【コラム・山口 絹記】昨年末からこっち、かなりの回数、みかんの大袋買ったはずなのだけど、私は全然食べていない。みかんたちは一体どこいったのか?

大袋といったら、12コくらいは入っているわけだ。うちは4人家族だから…7才娘と1才息子と妻と私だからね。単純に分けたら、ひとり3コ食べられる計算になる。1歳児とオトナが同じ量食べるのか、というとそれも違う気がするのだけど、今は深く考えない。いずれにせよ、一つも食べられないなら考えても仕方ない。

それでも、おかしいなぁ、なんかヘンだなぁと思ってはいて、何度か家族にみかんの行方を聞いたのだけど、毎回、「そうなの?」みたいな顔をしてごまかされていた。不穏である。

そしてつい最近、「お子さんが下痢してるのでお迎えに来てほしい」と保育園に呼び出され、早退して迎えに行ったときのことだ。お腹にくる風邪が流行しているっていうし、心配していたのだけど、帰ってきて便の状態を見て私は確信した。おまえさん、コレみかんの食べ過ぎだろう? 便というよりみかんだぞコレ。

私は、まだたいして話せない1歳児を問い詰めた。「パパだってみかんは食べたいのだ」と。「おまえさん、一体いくつみかん食べたんだ」と。「実はみんな、パパにナイショでみかん食べてるだろう」と。その時はしらを切っていた1歳児だったが、その日の夜、私が自室でひとり作業をしていると、静かに部屋に入ってきて、無言で机の上にみかんを置いた。健気(けなげ)である。

一瞬感動して抱きしめかけたのだが、息子はサッと部屋を出て、何かを持って戻ってきた。みかんの空袋である。そうか、次のみかんを買ってこいということか。一体どこでこういう主張の仕方を覚えてくるのだろう。

我が家に平和が戻りつつある

とにかくその日以来、私はみかんの大袋の最後の1コを食べられるようになった。大団円なのかどうかは甚だ怪しい部分があるが、我が家に平和が戻りつつある。そんな感じである。

私は小さいころ、一人っ子だったこともあって、多くのみかんを摂取してきた。しかし今、家族が増えてほとんどみかんが食べられなくなったことを考えると、もしかしたら一生のうち自然と摂取できるみかんの総量は、おおむね一定の量に収束していくのではないかと思うようになったのだ。特に調査をしてみよう、というわけではないのだけど。(言語研究者)