【橋立多美】「留学生は自分の鏡」と話す人がいる。筑波学院大学経営情報学部3年の井手尾司さん(70)だ。食品などの表示機器メーカー(本社東京都板橋区)に40年勤務し、営業成績が認められて常務取締役に上り詰めた。3年前の2016年5月に退社したが、会社の了解を得て同年春に同大に入学を果たし、会社に在籍したまま大学生となった。

退職して一休みすることなく大学生になったのは、「大学に入り直して日本語を勉強し、日本語教師になって社会に恩返しをしよう」の一念だった。住まいは職住近接の板橋から大学のあるつくばに移した。ゴルフが趣味で茨城を度々訪れ、つくばはTX開業で都心にも近い。第二の人生のステージをつくばにしたことに迷いはなかった。

意欲的に生き方を選びとり、順風満帆だった井出尾さんは入学間もなく気力を失いかけた。大学との連絡はメールでスマホ使用が当たり前だったからだ。仕事で全国を飛び回ったが、取引先とのアポ取りや切符の手配まで全て部下がやり、井出尾さんはスマホのメール機能を使えなかった。「役職気分をぬぐえず、使いこなせないスマホに戸惑って孤立感を味わい、サクサクとスマホを使う孫世代とのキャップに悩んだ」という。

ある時、学友が「簡単だよ」とメールを設定して使い方を指南してくれた。この日を境に悩みは解消され、「KVA祭」(学園祭)に協力しようと地元商店に広告費のお願いに出かけた。学生は一度断られたら諦めるが、長年培った営業力を発揮して快諾を得た。その実績が評価され、実行委イベント係になって学生たちに溶け込んだ。

同大学の日本語教員養成プログラムは文化庁の方針に沿った428時間の必修授業。3年生の現在は、国際別科の金久保紀子教授が担当するコミュニティカレッジ講座で実践的な指導を学んでいる。今春はインドネシアのジョグジャカルタ第一高等学校で日本語の授業を行い、経験を積んだ。同校で会った生徒たちは自国をなんとかしたいという熱意にあふれ、授業中にスマホをいじる姿は皆無だった。「インドネシアでの研修で心を洗われた」と井出尾さんは回想する。

金久保紀子教授は「日本語を母語としない家族が日本で健やかに過ごすためには日本語の力が必要で、海外から職を求めてやってくる人は今後も増える見通し。そのため、日本語の学習を支援する人材の確保はどこでも重要な課題。日本語を長く使っているから教えられる訳ではなく、意欲的に日本語教育に取り組む井出尾さんのようなシニアにどんどん挑戦していただきたい」。

同大国際別科では約200人の留学生が日本語を学んでいる。井出尾さんは彼らとの付き合いが多くなった。そして多くの留学生が日本に在住して「母国との橋渡し役になりたい」と考えていることが分かった。

「晴れて日本語教師になったら、日本で働く彼らを応援するビジネス日本語の教室を持ちたい。孤立感を味わった僕にとって留学生は自分を写す鏡で、苦しさが分かると思っている。だから力になりたい」。営業畑一筋だった井出尾さんが導きだした進むべき道だ。

キャンパス内で最も好きな場所だという体育館前の木陰に立つ=同