【コラム・坂本栄】今年は明治維新から150年。私が卒業した高校は昨年創立120周年の式典を行った。こういった区切りに比べるとつまらないタームだが、在住40年の東京から茨城に戻って15年。生まれ育った土浦に戻るとき、10~20年あるいは30年かけて、2つのことを何とか実現できないかと考えていた。

ひとつは、汚いことで有名になった霞ケ浦の水をきれいにすること。その活動の一環は本コラム《泳げる霞ケ浦へ》欄でも報告されているが、私はある意味「根治」が必要ではないかと思っていた。霞ケ浦と太平洋を水門で遮断することを止め、湖海一体化した自然体系に戻せば、海の浄化力で湖はかっての姿を取り戻すと。

この点については、本コラム《吾妻カガミ》 20の「霞ケ浦を一大リゾート地に」の中で論点(私の考えとそれに対する反論)を整理しておいた。ご関心がある方は保存記事をクリックしていただきたい。

もうひとつは、県南の土浦市とつくば市の合併。2003年に地域紙社長として戻ったあと、両市長へのインタビューの際には、合併について前向きなコメントを引き出すよう工夫した。「平成の大合併」とは関係なく、機運を盛り上げたいと思ったからだ。

土浦との合併は不調に

江戸・昭和の香り(土浦)と平成の香り(つくば)、旧い街(土浦・つくば周辺部)と新しい街(つくば中心部)、湖水(霞ケ浦)と山並み(筑波山)、娯楽(土浦)と学園(つくば)、高レベルの大学(筑波大)と高校(土浦一高)、鉄道(常磐線・TX)と高速(常磐道)―これらをくくれれば広域首都圏の県南中核市として申し分ない。

その機運は13~14年に盛り上がった。つくば市長3期目の市原健一さんが土浦市長3期目の中川清さんに予備的会合を提案、勉強会の形で協議することになったからだ。企業の合併もそうだが、この種の案件は組織トップの意欲と判断によって決まる。両市長とも行政的にも政治的にも円熟する3期目。これは行けると思った。

しかし、予備協議は不調に終わる。最大の要因はつくばの市民が意外と冷めていたからだ。14年秋に実施された市民アンケートでは、合併に賛成15%、反対55%という数字だった。これには言い出しっぺの市原さんもがっかりしたようで、「市民は現状に不満がないようだ」と総括した。

昔、県南の中心だった土浦の市民は現状に危機感を抱き、今、学園都市として成長しているつくばの市民は現状に満足している。市民調査を総括するとこういうことだろう。つくば市民は現状維持に傾いている。流行の表現を使えば「つくばファースト」か。変化を拒み守りに入ると組織も地域も停滞する。(経済ジャーナリスト)