【コラム・及川ひろみ】宍塚の里山がどんなに貴重な大切な所と言っても、その歴史的な背景について理解しなければ、「よそ者が勝手なことを言っている」で終わってしまいそうです。

農業や日常の暮らしと自然が深く結びついて生み出されてきた里山は、先祖の知恵の結晶、まさに文化遺産といえるものです。この40~50年で農業も暮らしも急激に変化しました。里山の未来を考える時、これまでの人と里山の関わりをその土地に則して学ぶことが課題でした。「宍塚の自然と歴史の会」では会発足当初から、この課題に沿って地元の方からお話しをうかがい、記録に残してきました。

例えば「頭はシャンプー代わりに粘土を使い、洗い終わると、梅干しをトントントンとこすりつけてくれるの」。これは今で言う泥パック、そして梅干しはリンス。今に生きる科学的で合理的な、知恵の結晶とも言える話を数多く聞きました。

年中行事などの暮らしの様子からは、人と人との温かな繋がり、地域の優しさがしみじみと伝わり、我々のこれからの暮らしのあり方をも示唆しているように感じられました。当然、当時の暮らしは物理的にも精神的にも厳しいものであったことは容易に想像がつき、時に涙することもありました。でも淡々と語られる話には芯の強さ、誇りが感じられ、楽しかったこと、夢のような日々であったこと—懐かしい思い出が詰まった里山の暮らしでした。

その記録を残す者がいることの喜びを感じました。あふれ出る、汲めども尽きぬ泉のような話を、好奇心むき出しにして聞き、記録にまとめていきました。今記録に留めなければ、記憶さえ失われてしまう里山の暮らしの話に、聞き入り、記録したものです。

それも、お話しくださる方々が、テープレコーダーがあると話しにくいと言われ、機械に頼ることのない作業でした。1997年、会の中に歴史部会が発足してから、この作業は急速に進みました。多くの場合、少なくともお1人5回以上聞き取りを行い(前回お聞きしたことをまとめ、確認に再訪してさらに話をうかがうという、きりのない活動になりました)、そして1999年、「聞き書き 里山の暮らし―土浦市宍塚」を出版しました。

うかがった話を補足するために、昭和30年代の宍塚の畑、水田、茅場などの土地の利用地図、大池周辺の呼び名、地名の地図(地名は土地に刻まれた先人の活動の痕跡です)などのほか、明治10年創立の宍塚小学校に保管されていた明治時代の農作物の克明な記録も加えました。この冊子は地域を理解する上で貴重な資料になり、翌年、茨城県中学校推薦図書に選定されました。(宍塚の自然と歴史の会代表)

「聞き書き 里山の暮らし」の表紙