【コラム・オダギ秀】今回は、県指定重要文化財の金剛力士像を撮影した時のことを話そうと思う。田舎の、いわゆる仁王像だ。

その像は、室町時代後期の作と推定されているようだが、今は廃寺となっている寺の山門に安置されているということだったので、その寺跡を訪ねた。地図をたよりに、田舎道をしばらく走った。ほぼ、ここだ、という地点周辺で、道を行く方に、それは何処かと、何度か尋ねた。

ところが、みんな、「さあ?」と、首をかしげる。重要文化財なのに、100メートルぐらいの近所の人でも、それが何処なのか知らないのだった。通りから数十メートル入ったところに崩れかけた山門があり、探していた金剛力士像が、壁に寄りかかるようにしておった。

壁は崩れていたから、像高2メートル以上の吹きさらされた木像は、彩色ははげ落ち、素地があらわになっていたが、かえって木目の表現の巧みさが強調されていた。彩色がはげ、欅(けやき)の地肌をあらわにしたこの金剛力士像は、阿形(あぎょう)、吽形(うぎょう)ともに、全身を覆う紋様状の木目を見せていた。

その木目は、胸から手指の先に至るまで、信じられぬほど計算尽くされていて、震えがくるほど美しい表現となっていた。筋肉は、忿怒(ふんぬ)の形象そのものであり、そのはち切れんばかりの隆起は、この仁王を生んだ仏師の、確信と自信にあふれた意志の強さを表していると思えた。

見えぬところにこそ精を尽くす

もともと当初は彩色を前提としていたものなのだから、この木目の表現は、人に見られることなど想定していなかったはずなのだ。それにもかかわらずに、見えぬところにこだわり抜いた仏師のすごさが、数百年の歳月を経てなお伝わってきた。

目先の見映えにこだわるのではなく、見えぬところにこそ精を尽くす、という職人の心根に、ボクはまいった。首をひねり、足を踏ん張り、力のこもった金剛力士像は筋骨たくましく、ひるがえる裙(すそ)とともに、ボクらの薄っぺらな心を凝視している気がした。

文化財として指定すればそれでよしとする、今の人々の安易さと、それを取り巻いているボク自身、忿怒の面貌は反省を促した。この像は、名もない仏師のこだわりと自信と確信なのだ。山門の羽目板の隙間から、遠く街道を行く車の音とともに、午後遅い風が吹き込んでいた。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)