経営情報学部経営情報学科4年 キンカイ(金海)

私は中国の内モンゴルから参りましたキンカイ(金海)と申します。

内モンゴルは中国の北の方にあります。冬は、平均マイナス15度から20度で、最も寒い時ではマイナス25度にもなります。

日本に留学したきっかけは何でしょうか、と日本人によく聞かれます。多くの留学生は「中国だけでなく世界で活躍したい」とか「日本の文化にふれてみたい」、「多くの人との出会いを求めて」、「ものづくりの技術や日本のおもてなしサービス精神に関心があって」などと様々な理由を答えます。

■「世界を見に行きたい」

私が日本にきた理由はいくつかあります。私は5歳ごろから年に1、2度ですが、両親と弟、親戚たちと中国の国内旅行をしていました。同じ中国でも場所によっては理解できない言葉がいろいろあり、言葉に興味を持つようになりました。小学5年生ごろには、学校の授業で外国の存在に気づき、世界を見に行きたいと思いました。高校から専門学校に進みましたが、留学するにはお金もかかります。実家では羊、ヤギ、馬、牛を飼っていたので、卒業後は家業を手伝いながら、留学のためのお金をためました。

日本への留学を決断したのは2011年8月ごろです。親戚のひとりが日本に留学していて、帰ってくるたびに日本の話をしてくれました。

私の身の回りにあるテレビや冷蔵庫、カメラなど多くの電子製品や自動車はほとんど日本製であることを知らされました。読んでいたアニメや漫画も日本で出版されたものが翻訳されていたことを知り、実際に日本で見てみたいと思うようになりました。日本に行くことは家族や親戚も応援してくれました。

日本に来たのは2012年4月です。あっという間に5年目になりました。最初、成田空港に着いたときは、1人で怖かったです。言葉や生活の不安ばかりでした。日本語が全く話せないので、千葉国際学院(千葉県柏市)の日本語学科で2年間、日本語を勉強しました。寮生活でした。レベルによってクラス分けがあり、20人いた私のクラスは卒業する2年後には8人だけになっていました。

■辛かった大学の授業

筑波学院大学の入学試験の時

3年目に筑波学院大学に入学しました。日本で就職するために大学を卒業すればもらえる「学士」がほしかったからです。入学した時には日本語は少し、話せるようになっていました。聞く力もだいぶついてきました。でも、読み書きや自分の思いを伝えることはまだまだ大変でした。

大学では最初の半年間、とても辛かったです。日本語で行われる授業は難しかったからです。アニメや漫画、テレビなども見て勉強していくうちにだんだん日本語が上達していき、友だちとのコミュニケーションもうまくとれるようになりました。大学では教養など他の科目もあり、慣れるまでに私は時間がかかりましたが、その時できた友だちのおかげで楽しく過ごすことができ、今でも感謝しています。

■専用宿舎があれば…

留学生として生活してきて望むのは留学生専用宿舎です。専用宿舎は筑波学院大学にはありませんが、あれば便利だと思います。

多くの留学生は普通のアパートに住んでいるのですが、日本の不動産会社には外国人にとっては厳しいルールがあります。「日本人の保証人」を求められることと「敷金・礼金」です。不動産会社によっては「外国人お断り」というところもあります。つくばでは私も苦労しました。

来日したばかりの留学生にとっては、まずは留学生専用宿舎に入居できれば便利で、ある程度、日本の生活に慣れた段階でアパートや公営住宅を探して移るのが望ましいと思います。

私はいま、勉強しながらアルバイトもしています。来春には就職する予定です。自立できて、両親の負担を減らすことができるようになり、ようやく成長したと言えると思っています。