【コラム・浅井和幸】優しく接するのが良いですか? それとも厳しくしたら良いですか?こういった質問を、たびたび受けます。

周りの訳知り顔の家族や友人、支援者が「優しくしなさい」「厳しくしなさい」「甘やかし過ぎなんだよ」「厳し過ぎるんだよ」と、あれこれ、ありがたいアドバイスをするのでしょう。あるいは立派な本を読んだのかもしれません。聞き続けて、読み続けて、疲れてしまうのでしょうね。

私はこの質問に、どのように応えるでしょうか? この2つの選択肢しかないのであれば、私は無言となります。自由に答えられるのであれば、一言「適切に接するのが良いです」と答えます。もう一言使えるとしたら「目的に対して」を頭に付けます。

言葉にすれば当たり前なのですが、一般的には、この「適切に」が抜け落ちていることが多いです。優しくか、厳しくかの二者択一しか考えられないで苦しんでいる方は、むしろ多数派なのかもしれませんね。

目的に対して、適切に

完璧な適切というもの、理想的なものは幻想にしかすぎないので、試行錯誤、創意工夫をしなければいけません。

そのためには、一つのアクションを起こしたら、相手や環境がどのように変化したか、反応したかをつぶさに見る必要があるでしょう。相手がどのように感じたか、何を伝えたいかをおろそかにして、自分が良い行動、あるいは悪いと責められない方法を取ろうとしてしまいがちなのです。

優しい言葉が良い、厳しくするのが良い、ゆっくりが良い、笑顔が良い、謙虚が良い、丁寧が良い、と言われますが、絶対に良いという対応法は存在するものでしょうか。

気を遣うことで、余計に相手を緊張させることがあります。優しく相手の作業を手伝うことで、相手の能力を奪うこともあります。「目的に対して、適切に接することが出来るように、試行錯誤と創意工夫を繰り返すこと」が大切です。

そのためには、自分がどうするかと同じぐらい、相手がどのように感じているのかにも気を向けることが必要なのです。(精神保健福祉士)