日曜日, 5月 22, 2022
ホーム コラム 奥井登美子

奥井登美子

ウクライナ子供のつぶやき 《くずかごの唄》103

【コラム・奥井登美子】「空が光って、変な大きな音がして、怖かった」。テレビニュースで、ロシア軍に攻撃され、地下壕に逃げたウクライナの子供のつぶやきを聞き、涙が出そうになってしまった。77年前の日本でも、同じようなことが起こった。今はみんな忘れて、まるで違う世界の出来事みたいに思っている。 私が小学校6年生のときだった。夏休みの間に、東京の小学3~6年生はどこかに疎開しなければいけないという命令が下りた。親戚の家に疎開するのが縁故疎開。学校ぐるみ疎開するのが学童疎開。クラスはバラバラになってしまう。 私が通っていた小学校は成績順にクラス分けされ、1番組の男子は都立3中(今の両国高校)、同女子は都立7女(今の小松川高校)を目指して勉強していた。「クラスはバラバラになるけれど、来年3月の受験日には帰ってくるから、そのよき皆で会おう」。誰かが言い出して、再会を約束して別れた。 東京大空襲に遭った学友たち 私は学童疎開で湯の浜温泉(山形県)に疎開したが、食べる物がなくてお腹が空いて、お手玉の中のアズキを食べていた。父に「縁故疎開に切り替えてほしい。迎えに来て」と手紙を書いたが、先生の検閲に引っかかり、取り上げられてしまった。 友だちが熱を出したが、医者に薬を取りに行く人がいない。先生に頼まれて、薬を取りに行くとき、父への手紙をポストに投函した。昭和19年の秋、私は父の友だちのご縁で、長野県の下伊那に疎開できた。

入浴中の事故防止 《くずかごの唄》102

【コラム・奥井登美子】夫がお風呂へ入ると、浴槽に漬かって、ウットリしてなかなか出てこない。コロナの騒ぎで、どこにも行けなくなった老人の唯一「ウットリの楽しみ」だと割り切って、私は大目に見てきた。 いつもは20分。今日はもう30分だ。さすがに心配になって、のぞいて見る。 「ずいぶん長く入っているの、ね…」 「うーん」 返事はするけれど、立ち上がる気配はない。 近づいてみて、びっくりした。腰が抜けて、立ち上がれないのだ。立つ力が、完全に抜け落ちてしまっている。

真壁のイシ会と日仏の医師会 《くずかごの唄》101

【コラム・奥井登美子】床屋さんの看板で青と赤がぐるぐる回っている。フランスのアンブロワーズ・パレは、床屋から医者になり、4代の王様の主治医になった歴史的人物。私も薬史学会の見学会に参加し、パレがいたオテルデュ病院(パリ)に行ったことがある。赤は動脈、青は静脈の象徴である。 日仏薬学会は、日仏医学会とも昵懇(じっこん)の間柄であった。1990年、仏医学会の希望があり、日仏医学会で「アンブロワーズ・パレ生誕400年祭」を記念して、日本外科学会から日本の古代型石灯篭を送ることになったらしい。 日本の王様、天皇陛下に歴史上初めて手術をなさった手術医は森岡恭彦先生。その先生がある日、奥井薬局に飛び込んで来られた。 「石灯籠の製作は真壁町だそうです。行ってみたいのでよろしくお願いします」 パレに捧げる記念品を、日本の王様の主治医が真剣に探している。五所駒瀧神社(ごしょこまがたきじんじゃ、桜川市真壁町)の櫻井崇さんが石工の加藤征一さんを紹介してくださった。 「そちらが医師会ならこちらもイシ(石)会です。同じイシ会としてぜひ協力させてください」

年賀状にもコロナが跳梁 《くずかごの唄》100

【コラム・奥井登美子】我が家の茶の間の隅に「年賀状の展示コーナー」がある。頂いた年賀状の中で、いつまでも見ていたい、すてきな作品を展示しておくコーナーだ。毎年、干支(えと)の動物を使った面白いデザインが多い。一昨年はネズミ、昨年は牛の絵。個性的なものが多く、茶の間の話題を提供してくれた。 頂いた年賀状の中から、面白いデザインや愉快な言葉を探し出すのが、私の次の楽しい作業なのだ。関寛之先生の手づくり木版画は、毎年、我が家の展示品中の名品だ。80歳過ぎの人の格調高い手書き賀状にはすばらしいものがある。 しかし、今年の年賀状のエトの虎はなぜか元気がない。コロナ禍で家にいて時間を持て余している人が多いから、手の込んだ虎デザインの作品が集まるのではないかと期待していたが、少しあてが外れてしまった。 自由にのびのび『トラ』イする1年に なぜだろう? 年賀状には「コロナが早く収まりますように」という、祈りに近いような言葉で願いを書いたものが多かった。年賀状に込める楽しい夢、格調の高い希望を実現できるかどうか―コロナちゃんの跳梁(ちょうりょう)で自信がなくなってしまったに違いない。 世界中の情報がその日のうちに伝わるすごい世の中。しかし、情報の伝わり方の速さが、人間の頭脳のテンポと合っていないのではないかと思う。人間が人間らしさを楽しむ速度はご飯を食べる速度と同じで、その人によって違う独特のテンポが存在する。ただ早ければいいというものではない。

薬の品切れにふりまわされて《くずかごの唄》99

【コラム・奧井登美子】来年はトラ年。薬剤師は薬のトラブルを絶対起こしてはいけない職業である。半年前から、どういうわけか、コロナ禍の中で薬の原料の輸入品がストップしてしまったらしい。処方箋調剤薬局は、薬の品切れに悩まされている。60年間、経験しなかったことである。 「すみません。薬の中でビソプロロ―ル・フマル酸塩錠が、今、品切れなのです」「えっ品切れ、冗談じゃないよ。心臓の薬で、狭心症を予防する薬だから、キチンと飲むように医者から言われている大事な薬だよ」「ごめんなさい。明日の朝、飲む分はありますか?」「ないよ」 探してみれば家にあるのに、こういう時、心配で、必ず「ない」と答える人が多い。 「困ったわね。今日中に、何とか手に入れて、お宅までお届けするしかない」「必ず届けてくれ。なかったら、別の薬局へ行ってみるしかない」「メーカーが品切れなので、よその薬局も厳しいと思います」「じあ、どうすればいいんだ」 私が、客を怒らせないように、気を使いながら話をしている間、事務員さんが必死になって知り合いに電話して在庫を探っている。 「ハイ、よかった。ありました。うちのもう1軒の薬局にありました。お届けします。メーカーは違ってしまっても、成分は今までの物と変わりありません。安心してお飲みください」

絵本「うんこはごちそう」 《くずかごの唄》98

【コラム・奥井登美子】本屋さんで、「うんこはごちそう」(伊沢正名著、農文協刊)という絵本を見つけ、飛びついて買ってしまった。伊沢さんは、日本一のきのこ写真家である。「きのこ」(山と溪谷社刊)には、日本の1155種類のきのこの写真が収録されている。発行時、その多さが学会でも話題になった。一つ一つが、伊沢流の、個性的な、愛情あふれたきのこの写真なのである。 伊沢さんと最初に会ったのは彼が高校生の時であった。「土浦の自然を守る会」で西丸震哉氏の講演会を行ったことがある。次の日、西丸氏も参加して北筑波稜線(りょうせん)林道予定地の見学会があった。当時、大規模林道開発の波を受け、筑波山上曽峠から北筑波稜線林道が計画され、山の中にコンクリートの立派な道路が造ろうとしていた。開発の前に現地を見てみようと、67人が参加してくれた。 西丸氏は大叔父が島崎藤村で、当時、評論家としても自然保護作家としてもモテモテの人。見学会参加者の中に、現地真壁町に住む目のキラキラした高校生が1人混じっていた。彼を連れてきたオジサンの話によると、町の歯科医院の息子。不登校なので、父親が心配して、西丸先生に学校へ行くよう説得してほしいと言われ、連れてきたのだという。 きのこの仲間になりきって撮影 西丸先生はどんな言葉で説得するのだろうか。私は聞き耳を立てて西丸先生と高校生の会話を聞いていた。 「高校が面白くないのか?」「ハイ、行きたくありません」「行きたくないところに行くことないよ。友達はいるの?」「いません」「じゃあ、無理して行くことないよ。その代わり、自分のしたいことを一つ、何が何でも一つだけ見つけて、そこへ飛び込んでごらん。面白いよ」

疎開先のウンコ棒 《くずかごの唄》97

【コラム・奥井登美子】スーパーの食品売り場をウロウロしていたら、「市田柿」を見つけてうれしくなって買ってしまった。私が小学校6年生のときに疎開した長野県山吹村の隣村が市田村だった。天竜川に沿って飯田線が走っている。木曽山脈と赤石山脈に挟まれた急斜面の地域にいくつか村があって、その中の一つの村である。 駅や役場、小学校は天竜川に近い所にあるが、父が友達のまた友達を頼んでお借りした家は、村の中で一番山に近い部落。高度が高いので寒さもひときわ厳しかった。 なんでもすぐに凍ってしまう。リンゴを薄く切って干しておいただけで、きれいな白い干しリンゴができてしまう。渋柿の皮をむいて種を取って、丸ごとつるして干し柿にする。気温が極端に低いこの地方の干し柿は、柿の中のブドウ糖が表面に抽出されて、きれいな白い粉をまとった姿になる。この白い干し柿を「市田柿」と呼んでいた。 先端が鋭角になるウンコ塔 汲(く)み取り式のトイレに、冬だけ野球のバットを小さくしたような棒が置いてある。 「何の棒だろう?」

ボーイフレンドと一緒にどんぐり人形 《くずかごの唄》96

【コラム・奥井登美子】暑さと寒さの気温の差が激しい。血圧が上がったり、下がったり、気をもんでいる患者さんがやたら多い。植物の世界も、昆虫の世界も、人間の血圧と同じように、寒暖の差と雨の降り方の急激な変化についていけなくなってしまっている。 我が家の庭の木の実も、今年はチトおかしい。ギンナンはいつもの年の大きさの半分以下。アズキを少し大きくしたぐらいの大きさなので、煎って殻を割って、中の緑色の玉を指で引っ張り出せない。秋の味覚、緑色に輝く初物のギンナンを諦めざるを得なくなってしまった。ここ50年以上、ギンナンの実がこんなに小さかったのは初めての体験である。 さて、この食べられない小さなギンナンをどうすればいいか、困ってしまった。「登美子さん、いる? ドングリで人形を作ろうよ」。私の年下のボーイフレンド、晃太郎が週に1回やってくる。今年も、コロナ禍で昆虫観察会は中止になってしまったが、5歳の彼は「どんぐり山」で拾ってきたクヌギのドングリが丸くて大きいので、おもちゃ代わりにいじっていた。 雛人形やバレリーナ人形 そのうち、虫が中に入ってしまって穴の開いたドングリが気にいったらしい。その穴を口に見立て、目玉を張り付けて、ドングリ人形を作ったり、穴にひもを通して、パパとママにネックレスを作ってプレゼントしたりしているうちに、ドングリ細工にのめり込んでしまった。

我が家の名物 栗の渋皮煮 《くずかごの唄》95

【コラム・奥井登美子】 「栗の渋皮煮、今年はまだかしら。崩れたのでいいから、送ってね」 娘から催促の電話。 「宍倉の栗が今日届いたの。でも『全自動栗むき機』がうまく作動するかどうか?心配なのよ」 「『全自動栗むき機』なんてあだ名付けられて、パパもかわいそうに。元気なんでしょう」 「元気よ。栗を見せたらむきたくなって、むいてしまうけれど。パパ、血液凝固防止剤を飲んでいるでしょう。刃物でけがした時の出血が心配なのよ」

コロナ禍での認知症 《くずかごの唄》94

【コラム・奥井登美子】 「コロナが心配で、心配で、朝まで眠れないんだ。睡眠薬5ミリではだめなので、今度10ミリにしてもらった」 近所に住むAさんが処方箋を持ってやってきた。ゾルビデム5ミリグラムが10ミリグラムなっている。この薬は向精神(こうせいしん)薬で、認知症を促進するデータがあるといわれている薬である。Aさんと高校時代からの同級生で仲良しのBさんに聞いてみた。 「このごろ、2人で散歩していないわね。けんかでもしたの?」 「けんかなんかしていないよ。けれど、A君このごろ、ちと、おかしい。いつもと同じ道を歩いているのに、違う道だ、なんて言うんだ」 「困るわね」

「面の皮」の薄い人、厚い人 《くずかごの唄》93

【コラム・奥井登美子】 「肌の荒れないマスクありますか?」 「顔のお肌に何か炎症でも…」。 客は若い女の人。マスクを外して肌を見せてくれた。 「ほら、こんなに赤くなってしまって」 目の下、頬のあたりが赤くなってしまっている。ここ2~3日の蒸し暑さは普通ではない。マスクでふたをされて、顔にいわゆるアセモができてしまっている。

コロコロ ウツウツ《くずかごの唄》92

【コラム・奥井登美子】 「ワクチン接種はお済みですか?」 「2回とも済みました」 「よかったわね」 「よくないですよ。2回打っても、コロナにかかる人がいるそうですから」 「変異株がいろいろ出てきたみたいですが、打ってあればひと安心ですよ…」

Most Read

29年続くにぎわい再び つくばリサイクルマーケット

家庭で使わなくなった不用品を持ち寄り、安く販売してリサイクルする「第122回つくばリサイクルマーケット」が22日、同市吾妻の中央公園水の広場で開かれた。市内や近隣市の市民らが38区画に出店し、買い物客でにぎわいを見せた。コロナ禍で半年ぶりの開催となった。 つくば市の市民団体「リサイクルを推進する会」(高野正子代表)が1994年から主催しており、今年で29年目となる。 毎年3月、5月、9月、11月の年4回開催し、多い時には700人の来場者があったが、コロナ禍で中止を余儀なくされていた。昨年11月に再開し33区画に出店した。しかし感染拡大を受けて、今年3月は再び中止となっていた。今回は出店区画を40区画用意、30人のキャンセル待ちがあったという。 「つくばのごみを宝の山に!」をモットーに、使用可能なものを捨てずにリサイクルすることを目的とするマーケットで、出品されたのは、衣類や靴、本、未使用のタオルや食器、使わなくなったおもちゃ、雑貨、文房具などさまざま。 出店したつくばみらい市在住の女性は「何度も出店している。ずっと出したくて久しぶりの出店。家族のものなどたまった不用品を持ってきた。天気が良くなって、思っていた以上に買っていただいた」と話す。 土浦市から息子を連れて買い物に訪れた篠崎史織さんは「初めて来た。10円や100円といった値段で子どもでも買いやすいので、自分でお金を出して買うという体験ができてよい。息子はコロナ禍の中生まれたのでこういった体験が貴重」と話した。

認識の対立を克服するには? 《文京町便り》4

【コラム・原田博夫】2月24日以降、ロシアのウクライナ侵攻の報道に接していると、戦争の背後に潜む正義は、時代や場所、あるいは人や組織で異なっていることが分かる。侵攻したロシアやプーチンには、少なくとも自国民向けの必然性や正当性があるはずである。 ロシアがこのような暴挙に至った経緯や背景は必ずしもつまびらかではないが、ここ数年来、米国やNATO(北大西洋条約機構)によるロシアへの圧力・圧迫があった(と、少なくともロシアおよびプーチンが思い込んだ)ことは確かである。その意味では彼らには、ゆがんでいたにせよ、なにがしかの必然性があったはずである。それなくしては、このように大規模な「特別軍事作戦」(一方的な侵略)を決行できない。 対して、この侵攻は、侵攻されたウクライナのみならず、EU(欧州連合)、NATO、米国や日本などの民主主義国にとって全く理解できない暴挙である。 この認識の対立構造は、それぞれの国民世論にも反映していて、ロシア国内の世論調査では(国内世論の操作が行われている上に、政府系の御用調査機関と揶揄(やゆ)されているが)、今回の特別軍事作戦は相当の支持を得ている。たとえば、全ロシア世論調査センターの3月17日調査やレバダセンターの4月21~27日調査では、いずれも「支持する」が74%に上っている。 他方で、国連総会でのロシアの軍事行動への圧倒的な非難決議(3月2日の非難決議への賛成141カ国、反対5カ国、棄権5カ国)に見られるように、国際政治・国際世論はロシアへの非難では歩調を合わせている。 関係者・当事者の「良識」に期待

昔「アダルトチルドレン」、今「毒親」 《続・気軽にSOS》109

【コラム・浅井和幸】おかげさまで、浅井心理相談室はこの6月で20周年を迎えます。様々な方にご支持いただき、本当に感謝しております。以前相談に来られた方からのご紹介で来談されるケースや、相談をして元気になったので精神保健福祉士を目指したいとか、公認心理師やカウンセラーになりたい―といった話を聞くと、とてもうれしくなります。 といっても、「浅井のようになりたい」という言葉を聞くと、うれしい反面、「もっと上を目指した方がよいよ。君はもっと大きな可能性を秘めている」と思いますし、正直にそう伝えます。 相談室を開いたころ高校生だった来談者も、すでに30代になって再び来談されることもあります。皆さん、本当に立派になられて感慨深いものがあります。70代の方もいましたので、あの方はもう100歳を超えるのかぁ―などと考えることもあります。 20~30年前、アダルトチルドレンという言葉を頻繁に目にしました。この言葉はもともと、アルコール依存症の親の元で育った子供が、大人になって様々な支障が出てくるという概念です。その意味が広がり、機能不全家族で育った人が様々な生きづらさを抱えていく―という意味にもなりました。医学的な診断名ではありません。 相談の場でも多く耳にしたものですが、最近では「毒親」という言葉に置き換わっていると感じます。毒親は「親ガチャ」とセットで聞くことも多いですね。これらの言葉の登場に、気持ちが軽くなった人もいるでしょう。こんなにつらいのは自分だけではないのだという仲間意識、訳の分からない苦しさから「毒親に育てられた子ども」に属せたという安心感です。 これは、どこの病院に行っても、何も悪くないと医師に言われ苦しさが続く中、うつ病とか難病などの病名がつくことで、何となく治療法があるのだろうという救われた感覚に似ているのだと思います。カサンドラ症候群という、アスペルガー症候群のパートナーを持つ人の苦悩もこれに似ていますね。

入国待ちわびた留学生52人 日本つくば国際語学院で3年ぶり入学式

つくば文化学園が運営する日本語学校「日本つくば国際語学院」(つくば市松代、東郷治久理事長兼校長)の入学式が20日、隣接の日本料理店、山水亭で催され、コロナ禍の中、入国を待ちわびた13カ国の52人が入学した。3年ぶりの入学式となった。 2年間入国できず待機していた留学生が多いという。例年なら4月に入学式を開催するが、コロナ禍で留学生の入国が遅れたため1カ月遅れの式典となった。 出身国は、イラン、ウズベキスタン、タジキスタン、スリランカ、ネパール、ガーナ、カメルーン、ミャンマー、モンゴル、中国、韓国など。 新入生一人一人に学生証を手渡す東郷治久理事長兼校長(右)=同 式典では、東郷理事長が一人ひとりに学生証を手渡し、「去年、おととしは入学式が行えなかった。待ちわびていた入学式が盛大に行えたことは大きな喜び」とあいさつした。さらに「コロナの中、一度は入学を断念しようかと考えた人もいたと思うが、将来の夢の実現のために目標を果たすという強い意志が扉を開いた」と称えた。その上で「日本語を楽しく学び、日本を好きになってもらおうというのがモットー。たくさん日本語で話して上手になってください」などと呼び掛けた。 新入生を代表してイラン出身のハディース・ダナーさん(28)が日本語であいさつし「もし世界中のどこにも戦争がなかったら、おそらく今日、ウクライナ人やシリア人も私たちとここで入学式を祝うことができたと思う」と語り、「ここにいる新入生は、大きな願いを達成し成長するために留学を決意し、さまざまな人が安全に安心して一緒に暮らせる日本を選んだ。今の気持ちを忘れずに精一杯頑張るつもりです」などと決意を話した。