《くずかごの唄》13 薬研(やげん)と薬缶(やかん)


【コラム・奧井登美子】「今年も亀の市をやりますので、何か、お宝を展示してください」。旧水戸街道の中城町。今は淋しくなってしまったが、昔はこのあたりで一番にぎわったという街。お祭りが、観光ボランティアの人たちの熱意で続けられている。亀の市の日、奥井薬局では薬研(やげん)を使って漢方薬作りをやってもらうことにした。

徳川光圀は薬研を使って自分で薬を作ったそうである。主治医が何人もいるのに、その人たちよりも医療や薬に詳しく、平均寿命が30歳ぐらいの江戸時代に、75歳までぼけることなく長寿を全うした。健康医療人としても、現代の日野原重明先生並みのすごい人だったのである。

昔、「薬研堀 名代 七色とうがらし」と、大きな声で唐辛子を売り歩いていた人がいた。台東区柳橋の近くに薬研堀という堀があって、唐辛子屋さんがひしめいていた。薬研は、植物や動物の原料をつぶすのになくてはならない器具だったのである。

薬研でつぶした薬用植物を何種類か組み合わせて、天秤を使って正確に測る。それを煎じ、薬専用の大きな鉄の薬缶(やかん)に入れて、水を入れ、加熱して成分を抽出し、煎じ薬が出来上がる。それをお茶のように茶碗に注いで飲むのが漢方薬である。

亀の市の日、何人かの人が来てくれた。私が煎じ薬を飲むのを見て、「えっ、まるでお茶みたいにして、薬を飲むのですか」。皆、怪訝(けげん)な顔をする。今の人たちは漢方薬でさえも粉のまま飲むものと思い込んでいる。

「そうよ、インスタントコーヒーを粉のまま飲む人いないでしょう。こうやって飲んでみると、自分の身体に合う薬か、そうでない薬かどうか、味や臭いで、とてもよくわかるわよ」

私は漢方薬を飲むとき、必ずお湯に溶かして、舌の上で、匂いや植物成分の味を確かめながら、感謝の気持と、薬の歴史を舌で確かめながら、ゆっくり飲む。

江戸から明治にかけて、ウイルスの存在を知らなかった先祖たちは、疫痢、赤痢、はしか、天然痘、流行性風邪など、死亡率の高い様々な疾患を漢方薬だけで乗り越え、子孫を残してきたのである。先祖からもらった遺伝子の中に、漢方薬の苦味のあるやさしさに反応する何かが入っているに違いないと思う。(随筆家)