【コラム・斉藤裕之】弟の家は山口県の山の中にある。3月の半ば、ここに来てから薪(まき)ストーブのある山小屋風の母屋はとても暖かく、麓より少し遅い春も快適に過ごせている。今日は午後から雨の予報が出ていて、弟の嫁のユキちゃんは地域の奥様方と予定していたベーコンとハムの薫製作りを延期した。そこで、宇部という街にユキちゃんと出掛けることにした。大学の後輩がグループ展をしているというのをたまたまSNSで見かけたのだ。

着いたところは元病院だったという建物。いつもは絵を描いている後輩の作品はインスタレーション(場所や空間全体を作品として体験させる芸術)によるものだった。階段を上っていくと、3階はGLYCINES(グリシーヌ)」というギャラリースペース。

実は本当に偶然なのだが、つい2週間ほど前まで、この場所でユキちゃんの長女、つまり姪(めい)のナオちゃんが展覧会をしていたのだ。ナオちゃんはカナダに住んでいて、この冬の数カ月間を山口で過ごすため帰国していた。随分前からイラストを描いていたのは知っていたが、今回は日本で知り合いになった写真家の女性に誘われて、急きょここGLYINESで二人展をすることになったそうだ。

ナオちゃんはボールペンで絵を描く。その緻密なイラストは、友人の書いた「ごちそうの山」という昨年出版された本の表紙にもなっている(広島の山奥でマタギとして生活する若い女性のエキセントリックな日常を描いたこの本はお勧め)。

藤の花のような文化の拠点

ちょうど昼時になったので、併設のカフェでカレーをいただきながら、オーナーの涼子さんにユキちゃんはお礼方々、私達が今日ここにきた経緯など話しているうちに、涼子さんと私は同時期にパリにいたことが分かってきた。

例えば、涼子さんが大変お世話になったというある高名な絵描きさん。その方は芸大ラグビー部の大先輩で、私もパリのご自宅でご馳走(ちそう)になったことを思い出して…。縁は異なもの、先ほど1階で見てきた作品の作者も実はラグビー部の後輩でもあるのだ。

涼子さんは3年前に東京からこの街に帰られて、ご実家である病院を文化の拠点とするべく、頑張っておられるという。GLYCINESとはフランス語で「藤」という意味で、かつてここの地名に藤という字が使われていたことに因(ちな)んだそうだ。3階にオープンしたギャラリー、2階の元病室はシェアハウスに、1階にはレコード店が入り、そして間もなくカフェもオープンの予定だという。

なるほど。上から下へと咲いていく藤の花のように、建物の上から下へ涼子さんの思いも開花しているかのようだ。

すると、そこに女性が1人現れた。涼子さんの友人で、2階のシェアハウスに滞在中のジェニーさん。職業は占い師。「どちらからですか?」と聞かれたので、「牛久です」と答えたら、なんと以前、阿見町の会社に勤務されていたという。今日の偶然ともいえる出会いをしきりに不思議がるユキちゃんに、ジェニーさんは「宇部は宇宙の部屋ですから」と、さらりと答えた。

帰り道、山あいにコブシだけが白く咲いていた。結局、雨は降らなかった。(画家)