【コラム・平野国美】前回「神社仏閣の逆襲」(11月14日掲載)では、最近の神主さんの横顔を書きました。前職がIT系の神主さんは、神社のホームページ(HP)をしっかり作っている、と。当然の流れなのか?その後、近隣の神社でもHPを用意し、フェイスブックやインスタグラムにも参入してきました。

そうなると、神社に参拝しなくても、どんな行事が催されるか、意識するようになるものです。当然、お祭りの日も把握できます。そのうち、スマホを介して祈祷(きとう)する時代も来るでしょう。それどころか、デジタル賽銭(さいせん)箱も登場するでしょう。本来なら現地に行き、参拝することが望ましいのでしょうが、高齢化やコロナ禍では、ネットを介した祈祷(きとう)もありうるでしょう。

コロナ前、年数回、神社参拝に行きましたが、ほかの理由でも出かけていました。骨董(こっとう)市や手作り市が境内で行われていたからです。手作り市は、革物、紙物、布物、金属、パン、コーヒーなどを、作り手(作家さんと呼ばれます)から直接購入する場です。東京の雑司が谷鬼子母神や京都の下鴨神社にはよく足を運んでいました。

小説によく出てくる奈良の茶粥(ちゃがゆ)も、一度食べてみたいと思いながら、初めて食したのは、日曜の朝、奈良県橿原市今井町のお寺の前で、無料でふるまわれているのを見て列に並びました。このように、神社仏閣は写経や座禅だけでなく、色々な体験をする開かれた場所になっています。

「これはいいな。うちも考えなくては」

私は最近、この歳になって始めて、神社の御朱印を拝受しました。筆で書かれているのを眺めていたことはあるのですが、欲しいとは思わなかったのです。故郷の龍ケ崎市に戻ったとき、八坂神社で一枚の御朱印を目にしたのです。和紙に筆で書かれたものでなく、透明な薄いプラスチックにカラー印刷されたものでした。

こんな物もあるのかと、社務所で購入を希望すると、祇園祭限定のものだそうで、祭りの日に再訪して拝受しました。すると、別の図案の御朱印が目に入り、それも購入を希望すると、これは8月限定なのだそうで、再訪したのでした。この町にルーツを持つ私が、以前書いたことがある「関係人口」に片足を入れた瞬間でした。

その後、知り合いの住職にこの御朱印をお見せすると、「これはいいな。うちも考えなくてはならないな」と笑っていました。最近、御朱印はメルカリなどに出品されて問題になっていますが、私のような者も現れるし、収集が目的でこの地を訪れる人も増えるでしょう。友人が集めているマンホールカードも、似たようなものでしょうか。(訪問診療医師)