【コラム・浅井和幸】今ではどうか知りませんが、私が若いころの野球事情は、味方の応援と相手チームへの野次(やじ)が半分半分だったと記憶しています。味方がボールを見逃したら「大丈夫、次の球打ってこー」と大声を出し、相手チームがボールを見逃したら「バッター、ビビってるよー」と声を張り上げるのです。

味方を盛り上げ、相手をこき下ろす。なんともはや、これが世間一般で思われている「爽やかな少年たちの野球」で、大人たちはこのように指導していたのです。まぁ、自分の力を発揮して、相手の弱点を突くというのが対戦スポーツの醍醐味(だいごみ)で、それをルールの中で行っているから素晴らしいのかもしれませんが…。

この、言葉で相手を攻撃して相手の力を発揮させない、ネガティブな刺激によりネガティブな結果を生み出すということはそれなりに効果があり、勝負事ではまあまあ力を発揮します。

ネガティブな自己暗示

さて、そのネガティブな気持ちや言葉を自分に向け続けたらどうなるでしょうか。「俺はダメな人間だ」「世界中の人が自分を悪く言っている」「もっとちゃんとしないといけない」「自分は恥ずかしい生活を送っている」などなど。

野球の試合であれば、その口汚いチームと対戦している時間以外は、野次は飛んできません。しかし、自分が自分であるのは24時間365日です。自分が自分に向かって野次を飛ばし続ける。それはとてつもないプレッシャーで、手も足も縮こまり、人の目も見られなくなり、笑顔もなくなり、身動きできなくなるのも当然です。ネガティブな自己暗示、悪い過去や未来のイメージトレーニングを続けているのですから。

習慣化した自分への野次、家族への野次、自分の所属するコミュニティへの野次…。何を目的として、そのネガティブな野次、口汚いこき下ろしをしているのか、もう一度考え直してみてください。

事実ではない(たとえ事実の部分があっても)目的を失って辛くなりすぎることに、苦行以外の何も得られないことでしょう。うまくことが進んでいないときは、もう少しだけ自分や自分に相対するもの、自分が属する何かへの野次は控えることをお勧めします。(精神保健福祉士)