【コラム・奧井登美子】年をとるとどういうわけか、嫌いなものへのこだわりが極端に強くなってくる。亭主は昔からクーラーが大嫌い。「自然を守る会で偉そうなことばかり言っているくせに、クーラーを使うとは何事だ」。クーラーを使うと機嫌が悪い。

クーラーなしで夏を乗り切るには、それなりの工夫がいる。3階建て木造の家全体をツタで覆う計画は、完成するのに何年もかかった。でもツタのおかげで、扇風機だけで熱中症にもならないで生きている。

生ゴミは一度も捨てたことがない。風の通り道に木を植え、落ち葉と生ゴミで堆肥を作り、ささやかな家庭菜園を楽しんでいる。家庭内エコの試みも、今年みたいに地球全体の気温が不安定だと、健康を保持するのに命がけの覚悟がいる。

干し柿の「市田柿」は、ブドウ糖が薄く均一に表面に分配されていて、なんともいえない上品な甘さにうっとりする。私が小学生で疎開した村のお隣りが市田村だった。冬の寒さは厳しかった。

リンゴでも柿でも何でもカチカチに凍ってしまう。冬、トイレには野球のバットみたいな棒が置いてあった。「うんこ棒」というこの棒で自分の排泄物をたたいておかないと、凍ったうんこが塔のようになって、次ぎに入った人のお尻に刺さってしまうからだ。

食べること、排泄することは、人間の生きていく基本だ。今はほとんどのトイレでお尻まで洗ってきれいにしてくれる。どれだけのエネルギーが要るのだろう。こんなぜいたくがいつまで続くのだろうか。

「地球さんありがとう、こめんね」。誰にお礼を言っていいかわからないので、私は地球につぶやく。(随筆家)