【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのようにつづりたいと思っています。

「まったく暮らす世界が違いましたね。価値観が変わってしまったと言うか」

霞ケ浦のほとりで、レンコンを栽培している浅野廣宗さんは、栽培に携わるようになってからの自分の変化を、驚きだったとしみじみ語った。

土浦市は、全国一のレンコン産地。品質の高さと生産量で、他産地を圧倒している。そんな名産地で、浅野さんは、5年前からレンコン栽培を始めた。

地元に生まれ育ち、東京農大の農学部を出た浅野さんは、飼料会社で畜産コンサルタントなどを長年務め、おもに農業の技術指導に関わって来た。

「ずっと技術畑で生きていたんです。こんな場合は、こう対処するといいとか、こうすればもっといい品質になるとか、理論や原則を大切にする生き方だったんです」

そんな浅野さんは、50代の末、それまでの仕事から農家に戻り、レンコン栽培に転進した。

「農業なら夏は楽だろう、なんて気が、少しはあったんでしょうか。でも、暇そうな時も、草取りなどして働かないと、後でひどい目に遭うんです。実際のハス栽培なんて何も知らなかったから、大変でしたよ。いつ、何をすべきか、何をしていいのか分からない。レンコンの種の植え方のような基本的なことでも分からなかった」

自分が栽培したものは可愛い

だから、周りの農家の人たちに教わりまくったそうだ。

「みんな、よく教えてくれました。でもね、俺はこうして30年も40年もやってきたから、って教えてくださるんですが、そのことがそれぞれちがう。長年の経験に基づいているから、説得力があるんですよ。正しいんですよ。それでも、その教えてくださることが、みなそれぞれ違うんです。ボクも困りました」

すると、浅野さんは言われたそうだ。

「30年、40年やってきたけど、一度として、こうすりゃ間違いなくできるなんてことはなかったよ。毎年、気候も水も、種だって違う。これでいいなんてない。毎年毎回、新しいことをやっているんだよ」と。

浅野さんは、経験の大切さを学んでいった。

こんなこともあった。農家の人たちが、自分の作った作物を自分の子どものようだ、と表現するのを、嘘っぽいと、かつては思っていたそうだが、

「でも、今は、その気持ちがよく分かります。自分が栽培したものは、本当に可愛い。自分の子どもみたいです。人生観が変わったかな」

浅野さんは、傍らのハスの茎をそっと手繰り寄せると、辛そうにした。

「見渡す限り緑の葉だったんです。それが、ちょっと台風の風が吹いただけで、すぐこんなに痛んでしまった。自然を相手にする仕事は、本当に大変ですけど、つねに結果が楽しみなんです」(写真家)