情報デザインコース2年 ヨウ チショウ(楊 智翔)

2014年4月、成田空港に到着したとき、私はとても複雑な気持ちでした。初めて日本に来た興奮、新しい友達と出会う期待、新しい生活に対する覚悟などを感じていました。何よりも大きな不安だったのは、未知の土地で自分ができることを探せるのだろうか、自分の未来はどうなるのだろうか、ということです。そのようなことを考えながら、飛行機から降り立ち、日本の生活への第一歩を踏み出しました。

空港から東京都内の留学生アパートに着くまでの間、私は日本のきれいな街と魅力的な風景に驚かされました。実際に暮らし始めて、その気持ちをさらに強くしました。道には本当にごみが落ちていません。平地や建物が多く、ちょっと山があったり街中に樹木もあったり、素晴らしいです。自分の出身地(中国・鄂州=がくしゅう=市)は人口が100万人超の都市ですが、これほどきれいな街や風景は珍しいものです。道路や建物への光の当たり方がとてもきれいで、「絵みたいだ」と何度も思いました。日本に来てから東京ディズニーランド、富士急、横浜などに行き、東京スカイツリーは遠くから見ただけですが、こうした街や観光地の存在だけでも、日本の生活への期待が膨らみました。

■日本語学校で育んだ友情と恋

中国には両親と兄がいますが、3人とも鋼鉄業界で一緒に仕事をしていて、留学費用を出してくれました。母は「世界のどんなところでも仕事ができるように一人前になりなさい」と送り出してくれました。

2年間通った日本語学校ではいろいろな国の人に会いました。シンガポール、アメリカ、イギリス、ベトナム、タイ、ドイツなどです。日本語学校には中国人も多くいて、自分のクラスで元彼女と知り合いました。友達もたくさんできました。彼らのおかげで、異国で恋と友情も体験しました。その間にはけんかや問題もおきましたが、大抵のことはなんとか彼らと協力して解決できました。

そのような出来事を通して、自分の短所を見つけることができました。私は物事に集中すると相手から話しかけられても無視してしまうようなところがあったのですが、そこを直して、友だちと一緒に成長することもできました。

筑波学院大学に進学するときに、元彼女と別れました。元彼女と友だちも各自の希望する大学へ行きました。今では、皆と会うことが少なくなりましたが、Facebookではメッセージを交換しています。大学に入ってからは、それぞれが新たな生活を始めています。

留学生仲間とともに東京都の中華料理店で(左端がヨウさん)

■プログラミングの仕事を夢見て

筑波学院大学を選んだのは、プログラミングを学べる環境があったからです。将来はプログラミングに関する仕事をしたいと思っていました。大学があるつくば市の環境も静かで、風景もきれいなのが気に入りました。都内にいるときは騒音がすごくて、いらいらしていました。

大学では最初、初級のウェブサイトの開発について独学で学びました。基礎が重要なので、今はとにかく、ウェブ開発と人工知能について基礎固めに集中しています。

実は、昔からプログラミングを勉強したいと思っていたのですが、一時期、私はプログラミングを勉強することをあきらめていました。子どもの時、出身地の周りの人に影響されたためです。その時の周囲の価値観は一緒でした。子どもが「お金持ちになる夢」を発表すると大人から褒められます。お金持ちとは経営者や医師、公務員などのことを指します。プログラミングの仕事に就く夢に対しては、大人の反応はあまりよくありませんでした。

今は、当時の価値観はおかしかったと感じます。お金持ちになることと職業の選択は矛盾しません。どんな職業でもずっと続けて経験を積んでいけば、自分で会社をつくることもできます。好きな職業を選び、続けた方が、お金持ちになる可能性が高いと思います。

■現実問題を解決できる人間に

お金を稼ぐことだけが人生ではありません。肉親の情、友情、恋、自己価値の実現なども重要だと思います。

今では、子どものころ、プログラミングの勉強をやめたことを後悔しています。人生は一回だけですから、好きなことを出来るだけやるべきです。筑波学院大学への留学は、私にとって本当にいいチャンスでした。

卒業まであと2年です。もっと自分は強くなって、現実の問題を解決できる一人前の人になりたいです。