【コラム・浅井和幸】「人に優しくすることはよいことですよね?」。このような質問を受けることがあります。軽いおしゃべりならば、「そうなんじゃないかな」ぐらいで、軽く流してしまえばよいのですが…。

しかし、深刻な感じ、少し重い感じで聞かれる、真面目に相談されるのであれば、軽く流すわけにもいきません。物事の良し悪しあしは、その場の流れやその場のルール、何を目的にするかで、全く違ってきます。

例えば、相手の荷物を持ってあげる=優しい行為という前提で考えてみましょう。相手が自分で運びたいと思っている流れで、強引にその「優しい行為」をする。人のものに触ってはいけない場所で、人の荷物を持つ。自分の体を鍛えるために荷物を持っている。このような場面で、その行為は嫌がらせになりかねません。

「優しい行為」と思っていることを、そう決めつけるのは、とても怖いことです。それは「トンカツはおいしい」「そばは体に良い」と決めつけるようなものです。油物が苦手な人、そばアレルギーの人からすれば、おいしいとか体に良いとは言えません。

少々の傷やミスはプラスに働く

過度な優しさは、リハビリや人の成長を妨げる要因になります。相手をかわいそうな人だと決めつけ、身の回りのことを全てお世話してしまうと、相手の能力を奪うことにもなりかねません。

厳しい行為が避けられ、たたかれやすい昨今ではあります。しかし、「厳しすぎ」が「よくない」と同じぐらい、「優しすぎ」もよくないことです。完璧な同一の答えは無いものなので、程度問題での調整が必要です。

個々の心や体が鍛えられ、双方の人間関係が育まれる―には、少々の傷やミスはプラスに働きます。厳しくすれば根性が鍛えられるという決め付けと、優しく接すれば人は分かりあえるという決め付けは、同じぐらいの危険性をはらんでいます。

何か言ったり行動したりしたあとに、実際どのような状況になったか、しっかり確認して、次の言動に生かすことが大切です。それでも、相手や世界に優しい目を向け続ける心身の強さを持てることを願い続けているわけですが。(精神保健福祉士)