蒸気機関車の音などの野外録音まで、様々な作品を手掛けてきた。川口真や筒美京平ら、よく知られた作編曲家からの信頼も集め、「伝説のエンジニア」と称されている。 本の中には、秘密主義で閉鎖的だったレコード会社の気風を壊し、エンジニア同士のコミュニケーションを活発にするため、他社の同業者たちと「音屋会」(現在の「日本レコーディングエンジニア協会」)を発足した経緯も書かれている。当時エンジニアの名前はレコードに記載されていなかった。エンジニアの地位向上を目指し、行方さんら「音屋会」が名前の記載を求めて働きかけた結果、名前が記載されるようになった。 記録媒体がレコードからCDに移り変わるなか、録音の仕方も変化したという行方さん。レコード録音の場合は音が圧縮されるため自然と丸みのある柔らかい音になるが、CDだと音圧レベルを下げる調整が必要だと話す。 「死ぬまで現役エンジニアでいたい」という言葉通り、現在でも毎日何かを作っている。野外録音にも取り組む。対象は、鳥の声や陸上自衛隊の実弾射撃の音、台湾を走る日本製の古い蒸気機関車の音、飛行機の離着陸の音など幅広い。霞ケ浦に船で乗り出し、土浦全国花火競技大会の花火の音を取ったこともある。 「次の世代に引き継ぎたい」 後進の育成にも心を寄せる。都内で活躍するエンジニアの「弟子」が15人ほどおり、今でも月1回は集まりを開いて話をしたり、相談に乗ったりするという。また台湾にも4人の後継者が育ち活躍している。「音楽業界も昔より厳しくなった。1万枚か100万枚か、どのくらい売れるか予測ができないので、結局制作費を削られてしまう」と話す行方さん。音楽業界でエンジニアとして働く夢を持つ人に向け、「よい音楽に興味を持ってたくさん聞くことが大切。やりたいと思ったら年齢は関係なく、手を動かして作ってみるといい」とエールを送る。 録音技術を次の世代にも引き継ぎたいと、地域でも講演会やセミナー活動を行っており、3月23日にコーヒー& ジャズ「ノーチラスカフェ」(阿見町・土浦三高下)で開催の「『音屋』セミナー2 音職人・行方洋一の世界」に登場する。1月に開催したセミナーの2回目で、初心者から上級者まで楽しめる内容を予定している。 ◆『音屋』セミナー2 音職人・行方洋一の世界 3月23日(土)午後7時から、阿見町阿見79コーヒー & ジャズ「ノーチラスカフェ」。参加費2000円(ソフトドリンク付き、税込み)。予約・問い合わせは同店(電話029-887-0375)。

24万球の光で別世界へ 霞ケ浦総合公園でイルミネーション

【谷島英里子】土浦市大岩田の霞ケ浦総合公園で17日、光がつくる"Art"水郷桜イルミネーションが点灯した。来年2月中旬まで毎夜ともされる。 約24万球のLEDライトで公園のシンボルとなる高さ25㍍、羽直径20㍍の「オランダ型風車」を中心に、土浦の地域資源である桜、霞ケ浦、花火、ハス田、帆引き船、筑波山、桜川をモチーフに演出された。恒例の手作り「竹あかり」のほか、会場入り口に霞ケ浦に浮かぶ虹をイメージした「水と虹のアーチ」が設置された。 午後5時から点灯式があり、中川清市長や子どもたちがカウントダウン。電飾が浮かび上がると、花火が打ち上がり、大勢の市民らが幻想的な雰囲気を楽しんだ。 主催は市民・企業有志で組織される水郷イルミネーション推進委員会。今年で7回を迎えた。代表の広瀬英敏さんは「回る風車や光る羽などを楽しんでほしいです」と話していた。 期間は2019年2月17日まで、点灯時間は午後5時から9時。入場無料。問い合わせは市産業文化事業団(電話029・823・4811)まで。 ▽イルミネーション点灯のようす https://youtu.be/cU98kfoJuIs

18日小町宵まつりに出演 音楽ユニット「inemuri」

https://youtu.be/J9jr_w9DVnw 【谷島英里子】土浦市小野の「小町の館」で18日夕方開催される第6回小町宵まつりに、音楽ユニット「inemuri(いねむり)」が初出演する。土浦のインターネットテレビ、Vチャンネルいばらきの「NEWSつくばチャンネル」で17日、inemuriをゲストに招いて意気込みを聞いた。 2015年に結成された。ボーカル兼ギターのゆかさんと、ピアノを担当するぱんだのユニットで、響きの豊かなボーカルと、遊び心のあるぱんだのピアノが特徴。2人とも県内在住。アコースティックをベースに、新しいような懐かしいような音楽を各地で演奏している。また、絵本の読み聞かせに即興演奏を取り入れた「音で広がる絵本」もライブで好評を博している。 小町宵祭りでは、オリジナルソングのほかに、誰もが耳にしたことがある曲を披露する。「みんなの心に灯をともせるように歌いたい」意気込みを見せた。 祭りは午後4時から8時まで。inemuriは5時30分ごろ登場予定。竹筒灯篭の灯りによる幻想的な風景や夜店、コンサート、花火などが楽しめる。 inemuriの情報はホームページhttps://www.inemurip.com/

《光の図書館だより》9 座右の書に出合うかもしれない、夏

【コラム・入沢弘子】本日8月2日、新館開館219日目にして来館者を40万人お迎えし、年間来館者目標を達成しました。ご来館いただいた皆様、いつも土浦市立図書館を支えてくださる地域や関係団体の皆様に御礼申し上げます。 夏休みに入り、図書館には朝から多くの子ども達が来館しています。駅前に移転してからは、高校生はもとより、中学生や小学生の姿も多く見受けられるようになりました。お弁当や水筒持参の長時間滞在準備をして、資料探しや学習に来る子が多いようです。 当館では、夏休み期間中の37開館日に、20のお子さん向けイベントを実施します。どのイベントも、図書館と本に親しみを持ってもらうこと、興味あるテーマの本に出合うこと、本から好奇心や世界が広がることを目的にしています。 人気の「おはなし会」は、5団体のおはなしボランティアさんの協力のもと、週に3回程度実施、全15回予定しています。中でも、8月4日(土)の「戦争と平和のおはなし会」では、樺太から引き揚げた方の体験談、ブルガリア人の方の戦争の話(英語)を聞きます。 ネットTVのスタジオも開設 夏休みの宿題の役にも立つ「子ども講座」は、「土浦の花火」「霞ケ浦」「インターネットTV」のテーマで3回予定しています。 ネットTVの回では、館内にスタジオを設け、ラジオパーソナリティを進行役として、子ども達が市立図書館のPR番組を企画制作。番組はリアルタイムで配信されます。ほかに、「子ども映画会」が1回開催されます。 新しい企画としては、「科学道ジュニア100」を実施しています。これは、理化学研究所と編集工学研究所が選書した「科学の面白さ・深さ・広さが伝わる」子ども向け書籍100冊を6つのジャンルに分けて展示しているものです。身近な「科学」を知り、興味の分野を広げてほしいと思います。 長い自由時間を過ごす夏休み。お子さんたちも、夏季休暇を取得できる大人の皆さんも、涼しく明るい駅前図書館で、「座右の書」と出合いませんか?(土浦市立図書館館長) ▼夏休みイベントの詳細は図書館HPをご覧ください:http://www.t-lib.jp/

ドラゴンボートでお花見

桜川お花見はドラゴンボートに乗って川から楽しみましょう 土浦市桜まつり期間に20人でドラゴンボートを漕ぎながら両岸470本の桜を愛でる。今年で6回目、初心者でもOK。陸上での事前練習しライフジャケットを着用して乗船する。 実施日  4月1日(日)、予備日4月2日(月)、荒天中止 実施場所 桜川 学園大橋下流河川敷 (花火桟敷席) 集合時間 ①9:30 ②10:30(30分漕ぎ方を練習) 乗艇時間 ①10:00~10:45 ②11:00~11:45 コース  花火桟敷席河川敷⇔銭亀橋 約500m 銭亀橋でUターン 駐車場  学園大橋北側より下りた河川敷(100台) アクセス キララバス 生田西から徒歩5分 費用   大人1,000円 子供500円(保険料など) 募集人員 先着76人(小学生以上、保護者同伴 子供だけの参加は不可) 主催   ラクスマリーナ 共催   土浦B&G海洋クラブ、セイラビリティー土浦 後援   土浦市、土浦市教育委員会、土浦市観光協会(予定) 協力   筑波大学、筑波学院大、つくば国際大学、他 (予定) 連絡先  〒300-0033 土浦市川口2-13-6 ラクスマリーナ TEL029-822-2437 FAX029-826-2839 担当 大里恭子

《郷土史あれこれ》3 古文書と近現代文書の保存と運用

【コラム・栗原亮】近世江戸時代に村に残っている古文書は、きちんと残されていれば、1万点は下らないという。しかし、現実に残されている古文書は3千点を超えれば、1村に残る古文書としては多い方である。 江戸時代には、村の古文書は再生紙の材料として使われたり、花火の材料として使われたり、製茶の材料として使われてきた。明治期には「村には歴史がない」という考え方があり、研究の対象とはならなかった。その対象になったのは戦後である。戦後の動乱期を経て、村の古文書が研究者の目に留まり、近世農村史の研究が進展した。 戦後、地主制が解体されると、その凋落に伴って古文書が古本市場に出回り、多くが国文学研究資料館や地方の博物館に所蔵されることになった。農村文書だけでなく、旧大名家や公家の史料も放出され、これらが資料館や博物館に残されている。 茨城県では、県立歴史館、古河市立博物館、土浦市立博物館などに古文書が収集され、利用されている。これらの施設や個人蔵(公開を許可された史料)の文書がマイクロフィルム化され、写真版として公開されるようになれば、一般の関心も高まるのではないか。これらの古文書は、もともと残されていた古文書の何百分の一であろうが、きちんと保管して後世に伝えなければならない。 まず、国の「公文書館法」を見直し、自治体の条令を整備し、基本的な体制をつくることが先決である。日本では、近現代文書を扱う「公文書館法」と近世文書を扱う「博物館法」がきちんとしていない。茨城県では、県立歴史館が近現代文書と古文書を保管整理している。 現用文書を後世に伝え公開していくことは重要である。文書が進行中の行政を考える素材であることは言うまでもない。また行政を歴史的に検証するためにも必要である。現用文書が利用されなくなったら公文書館に移管し、後に使えるようにしていくべきである。 すべての史料を残すことは不可能に近いので、一定の基準に従って選別し、後世に伝えていかなければならない。現在の「公文書館法」は、元茨城県知事、後に参議院議員となった故岩上二郎氏が提唱、法制化したものである。 茨城県は、歴史館とは別個に公文書館条令を作り、県立公文書館を設立して、公文書館の模範県となるべきではなかったろうか。岩上氏の考えが生かされず、茨城県が先進県になっていないのは、歴史の皮肉である。(郷土史家)

《光の図書館だより》1 Our story starts here. 

また、光が降ってきた。足元を照らす光の帯に視線を移し、たどった先は天井近くの窓。雲が早く流れている。青空が広がっていく。思い悩んでいたことが吹っ切れた。光輝燦然(こうきさんぜん)。この光とともに前へ進んでいこう。この場所から、新しい物語が始まろうとしています。 土浦市立図書館は、1927年生まれの今年93歳の図書館。土浦の長い歴史を刻んできた図書館が、今年11月27日に土浦駅前に移転開館しました。 初めは、今の筑波銀行本店の場所にあった土浦町役場内に開館。開館翌年の1928年には、第1回の土浦花火大会が実施されました。ツェッペリン号が飛来した翌昭和5年には、現在の常陽銀行土浦支店の場所にあった元霞ケ浦航空隊下士官集会所に移転。1969年に現在の土浦博物館の場所に、73年には文京町に移転しました。 新図書館の必要性は21年前の1996年から審議され、2006年に建設が決定。リーマンショックと東日本大震災の影響による2度の事業中断を経て、ついに完成したものです。 新図書館への引越しと開館準備には3カ月を要しました。段ボール約9000箱分の本の搬入と書架への配架。約35万冊の書籍や資料へのICタグ貼り付け。修理が必要な書籍や約1000冊の紙芝居の修理。蔵書を管理するパソコンシステムの導入と動作や利用法の確認。書棚や家具備品類の納入。 さらに、新しい設備とこれまでの4倍の面積のフロアに対応するための職員の配置や訓練。駅前に立地することからの危機管理対策―などなど。休日返上で夜遅くまで作業する職員と、約50名の市民の配架ボランティアのおかげで、ついに開館日を迎えることができました。 11月27日午前10時、入口前に並んだ約100名の方が次々に入館。「うわ~、明るい!」感嘆の声をあげながら、エントランスの吹き抜けから差し込む外光を見上げる来館者の方々。ここは、光の図書館。これから、この新しい場所でたくさんの物語が生まれていきます。(入沢弘子) 【いりさわ・ひろこ】1962年、福島県喜多方市生まれ。1969~76年、新聞記者だった父の転勤で土浦市に住まう。約30年の博報堂勤務のあと、つくば市任期付職員として広報・プロモーションを統括。2017年4月、土浦市立図書館長(公募)に着任。

コラムニスト紹介

坂本栄 《吾妻カガミ》 【さかもと・さかえ】土浦一高卒。1970年、一橋大社会学部卒、時事通信入社。ワシントン特派員、経済部長、解説委員などを経て、2003年退社。同年から10年間、旧常陽新聞新社社長-会長。現在、内外情勢調査会-茨城県南副支部長、茨城キリスト教大学経営学部講師、NPO法人NEWSつくば理事長。1946年生まれ、土浦市出身、同市在住。 先崎千尋 《邑から日本を見る》 【まっさき・ちひろ】慶應大経済学部卒。茨城大学人文学部市民共創教育研究センター客員研究員、一般財団法人総合科学研究機構特任研究員、環境自治体会議監査役、NPO法人有機農業推進協会顧問。現在、農業。主な著書は『農協のあり方を考える』(日本経済評論社、1982)、『よみがえれ農協』(全国協同出版、1991)など。元瓜連(うりずら)町長。1942年、瓜連町(現那珂市)生まれ。那珂市在住。 及川ひろみ 《宍塚の里山》 【おいかわ・ひろみ】東京都出身。神奈川県内の小学校教員を務める。1970年代につくば市転居後、「学園都市の自然と親しむ会」などのメンバーとして子連れで近隣の自然を散策。1987年に宍塚地区の開発計画を知り、里山を未来に伝える活動に取り組む。現在、認定NPO法人宍塚の自然と歴史の会理事長。 浅井和幸 《続・気軽にSOS》 【あさい・かずゆき】石岡一高卒。1991年科学技術庁無機材質研究所(総理府事務官)入庁。精神障害者福祉施設勤務を経て、2002年浅井心理相談室開業。NPO法人若年者社会参加支援普及協会アストリンク理事長。NPO法人青少年の自立を支える会シオン副理事長。NPO法人とらい理事。ボランティア活動「浅色の雲の会」主宰。 奥井登美子 《くずかごの唄》 【おくい・とみこ】東京薬科大卒。1958年、奥井薬局(土浦市)の奥井清氏(中外製薬勤務)と結婚、土浦に。薬剤師。1895年創業の老舗薬局を経営する傍ら、霞ケ浦の自然を守る活動などに参加。「水の時代をひらく」(KGP総合研究所)、「柳川堀割りから水を考える」(藤原書店)、「くずかごの唄」Ⅰ~Ⅷ(筑波書林)など、著書多数。加藤尚武京大名誉教授は実弟。1933年生まれ、杉並区出身。土浦市在住。 玉置晋 《食う寝る宇宙》 【たまおき・すすむ】東京理科大理工学部物理学科卒。茨城大学大学院理工学研究科地球生命環境科学専攻修了。現在、つくば市で宇宙開発の仕事に従事する傍ら、放送大学大学院生として二足のわらじを楽しむ。茨大理学部でも「宇宙天気防災」のテーマで研究中。1978年生まれ、水戸市双葉台出身、土浦市宍塚在住。 斉藤裕之 《続・平熱日記》 【さいとう・ひろゆき】東京芸術大学大学院後期博士課程満期退学、フランス政府給費制として滞仏。同大助手のあと、東京芸大講師などを勤めながら作家活動を続ける。1961年、山口県生まれ。牛久市在住。 堀越智也 《つくば法律日記》 【ほりこし・ともや】土浦一高校卒。法政大法学部卒。茨城県弁護士会所属「つくば中央法律事務所」代表弁護士。つくばコミュニティ放送株式会社代表取締役。離婚、相続、中小企業・ベンチャー企業、借金の問題、交通事故など民事全般、著作権、刑事事件を主な業務とする。筑波大アソシエイトプロフェッサー、スピードリーディングインストラクター。  1975年、東京都生まれ。つくば市在住。 オダギ秀 《写真だいすき》 【おだぎ・しゅう】本名は小田木秀一。早稲田大学政経学部卒。写真家。高度な技術に裏付けられたハートフルな写真に定評があり、県内写真界の指導的立場にある。専門はコマーシャルフォト全般およびエディトリアル。㈳日本写真家協会(JPS)会員、㈳日本広告写真家協会(APA)会員、土浦写真家協会会長。1944年、水戸市生まれ、土浦市在住。 高橋恵一 《ひょうたんの眼》 【たかはし・けいいち】土浦一高卒、中央大経済卒。茨城県庁に入り、知事公室長、生活環境部長などを歴任。この間、明野町(現筑西市)、土浦市に助役で出向。県庁退職後、オークラフロンティアホテルつくば社長(2006~11年)、JA茨城県厚生連理事長(11~16年)。現在NPO法人NEWSつくば理事。1946年、土浦市生まれ、同市在住。 冠木新市 《映画探偵団》 【かぶき・しんいち】脚本家、アートプロデューサー。TVや映画の編集助手を経て、映画監督市川崑に師事。角川映画「天河伝説殺人事件」で脚本家デビュー。映画『マヌケ先生』(大林宣彦総監督)、舞台『奥様は化け猫』(瀬川昌治演出)など。2008年、つくば市に移り、宴劇『桜川芸者学校』などを制作。著書に『ゴジラ・デイズ』(集英社)、『映画「極道の妻たち」ノ美学』(近代映画社)など。1951年、福島県生まれ、つくば市在住。 入沢弘子 《ポタリング日記》 【いりさわ・ひろこ】1969~76年、新聞記者だった父の転勤で土浦市に住まう。約30年の博報堂勤務のあと、つくば市任期付職員として広報を統括。その後、アルカス土浦の土浦市立図書館初代館長。国立研究開発法人・防災科学技術研究所調査役として勤務後、広報コンサルタントとして自治体などの広報アドバイスやセミナーを担当。1962年、福島県喜多方市生まれ。つくば市在住。 室生勝 《地域包括ケア》 掲載終了 【むろう・まさる】東京医大卒。1970年、東京医大霞ケ浦病院内科医長。76、年つくば市で室生内科医院開業(2006年閉院)。第2回Ciba地域医療賞(現ノルバティス地域医療賞)受賞。つくば市高齢者保健福祉推進会議委員。現在、高齢者サロン「ゆうゆう」を主宰。著書に「地域の中の在宅ケア」(医歯薬出版)、「僕はあきらめない-町医者の往診30年-」(那珂書房)など。1936年、京都府生まれ、つくば市在住。 中尾隆友 《茨城の創生を考える》 【なかお・たかとも】土浦一高卒、慶応大学文学部史学科卒。外資系金融機関、官公庁勤務を経て、現在、㈱アセットベストパートナーズ代表取締役。経営アドバイザーとして大企業・金融機関に助言・提案を行う。総合科学研究機構特任研究員。1970年、土浦市生まれ、つくば市在住。 川浪せつ子 《ご飯は世界を救う》 【かわなみ・せつこ】武蔵野美術短期大学デザイン科卒(テキスタイルデザイン専攻)。住宅部品会社デザイン室、(建物の外観や室内を立体的な絵にする)建築パース事務所を経て、現在、フリーの「建築パース」イラストレーター。イーアスつくば内「アイカルチャー」の「かんたん水彩イラスト」講師。つくばショートムービーコンペティション市民審査員。東京都練馬区出身。1982年、結婚によりつくば市に移り在住。 山口絹記 《ことばのおはなし》 【やまぐち・まさのり】脳動静脈奇形(AVM)による脳出血、失語、失行を経験する。リハビリと育児と仕事の傍ら、放送大学にて言語学と心理学を中心に学ぶ日々をおくる。1988年、神奈川県生まれ、東京都育ち。つくば市在住。 沼尻正芳 《制作ノート》 掲載終了 【ぬまじり・まさよし】水海道一高卒、武蔵野美術大学卒。千葉県公立中学校で教職に就き、茨城県公立小中学校長を退職後、つくばみらい市公民館長などを歴任。現在、一般社団法人・新極美術協会副理事長。1951年、茨城県生まれ、つくばみらい市在住。 浦本弘海 《法律かけこみ寺》 掲載終了 【うらもと・ひろみ】ペンネーム。会社勤務を経て弁護士に。会社在職中に法科大学院への進学を決意。苦節〇年、司法試験を突破(暗黒時代でした…)。企業経験を活かし、現在、企業や自治体の法務コンサルタント。両親が土浦市出身の縁で、土浦・つくばを中心に活動中。東京都出身。 沼澤篤 《霞ケ浦 折々の眺望》 掲載終了 【ぬまざわ・あつし】山形大理学部生物学科卒。東京大大学院修了、理学博士。医薬品会社研究員、自然公園職員などを経て、1989年より霞ケ浦の市民活動に参加。霞ケ浦情報センター主任研究員、茨城大学農学部非常勤講師、霞ケ浦環境科学センター嘱託職員などを歴任。現在、霞ヶ浦市民協会・研究顧問。1952年、山形県出身。土浦市在住。 広田文世 《沃野一望》 掲載終了 【ひろた・ふみよ】土浦一高、山梨大学工学部卒。1984年、㈱トータルシステムデザインを設立、社長に就任。2017年から会長。旧常陽新聞に『いばらき・里・山・みち』を掲載。『桜田門外雪解せず』で「茨城文学賞」受賞。『縁故節現世考』で「やまなし文学賞」受賞。『天狗壊滅』で「日本自費出版文化賞」特別賞受賞。1946年、土浦市生まれ、同市在住。 石井康之 《ON THE ROAD》 掲載終了 【いしい やすゆき】ファッションデザイナー、オブジェアーティスト。桑沢デザイン研究所卒。1987年、パルコオブジェ展で「やまもと寛斎賞」受賞。97年より、東京コレクションのほか、パリ、ミラノ、ニューヨークで作品を発表。東京デザイナーズウイークでオブジェ製作。建築雑誌で特集が組まれる。東京在住。 古家晴美 《県南の食生活》 【ふるいえ・はるみ】筑波大学第2学群比較文化学類卒、同大学院博士課程歴史人類学研究科単位取得満期退学。筑波学院大学経営情報学部教授。専門は民俗学・生活文化。神奈川県生まれ。 川上美智子 《令和楽学ラボ》 【かわかみ・みちこ】お茶の水女子大学大学院家政学研究科食物学専攻修了。1971~2016年、茨城キリスト教大学勤務(1982年から教授)。19年4月から、関彰商事㈱ライフサイエンス事業部・保育園開設準備室(つくば市)勤務。現在、保育園長。茨キリ大名誉教授、茨城県教育委員。著書に『茶の香り研究ノート-製造にみる多様性の視点から-』(光生館、 2000)、『茶の事典』(朝倉書店、2017)など。兵庫県出身、水戸市在住。 瀧田薫  《雑記録》 【たきた・かおる】土浦一高卒。慶応大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。茨城キリスト教学園に入り、短期大学長、茨キリ大教授、常務理事を歴任。2016年、定年退職。現在、同大兼任講師、名誉教授。中学2年のとき、V.フランクル著「夜と霧」に衝撃を受ける。当時の安保闘争・学生運動になじめず、その反動で「政治学」を志す。1947年、土浦市生まれ。同市在住。 小野村哲 《ライズ学園日記》 掲載終了 【おのむら・さとし】39歳で公立中学校を退職した後、つくば市内で不登校や学習につまずきがちな子どもたちのための「ライズ学園」を立ち上げる。県内外で、子育て・英語教育・LD(学習障害)などについて講演活動も行う。NPO法人「リヴォルヴ学校教育研究所」元理事長、つくば市教育委員。1960年、東京都板橋区生まれ。つくば市在住。 川端舞 《電動車いすから見た景色》 【かわばた・まい】生まれつき脳性麻痺という障害があり、電動車いすで生活している。2010年、筑波大学障害科学類への入学を機に、つくば市に引っ越し、介助者にサポートしてもらいながら、1人暮らしをしている。障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」で活動中。群馬県出身。つくば市在住。 霞ケ浦市民協会 《泳げる霞ケ浦へ》 掲載終了 【かすみがうら・しみんきょうかい】1995年の世界湖沼会議で採択された「霞ケ浦宣言」の理念を継承し、「霞ケ浦及び流域環境の浄化・保全及び創造をめざす市民活動を推進し、人と自然が共生できる快適で文化的な地域社会を構築する」ため、翌96年「社団法人霞ケ浦市民協会」として発足。2013年一般社団法人に。 相沢冬樹 《土着通信部》 【あいざわ・ふゆき】1953年土浦市生まれ。常陽新聞(旧社)に在籍もキャリアは1999年まで。辞めて18年も経つのに周囲も自分も記者扱い・記者気分が抜けない。この間地域政策コンサルタントを経て、現在は地元財団の発行する機関誌でパートタイム編集長を務める。記事はもっぱらブログ「重箱の隅に置けない」に書いている。http://fykai.blog.fc2.com/ 栗原亮 《郷土史あれこれ》 掲載終了 【くりはら・りょう】土浦一高卒、中央大経済卒。1976~2010年、霞ケ浦高で世界史と日本史を担当。「新治村史」「図説 土浦の歴史」「牛久市史」「八郷町史」の編纂に参画。旧常陽新聞で「江戸時代とは何か」を連載。著書に「忠臣蔵の真実」(常陽新聞新社、2012年)、「近世村落の成立と検地・入会地」(岩田書院、2013年)。土浦市出身・在住。71歳。 橋立多美 《猫と暮らせば》 掲載終了 【はしだて・たみ】1949年、長野県天龍村生まれ。84~96年、常陽リビング社勤務。退社後フリーライターとして活動しつつ、『茨城のホームヘルパー最前線』『ルポ消防団』など4冊を出版。2013年から常陽新聞記者。17年の休刊後はNPO法人NEWSつくばのデスク兼ライター。つくば市在住。69歳。 大島愼子 《世界に生きる》 掲載終了 【おおしま・ちかこ】米DePauw Univ.を経て、早稲田大学第一文学部卒。同大学院経営学修士。ルフトハンザドイツ航空客室乗務員、人事担当、広報室長を経て、2006年に筑波学院大学教授。12年から学長。筑波技術大学監事、日本広報学会理事、日本インターンシップ学会理事、日本国際観光学会前副会長、NPO法人Japan Now観光情報協会理事長。専門は航空政策・観光政策。著書に「ドイツおいしい物語」「飛翔へのロマン」(東京書籍)など。 吉田礼子 《食のエトセトラ》 【よしだ・れいこ】東北学院大文学部史学科卒。子どものころから母が料理する姿に触れ、料理の先生に憧れる。「台所は実験室」をモットーに独学。50歳を前に、全国料理学校協会所属の児玉久美子先生に師事。2008年、土浦市に吉田料理教室を開校。1953年、宮城県生まれ。土浦市在住。 塚本一也 《茨城鉄道物語》 【つかもと・かずや】土浦一高卒、東北大学工学部卒、筑波大学大学院修了。一級建築士。大曽根タクシー(株)取締役社長。元JR東日本グループリーダー。茨城県ハイヤー・タクシー協会経営研究会会長、つくば市花畑自治会長。県議。著書に「つくばエクスプレス最強のまちづくり」(創英社 三省堂書店)。1965年、つくば市生まれ。同市在住。 田口哲郎 《遊民通信》 【たぐち・てつろう】慶應大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。専門は19世紀パリの遊歩者について。その後、家庭教師、派遣社員などを経て、四十路過ぎで2度目の大学生として東京大学文学部在学中。興味・関心は、神秘主義、スピリチュアル、宗教、高等遊民、鉄道模型。大阪・仙台育ち。牛久市在住。 岩松珠美 《介護教育の現場から》 掲載終了 【いわまつ・たまみ】同志社女子大学(栄養生化学)卒。女子栄養大学大学院修士課程修了。老年看護学、地域看護学に研究分野を拡げ、大学や専門学校で教育に携わる。精神保健福祉士、介護福祉士、看護師など。著書に「六訂栄養士・管理栄養士をめざす人の社会福祉」(みらい出版)。現在、つくばアジア福祉専門学校(土浦市)校長。1961年、長野県生まれ。土浦市在住。 鶴田真子美 《晴狗雨dog せいこううどく》 【つるた・まこみ】1990年、東京外語大イタリア語学科卒。同大学院博士前期課程修了後、後期課程単位を取得。日伊協会講師、東邦音楽大、慶応義塾大などの非常勤講師を歴任。2008年からNPO法人「動物愛護を考える茨城県民ネットワーク」理事長。茨城県の犬殺処分ゼロを目指し活動中。2021年、土浦市に「パルTNR動物福祉病院」を開設。神戸市生まれ。 山口京子 《ハチドリ暮らし》 【やまぐち きょうこ】2020年まで、いばらきコープ生活協同組合の「くらしの電話相談ダイヤル」相談員を15年務める。また組合員を対象にした「くらしの講座」講師として、生活設計、家計管理、年金、相続、遺言、終活、保険見直しなどのセミナーを企画。現在「社会保険労務士 やまと事務所」所属。ファイナンシャルプランナー、社会保険労務士、消費生活アドバイザー。1958年、栃木県生まれ。龍ケ崎市在住。 三浦一憲 《塞翁が馬》 掲載終了 【みうら・かずのり】高校生の時に8ミリ映画を自主制作。以来、フリーのフォトグラファー。 電鉄・建築などの撮影のほか、写真館も経営。2004年「まちかど音楽市場」を立ち上げ、代表に就任。現在住む団地内でボランティア環境美化活動(ローズマリーの会)。1952年、東京都江東区生まれ。1991年、つくば市に移住。 秋元昭臣 《夢実行人》 【あきもと・あきおみ】土浦一高卒。明治大工学部卒、京成電鉄系列のホテル会社に入社。奥那須、千葉、水戸、犬吠埼、白浜、土浦などのホテルに勤務。土浦京成ホテル閉鎖にともない、2008年からラクスマリーナ(株主は土浦市)専務。遊覧船運航、霞ケ浦湖上体験スクール、小型ヨット体験、ボート教室、足湯浴場、サイクリング事業などを展開。 2021年4月退職。1942年生まれ、土浦市在住。 原田博夫 《文京町便り》 【はらだ・ひろお】土浦一高卒、慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。専修大学経済学部教授を経て、2019年4月から名誉教授。米スタンフォード大などに留学。公共選択学会会長、政治社会学会理事長などを歴任。著作(編著)に『人と時代と経済学-現代を根源的に考える-』(専修大学出版局、2005年)、『身近な経済学-小田急沿線の生活風景-』(同、2009年)など。現在、土浦ロータリークラブ会員。1948年土浦市出身、土浦市文京町在住。 伊東葎花 《短いおはなし》 【いとう・りつか】小説ブログを始めて12年。童話、児童文学、エンタメ、SFなど、ジャンルを問わずに書いている。文学賞にも挑戦中するもやや苦戦気味。第19回グリム童話賞大賞、第33回日本動物児童文学優秀賞を受賞。妄想好き。猫好き。趣味は読書と太極拳。東京生まれ、美浦村在住。伊東葎花はペンネーム。 小泉裕司 《見上げてごらん!》 【こいずみ・ひろし】1954年、土浦市生まれ、県立土浦一高卒。工学院大学工学部卒。民間企業を経て土浦市役所に入庁。政策企画課長、市長公室長を歴任。2017年まで副市長1期。在職中、花火審査員係業務に13年従事。現在、日本花火鑑賞士会会員。ラジオやネットTVにも出演。茨城新聞に寄稿(19~22年)。花火セミナー開催や「花火通信」(Facebook)などで花火の魅力を発信中。「花火と土浦」(土浦市、2018年)も一部執筆。同市在住。 若田部哲 《日本一の湖のほとりにある街の話》 【わかたべ・てつ】筑波大学大学院修士課程芸術研究科デザイン専攻修了後、建築設計事務所など経て、2009年、土浦市役所入庁。地元出身が多い職場にあって、県外出身として地域への理解を深めるため、霞ケ浦周辺を歩き回り、様々な対象をイラスト化。WEBサイト「日本一の湖のほとりにある街の話」などで地域の魅力を配信。1976年生まれ。「日本一の湖のほとりにある街の話」の公式ホームページはこちら。 片岡英明 《竹林亭日乗》 【かたおか・ひであき】福島高校卒。茨城大学農学部卒業後、太陽コンサルタンツ勤務。茨城大大学院修了。39年間、霞ケ浦高校勤務。主な著書は、英語Ⅰ教科書「WORLDⅠ」(三友社、1990年)、「たのしくわかる英語Ⅰ 100時間」(あゆみ出版、同)、「若い教師のための授業・HRづくり」(三友社、2016年)。現在、「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」世話人。1950年福島市生まれ、つくば市在住。 平野国美 《訪問医は見た!》 【ひらの・くによし】土浦一高卒。1992年、筑波大学医学専門学群卒後、地域医療に携わる。2002年、同大博士課程を修了、訪問診療専門クリニック「ホームオン・クリニックつくば」を開業。著書「看取りの医者」(2009年、小学館)は大竹しのぶ主演でドラマ化。新刊は『70歳からの正しいわがまま』(2023年4月、サンマーク出版)。医療関係業界誌などでもコラム執筆。1964年、龍ケ崎市生まれ。つくば市在住。 松永悠 《医療通訳のつぶやき》 【まつなが・ゆう】北京で生まれ育ち、大学で日本語を専攻した後、日系企業に就職。24歳のとき、日本人夫と結婚して来日し、気がつけば日本にいる時間が長くなっています。3人の子供を育てながら、保護犬1匹、保護猫5匹も大切な家族。子育てが一段落した今、社会のために、環境のために、何ができるか、日々模索しています。 三橋俊雄 《デザインについて考える》 【みつはし・としお】1973:千葉大学工業意匠学科卒業/1973〜6年間:GKインダストリアルデザイン研究所/1979〜6年間:二番目のデザイン事務所/1985〜6年間:筑波大学(デザイン専攻)・千葉大学(環境科学専攻)にて学生/1991〜6年間:筑波技術短期大学・千葉大学にて教官/1997〜18年間:京都府立大学にて教員。6年単位で「居場所」を替えながら、さまざまな人と出会い、さまざまなデザインを行ってきました。退職後つくばに戻り、「竹園ぷらっと」「ふれあいサロン」「おやじのキッチン」など、地域の「居場所づくり」「まちづくり」のデザインを行っています。 島田由美子 《けんがくひろば》 【しまだ・ゆみこ】けんがくまちづくり実行委員会代表、研究学園グリーンネックレス タウンの会代表。本業は海外映画・ドラマの字幕翻訳。TX研究学園駅地区に移り住んだことをきっかけに、まちづくりに興味を持つ。まちづくり活動を行いながら、現在、筑波大学大学院システム情報系非常勤研究員として、都市計画の研究に携わっている。

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