【コラム・先﨑千尋】昨年、わが国の有機農業運動をけん引してきた2人が相次いで亡くなった。鹿児島市の大和田世志人さん(73)と埼玉県小川町の金子美登さん(74)だ。その2人を偲(しの)び、有機農業の未来に向けて語る会が去る3月30日、東京・永田町の憲政記念館で開かれ、有機農業の生産者や消費者、国会議員など2人と親交のあった約150人が参加し、2人の人柄や功績などを語り合った。主催したのは、2人が理事長を務めた全国有機農業推進協議会(全有協)。

大和田さんは鹿児島県生まれ。学生時代に水俣病患者の支援活動で熊本県水俣市に行き、「水俣の闘いは人間の生き方を問うている」と考え、そこで出会った岩手県陸前高田市出身の明江さんと鹿児島県で有機農業運動を始め、1978年に鹿児島県有機農業研究会を立ち上げ、84年には有機農家を束ねた有機生産者組合を結成し、消費者との提携を広めていった。

現在は160人の生産者が参加し、約100品目の野菜と20品目の果実、有機米、雑穀、茶などを出荷している。店舗は鹿児島市内に3店舗、レストランもあり、直営農場も運営し、年間の販売高は8億円を超えている。

金子さんは、1971年に農林省の農業者大学校第1期生として卒業し、就農。学生時代に北海道酪農の父・黒沢酉蔵の「土地からとったものは土地に戻す」という還元農法に魅(ひ)かれ、有吉佐和子さんや一楽照雄さんらと交流し、食を通して日本の未来に貢献したいと考え、有機農業に取り組んだ。金子さんは、自分の経営だけでなく、集落全体に広げ、地場の豆腐店や酒造会社などとも提携し、地域循環型農業を確立、後継者の育成も図ってきた。

今後10年が日本農業再生の好機

集会では、呼び掛け人の1人である篠原孝衆議院議員が「金子さんの人生は、日本の有機農業の歴史そのものだ。国会にもファンがいっぱいいた。さまざまな苦労があったが、埼玉で地道に取り組んでこられ、ようやく国も意欲的な目標を立てるまでに至った」と話した。

また、呼び掛け人代表の枝元真徹前農水事務次官は「大和田さんの故郷、鹿児島県の先輩後輩の仲。彼から人としての生き方を学んだ。有機農業が人類の本来の営みであるという信念を貫き、仲間のために昼夜を問わず働いていた。2人の遺志を受け継ぎ、有機農業の未来を語る場にしたい」とあいさつした。

さらに、全有協の下山久信理事長は「有機農業推進法制定の時は2人と共に農水大臣室に通った。法律が出来てから16年たつが、有機農業は思ったほど拡大していない。しかし、みどりの食料システム戦略が国の政策となり、これからの10年が日本農業再生のチャンスとなる」と述べた。その後、2人と親交のあった国会議員や生産者や消費者、農水省関係者ら約30人が2人の思い出を語った。

集会は約3時間半。思い出話だけでなく、これからのわが国の農業のあり方や有機農業運動の取り組み方など幅広い問題提起もなされ、「有機農業の未来に向けて語る」というテーマにふさわしい集まりだった。有機農業の拡大のためには、先駆者のノウハウを踏まえ、担い手の育成、技術の継承、販路の確保などの課題を乗り越えていく必要があると考えた。

話を聞いていて、私は中国の文学者魯迅の「もともと地上に道はない。人の歩く所が道になるのだ」という言葉を思い出した。(元瓜連町長)