【コラム・坂本栄】前回はTXつくば駅周辺の駐車場問題を取り上げました。その中で、土浦市街の高架道の下を駐車場にしたらどうかとも提案しましたが、舌足らずだったと思います。今回はこの話をフォローします。

15年前、土浦に戻ったときにショックを受けたのは、市街を貫くように造られた高架道で街が覆われていたことです。道の上に屋根が付いているようで、鬱陶(うっとう)しく感じました。これが商都土浦の地盤沈下の一因ではないかと思ったものです。

言うまでもなく、高架道はつくば科学万博(1985年)会場と土浦駅東口(霞ケ浦側)を結ぶために設けられたものです。来場客をピストン輸送するには、西口(市街地側)スペースは狭すぎると市が判断したのでしょう。科学博への市民の高揚感が箱根宏市長(当時)の決断を支持したのだと思います。

箱根さんは霞ケ浦総合公園を造成した市長でもあります。田中角栄タイプの公共事業が好きな政治家だったようです。でも湖畔の広々とした公園は素晴らしい施設であり(私は毎朝柴犬と1時間弱散歩)、ダイナミックな発想をした箱根さんに感謝しています。

壊して青空駐車場に

話を元に戻します。高架道は科学万博には必要だったかも知れませんが、中長期的には土浦の街を壊してしまったような気がします。高架道の屋根が街を暗く窮屈にしてしまったからです。これで生じる鬱の気分は商業市にはマイナスです。

前回のコラムで触れましたように、私は土浦市街活性化策として①市街地は前車社会(江戸・明治・大正)の構造になっており、平成の商都の要件を満たしていない②対策の一つとして、高架道の下を駐車スペースにしたらどうか―と提案したことがあります。

このときは「高架道を壊せ」とは言っていません。そこまで言うと、真面目な会合の雰囲気を壊してしまうと思ったからです。でも腹の中では、「高架道を壊し、そのゾーンを青空駐車場とか広場にしたらどうか」と言いたくてウズウズしていました。

今、この高架道の機能は、土浦駅東口→跨線橋→マロウド筑波→土浦警察署経由で学園線につながる新道路によって代替できるようになりました。秋の花火大会のとき、来客を桟敷席へ運ぶのには便利かも知れませんが、高架道そのものの役割は低下しました。ある時にフィットしていたことが、時を経て変わることがあります。都市構造もそうではないでしょうか。(経済ジャーナリスト)