【コラム・川端舞】今月末、親戚の結婚式に参列するため、故郷の群馬に帰省する。式に着ていく服を探すため、介助者と一緒にショッピングモールに行った。介助者に手伝ってもらい、いくつかドレスを試着し、気に入ったものをレンタルする。店員とのやりとりも、契約書類への記入も介助者に手伝ってもらった。

帰り道に駅に寄り、群馬までの新幹線の切符を購入。結婚式当日は、別の介助者と一緒に群馬に行き、一泊して帰ってくる予定だ。

帰省する準備をしながら、ふと考える。今の私が、自分らしい生活ができているのはなぜか。公的な介助制度も、バリアフリーな駅もほとんどなかった時代から、自分で介助者を集めて一人暮らしをし、体を張って、公共交通機関のバリアフリーを求めた障害者たちがいたからだ。

彼らが闘ってこなかったら、私は介助者と一緒に、ショッピングモールに行くことも、群馬に帰省することもできなかっただろう。それをありがたいと感じる一方、重度障害者が支援を受けながら、一人暮らしをしたり、外出することは、もっと当たり前のこととして認識される必要があるとも思う。

障害者たちが必死に闘って求めてきたものは、特別なものではなく、本来なら最初から持っているべき人間としての当たり前の権利なのだ。

心待ちにしているもう一つの結婚式

今の社会で、重度障害者が一人暮らしをすることが当たり前だとは見なされていないように、どんなに愛し合っても、家族になることを権利として認められていない人たちがいる。

友人とパートナーはもう何年も一緒に暮らし、本来ならいつ結婚してもおかしくない。しかし、2人は戸籍上の性別が同じであるため、今の法律では婚姻届を出せない。

法律が変わり、婚姻届を提出できたら、挙式するそうだ。式の招待状が来るのを、私は心待ちにしている。一方で、そもそも、戸籍上、異性同士の2人なら、互いの同意のもと婚姻届を提出すれば家族になれるのに、なぜ同性同士だと、その権利が認められないのか。

2人が無事に婚姻届を提出できた日、おそらく私は心の底から2人を祝福するだろう。ただ、それは決して特別なことではなく、人間として当たり前の権利が認められただけであることを覚えておかないとならない。

「他の人と同じ権利を行使するのが、なぜこんなにも大変なのだろうか」。そんなことを考えながら、群馬に帰省する。(障害当事者)