【コラム・玉置晋】米国の民間宇宙開発企業Space X社による初の月旅行のチケットを購入したのは、日本人実業家というニュースには驚かされました。地球から出発して月を周回する1週間の旅程とのこと。一緒にアーティストを連れていくそうで、月旅行にインスピレーションを得たアーティストたちが、どのような作品を生み出すのか楽しみですね。

そこで人類の有人月探査の歴史をまとめてみました(参照:ウィキペディア)。

▽1940年代:英国の作家、アーサー・C・クラークが「人類は2000年までに月に到達するだろう」と予言。

▽1959年:ソ連のルナ1号が月の近傍を通過。ルナ2号が月面到達(衝突!)。ルナ3号が月の裏側を撮影。

▽1966年:ルナ9号が月面に軟着陸、ルナ10号が月の周回軌道投入。

▽1968年:米国のアポロ8号が有人で月軌道調査。

▽1969年:米国のアポロ11号が有人で月面着陸。ニール・アームストロング船長の言葉「1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」。

▽1972年:アポロ17号が最後の有人月面探査。

アポロ17号が月面を離床した1972年12月14日が人類の月滞在の最後です。人類はこの後、月周回軌道はおろか、地球磁気圏の内側、高度400㌔の国際宇宙ステーションより遠くには行っていません。現代の大人としては「費用対効果を鑑みると」というもっともらしい理由を語りたくなりますが、未来の歴史家は許してくれないでしょうね。「20世紀末~21世紀初頭の人類は宇宙に対して臆病であった」と。

太陽フレアによる放射線増が恐い 

少し未来のフィクションです。

2040年、上司「君、ちょっと来週、月面のフォン・ブラウン市にあるアナハイム・エレクトロニクス社から新素材のサンプルをもらってきてくれ」。部下「え!月面ですか?まいったなあ、宇宙天気予報によると、太陽黒点が発達中とあるぞ。嫌だなあ」。

なぜ嫌かというと、命がけだからです。月は地球から38万㌔の距離にあります。地球はコアの対流運動のために磁石のように磁場をもっており、放射線に対して相当のバリアを形成してくれています。このバリアの守備範囲は太陽方向にみて7万㌔ぐらいなので、月が地球の日照側にある場合、もし太陽フレアが発生した場合、バリアの恩恵にあずかれません。

遮蔽(しゃへい)がなければ、致死量に達する放射線を浴びる可能性があります。放射線の遮蔽技術が「命がけでない」月旅行の将来を左右するでしょう。一時的な太陽フレアによる放射線増加に対する防護については、薄いアルミニウムシールドである程度イケルという報告もありますので、悲観はしていません。でも、僕は臆病な人間なので、ちょっと様子をみようかな。(宇宙天気防災研究者)