【コラム・坂本栄】この10年で日本の新聞は1000万部減って4200万部に落ち込んだ。日本新聞協会が昨秋まとめた数字だが、なんと2割も減ったことになる。この調子だと、新聞大好き団塊世代がアラウンド80になる10年後には絶望的な数字になろう。さらにマイナス2000万部?

どんな商品でもこのスケールで市場が縮小するとビジネスとして成り立たなくなる。全国、数県、県、数市各規模の新聞経営陣も、紙メディアが主流の時代は終わったと認識していると思う。だが直視するのを避けている。若い時のよき思い出(新聞全盛時代)にとらわれているからだ。

最近、新聞の可能性について講演を頼まれ、元通信社記者、元地域紙経営者、現ネットメディア代表の経験を踏まえ、メディアの構造について話した。以下、そのポイント。

メディアとコンテンツ

いわゆるマス媒体は2つの要素で構成されている。一つは情報の運搬手段(メディア)。具体的には、紙(新聞、雑誌、本)、電波(ラジオ、TV)、インターネット(ウェブサイト)などだが、運搬手段としては圧倒的にネットが優れている。

その優位性は、もう一つの要素である情報の中身(コンテンツ)を見ればよく分かる。コンテンツは、活字、音声、写真、動画などによって表現されるが、紙メディアが扱えるのは活字と写真だけで、音声と動画は扱えない。TVはすべて扱えるが(ラジオは音のみ)、活字表現には向いていない。これに対しネットは、活字、音声、写真、動画はもちろん、これらコンテンツの保存も自由自在。

運搬手段の能力は明らかに、紙<電波<ネットの順になる。運搬手段としての紙が「自転車」だとすれば、ネットは「自動車」だから勝負にならない(電波は「バイク」?)。もちろん、電磁調理器が普及した今、煮炊きに薪炭も使われるように、紙メディアが消滅することはない。

ロケットと弾頭の関係

講演では、情報の運搬手段と中身の関係を、大陸間弾道弾(ICBM)に例えて話した。ICBMの兵器としての優劣は、弾頭部に積む核の小型化・軽量化・破壊力(コンテンツ)と、ロケット部分の飛距離と積載力(メディア)で決まる。ロケットが遠くに正確に届かなければ、いくら強力な弾頭を載せても兵器としては落第。これは新聞・TV・ネットでも同じであると。

新聞はどういう形で終焉するのだろうか。その優れたコンテンツ編集力(TVやネットよりも上)を維持しながら、運搬手段をネットに切り替えるしかない。そのプロセスで、流通部門(配送配達)、工場部門(輪転機)、制作部門(編集部局=新聞は偉いと思っている)を整理整頓する必要がある。

新聞は強靱な編集力(企画、記事作成・点検、記事の軽重判断)を持ち、コンテンツ制作力は優れている。この「弾頭」を最新の「ロケット」にどう積載するか。経営陣は「ICBMの開発者」にならなければならない。この作業をしないと編集力が無駄になってしまう。(経済ジャーナリスト)