【コラム・田口哲郎】

前略

ラグビーワールドカップフランス大会で熱戦が繰り広げられていますね。日本男子代表チームの特番を見ていました。2015年9月19日、対南アフリカ戦で日本は勝利し、話題となりました。その模様を追ったドキュメンタリーです。日本チームは強豪相手にあらゆるトレーニングを積み、戦略を駆使して、勝利を目指していました。

こう書くと当たり前に見えるのですが、よく考えると、スポーツに対する姿勢が見えてきます。スポーツは心身の健康のために楽しんで行うものだ、という考え方があり、その中でうまかったり、強かったりする人たちが、国の代表やプロ選手として活躍するのだという意識があります。そこには勝つことへのこだわりはあまり感じられません。

オリンピックも、参加することに意義があると言われ、勝利へのこだわりは覆い隠されています。しかし、ラグビーの代表チームは勝利への執念というものがすごかったです。それはラグビーのみならず、最近のスポーツ、とくに代表チームに課せられる義務のようなものになっているのかもしれません。

スポーツは「戦い」

さて、南アフリカ戦に勝利した後、南アフリカ代表の人たちは、日本チームに対して、とてもやさしく、さっぱりと接したそうです。まさにノーサイド、敵味方はなくなり、たがいを尊重する精神です。そこに、逆に、スポーツの「戦い」としての厳しさがあるのではないかと感じました。スポーツとはいえあくまで「戦い」として、「勝利」にこだわり、そしてそのために力をつくす。これがすべてで、「戦い」が終われば、日常としての人間の平和な気持ちを取り戻す。

日本人は、何ごとも美しくつくり上げようとします。ラグビーでも何でも技を極め、整ったフォーメーションでトライを取りにゆくといったように。でも、「戦い」は「戦い」なので、勝てばよい。なぜなら、試合は「戦い」だからです。

簡単な考え方をすれば、なぜスポーツをするのか、国の代表として戦うのはなぜか、という意味もわかってきて、スポーツマンシップというもののさわやかさも見えてくる気がします。勝ちにこだわるけれども、人間的にすばらしいことは両立でき、それを人類は「戦士」と呼んできたのかもしれません。

何はともあれ、日本代表の勝利を祈りたいと思います。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)