【コラム・室生勝】冬になると思い出すのは故郷北陸の雪である。終戦間もない小学6年生の頃、雪が降りしきる夜、大人4人が綱で引っ張る患家の馬ソリに父が毛布にくるまって乗り、往診に出かけたのを鮮明に覚えている。三八豪雪(昭和38年1月)以来、市町村は強力な除雪車で除雪し、ここ20年、往診はスタッドレスタイヤの乗用車で可能になったようだ。

それに比べれば、雪が無いつくばの冬の往診は楽なものだと開業医時代に思った。1990年代に訪問診療していた患者さんは月間平均20数人で、30数人に達したこともあった。木曜日の外来診療を休み、木曜日終日と土曜日午後を訪問診療に当てた。

1990年代半ばから、「つくば医療福祉事例検討会」を共に始めた医師と連携し、重症化しやすい在宅患者さんにグループで緊急対応する体制をつくった。これによって、学会や夏季休暇を利用した隔年の海外旅行にも出かけられるようになった。当時、つくば市医師会で私たちのように連携していたグループが2、3あったように思う。

2000年に発足した介護保険制度で、訪問看護ステーションを利用できるようになり、在宅医療の負担は明らかに減った。連携医師関係も、訪問看護師という協力者を得てやりやすくなった。重症化しやすい患者さんには、24時間対応の訪問看護ステーションを利用してもらった。医師だけでなく、訪問看護師も24時間対応を保証し、患者さんや家族に大きな安心感を与えた。

患者さんに安心感を与えたものに、携帯電話の利用と電話訪問もあった。私は1999年にポケベルを携帯電話に替え、在宅医療を提供している患者さん宅の電話番号をメモリーし、患者さんには私の携帯番号を知らせた。重症化の兆しがある患者さんには、1日おきに電話をかけた。家族に心配なことはないか、症状に変化はないか、往診しなくてもいいかなどを訊いた。

患者さんや家族はかかりつけ医が持ち歩く携帯にいつでも電話できるし、かかりつけ医からは家族に電話がかかってくる。このシステムについて感想を聞いたところ、かかりつけ医がいつも自分たちのことを気にかけてくれているんだと、毎日の緊張感が薄らぎ、介護の辛さが和らいだと評価してくれた。

携帯に患者宅の電話番号を入れるとき、「お宅の電話を何番目にメモリーしました」と必ず伝えた。このことが、私が「自分たちだけのかかりつけ医」でなく「多くの患者さんのかかりつけ医」であることを患者さんや家族に意識させたのか、むやみに電話をかけて来なかった。

患者さんと家族介護者の健康に配慮したトータルケアは、介護者の介護ストレスを減らし、患者家族関係を良好な状態に保ち、在宅医療を続けやすくなり、自宅で看取ることにつながっていたように思う。(高齢者サロン主宰)