【コラム・坂本栄】不動産業界のレジェンド(伝説的人物)、三谷章さん(大豊商事会長)が6月28日亡くなりました。私はバブルの時代は東京にいましたので、三谷さんの当時の活躍をつぶさには知りません。でも4年前、常陽新聞(2014年2月~17年4月)のインタビューで、彼の痛快な活動を愉快に聞くことができました。今回はそのサマリー(要約)です。

三谷さんには、「キーパーソン」というタイトルのインタビュー企画に6回登場していただきました。最初は1回で済ませるつもりでしたが、話が面白いこともあり、2回、3回と続けているうち、気がついたら6回になっていました。長時間のQ&Aはテープに取ってありますので、いずれ本にまとめようと考えています。

全回共通の副タイトルは「レジェンドが語るバブルの断章」とつけました。主タイトルは、「ゴルフ場所有せず開発のみ」(1)、「神は桃色の超高級車に乗って」(2)、「幻の筑波山麓学者村」(3)、「釧路、仙台、大島、そして京都」(4)、「ダービー出馬、高級シャンパン700本」(5)、「大手銀行から株式上場の誘い」(6)です。

このあと、「徳州会の用地打診」「国税局の執拗な査察」も準備していましたが、三谷さんの体調もあり、掲載には至りませんでした。そして、私の取材意図は一貫して、銀行と不動産会社の関係を明らかにすることでした。

銀行の裏の裏まで知り尽くした男

インタビューの中で三谷さんは、銀行がゴルフ場開発案件を大豊に大量に持ち込み、開発資金をドンドン融資したと証言しています。銀行は開発(不動産会社の仕事)だけでなく、ゴルフ場を保有経営したらどうかとも提案してきたが、断ったそうです。ゴルフバブルの真っ最中、これは続くはずがないとクールな判断が働いたと。

バブルが崩壊すると、全国の不動産会社は所有不動産価値を上回る銀行借り入れを抱え、経営破綻の危機に直面します。でも大豊は倒産しませんでした。このカラクリを明らかにすることも私のテーマでした。

その辺の事情について、三谷さんは「結局、(銀行は)破綻処理でなく、この部分はどこ(A社)、あの部分はどこ(B社)といった具合に(価値が大幅下落した)保有不動産をさばいてくれた。銀行も随分儲けさせてやったし、いろいろ助けてやったのだから当然ではないか」と、ニヤリ。

どうやら銀行は、銀行のバブルビジネスの裏の裏まで知り尽くした三谷さんが恐くて、大豊を破綻に追い込むことができなかったようです。バブルの梟雄(きょうゆう)の逝去に合掌。(経済ジャーナリスト)

三谷章さんインタビュー(1)=2014年9月25日付け常陽新聞
三谷章さんインタビュー(6)=2015年1月6日付け、同