【コラム・先﨑千尋】私たち人間には、体験しないとあるいはその身になってみないとわからないことがある。水俣病患者の苦しみと差別。東京電力福島第1原発事故による避難者たち。部落問題。「従軍慰安婦」。冤罪事件の被告。数えればきりがない。私は先月、沖縄県の米軍嘉手納基地で、その場にいなければわからない経験をしてきた。

耳をつんざくすさまじい轟音(ごうおん)。音量は100デシベル以上あるのではないか。それがひっきりなしに飛び立つ。基地のすぐ前の道の駅「かでな」でのこと。爆撃機の名前はF-15Cイーグル機。短ければ30秒くらいの間隔で目の前を飛び立っていく。

現在、嘉手納基地には4000mの滑走路が2本あり、隣接して弾薬庫がある。嘉手納町の83%が基地。残りのわずかな土地に1万4000人がひしめきあうようにして住んでいる。嘉手納は基地の島沖縄の縮図だ。朝鮮戦争やベトナム戦争の時には、この嘉手納基地がフルに活用され、多くの人の命を奪った。実際には核攻撃はなかったが、その基地とされた。

復帰前の沖縄には、米軍の核兵器1300発が嘉手納弾薬庫などに貯蔵されていたと伝えられている。米軍は現在、核兵器の存在については、否定も肯定もしない原則を盾に公式認定をしていない。現地の人は、核兵器はあると言っている。

日本全体の面積のうち沖縄はわずか0.6%しかないのに、在日米軍基地のおよそ74%が沖縄に集中している。それ自体が問題だが、そのすべてが沖縄戦でアメリカが日本から強奪したものだということを忘れてはならない。そして米軍機の事故やトラブル、海兵隊員らによる暴行事件は今なお後を絶たず、沖縄の人たちを苦しめている。その根源は、憲法、司法を超えた日米地位協定。その改定が沖縄問題の最大の課題だと考えている。

今回の沖縄行きの目的のもう一つは、辺野古新基地建設現場をわが目で見ることだった。那覇から辺野古まで車で1時間ちょっと。高速道路は米軍基地の中を縫うようにして走っている。基地の中に沖縄があることを実感した。

日米間で辺野古の海にV字型の滑走路を作ることを決めたのが2011年。世界一危ない普天間基地を名護市辺野古に移設するというものだ。ここはキャンプ・シュワブという基地と弾薬庫があり、核疑惑が持たれている。

私が辺野古で見たのは、建設予定地の海岸と、国道沿いにある工事用ゲートと反対派の座り込みテント。昨年秋から護岸工事と石材の投下作業が行われているそうだが、近づけないので、その様子は見られなかった。ジュゴンがすむというきれいな透き通る海。波は静かだった。

2月4日の名護市長選挙で建設反対を主張してきた稲嶺進さんが自民・公明両党が推薦した渡具知武豊さんに敗れた。「安倍官邸と自民が沖縄に襲いかかる」と言われるようなすさまじい選挙だったようだ。その経緯を詳しく書けないが、選挙を含めて辺野古の問題は、憲法を無視し、アメリカにおもねり、平和主義を捨て、強権を振りかざし、地方自治を踏みにじるという安倍政権の本質を示していると思う。(元瓜連町長)