【コラム・奥井登美子】今年7月の文藝春秋に「創刊100周年記念 文藝春秋が報じた事件事故の肉声」という企画があり、その一番初めに「下山事件」が載っている。国鉄総裁だった下山定則氏の轢断(れきだん)死体が発見され、他殺か、自殺かでもめた事件である。東京大学薬学部の秋谷七郎教授は他殺説。それを取材して報じたのが松本清張だった。

(私の夫)清の兄の奥井誠一は私の学生時代の先生。当時、私が通っていた東京薬科大学女子部は上野桜木町にあった。東大に近いので、講師の先生は東大の助教授が多かった。奥井誠一は秋谷教室の助教授だった。私たちは「裁判化学」を彼から教わった。

クラス委員だった私は、かなりずうずうしく講師先生の所に行っては、色々な交渉をした。クラスの中でも沖縄から来た人は、パスポートがないと自分の家に帰れない時代だった。1950年のある日、私は秋谷教室に行った。

当時の東大薬学部は古い建物で、廊下などは腐って穴が開いている。帰るときに奥井先生から「そこに人が寝ているから、つまずかないように」と注意された。穴の開いた廊下の隅に男の人が寝ていてびっくりした。

「取材に来て、分析が終わっていないので帰ってほしいと言ったけれど、帰ってくれないんだよ。困ったなあ」。後で聞いたのだが、私がつまずきそうになった人は松本清張だった。

変な兄さん、おかしな弟

「登美子さんは清さんとどこで知りあったの?」。友達に聞かれてびっくりした。そういえば本人から一度も口説かれたことがない。

昔はお節介(せっかい)なおばさんがうようよしていた。親戚のおばさんがある日、奥井清を私の家に連れてきたことがあった。私は当時、絵の修復の仕事がしたくて、山下新太郎先生の家に入り込んで、修復業を勉強している最中。「まだ結婚は早いので」と言って、お断りした。

私が奥井清に初めて会った次の日。誠一兄から「話をしたい」と呼ばれ、彼に合った。松本清張を踏みつけそこなって以来のことであった。「弟と結婚してやってくれ」。兄から熱心に口説かれてしまった。

「本人に口説かれなくて、兄に口説かれて結婚しちゃった」。「変なお兄さん、おかしな弟だね」。友達は大笑いしていた。(随筆家、薬剤師)