【コラム・瀧田薫】ウクライナ軍が、9月中旬以降反転攻勢に出て、ロシア軍に占領された北東部の要衝を奪還しつつある。これに対し、プーチン大統領は、9月21日のロシア国内向けテレビ演説で、予備役に対する部分的動員令(30万人の徴兵)を発動すると宣言し、さらにウクライナ東部や南部のロシア軍占領地域において住民投票を実施し、その上でロシア領に併合する意向を示した。

この演説で特に注目されるのは、新しくロシア領(クリミア半島を含む)となった地域をウクライナ軍が奪還しようとすれば、「あらゆる手段でこれに対抗する」としたことである。この「あらゆる手段」とは、具体的には何を指しているのだろうか。ラブロフ外相が国連総会の一般演説で、ロシアに編入される地域を防衛するために核兵器を使用する可能性を示唆していることと重ね合わせれば、狙いの一つは「核兵器の使用」であり、もう一つは「ウクライナに対する宣戦布告」であろう。

プーチン大統領は、これまでロシア国民を報道管制下に置き、ウクライナ侵攻が国民生活とは遠い世界の出来事であるかのように伝えてきた。しかし、今回の演説のなりふり構わぬ内容は、ウクライナ侵攻当初の楽観が根底から崩れ、ロシア軍が苦戦している事実をプーチン大統領自らが告白したに等しい。

当然、国民一般の受けたショックは大きく、ロシア国内の複数の都市で市民による反戦デモが発生し、徴兵を恐れる市民やその家族が飛行機や車を利用してロシア国外に脱出し始めているとの情報も伝わってきている。当面、この混乱が政権の土台を揺さぶるほどに拡大することはないだろう。また、ロシア軍によるクーデターが起きる可能性もさほど大きなものではないだろう。

独裁者の妄想という不条理

しかし、ウクライナ侵攻の大義、すなわちロシアの過去の栄光を取り戻し、大国としてのパワーを維持し続けるための軍事力行使は、はっきり裏目に出たというのが軍事専門家大方の見方である。それでも、プーチン大統領は侵攻をやめないし、やめられない。

最低限、ロシア軍が占領した東部および南部の4つの州をロシア領として併合できれば、それを戦果としてウクライナとの停戦協議の席につくことはあり得るかも知れない。しかし、ウクライナ政府がそれに応じる可能性は限りなく低い。結局、戦争の膠着(こうちゃく)化、長期化の可能性が一段と高くなっている。

その場合、プーチン氏は政権の維持はできても、ロシアの衰退に歯止めをかけることは難しくなる。中国やインドなどロシアが頼りにしている国々も戦況を分析しつつ、それぞれ国益にかなうロシアとの距離の取り方を模索し始めている。

友邦との関係においてさえ孤立しつつあるプーチン大統領の焦燥やストレスが臨界に達すれば、一瞬の衝動によって核戦争のボタンが押される可能性を誰が否定できよう。独裁者の妄想が世界を破滅させる不条理に怯えながら生きる、それが今の時代のグローバル・コモンだとすれば、あまりに悲しく虚しい。(茨城キリスト教大学名誉教授)