【コラム・浅井和幸】空気が「読める」と「読めない」の2つしか選択肢がないのであれば、空気を読めた方がよいと私は断言できます。もちろん、先入観を持って場を見てしまうというデメリットはありますが、メリットの方が断然多いからです。

そんなに人に気遣って、人の言う通りに行動しなければいけないのは、バカげているという反論をしたくなりますよね。あるテレビのコメンテーターは「空気なんか読まない方がよい」と言っていました。人は自分の気持ちを優先し自由に生きた方がよいから、と言うのが理由のようです。

この反論は、私の「空気を読む」という言葉に対する解釈とは全く違っています。私も空気を読むことが、「他人の言いなりにならなければいけない」という意味であれば、空気を読めなくてもよいと答えるでしょう。

空気を読むことの意味として、私は、その場や人の雰囲気や気持ちや考えを推測することと考えます。ですが、一般的に空気を読むとは、次の3つの要素すべてを満たすことを意味するようです。

1.その場の大多数や力の強い人の気持ちを察し

2.自分の考えを抑え込み

3.その場の言いなりに動く

その場の雰囲気を加味して、自分が持っていきたい方向に働きかける方が成功率は上がるものなので、空気が読めると成功率が上がるというのが私の意見です。ここまで述べたことで、空気を読むのと読まないのと、どちらがよいかをあなた自身が選択すればよいでしょう。

話は変わって、「期待してはいけない」という教えが、福祉や教育現場、家族会などで聞かれます。私の解釈は、人間が動く原動力になるものは期待であり、期待がなくなれば動けなくなるというものです。だから、期待はしなければいけないものと考えます。

ですが、一般的には、期待以上にならなかった時に、落ち込んだり責めたりしてしまうと考えられています。だから、期待はしてはいけないという教えに繋がります。

この一般的な考え方は、「期待すること」を、「期待する」と「期待通りでなければいけない」という2つを混ぜて考えていると、私は見ます。なので、期待することがいけないことではなく、期待通りに行かない時に責めてしまうことがいけないことであると考えます。

なので、動くためには期待することが大切で、期待値まで達しないとしても責めるのではなく、出来たことを喜ぶことが大切であるということなのです。

次回のテストは、80点取れることを期待しているとします。ですが、結果は50点だったとしても、その50点を喜び、出来なかったところを反省することで、より次のテストにプラスにすることが出来るのです。勉強机にも向かいやすいでしょう。

それを、最初からテストの点数には期待をしないということであれば、勉強をすること自体がバカバカしくなって、50点を取ることすらできないでしょう。

もちろん、期待することに凝り固まり過ぎている時は、「期待はしないよ」と言い聞かせることで、適度な期待感にバランスをとれるということはあります。物事がうまくいかない時は、考え直してみてください。(精神保健福祉士)